陽だまりで花冠を またか。
眼前の暖かな日差しを浴びて艶やかに輝く黒髪を眺めながらシルベストは背筋を伸ばしていつもの営業用スマイルを維持するようにつとめた。我が主君は不躾で不快極まりない文言を涼しげな笑顔で流している。まあ大抵この手の輩が話すのは相手にする価値もない利己的で無意味な話だ。
ただ、うちの主君は優しすぎる。今だってすぐに追い返してしまえばいいものをうんうんとうなづいて相手が望む言葉を与えてやっている。そのべとついた汚れた手で陛下に触れるな俗物め。
調子に乗った奴はニタニタとただでさえ不出来な顔をさらに歪めて、そのはち切れそうな腹を揺らした。
「いやぁ、エルハーシャ殿下と話していると時がたつのを忘れてしまいますな」
「私も貴殿と話すのは楽しいですよ」
「それで、どうです。この前の話、考えていただけましたか?」
この前の話。それはなんてことのない社交パーティーと見せかけた無差別繁殖パーティーのお誘いだった。この男は殿下を相当なスキモノだと思っているらしい。
ははは、もうコイツの首と胴体を離してしまってもいいんじゃないかな。世の中が少しは綺麗になりそうだ。さりげなく剣の柄に手を伸ばすと指が触れる直前に制されてしまった。
「シル」
幼い子の悪戯を嗜めるような声色に一瞬動きを止めた俺は、待機の姿勢に戻っていつもの笑みを浮かべる。わかってますよ。俺はご主人様には従順ですから。
つい漏れ出た殺気までは止められなかったけど、これくらいは許していただけますよね?
引きつった笑みを浮かべそそくさと退座するお客様をお見送りしながら俺は今日のお茶は何にしようかと考えた。花のフレーバー入りがいい。きっと殿下の心が安らぐ。久しぶりに聞いた呼び名を心の中で何度も反芻しながら、そうだ言い訳も考えないといけないなとひとりごちた。
昔、二人で城を抜け出したことがある。今日のようなあたたかな陽気の気持ちのいい風が吹く日で、青い小さな花が咲き乱れる小さな丘にたどり着いた俺たちはその美しい景色にはしゃいで走り回った。少し離れたところにいた女の子達が花冠を作って遊んでて、真似して作ろうとしたけどうまく出来なくて困ってたらひとりの女の子が花冠をくれた。
「よかったね」
と笑うエルハーシャ殿下がキラキラして見えて、なにも言えなくなった俺は無言で彼の頭に花冠を乗せた。
青い花冠は陛下のあたまには少し大きくてちょっと斜めになって、そのきょとんと瞬いた顔がおかしくてつい笑った。つられて殿下も笑った。青い花は殿下の青灰色の瞳によく似合っていた。
ああ、この人にはやっぱり冠が似合う。
きっとそんな日はやってこないのだろうけど、もしそんな時が来たら。絶対この人の隣に立っていたいな。まだ出会ってそう日がたってないのに俺はそう思ったんだ。いや、それじゃ遅い。今からやらなきゃだめだ。
すぐに「お友達」じゃそばにいられない時がやってくる。この人の隣に立つためにできることは全部やろう。そうしよう。
「シルベスト?」
「はーい。陛下」
返事をしながら顔を上げるとちょうどエルハーシャ殿下が部屋に入ってくるところだった。俺は眺めていた本を閉じて机の上に置いた。王宮の端にあるこの別邸は第一王子であるエルハーシャ殿下のための屋敷だ。俺は別に住み込みではないのだけど護衛という立場上、泊まることもあるので特別に陛下の寝室の近くに部屋を与えられている。ベッドと本棚、そして簡単な書き物をするための机と椅子。それくらいしか置いてないが王宮仕様なので質は高い。
「ちょうどよかった。エルハーシャ陛下、これ覚えてます?」
「ん? なんだい?」
手招きすると素直にやってくる無防備な陛下に信頼されてるなぁと心の中で笑って、さっき持っていた本をふたたび開く。
経年で少し黄ばんだページには拙い文字が並び、中央にくすんだ青色の花が挟まっていた。それを見て殿下は懐かしそうに目を細めた。
「ああ、よく覚えているよ。昔、二人でつんだ花だね」
「陛下がくださったんですよ」
そっと撫でると乾いた花がかさりとなった。
あの日、あなたの騎士になりたいと言った俺にエルハーシャ殿下は笑ってこの花をくれたのだ。
「俺の、はじめての勲章だ」
この花を胸に刺し、俺はこの人に忠誠を誓った。子供のころのただのお遊びだったかもしれないけど、俺にとっては本気の宣誓だった。
「その花ひとつで満足してくれると思ったんだけどねぇ」
そう言ったエルハーシャ殿下の真意は呆れなのか喜びなのか。両方かもしれない。冗談でしょと不敬な言い方をしても許してくれる寛大さに感謝しながら俺はにやりと笑った。
「俺は欲張りなんですよ」
壁にかけられた、歳のわりには数の多い勲章がついている軍服を眺めながらエルハーシャ殿下も笑った。