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    Shiori_pow

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    Shiori_pow

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    キスをしていたらそういう雰囲気になるふたりの話。

    【ブラ晶♀】夜に溶けてゆく 言葉の終わりが、沈黙に沈んだ。
     シャンデリアのひかりが、グラスのふちを滑ってきらめく。琥珀色のブランデーの中でカランと氷の音が響いた。その残余が消えないうちに、ソファ横の丸テーブルにグラスを置いて、子猫の喉をくすぐるみたいに、私の顎を撫でた無骨な指先。小さなくすぐったさに身じろいで、ぎゅっと身体を強張らせたら、あなたの影が音もなく近づいてきた。
     私の視界にひろがるあなたの影、それに慄いて、大きく目をひらいて後退る、けれど。
     背中がソファの背もたれにぶつかった。あ、と眼差しを揺らめかす。シャンデリアのきらめきを輪郭にまといながら、逆光の暗色に染まった面差しのなかで、ロゼの瞳が鈍くきらめく。知らない表情。ともすれば私にまったく無関心なようにも見えるのに、獲物を狙い定める狼のような危うさがある。
     呼吸が止まる。
     私たちの境界が、もう少しで触れ合う。
     その一秒前、私ははっと我に返ってあなたの胸を押す。ガウンの上質な布地に触れた指先に力を込めながら、
    「酔ってます、か」
     こわごわと問えば、
    「素面だったらいいのか?」
     試すような笑みを含んだ声が言う。骨ばった親指が私の顎先をつうとなぞる。その色めいた手つきに、ぞくりと肌が泡立つ。
     ここで私が泡を食って取り乱せば、あなたは簡単に私を手離すのだろうと思った。
     私はひとつ息を吸って、あなたの瞳を挑むように見つめて答える。
    「どちらでも構いません」
     空間に溶けたほんの微かなお酒の匂いに、めくるめく酩酊したみたいに、私とあなたの境界が触れ合う刹那、私は静かに目を閉じた。
     カラン、と。氷が溶ける音がひそやかに、夜の静けさと綯い交ぜになる。
     ――あの夜から、時折キスを交わす関係になった。

        ✛   ✛   ✛

      西のルージュベリーの華やかな酸味が、口の中へ鮮烈にひろがった。それに思わず驚いたけれど、さく、とタルト生地を噛めば、酸味の中へ甘みが解ける。ネロお手製のベリータルト。今日も間違いなく絶品だ。
     もぐもぐと口を動かしながら、右手でぐっと親指を立てる。私の世界のジェスチャーだけれど、問題なくネロに伝わって、
    「ん、よかった」
     と、ネロは少し表情を緩めた。私の肩にちょこんと座るサクちゃんの尻尾がふわりと揺れる。
     昼下がりの眩さを窓から取り込んだ明るいキッチン。できたてのタルトの甘い匂いが満ちている。
     口の中のタルトを呑み込んだ私は、タルトを切り分けるネロを手伝う。てきぱきとしたネロの動きに伴って、かちゃかちゃと手元で音が鳴る。
    「お子ちゃまたちには、ちょっと酸っぱいかな?」
    「うーん、私は酸味が鮮やかで好きだったんですけど、リケとミチルはもしかしたら」
    「なら、うちの先生もかな。紅茶と、ミルクを多めに用意しとくか」
     ナイフを置いて、ティーポットを手に取ったネロが、「あ」と小さく声を上げて私を見た。
    「口、赤くなってる」
     親しみのこもった声が、ルージュベリーの効果で赤く染まったくちびるを面白がる。少し気恥ずかしくなって、眼差しをささやかに俯けた、――そのとき。
    「ネロ、何か食えるモンねえか?」
     乱雑な足音とともに、不機嫌そうな声が飛んできた。ネロとふたりして入口のほうを向くと、昨日から行方がわからなくなっていたブラッドリーが、声音通りの不機嫌な顔で立っていた。
     つかつかとこちらへ歩み寄ってくる彼に声をかける。
    「ブラッドリー! また、くしゃみで飛ばされていたんですか?」
     じろり、と私を見下ろしたブラッドリーは、大仰に両手をひろげて話し出す。
    「南の国の何もねえ砂地のど真ン中だぜ、食いモンなんてありゃしねえ。箒で半日は飛んだな。……クソ、菓子だけかよ」
     悪態を吐きつつもタルトに手を伸ばすブラッドリーに、「手ぇ出すんじゃねえ!」といつも通りネロの怒号が飛ぶ。
     その後も、いつも通りのやりとりを続けるふたりを眺めていると、降参したように両手を上げたブラッドリーが、不意に私のほうを見た。
     ロゼの瞳が、見定めるように私を辿る。思わず身じろげば、大ぶりの指輪が嵌まった指がこちらへ伸びて。
     気軽な手つきで顎を掴んだかと思ったら、親指がくちびるの下をなぞる。それはいつかのようにひどく色めいた手つきで、私の呼吸は途端に止まった。
     しゃあっとサクちゃんの毛並みが逆立つ。「おいこら、賢者さんに絡むな」とネロの低い声が飛ぶ。
     束の間の喧騒の中へ、ふ、と微かな笑みの音を落とすと、ブラッドリーはあっさりと私を手離した。
     かつ、かつ、と響く靴音が廊下へと去っていく。
    「大丈夫か、賢者さん」
     私を気遣ってくれるネロに曖昧な返事をしながら、身体のずっと奥底に、じわりと熱が灯ったのを自覚した。

     私のベッドの中で丸まって、眠る仕草をするサクちゃんの毛並みを撫でた。そうして、夜の合間をそっと縫うようにして階上、あなたの部屋へ。サクちゃんを連れてこなかった、そんな私の望みなんて、あなたには容易くお見通しだ。
    「――晶」
     低い声が、私を呼ぶ。その響きは、寝物語を読み聞かせる声にも、子守唄を歌う声にも程遠い。だけど私は、微睡みに誘われるように目を閉じる。そうしたら、言葉はもう意味を成さない。
     潤んだ音が波のようにひそやかに打ち寄せて、薄闇の温度が上がってゆく。ぎゅう、とあなたの背中にしがみつけば、私を抑え込むように体重がかけられて、あ、と思ったときには背中がソファの柔さに沈んでいた。
     見上げる先で、シャンデリアの暖色のひかりが、あなたの輪郭に緩やかに沿う。闇色と鉄色の髪先の隙間から、きらきらとあえかなひかりがこぼれる。
     逆光の暗色に染まったあなたの表情は判然としない。ちっとも怖くない、と言ったらそれはきっと嘘だった。
     だけど、私の頬を撫でるあなたの指先があたたかいから。あきら、と私を呼ぶ低い響きが、私の奥底をじりじりと焦がすから。
     だから、私はロゼの瞳を見つめて、ゆっくりと手を伸ばす。かたい手触りの髪を撫でて、あなたの項に指先を引っかける。
     あなたの鼓動を引き寄せるようにあなたを抱きしめながら、私は緩やかに目を閉じる。
     ふわりと花ひらくように、あるいは、花びらが落ちゆくみたいに。
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