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    ないし

    @7zmd_

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    ( バンフリ / 82 )

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    ないし

    ☆こそフォロ

    決勝後、無意識に自分の右手首をさすってしまうバンビとそれを目にしたフリオの話|443話(SQ2025年6月号)までのネタバレあり

    ##バンフリ

    【バンフリ】糾える縄 利き手で反対の手首をしきりに弄るのはガキの頃から染みついた癖だった。例えば試合が目前に迫ったとき、不安や緊張が独りでは抑えられなくなった際に掻き抱くようにして触れると、困難に打ち克つ力が漲ってくる気がした。
     幼さが見出した願掛けはいつしか無意識の仕草になり、今を生きる俺の目も覚まさせる。何度も何度も、確かめるように指を滑らせてみても引っ掛かるものは何も無い。このまま煙が出るほど素肌を擦ったところで魔法のランプみたく姿を現してくれるわけなどないし、魔人に頼むまでもなく俺の願いは既に叶えられている。
     世界の頂点を決める決勝戦の大舞台、いたいけな想いを込めたミサンガは役目を終えて眠りについてしまった。存在していたはずの感触は疾うに失われてしまったのだと、現実を直視するたびに言い知れない虚脱感が胸に蔓延っていく。

     後悔はしていない。敗北の苦味こそあれど、最後の一球を返そうとした刹那に体中を駆け巡った得も言われぬ衝撃。俺の肉体と精神が唯一無二の相棒と融合した、かつての記憶が呼び起こされるたび脳髄が高揚感に侵される。ミサンガを失くした痛みさえ片時忘れてしまうほどに。
     幼少期から育んだ夢は立派に実を結び、達成感と喪失感を残して土に還る。これは後味だ。クラッカーの祝砲と散らばった紙吹雪が徐々に熱を失っていくのと似た感覚。チームの応援に集中するため、即座に気持ちを切り替えた試合直後には浸る暇もなかった余韻を随分遅れて味わっている。フゥ、と気を紛らわすように大きく息を吐き出したところで心根に渦巻いた靄は晴れぬままだ。

     肉体の一部とお別れした気分だ。それくらい俺にとって大切な原点であり、ずっと拠り所にしていた。テニスを始めて、たった一人の相棒に出会えて、互いに切磋琢磨し、同じ景色を目指し続けたことで俺達は繋がり合えて、あの日ようやく無敵になれた。その上でなお、俺にはまだ叶えたい未来もある。
     何も悲しいことばかりではないというのに。想像を遥かに超える感傷に酔う己の姿に苦笑が溢れる。もしかすると今だけでも悼む時間をと神が与えてくれているのだろうか。なんて、自分本位の勝手な解釈だ。それでも波立った心が落ち着きを取り戻せるならばと瞼を閉じかけたのもつかの間、背後からの呼び声に急かされて現実に戻されることになる。

    「――バンビ!」
    「っ、フリオ……」
    「何回呼んでもちっとも反応がないからさ。どうしたんだ?」

     咄嗟に反応したのが丸分かりの動揺が混じる声音、平静を保てずに大きく見開いてしまう瞳孔、行き場がなくなってしまい手持ち無沙汰に彷徨う左手。俺の行動から零れ落ちた感情は全てフリオヴィジョンに見透かされる。再三の呼びかけに気付かないほど意識を飛ばしていた自分の失態を悔やんだところでもう遅い。
     長年の付き合いのおかげか、瞳の奥底が「異変には勘付いている」と語らっているのを直感で汲み取った。しかしフリオが踏み込んでくる気配は一向になく、どうやら俺の出方を窺っているらしかった。
     敢えてはぐらかすことを選択したとしても、俺の心情を察して素知らぬ振りを続けてくれるだろう。他者の抱く様々な感情を無造作に摘み取っても、厳重な鍵を掛けて仕舞い込んだ秘密までは無闇に暴こうとはしない。話したくなければ話さなくていいし、いつの日か話したいなら話せるようになるまで待ってくれる。フリオは昔からそういうやつだ。
     だからこそ、俺自身の言葉で直接伝えなければならないと決心がつく。相手からもよく見えるようユニフォームの袖を捲り、眼前に右腕を掲げる。フリオの目に驚愕の色は無かった。

    「ずっと、お前と揃いで身につけていたから……いざ無くなったのを実感するとな」
    「目に見えるものは形を失ったとしても、バンビの想いまでは無くならないよ」

     フリオは迷いなく俺の手を取る。そのまま指を絡めてくるので同じように右手で握り返して祈りを捧げる。ほんのちょっとの勇気が足りないときにお互いのパワーを分け与える、俺達のおまじない。いつもなら二人分のミサンガが身を寄せ合っていたっけ。今振り返ってみれば、俺の手首をさする癖に以前から気付いてさりげなく支えてくれていたのかもしれない。
     相手にも自分にも嘘は吐きたくないし、真摯に向き合ってくれる相棒に応えたい。肌に伝わる温もりに背中を押されて残りの本音を振り絞った。

    「少し、寂しくなった」

     お前を置いて先に行ってしまった気がした。きっとフリオは置いて行かれたなんて微塵も思っていないだろうに、何とも身勝手な罪悪感だ。もしフリオのミサンガも同じタイミングで切れていたなら、後ろ暗い感情を気に留める機会は永遠に訪れなかったかもしれない。些細なすれ違いを引き起こす結果になる前に、見落としていた感情を自覚するための必要な時間を授けられたのだと思うほかなかった。

    「……なあ、バンビ」

     意を決したようにフリオが口を開く。顔つきに変化は見られないが、声の響きには微かな躊躇いが滲んでいた。

    「笑わないで聞いてくれるか?」

     この問いかけをよく覚えている。忘れもしない、先日叶ったばかりである俺の願いの根源。普段は率先して俺を先導してくれるフリオが時折見せる、どこか困った風に微笑みかける表情が子供ながらに気掛かりだった。だから一歩後ろではなく、すぐにでも手を伸ばせる隣に並び立ちたいと望むようになったのだ。
     過去をなぞって「何をだい?」と尋ねる真似はしなかった。ただ一度ゆっくりと頷き、正面から向き合ってくれる眼差しを受け止める。フリオは空いている利き手でミサンガを軽くつまんだ。

    「俺が願いを叶えるその日まで……バンビが傍にいてほしいんだ」

     お互いの心を擦り合わせるかのような改まった決意表明。なのに何故だか、真っ赤な薔薇の花束を添えられた一世一代の告白を聞いている心地になる。意識した上での発言なら相当な策士であるし、無意識であるならなおさら厄介極まりない。フリオは曖昧な笑みを浮かべて俺を待っている。それが迷子のように映るのは、きっと勘違いではないはずだ。
     ならばこちらも相応のお返しを用意して迎えてやらなければ。とっておきの指輪を贈るくらいの気持ちを込めて、フリオの口癖に倣いながら思いの丈を伝える。

    「勿の論だよ。フリオの願いが叶ってからも、ずっとだ」
    「ありがとう、バンビ。俺は幸せ者だな♪」

     照れくさいのを誤魔化したいのだろう、おどけるフリオのペースに呑まれまいと彼の赤らんだ頬に挨拶代わりの口づけを落とした。突拍子もない俺の行動に感情の認識が追いつかず、目を白黒させている。呆然と立ち尽くしていたフリオは次第にわなわなと口も肩も震わせる。仄かな色づきだった両頬は果実みたく真っ赤に熟れていた。

    「不意打ちはずるいじゃん……」

     いつもは挨拶にキスなんてしないくせに。拗ねたように口を尖らせたフリオは負けじと顔を近付け、俺がしたのと同じものを与えてくれた。やがて唇を離し、熱の籠った眼差しを向けるフリオは紅潮した顔色も合わさってひどく艶めかしい。
     胸の内がざわつくような無防備な姿がさらされたのもほんの一瞬のことで、フリオは絡めていた指を離してから改めて左腕を差し出す。今度は俺がお前をあの輝かしい空まで連れていく番だ。固い握手を交えると共に腕を引き、前のめりになったフリオをしっかりとこの身で抱きとめた。さすがに二度目の強襲は想定の範囲内だったらしい。フリオはそれが当然だと言わんばかりに俺に体重を預ける。

    「今日のバンビはとびっきり甘えん坊だな」
    「フリオはとっくの昔から知っているだろう」
    「ああ。そんなお前も素敵だよ」

     強情な俺の背を抱くフリオの手先がぽんぽんと、子供を宥めすかすような優しい音色を刻むので呼応するように深呼吸をする。吐き出した息からは先程までの迷える気持ちは綺麗さっぱり無くなっており、俺の心情の移り変わりを察したフリオも心底嬉しそうに安堵のため息を織り交ぜてくれた。


    (2025.07.13)

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