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    Shiori_pow

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    Shiori_pow

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    恋人じゃないけれど、キスをしてしまったふたりの話。
    ※ネロがでてきます(晶ちゃんへの恋愛感情はありません)

    【ヒス晶♀】不明瞭な好意 まだ、恋とは呼べない不明瞭な好意だった。

     机の上のランプの灯りと、仄青い月明かり。揺らめきが溶けた薄闇は、不意の触れ合いに情欲をひそませた。重なった指先をすべらかになぞり、手のひらの下へ入り込んだ彼の指はひんやりとつめたかったのに、私の奥底に微熱を灯した。
     目を瞑ったのは私。だから、ぜんぶ私のせいにしてよかったのに。
     ――晶様。
     うわごとのように、どこか呆然とした口調が私を呼んだ。そうして刹那の沈黙ののち、くちびるに柔い熱が触れた。
     一秒にも満たない、関係性の逸脱。
     覆された予定調和に、彼はひどく狼狽した。
     熱に染まった頬を手の甲で覆って、すみませんと口走って、私の視線を受け止めないまま部屋を後にした。
    「ヒース、」
     咄嗟に彼を引き留めようとしたけれど、声は、慌ただしく閉まった扉にぶつかって床へと落っこちた。
     衝動が心を追い越した夜。
     あの夜から、私たちは互いに互いを避けている。

    「そういや賢者さん。ヒースとさ、何かあった?」
     甘い匂いが漂う食堂へ、何気なく投げられた問いかけに、私はぴしりと動きを止めた。視線だけ少し迷わせたのちに、レモンパイを切り分けるカトラリーを置いた。かちゃり、と響いた硬質な音が消えないうちに、隣に座るネロが腰が引けたような声音で言い添える。
    「……いや、言いたくねえなら無理に聞くつもりは」
     ないけど、と続けたネロがはっきりと気まずそうに目を逸らす。きっと、私の頬に熱の色合いが差したから。
     私はティーカップを引き寄せて、中の紅茶をスプーンでかきまぜる。透明なきらめきが、紅茶と一緒にくるりと回る。躊躇するようにしばし沈黙したあとに、私は決意して顔を上げた。何となく、ネロなら今の状況へ的確なアドバイスをくれるのではという期待もあった。
    「実は、ヒースを誘惑しちゃって……」
    「へ⁉」
    「あっ、ええとその誘惑って言ってもそう過激なことをしたわけじゃないんですけど! でも、隣り合って座ってるときに手がぶつかって、それで、目が合って……目を瞑っちゃったんです」
    「あ、……ああ。そう、そっか……」
     どことなく安堵した様子のネロを見て、言葉選びを完全に間違ったなと恥ずかしくなる。だけど、私がヒースクリフにたいして誘惑するような態度を取ったことは事実だし、どう説明すれば穏当だったのだろう。
     ネロは何とも言えない顔をしてひとくち紅茶を飲んだあと、遠慮がちに口をひらく。
    「……まあ、何ていうか……雰囲気にあてられたって感じ?」
    「は、はい。そう……ですね」
     ぎこちなく頷きながら、ふたたび眼差しを俯ける。あの夜、私たちの沈黙に絡まった色香を思い出して。
     どこか陶然とした意識の中で、微睡むように目を瞑った。それはほとんど無意識の仕草だった。だけど、その仕草が誘引する行為を明確に意識していた。あの瞬間、私たちは確かに雰囲気にあてられていたのかもしれない。
     それならやっぱり、あの夜以降、ずっと心に滞っているこの気持ちは間違いなのだろうか。
     俯けた眼差しが頼りなく揺らいだ。ため息になりきれない息が、テーブルへと落っこちる。
    「……キスをしたから好き、なんて駄目ですよね」
     弱々しい声音で呟いた。ネロからの返事はなかった。それを肯定の態度だと理解して、やっぱりヒースクリフに謝ろうと決意する。
     謝って、あの夜のキスを帳消しにして、また元通り賢者と賢者の魔法使いとして、良好な関係を築いていけたなら。
     そんなふうに結論をまとめた次の瞬間、私ははっと息を止めることになる。
    「――賢者さん」
     低く掠れたネロの声が、食堂の雰囲気を一変させた。椅子に腰掛けたまま無意識に後退る私の手を掴んで、反対側の手で腰を引き寄せる。
     目を見ひらいたまま、私は硬直した。ネロの黄金色の瞳が鈍くきらめく。普段の気怠げな穏やかさはどこにもなくて、知らない男の人の眼差しをしていた。
    「……ネ、ネロ……っ」
     はっと我に返ってネロの肩を押そうとしたところで、食堂の扉がバタンとひらいた。驚いてそちらを振り向けば、ひどく焦った顔のヒースクリフが立っていた。だけど青の瞳と視線が重なった瞬間に、ヒースクリフは顔を俯けた。そのまま踵を返して、廊下へと走り去る。ヒースクリフの足音が遠ざかっていく中、状況を上手く処理できずにうろたえる私を、ネロがぱっと手離した。
    「目、瞑らなかったじゃん」
    「え、」
    「それなりに雰囲気作ったつもりだけど」
     いつも通りの気怠げな声でネロが言う。ぽかんと口をひらいたまま何度かまばたきをした私は、ネロが言わんとすることをようやく理解する。
    「……ヒースだから、だ」
     呆然と呟いた私は、弾かれたように椅子から立ち上がる。そうして、
    「相談に乗ってくれてありがとうございました!」
     ネロに慌ただしくお礼を言って、ばたばたと食堂を後にした。

     きっとあの夜、好意はまだ不明瞭だったけれど。
     目を瞑ったのは、見つめ合う相手があなただったから。
     だから、
    「――ヒースっ!」
     確かに思い知った恋を、あなたに聞きとげてほしい。
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