センシティブな彼女(カイオエ♀)『カイン君の新曲最高でした!』
『フル配信楽しみ・・!』
『声良すぎ・・!』
「みんな、いつも聴いてくれてありがとうな!今年は作曲に力を入れたいと思っているから、また早く次の曲を出せるように頑張るよ!」
画面を流れていく文字の羅列を見送りながら、カインは配信終了のアイコンをタップした。
カイン・ナイトレイ、現役大学生であり、今若者たちを中心に注目を浴び始めている音楽配信者だ。
SNSのフォロワーは10万人を超え、動画サイトの登録数も数万人単位で増え続けている。
今日は新曲のお披露目を兼ねたライブ配信を行っていたところだった。
「・・・・うん、いい感じだな。」
タブレットを手に取り、配信中には追いきれなかったリスナーからのコメントを読み、新曲への反応の確かな手ごたえを感じ頬を緩めた。
趣味の延長で始めた音楽活動だったが、続けるうちに視聴者が増え、応援してくれるファンが増えていった。
注目され、応援される嬉しさの反面新曲を出すたびに緊張感を覚えるようにもなっていった。
『ありきたりな曲しか出さないよなwワンパターンw』
「はは・・、厳しいな・・。」
大部分は肯定的なコメントばかりだが、時折混じる批判的なコメントに苦い笑みを浮かべてしまう。
数万人を軽く超える人たちが観ているのだから、当然批判コメントの一つもあるだろうとカインはゆっくりと息を吐くと長時間の使用で熱を帯び始めたタブレットをソファの上に置いた。
「さて、こっちの反応は・・っと・・。」
スマートフォンを持ち、SNSのアプリを開いて検索バーに自らの名前を入力した。
あまり頻繁に自分のことを検索するのは精神的に良くないことを理解しているが、丹精込めて制作した新曲の反応はやはり気になるものだった。
検索で出てきたリスナーの反応は軒並み好感触のものばかりで、カインは配信のコメントと同様に、先行きの良さを感じほっと胸を撫で下ろした。
配信前に呟いていた告知ツイートにも、新曲を褒めるリスナーからのリプライがたくさん付いていた。
全てに返事をしたい気持ちはあったが、時間的に難しい。せめて出来る限り目を通そうと画面を何度もスクロールした。
「ふー・・・・。よし、この位にしておくか。」
コメントを見終わり、アプリを閉じようとした瞬間、『配信者の炎上』という一文に目が留まった。
「炎上、かぁ・・。」
フォロワーを大勢抱える配信者にとって、炎上というのは酷く恐ろしいものだ。
トレンドの見出しの内容が気になったカインは思わず画面をタップし、詳細を確認しようとツイートを読み始めた。
『大食い系配信者オーエン、失言で大炎上!』
「大食い系か・・。」
カインはあまり大食い動画を観ることがなく、『オーエン』というのは全く知らない名前だった。
記事に目を通していると、文末に添えられていた写真にカインは思わず目を奪われた。
透き通るような白い肌に薄く形の整った唇、長く真っ直ぐで艶やかな銀灰の髪、ほんの少し吊り上がった大きな瞳はまるで猫のような愛らしい印象を与えてくる。
テーブルの前に座っている状態の写真では上半身しか見ることは出来ないが、まるでモデルのような細い身体をしていた。
「こんな子が大食いなんて、凄いな・・。」
大食い系配信者だということなどまるで想像もできない容姿に、カインはほう、と感嘆のため息をついた。
「・・それにしても・・。」
写真に気を取られていたカインだったが、気を取り直してニュース記事の本文を目で追うと、成功に作られた人形のような儚げな彼女の容姿からは想像できないほどの苛烈な言動に顔を引き攣らせた。
今回の炎上の発端は、彼女の配信に現れたアンチ視聴者のコメントに手ひどく言い返し、度が過ぎていると争いの規模が大きくなっていったというものだった。
まとめられた双方の発言を眺めたが、後半に進むにつれオーエン本人の発言が過激になっていき、いつの間にかアンチ側に同情が集まってしまっていたようだった。
「これは、なんというか・・壮絶だな・・。」
相手の心を抉る悪辣な発言の数々にカインは思わず顔を引きつらせてしまった。
配信者に粘着する悪質なアンチコメントの印象が覆ってしまうほど、このオーエンという人物は口が悪いのだ。
(けど、ここまではっきり言い返せるのは気持ちがいいんだろうな・・。)
『アンチなんて視聴者が増えたら比例して沸いて出てくるんだし、相手にしないのが一番だって。』
カインは以前、配信仲間に言われた言葉を思い出した。
投稿を始めたばかりでまだ視聴者もそれほど多くない時期、それほど多くないコメントの中に紛れた「才能ないよ、やめれば?」というコメントに落ち込んでいるカインに対し、先に配信活動をしていた友人がくれた慰めの言葉だった。
立場上言い返すこともできず、不満を心に溜め込みながら配信を続ける日もある。
人よりも根が明るく、細かいことを気にすることが少ない性質だと自覚しているカインですら、自らを傷付けようとする悪意を帯びた言葉を投げかけられれば心に引っかかってしまうのだ。
リスナーからの心ないコメントで傷つき、自信や活動の気力を失い引退してしまった配信仲間も少なくない。
それでも、やはりアンチの相手をするだけ無駄なのだということは事実だろう。相手をするほど悪意は膨張し、攻撃的なコメントが日毎増えていく。
現にオーエンの反論はインターネットの住民を怒らせてしまっている。攻撃を受けた被害者のはずが、今や彼女が諸悪の根源のような空気がSNSの中に渦巻いてしまっているのだ。
カインは彼女の行動に首を傾げつつも、炎上を恐れずこれほどまでに痛烈に言葉を放てる存在に、ほんの少し興味を抱いてしまっていた。
「うーん・・いや、でもなぁ・・。いくらなんでもこれは良くないだろう・・。」
地上波ならピー音でかき消されてしまうような放送禁止用語の数々にカインはため息をついた。
やはりアンチなどは相手にせず、苦い気持ちは悔しさに変えて作品作りの糧に昇華してしまうのが一番だ、とカインは一人頷いた。
「やっぱり配信者っていうのは大変だよなぁ、俺も発言には気を付けないとな・・。」
がさつというか、少々おおざっぱな気質があることを自覚しているカインは同情しながらも気を引き締めた。
(早く炎上が収まるといいな・・。)
炎上の渦中のオーエンに対し、カインは同情と呆れの感情をを半々に抱きながらベッドに潜り込み、スマートフォンの画面を閉じた。
◇
「あれ、この動画って・・。」
ある日、作曲の休憩にと開いた配信サイトのおすすめ動画に見覚えのある姿を見たカインは、思わずスクロールする手を止めた。
サムネイルに映し出されていたのは以前見かけた炎上記事の主である「オーエン」だったからだ。
記事の文面でしか彼女のことを知らないカインだったが、実際に動画を観れば印象が少しは変わってくるだろうかと思い、サムネイルをタップして動画を観始めた。
ぱ、と画面に映し出されたオーエンの姿は以前見かけたネット記事の写真通り、これから大食いをする人間とは思ないほどに華奢で儚げな姿をしていた。
にこやかに挨拶をするわけでもなく、画面の向こうの視聴者を盛り上げようと話を弾ませることもない。
テーブルの上に並べられたデザートを黙々と口に運び、気に入った物があれば「美味しい」と呟くだけで、時間制限もなく、ただ淡々と食事をしている光景だけが動画に映されている。
時折じっとカメラのレンズを見つめるオーエンの瞳が自分と揃いの色をしていることにカインはようやく気がついた。
ネット記事に妙に興味を惹かれたのは自分と鏡写しのようなオッドアイのせいだったのだろうか、と首を傾げながら動画の下部にあるコメント欄へと視線を移した。
「うわっ・・・・!?」
コメント欄を開いたカインはそこに並べられた悪意のこもった文字列に驚き、思わず声を上げてしまった。
三桁を超えるコメントのうち、容姿や性格、大食い動画自体への疑い・・何故か飼い犬に対する飼育方法への苦言まで、多種多様な悪意が込められたものばかりだった。
カインが今までに受けたアンチコメントに比べ、オーエンに向けられたものは悪意の質も量もけた違いだった。
『そういえば・・。』
動画の中のオーエンは手に持ったフォークの動きを止めることなく、パクパクと一定のテンポでデザートを口に運びながら呟いた。
『いつも僕の悪口書きにくる奴らってさぁ、他にすることないの?それに・・・・』
「おい・・!!」
わざわざ火に油を注ぐ発言を始めたオーエンに、カインは思わず腹の奥から声を絞り出してしまった。放っておけば鎮火するような幼稚なコメントを更に煽り、延焼させていく。
悪意に悪意をぶつけて、一体何になるというのだろう。自分の理解の範疇を超えた彼女の言動に、カインはただただ首を傾げることしか出来ずにいた。
◇
「・・それって、炎上商法ってやつじゃねぇの?」
「炎上商法?」
オーエンの動画の衝撃から数日後、作曲のために訪れた友人の口から放たれた言葉をカインは反芻した。
「再生数欲しさにわざと燃やして注目浴びるってやつ。けどさぁ、正直そんなので有名になったってろくな仕事回ってこなさそうだし嫌だなぁ、俺は。」
「そうだよな。それで注目されたって、ずっと悪い印象が残り続ける訳だし・・。」
うんうん、とカインは頷いた。長く配信者を続けるには、目先の注目や再生数よりもより良い楽曲を作ってファンを獲得したいというのがカインの気持ちだった。
「まぁ、お前の顔ファンもちょっと厄介そうだけどな。気をつけろよ、特に女関係。」
「はは・・、正直俺は音楽一本で評価された方が嬉しいんだけどな・・。」
「何贅沢言ってんだよ、そもそも顔がいいってだけで曲を聴いてくれるとっかかりになるんだから、他の奴らより有利なんだよ。・・まぁ、お前が真剣に音楽やってるのもわかってるけどさ。」
「きっかけはどうであっても、応援して貰えるのは嬉しいさ。俺が実力つけて、見た目なんか飛び越えるくらいすごい曲を作ればいいってことだよな!」
『顔だけで実力が伴っていない』これはアンチがカインのコメント欄に書き込むコメントの筆頭だった。
あまり敵を作らないタイプの人間であるカインにも、時折悪意を持って接してくる人間はいる。そういった人間はいつも開口一番にカインの容姿について言及するのだ。
活動に際して顔も公開し、SNSに自撮りを上げている以上、こういった意見を投げつけられるのも仕方がないと割り切ってはいる。それでも時折悔しさが込み上げてくる時もある。
(もっと頑張らないとな・・。)
いつか自分の容姿などを気にする隙など与えないほどの実力をつけて、たくさんの人に楽曲を聞いてもらいたい。それがカインの目標だった。
よし、と自らの心を奮い立たせ、カインは新しい曲を作るためにギターを軽く鳴らすと、コードと音符が並んだタブレットの画面に向き直った。
◇
(あ・・。この公園、次のMVに使えるかもしれないな・・。)
友人の家からの帰り道、気まぐれに通った公園は都会の中にありながら静かで、中心の大きな池のわずかなさざめきと小鳥達のさえずりが心地よく耳に届き、思わず足を止めた。
緑豊かなこの場所はカインが製作している楽曲のイメージにぴったりだった。
カインはゆっくりと公園を見回しながら、スマートフォンを取り出し風景を写真に収め始めた。
(この池も、朝方なら水面に朝日が当たって・・)
画角を調整しながら、頭の中で楽曲のメロディを思い浮かべる。現在制作している穏やかなメロディと、ゆったりとした自然の雰囲気は相性が良さそうだとカインは小さく頷いた。
(うん、Bメロのイメージにぴったりだ。それじゃあサビは・・。)
「ねぇ、邪魔。」
池の前で立ち止まり、じっと風景を眺めながら考え事をしていると、すぐ近くから不機嫌な女性の声が聞こえ、慌てて視線を声の主へと向けた。
「ねぇ、聞こえてる?そこに立たれると邪魔なんだけど。」
振り返った先に居たのは、動画の中で見た『オーエン』だった。深く被った帽子とマスクで顔はほとんど見えないが、こちらを睨み付ける瞳の力は強く、カインはなぜか時が止まってしまったかのように身体が固まってしまった。
「ねぇ、聞いてる?」
怪訝そうにこちらを見つめるオーエンの足元には小さな黒い犬が三匹。兄弟なのだろうか、ふわふわとした長い毛の色も大きさもそっくりで、飼い主の様子に呼応してか、キャンキャンとカインに向かって鳴き声を上げていた。
「あぁ、すまない・・。あのさ、オーエンだよな・・?大食い動画の・・。」
「あぁ、僕の事知ってたの?”騎士様”?」
オーエンはファンの間でのカインのあだ名を揶揄するようにゆっくり口にして、瞳を細めながらわずかに首を傾げた。
「曲、聞いたことあるよ。あの、甘ったるくて青臭い歌詞の、へたくそな歌。」
「聞いてくれたのか!?」
「は・・・・!?」
悪意をたたえた微笑みに棘のある言葉、大抵の人間ならば眉を顰めて不愉快そうな表情を浮かべるものだった。
しかし、カインは不愉快そうな表情どころか、ぱぁ、と好奇心に満ちた瞳でオーエンを見つめていた。予想外の反応にオーエンは瞳を丸くし、目の前の男の勢いに一歩後ずさった。
「・・素人丸出しのぼんやりした歌詞ばっかり。転調も無駄に多いし、一曲の中にやりたい事詰め込みすぎ。まとまりがないから聞いてて疲れるし、それに・・。」
つらつらとカインの楽曲に対する不満を連ねるオーエンを、作曲者本人であるカインは瞳を輝かせながらうんうんと頷き、真剣に耳を傾けていた。
「なに、お前・・。へたくそだって言ってるのに喜んじゃって、馬鹿なの?」
「そりゃ褒めてもらえる方が嬉しいけどさ、聞いてくれるだけでもありがたいよ。」
動画サイトに溢れる無限の音楽の中から自分の曲を選び聞いてくれる、ミュージシャンとしては駆け出しのカインにとってはこの上ない喜びだった。
「正直俺はまだプロに比べたら下手だってわかってるしさ、もっと上手くなりたいんだ。つらいけどさ、厳しいコメントにもちゃんと耳を傾けないとって思うんだ。」
「・・・・。」
屈託のない笑顔から出る言葉は強がりや虚勢ではない、カインの本心だった。
「好きだってコメントはもちろん嬉しいしありがたいんだけど、それだけに胡坐をかいてちゃ成長できないなって・・。」
「こんな道の真ん中で何熱く語ってるの?馬鹿みたい。お前の歌がうまくなるかどうかなんて、全然興味なんかないんだけど。」
「あぁ、すまない。つい・・。」
オーエンの不機嫌そうな言葉に、カインの勢いがようやく止まる。
長い足止めを食らった犬達はその場に座り込み、あくびをしたり後ろ足で首元を掻いたりと退屈そうな様子だ。
容姿の揶揄や漠然とした悪口以外の評価に、思わず心が昂ってしまっていたカインは、ようやく初対面の女性相手に長々と自らの音楽感を語ってしまったことを反省した。
「そういえば、散歩の途中・・だよな。足止めして悪かったよ、よかったら今度SNSのコメントにでも・・。」
悪いな、と言いながら犬達に手のひらを近づけるが、興味なさげにすり抜けられる。眉を下げて笑うカインをじっと見つめるオーエンは返事をすることもないまま、ポケットからスマートフォンを取り出し画面を操作し始めた。
「・・撮影、手伝ってくれるなら教えてやってもいいけど。」
「撮影?」
「この後、スイーツ食べ放題の店で撮影するから。カメラ係。」
オーエンは慣れた様子でアプリを操作すると、スマートフォンの画面をカインに見せつけた。
画面に写し出されたカフェは、この公園から歩いて十分程度で辿り着く場所にあった。
「ピント合わせたり、角度調節するの面倒だから手伝って。お前だって動画撮ってるんだからやり方くらいわかるだろ。」
「あぁ、この後は予定もないし。俺でよければ付き合うよ。」
一旦犬を自宅に連れ帰るというオーエンに待ち合わせ時間を指定され、カインも背負っていたギターを家に持ち帰ることにした。
貧乏学生のカインの家は駅から遠く、待ち合わせに遅れないようにと小走りにカフェへ向かった。
待ち合わせ時間の5分前、オーエンはまだ着いていないとカインは胸を撫で下ろした。
指定した時間から5分ほど遅れて、先ほどとは違う洋服を着たオーエンがゆっくりと歩いてくるのが見えて、カインは居場所を知らせるためブンブンと手を振った。
「ちょっと、恥ずかしいんだけど。」
「あぁ、悪い。人が多いから分かりにくいかと思って・・。」
「・・まぁいいや。さっさと入って。」
ドアをくぐると店員から奥まったテーブルに案内され、店員から食べ放題システムの説明を受けた。
「この店はテーブルオーダーなんだな。てっきり沢山並んでいるところに取りに行くんだと思ってたけど・・。」
「それだとビュッフェの料理も写さなきゃいけなくて面倒だし、座りっぱなしの方が楽でいい。」
単独で活動しているオーエンにとって、食べながらの画角の調整は面倒らしく、座っているだけの動画を撮ることが多いらしい。
確かに、以前企画で料理動画を撮影したときには何度もカメラの位置や角度を調整しなくてはならず、思ったより撮影に時間がかかってしまったことをカインは思い返した。
他の客からは見えにくいテーブルに案内されたためか撮影を好奇の視線で見られることもなく、スムーズに撮影は進んでいった
キャラクターを印象付ける挨拶もなく、にこりとも笑わず、ただ淡々と食べるだけの動画にカインはほんの少し戸惑いながらも順調にカメラを回した。
「これって、食べたケーキの種類と値段なんかは控えておかなくていいのか?」
追加オーダーの間に、カインが撮影について尋ねると、オーエンは頬杖を吐きながら面倒くさそうに答えた。
「別に、テロップなんか入れないし。種類と値段なんかホームページ見ればわかるでしょ。」
「それはそうだが・・視聴者に見やすい動画にしたいとか思わないのか?」
「別に。・・ほら、次のが来るから黙って。」
オーエンの答えにカインは首を傾げるばかりだった。配信者であるカインにとって、視聴者にいかに好印象を与えるか、どうすれば飽きられず見やすい動画を作れるかという事は最大の課題であったからだ。
(けど、何が正解って訳でもないからな・・。)
配信者の数だけ動画がある。視聴者が求める動画も個々人によって違う。無駄なく編集された動画を好む人もいれば編集されていないリアルタイムの空気そのままを好む者もいるだろう。そうカインは自分の中で結論付け、動画の撮影に集中した。
「・・はい、全部食べたよ。バイバイ。」
次々に運ばれてきたスイーツを全て平らげ、積み重なった空の皿の横で手を振るオーエンの表情はやはり淡々としたものだった。
「はい、止めていいよ。・・何?」
オーエンがカメラを止める合図をしても、カインは呆けたまま動かない。じっと睨みつけるオーエンの視線に気がついたカインがようやく我に返り、慌ててカメラの停止ボタンを押した。
「あ、悪い。すごいな、と思って・・・・。」
「何今更驚いてる訳?僕の動画観たことあるんでしょ?」
「いや、やっぱり目の前で見ると迫力がさ・・あ、ちゃんと撮れてるか確認してくれないか?」
食べ放題でよく言われる“元を取る”量などを軽く飛び越えたオーエンの食べっぷりを目の当たりにしたカインはカメラを差し出しながら感嘆のため息をついた。
「ふーん・・。意外と悪くないんじゃない?」
カインの撮影技術は案外高かったようで、オーエンは不満を漏らすこともなく、納得した様子でキルティングレザーのバッグにカメラを仕舞った。
「それで、俺の曲についてなんだけどさ・・!」
「・・曲?」
ようやく自分の曲についての批評が聞けるとカインが身を乗り出すが、当のオーエンといえばきょとんとした表情を浮かべていた。
しかし、せっかくの機会を逃してはならないとカインは諦めず言葉を続けた。
「いやいや、約束しただろ!俺の曲の感想・・!」
「あぁ、そういえばそうだっけ。」
「忘れてたのかよ・・。」
がっくりと肩を落としたカインの様子を面白そうに一瞥したオーエンは、タッチパネルを手に取り手慣れた様子で操作を始めた。
「・・まだ食べる気か?」
「そう。パンケーキは食べ放題に入ってなかったから。」
タッチパネルに表示されたパンケーキは分厚く焼かれたものが三段積み重なり、高く積み上がったケーキを超えるほどのホイップクリームと色とりどりのフルーツが添えられたボリュームたっぷりのものだった。
(見てるだけで腹一杯になりそうだ・・・・。)
オーエンの底なしの食欲に圧倒されるばかりのカインは、すっかりぬるくなったコーヒーをゆっくりと啜った。
「・・それに、コードの構成も似たり寄ったり。イメージ作りなのかもしれないけど続けて聴いてると飽きてくる。それに・・。」
そびえ立つパンケーキの山を順調に崩しながら、オーエンはカインの楽曲についての感想をつらつらと語った。感想といっても、その内容は手厳しい駄目出しばかりでカインには耳が痛くなる心地だった。
「まぁ、このくらいじゃない?・・・・何、その顔。」
「いや・・結構聴いてくれてるんだなって思ってさ。」
オーエンが語った内容はカインの予想以上のもので、これほど詳しく曲についての感想を教えてもらえると思っていなかった。その上、カインが配信サイトにアップロードしている楽曲のほとんどをオーエンが聴いていたことに驚き、カインは思わず目を丸くした。
「・・別に、おすすめに出てくるのを暇つぶしに流してるだけ。」
「あぁ、わかる!ちょっとぼーっとしたい時に流すんだよな。ラジオ感覚でさ。おすすめが勝手に再生された時にいい曲だとラッキーって思ったりして・・」
「・・だから、一人で盛り上がらないで。僕はもう帰るから。」
いつの間にかパンケーキが乗っていた皿は空になっていた。オーエンはバッグを手に取り立ち上がると、カインは何かを思い出したように声を上げ、彼女を引き止めた。
「連絡先!せっかくだしさ、交換してくれよ。」
「・・いいけど。」
連絡先を交換したカインが別れた後にメッセージを送るが、オーエンから返ってきたのは可愛らしいキャラクターのスタンプだけだった。愛らしいが特にメッセージを読み取れないスタンプが何故か彼女らしいと、カインは頬を綻ばせた。
◇
「オーエン!偶然だな!」
「うわ・・。」
撮影から数日後、友人の家から帰る際に立ち寄った公園で見覚えのある犬の姿が目に入ったカインは、飼い主に向かって手を振った。
三匹の犬を連れたオーエンは黒いキャップを目深に被りマスクで顔を隠していたが、それでも不機嫌そうに表情が歪むのは見て取れた。
「せっかくゆっくり歩いてたのに、最悪。」
「そんなこと言うなって!作曲を手伝ってもらった帰りなんだよ。」
ほら、とカインが背負ったギターケースを見せると、オーエンはようやく文句を止めた。
「お前達も、元気そうだな!おっと・・触るのは嫌か・・。」
以前と変わらずけたたましく吠え立てる犬達に触れてみようとカインは手を差し出すが、低い声で唸り始めたことに慌てて手のひらを引っ込めた。
「散歩か?この公園景色がいいし、歩いてて気持ちいいもんな!」
カインは素気ないオーエンの反応を気にする様子もなく、マイペースに辺りをうろうろと歩く犬達を見つめて、はは、と笑った。
「毛が多いから三匹くっつくとケルベロスみたいだな!」
「何?ケルベロスって。」
「昔漫画で見たんだよ、身体が一つで顔が三つあって格好いいんだよ。口からは黒い炎を吐くんだ。」
「ふーん・・・・。」
公園の中心にある大きな池沿いに、並んで歩き始める。オーエンも文句を言うことを諦めてしまったのか、絶え間なく話し続けるカインに気まぐれに相槌を打った。
「・・あ。」
「ん、どうした?」
しばらく歩き続けるうち、オーエンは何かを思い出したように声を上げた。
「お前が撮った動画、いつものより見やすいって。」
カインが撮影を手伝った動画には、いつもより好意的なコメントが寄せられていたらしい。そのことを聞いたカインの表情がぱぁ、と明るくなった。
「そうか・・!良かったらまた手伝うよ、いつでも呼んでくれ!」
「騎士様って暇なの?自分も配信やってる癖に。」
「いや、ずっと家にこもってても全然歌詞が思いつかない時があってさ。別の事をした方が気分転換にもなるし・・、だから今日も友達の家で作曲しててさ。」
「・・そう。じゃあ、次撮る時声かけるから。」
小さな犬特有の甲高い鳴き声が足元から聞こえ、オーエンは鳴き声の主へと視線を落とした。風に舞う落ち葉を尻尾を振りながら楽しそうに追い回す犬達の姿が目に入る。
オーエンの表情から不機嫌さが消えたことにカインは気が付いた。くっきりと眉間に皺を寄せているか、つまらなそうな表情を浮かべていることが多いオーエンだったが、犬達が無邪気にはしゃぐ姿を見ている顔は優しい。
「犬、好きなんだな。」
「何?突然・・。好きじゃなかったら飼うわけないでしょ。」
柔らかく緩んでいた表情が、また不機嫌なものに変わる。
自分が話すたびに表情が強張るのは嫌われているからだろうかとカインは考えるが、こうして隣を歩くことを許されているならそうとも限らないのだろうかとカインは内心首を傾げた。
(難しいな、オーエンは。)
一筋縄ではいかない、今までの友人達にはいない性質のオーエンに、カインはどんどん興味を惹かれていった。
いつか自分の前で屈託なく笑ってくれる日が来るのだろうか、犬達に向けて瞳を細めるオーエンをこっそりと見つめながら、カインは考えた。
(笑ったら、可愛いんだろうな・・。)
満面の笑顔のオーエンを頭の中に思い浮かべてみるが、上手くいかない。うーん、と一人で唸り始めるカインをオーエンは怪訝な目で睨み、犬達は首を傾げるカインに不審な雰囲気を感じ取ったのか再び吠え始めた。
◇
「なぁ、今度コラボ動画とかやってみないか?大食い対決とか・・。」
「する訳ないだろ。」
「はは・・だよな・・。」
撮影終わりの帰り際、申し出をすげなく突っぱねられたカインはがくりと肩を落とした。
何度か撮影を手伝い、時折連絡を取り合うようになってもオーエンの態度は一向に軟化することはなく、相変わらず冷たいものだった。
「それに、僕なんかとコラボしたら炎上しちゃうかもよ?“騎士様”のこと大好きな女達に悪口いっぱい言われちゃうかも。」
「はは・・、それもそうか・・オーエンの迷惑になるよな・・。」
伝票を持ち立ち上がるオーエンの後に続いたカインは、二人分の会計をまとめてカードで支払い始めたことに気が付き、慌てて財布を開いた。
「待て、俺の分はいいって・・!」
「うるさいな、お前みたいな貧乏学生からお金なんか貰わない。撮影代受け取らないなら黙って奢られてて。」
「わ、悪い・・。」
以前オーエンが撮影終わりに謝礼を払うという申し出を断ったこともあり、カインは彼女の言葉に素直に従い財布を引っ込めた。
配信者として軌道に乗りつつあるが、学生との兼業な上に音楽制作に時間を割かれるため更新頻度はそれ程高くない。動画の収入もそれなりにあるが、楽曲制作の費用や練習のためのレンタルスタジオ代を差し引くと普通のアルバイトで稼げる金額とそう変わらない程度しか手元には残らなかった。
「貧乏・・ってほどではないと思うんだが・・。」
カフェからの帰り道、カインは先程のオーエンの言葉を繰り返し、不満気に唇を尖らせた。
「僕から見たらね。服だってどうせ安い量販店のやつでしょ。」
「そうだけど、それは新しい機材を買うのに貯めてるからで・・。」
服、と言われたカインは思わずオーエンの出立ちをじっくりと見つめてしまう。
すらりとした細い身体を包む洋服は皺一つなく、カインや大学の同級生達が着ているファストファッションとは明らかに質が違うことを感じさせた。靴も装飾の少ないシンプルなものだが形が美しく、会うたびに変わるバッグは上質なレザーの艶やかなものばかりだった。
(・・きっと、高くて良い物なんだろうな・・。)
大学の友人達のものとは明らかに質感の異なるオーエンの持ち物は、今のカインに到底手の出せないものばかりなのだろう。
しかしオーエンもカインと同じく、動画の更新頻度は高くない。再生数も数十万再生が多く、配信者の中では飛び抜けて人気というわけではない、所謂中堅程度の立ち位置だろう。
失言による炎上によって再生数が伸びているものはあるが、それも毎回という訳ではない。
動画の配信以外に働いている様子もなく、平日の昼間にも犬を散歩させている。
金銭のゆとりを感じさせる出立だが、その出どころは今ひとつ不明瞭だった。
「そういえば、オーエンって何歳なんだ?仕事は動画だけ?」
「・・詮索しないで。」
「そんなこと言うなよ、友達だろ?」
「・・・・友達?」
「違うのか?ちょくちょく連絡も取ってるし、こうやって一緒にカフェにも来てる。」
オーエンから対価を受け取らないのはカインが彼女を友人と思っているからなのだろう。元々人々の輪の中心にいることの多いカインにとって、友人の線引きのハードルは非常に低い。既にカインの中でオーエンは“友人“という存在と認識されていた。
「僕なんかと友達になったって良いことないよ。」
「友達に損得なんて関係ないだろ。」
「・・・・。」
オーエンは時折言葉を喉の奥に引っ込めたような表情でじっと見つめてくることにカインは気がついていた。何かを訴えるような視線とは裏腹に、オーエンの唇は閉ざされたままだ。
「本当におめでたいね、騎士様って。」
呆れたように言い捨てたオーエンの刺々しい言葉をカインは気にする様子もなく、屈託のない笑顔を彼女に向けていた。
「そうか?普通のことだと思うんだけど・・。」
「・・気が向いたら、教えてあげてもいいよ。」
「本当か!?」
オーエンの言葉にカインは思わず立ち止まり、ぱあ、と瞳を輝かせた。あまりの喜びようにオーエンはうわ、とわざとらしく声を上げ、ひらひらと手を振りながら歩みを進めた。
「気が向いたら、だよ。一生向かないかもしれない。」
「あぁ、待ってる!」
数歩先を進んだオーエンに追いつくようにカインは駆け出し、弾んだ声を上げた。
「・・騎士様って前向きだよね、鬱陶しいくらい。」
「そうか?ありがとな!」
「・・褒めてないよ。」
とことん嫌味の通じないカインをオーエンはじっと睨みつけるが、やはり視線の意図は伝わらない。これ以上は無駄だとオーエンは深いため息を吐きながら、聞かれた訳でもなくあれこれと自らの近況を語り出すカインの横顔を静かに見つめていた。
◇
『そういえば、オーエンはどうして配信を始めたんだ?』
『別に、なんとなく。甘いのはいっぱい食べられるから食べたい時に食べてるだけ。観てる奴らも最初は喜んでたくせに、そのうち好き勝手に色々言い出して・・ほんと、めんどくさい。』
カインはふと作曲の手を止め、数日前のオーエンとのやりとりを思い出した。
始めは何かを質問するたびに心底嫌そうな表情を向けるだけだったオーエンも、何度か会ううちに少しずつではあるが返事をするようになっていった。
『あいつらさ、僕のことが嫌いで嫌いで堪らないのにわざわざ動画観て、コメントまでしてくれるんだ。馬鹿みたいで面白いでしょ。』
(・・なんて言ってたけど、炎上してない時までそんなに悪口が来るのか?)
カインは撮影を手伝った動画がアップロードされている事に気が付き、サムネイルをタップした。画面に映し出された見覚えのある光景をしばらく見つめた後、恐る恐る視聴者からのコメントを読み始めた。
「・・あれ?」
目を背けたくなるような悪意のコメントばかりが羅列されているのだろうというカインの予想に反し、オーエンに対する好意的なコメントも散見されていたのだ。
主にオーエンの容姿や洋服の着こなしや持ち物に対する賛辞が多く、甘いものをいくら食べても崩れない体型もあって、若い女性の視聴者層からの憧れの存在として支持をされているようだった。
その他にも、視聴者に媚びない姿勢や歯に衣着せぬ物言いを羨む者など、嫌われてばかりではないオーエンの様子にカインは安堵のため息をついた。
・
・
「・・そういえばこの間の動画を観たんだけどさ・・。」
秋の限定スイーツビュッフェに呼び出されたカインは依頼された撮影を無事に終え、先日見た動画のコメント欄について話し出そうとしたが、彼にしては珍しく語尾を濁らせてしまった。
『お前、悪口ばっかりって言うけどさ、結構ファンの子もいるんじゃないか!大事にしろよ!!』
(・・なんて言ったら、不機嫌になるに決まってる・・。)
話し上手のカインにしては珍しく会話のとっかかりを間違えてしまい、思わず飛び出しかけた言葉を喉の奥にもごもごと仕舞い込んだ。
「何、変な顔して。気持ち悪い・・。」
「あ、いや・・!なんとなくだけど照明の感じっていうか、色が良かったっていうか・・。ケーキが美味そうに見えてよかったよ、フィルター変えたのか?」
「へぇ、騎士様が気付くなんて意外だね。いつものと別のやつにした。」
「やっぱりそうか!フィルターによって結構雰囲気変わるもんな、オーエンは拘る方か?」
上手く誤魔化せたとカインは内心安堵しながら会話を広げた。オーエンが動画編集について話すのは珍しく、つい編集へのこだわりを聞き出そうとしてしまうのはカインも同じ配信者だからなのだろう。
「別に、普通。騎士様は拘らなさすぎだよね、たまに画面最悪の時あるし。コメントでも言われてるでしょ、ちょっとくらい気をつければ?」
「はは・・、曲の調整で徹夜とかしてるとそこまで拘りきれなくてさ・・。」
どちらかと言えば動画制作よりも音楽制作に時間を割きたいという事はもちろん本音だが、カインにとって細々とした作業の繰り返しである動画編集はかなりの苦労を伴うものだった。テロップや画面の見栄えを調整する動画よりも生配信をメインに行うのもそのためだ。
「・・別に、どうでもいいけど。そういえば、昨日出してた動画・・。」
「観てくれたのか!?どうだった?」
「・・イントロのとこ、インパクト狙いなのかもしれないけど・・・・」
イントロからの繋がりへの駄目出しから始まり、オーエンの“感想”は酷く辛辣なものばかりだった。常人ならば心が折れそうなものだったが、彼女の言葉に耳を傾けるカインの表情は真剣だった。
「なるほどな、参考になったよ。ありがとうな!」
屈託のないカインの笑顔から目を逸らしたオーエンは残り少なくなったアイスココアのグラスを持ち上げ、くるくるとストローを指先で弄んだ。
「・・参考になるっていうけどさ、何回言ってもこういう野暮ったい歌詞、やめないよね。変える気ないんなら僕に意見聞く必要なんかある?」
「意見はありがたいさ、それにちゃんと参考にもしてる。でも・・言われたことを全部変えるのも違う気がしてさ。」
オーエンは返事の代わりにカインをじっと見つめながら、弄んでいたストローにようやく口をつけた。
「悪いところを知った上で貫いてさ、欠点も個性になるくらい俺が上手くなればいいかなって。」
「・・何それ、バカみたい。」
飲み干したグラスをテーブルに置くと、カインの袖から見慣れない金属の輝きがちらりと見え、オーエンは眉を顰めた。
「それ、何?」
カインの手首で輝いていたのは高級ブランドのバングルだった。一般的な学生には敷居の高い物だろうが、流行に敏感な学生ならばアルバイト代をやりくりして買うことも珍しくはない。
しかし、持ち主であるカインはファッションに対する興味や関心が高い方ではない。ブランド品を買うなら新しい音楽機材を買いたいというような男に似つかわしくないアクセサリーをオーエンはじっと睨みつけた。
オーエンの視線に気がついたのかカインは軽く袖口を引き上げ、半分服に隠れていたバングルをほら、とオーエンの方へ差し出して見せた。
「これか?ファンの子がくれたんだけど・・、っておい!オーエン!?」
カインが話終わるのを待たず、勢いよく立ち上がったオーエンは制止する呼びかけも無視し、足早に店を出た。
カインが何度呼んでも返事はなく、耳に届くのはコツコツと響くヒールの音だけだった。
「待てって、どうしたんだよ突然・・!」
「・・それ、全然似合ってないよ、“騎士様”」
通りかかったタクシーに勢いよく乗り込み、最後に吐き捨てたオーエンの表情はひどく不機嫌なものだった。オーエンの気まぐれはいつものことだったが、これほど前触れもなく不機嫌になるのは初めての事だった。
「・・なんだったんだ・・?」
カインは遠ざかって行くタクシーの姿をぼんやりと見つめ、ぽつりと呟いた。
◇
「はぁ〜・・・・。」
カインは自室のベッドの上に横たわり大きなため息を吐きながら、じっとスマートフォンの画面を見つめた。
(最近は、打ちとけてると思ったんだけどな・・。)
出会ったばかりの頃よりも口数も増え、こちらの質問にも答えてくれるようにはなっていた。まるで気性の難しい猫が少しずつ心を開いていくようで、カインは嬉しいような、くすぐったいような気持ちになっていた。しかし、それも思い上がりだったのだろうかと深くため息をつき、髪をぐしゃりとかき上げた。
突然不機嫌になり帰っていったオーエンに何度もメッセージを入れたものの、既読のサインがつくばかりで本人からの返事はない。
「仕方ないよな・・。」
焦らずオーエンの機嫌が元に戻るまで待つことが最善だろうとは思いながらも、カインはベッドから起き上がり玄関の扉を開けた。
◇
「・・何、待ち伏せ?ストーカーみたい。」
「だってお前、返事してくれなかっただろ。」
いつもの公園で三匹の犬を連れたオーエンは、カインの姿を見つけると眉間に皺を寄せた。主人の感情を感じ取ったのか、リードに繋がれた犬達がカインに向かってけたたましく吠え立てている。
「何か気に障ることをしたなら謝りたくってさ。」
「別に、怒ってない。」
言葉とは反対にカインを見つめるオーエンの視線は鋭い。
「本当にか?」
「しつこいな、怒ってないってば。」
「勝手に待ち伏せてたのは悪かったけどさ、どうしても渡したい物があったんだよ。」
ここで怯んで引き下がってしまってはどうにもならないと、カインは上着のポケットから封筒を取り出しオーエンへ差し出した。
「なにこれ?」
「今週末のライブチケットだよ。小さい会場だけど、来てほしくてさ。本当はこの間渡そうと思ったんだけど・・。」
オーエンは封筒を開くと中のチケットに記された文字をじっと見つめている。
「・・これを渡すためにわざわざ来たの?ここを通るかもわからなかったのに。」
「どうしてもオーエンに来て欲しかったんだ、俺の歌を聴いてほしくて。」
チケットを見つめるオーエンの口は動かず、このまま破り捨てられてしまうんじゃないかとカインは緊張で思わず喉をごくりと鳴らした。
「・・まぁ、行ってやっても良いけど・・。」
オーエンの表情が柔らかいものに変わったことに気がついたカインは、チケットを持ったままのオーエンの手をひと回り大きな手のひらですっぽりと包み込み、ぶんぶんと上下に振り回した。
「ありがとうな!オーエン!!」
「ちょっと、痛いんだけど・・!」
不満を口にしてはいるが、オーエンの様子から不機嫌さを感じられないことにカインはほっと胸を撫で下ろした。
◇
「お疲れ!カイン今日かなり調子良かったよなぁ!」
「いやー、かなり客も盛り上がってて最高だったな!」
賑わう居酒屋の一角で、カインはライブスタッフやバンドメンバーに囲まれていた。
無事にライブを終え、打ち上げを迎えることが出来たカインは上機嫌でビールがたっぷり注がれたジョッキを掲げた。
「皆、お疲れ様!皆のおかげで今日は良いライブが出来て、本当に嬉しいよ!」
乾杯の音頭を取ると、それぞれが手に持ったグラスに口を付け、打ち上げは騒がしくも和やかな雰囲気で進んでいった。
「この調子だとメジャーも行けるんじゃねぇ!?どっかのレーベルのお偉いさんとか見に来てねぇかな〜!」
「いつかそうなれるように頑張るさ、その為にはもっと上手くならないとな。」
今日のライブの反応も上場だったとカインはジョッキに残ったビールを一気に飲み干すと、アルコールによる心地よい浮遊感に身を任せた。
(オーエンはなんて言ってくれるんだろう・・。)
カインはふわふわとした意識の端に、いつもの顰めっ面のオーエンの姿を思い浮かべた。
口調や言葉は厳しいが、カインの作った曲をしっかりと聴き感想を伝えてくれる。ファンからの賛辞も嬉しいものだったが、オーエンからの言葉が気付けばカインにとって特別なものになっていたのだった。
「・・え・・これってヤバくね?」
カインの座る席から少し離れた場所が僅かに騒めいた。スマートフォンの画面を覗きながらカインにちらちらと視線を向けるスタッフに周囲の人間の視線が集まり始めた。
「どうした?何かあったのか?」
不穏な雰囲気を察し、そわそわとスマートフォンを見つめる二人組に声をかけると彼らは遠慮がちにカインを見上げた。
「あの・・カインさんと女の人ツーショ、SNSに上がってるんですけど・・・・。」
おずおずと差し出された画面に映されていたのは、カインとオーエンが二人並んで歩く写真だった。
途端、カインのスマートフォンがブブ、と震え始めた。
「通知が・・うわ、凄いな・・。」
通知を知らせるバイブレーションは止むことなく、カインのSNSの通知欄には瞬く間にファン達からのコメントが連なり続けていた。
先程まで感じていたアルコールの心地のいい気分もすっかり消えてしまっていた。
「カイン、お前オーエンと付き合ってんのか!?」
「いや、付き合ってはいない!偶然知り合って、撮影の手伝いをしてただけで・・。」
今この場にいる人間だけでも誤解を解かねばと、カインはオーエンと一緒にいたいきさつを彼らに説明した。
「まぁ・・理由はわかったよ。けどさぁ、よりにもよってオーエンってお前・・。女子からめちゃくちゃ嫌われてるじゃん、アイツ・・。」
苦々しい表情で語る友人にカインは顔を顰め、思わず身を乗り出した。
「そりゃ口は少し悪いが・・皆が言うほど嫌なやつじゃないんだ、オーエンは。」
「でも、視聴者はそんな事知らねぇしさ。印象は良くないよな・・。普通の女相手じゃここまで荒れねぇって・・。」
楽しかった雰囲気は一変し、すっきりとしない空気のまま打ち上げはお開きとなった。
待ちに待ったライブの成功を祝っていたはずが、突然の炎上で台無しになった。それもカインにとっては残念な事ではあったが、それよりも友人達やファン達からのオーエンに対する言葉の方が、ずっしりとカインの心に重くのし掛かっていた。
『よりにもよってオーエンって・・』
友人の言葉が胸に引っかかり、苛立ちを募らせた。
(俺は、オーエンと一緒にいた事が悪いなんて思えない・・。)
帽子を目深に被り、騒めく繁華街を歩くカインはポケットの中で震え続けるスマートフォンを取り出した。
電源を切ってしまおうかと考えた瞬間通話の通知が流れ、画面に映し出された名前に思わず画面をタップした。
「オーエン・・!」
『・・すごいね、騎士様の人気。』
「その・・お前の方も・・?」
『荒れてるに決まってるでしょ。“人気者の騎士様”のお陰で。それとも“嫌われ者の僕”のせい?』
電話をかけてきたオーエンの声は炎上の渦中にいるにも拘らず、何処か楽しげに弾んでいた。
『それにしても騎士様って運が悪いね、相手が僕じゃなきゃこんなに荒れたりしなかったのに。僕って皆に嫌われてるから。』
「そんな事、自分で言うなよ・・。」
『うるさいな、事実でしょ。僕は慣れっこだよ、こんな状況。』
吐き捨てるようなオーエンの口調に、カインは心臓が締め付けられるようだった。
見ず知らずの他人に責められ続ける事に“慣れている”というオーエンの言葉がカインにとって酷く悲しく思えたからだ。
「俺はオーエンのこと、そんな風に思ってない・・!」
カインの絞り出すような声にオーエンは応えず、沈黙が二人の間を流れた。
『面倒くさ・・。もう動画も、SNSも全部やめようかな。』
深いため息と共に吐き出されたオーエンの言葉は、心底うんざりしたような、何にも期待をしていないような無感情なものだった。
「そんな・・勿体無いだろう、せっかくお前の事を好きだって言ってくれる人もいるのに・・。」
『・・好きって何?』
ぽつりと呟くオーエンの声は変わらず冷たいままだ。
『あんな短い動画で、僕のことなんかこれっぽっちもわからないのに。』
カインが言葉を返せずにいると、オーエンは嘲笑混じりに言葉を続けた。
『お前の視聴者だってそうだよ。都合のいいとこだけ切り抜かれた動画だけ見て、勝手にお前のこと知った気になって。散々好きだって言ってた次の日にはお前に幻滅する。お前の顔だけ見てはしゃいで、お前が必死で作った曲なんか聞き流してる。そんな勝手な奴らに媚びて何になるの?』
『あんなもの、僕にとってはただの暇つぶしだって、前にも言っただろ。出来るからやってるだけ、思い入れもないし、顔も知らない誰かからの好きって言葉も、嫌いって言葉も、どうでもいい。』
「オーエ・・」
カインが名前を呼び切る前に通話は途切れ、無機質な機械音だけが流れ続けた。
繁華街の騒めきに取り残され、虚しく震え続けるスマートフォンを握りしめたカインは苛立ち紛れに電源を切り、重い足取りで家路へついた。
◇
カインは憂鬱な気持ちのままライブ成功の報告とファンへの感謝をSNSに投稿したが、やはり返ってくる反応は予想通り辛辣なものが多かった。
「流石に堪えるな・・。」
ここまでの悪意を他人にぶつけられる事は初めての事だった。性根の明るいカインであっても、気にせずにいる事は難しく、SNSの通知をオフに切り替えスマートフォンを放り出しベッドに横たわった。
(オーエンは・・いつもこんな風に言われているのか・・。)
“また炎上してる”なんて、関係のない人間なら笑って流してしまう出来事だが、一度でも渦中に放り込まれてしまえば笑うことなど出来ない。
どうしてわざと煽るような事をするのだろうか、人に嫌われる物言いをあえて選ぶのだろうか。カインには理解しきれない言動だ。
(でも、こんな事に慣れるのは寂しいだろ・・。)
オーエンの炎上は自業自得だと誰かが言ったのを思い出す度、カインの心にもやもやとした引っ掛かりが生まれる。
思わず放り捨てていたスマートフォンを掴み、衝撃的に画面をタップしていた。
『・・何?』
「あ・・いや、えっと・・。」
何を話すかも考えず、衝動のままかけてしまったカインは口籠った。
『用が無いなら切るけど。』
「いや、用はある!お前が落ちこんでないかと思って・・。」
カインの言葉に対し、オーエンは嘲るように鼻を鳴らした。
『落ち込む?僕が?そんな訳ないだろ。それより騎士様の方が重症なんじゃない?どう?はじめての炎上の気分は。』
「まぁ・・最悪だよな・・。」
『顔だけで騎士様の事を好きだって言ってる奴らが顔を真っ赤にして暴れてるだけだよ。本当、馬鹿な奴ら。』
「そういう言い方は、良くないだろ・・。」
『騎士様、どうするの?せっかく人気も出てきて、ワンマンもやったのに、こんなくだらないことで台無しにする?僕なんか切り捨てちゃいなよ、騎士様の成功の邪魔者なんだから。』
「それで売れなくなるなら、それは俺の実力不足だ。」
『・・・・。』
饒舌だったオーエンの言葉の勢いがようやく止まり、カインは自らの気持ちを伝えようと言葉を続けた。
「もちろんファンだって大事だ・・!けど、そのファンがお前を傷つけるのは許したくない・・。それでも応援して欲しいなんて、俺のわがままかもしれないけど・・。」
『良いんじゃない?どうせファンだってわがままだよ、理想の騎士様を勝手に作り出して少しでもそこから外れると攻撃する。自分勝手な奴ら。』
「それでも、やっぱり応援してくれる皆にいい加減なことはしたくないんだ。」
『ご立派な騎士様。いちいち相手にしてたらいつかボロボロになって潰れちゃうよ。・・まぁ、勝手にすれば?僕はどうだっていい、どうせアイツらだってしばらくしたら飽きて、別の標的を探すんだから。』
『会うのもやめた方が良いんじゃない?騎士様、誤魔化すのもファンを騙すのも下手だから、またどこかでこうなるよ。』
「オーエン・・。」
『じゃあね、騎士様。』
プツリと通話は途切れ、一人きりの部屋の中にしん・・と静寂が広がった。
じゃあね、と静かに呟く声が耳から離れず、カインは小さく呻きながらベッドの上で身を捩り頭をがしがしと掻きむしった。
(会えなくなるのは、嫌だな・・。)
オーエンの言う通り、騒ぎの間は距離を取りほとぼりを冷ますのが最善の手段なのだろう。カインも配信者としてそれが良いのだと言う事は頭では理解できた。
それでも、心が騒ぐのだ。『それは嫌だ』と、頭の中で納得して終わらせようとするのを許さない。
何故だろうとカインが想いを巡らせるうち、ようやく一つの答えに辿り着いた。
(・・もしかして・・。)
◇
一度決めてしまえばすぐ行動に移してしまうのはカインの変えられない性分だった。
もう会わない方が良いだろうと言い放った直後に呼び出されたオーエンの表情はやはり怪訝なものだったが、カインは臆する事なく呼び出したスタジオの奥へオーエンを促した。
「何?こんな時に呼び出して。」
「今、配信中なんだ。」
「は?何なの?」
目の間に置かれたカメラの前に座ったオーエンは、じっとレンズの奥を覗き込んだ。録画中のランプが光り、カインの言葉が嘘ではないと知ったオーエンは何をしでかすのだろうかと目の前の男の行動をじっと見つめていた。
「・・確かにオーエンは口が悪い。」
「は?」
脈絡のないカインの言葉にオーエンは目を見開いた。
「アンチコメントにばっかり構ってないでもうちょっと応援してくれるファンに向けて話して欲しいと思う時もある。」
「何お前、喧嘩売ってるの?」
怒りを孕んだオーエンの言葉にも止まることはなく、カインは次々とカメラの向こうの視聴者に「オーエンについて」語り続けた。
「けどさ、コメントで言われてるようなことは無いんだ。食べた後に吐いたりもしないんだ。撮影の後に食べ足りないって別のカフェをハシゴしてまた食べてたりする。けど野菜とか肉なんかは小鳥の餌くらいしか食べないから栄養的には良くなさそうで・・。」
「ちょっと、なんなのお前・・。」
「犬もちゃんと可愛がってて、毛並みも良いしふわふわで、毎日欠かさず散歩に連れて行ってる。」
「ねぇ、何・・・・」
傍に置かれたタブレットの画面には視聴者からのコメント映し出され、オーエンと同じくカインの行動に対する戸惑いが書かれていた。
おそらくこの空間で、彼の行動の意図を理解しているのはカイン本人だけなのだろう。
「誤解されたくないんだ、お前の事。」
「お前のファン相手に言っても無駄だってば・・騎士様は何でこんな馬鹿みたいな事・・」
戸惑うオーエンの表情とは逆に、カインの表情は真剣そのものだった。
カインは目の前のオーエンに真っ直ぐ向き合うと、意を決した表情で告げた。
「オーエンの事が、好きだからだ。」
「・・はぁ・・!?」
オーエンの驚愕の声と共に、配信画面の端を流れるコメントの群れは目で追いきれないほど勢いよく流れ続けた。
自分のペースを崩すことの少ないオーエンが珍しく目を白黒をさせていると、カインはオーエンの両手をしっかりと掴み、真っ直ぐで真剣な眼差しで彼女を見つめると、ごくりと喉を鳴らし叫んだ。
「好きだ!オーエン!!」
カイン・ナイトレイはこの瞬間、およそ五万人のフォロワーを失ったのだった。
終