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    Shiori_pow

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    Shiori_pow

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    寿命を迎えた晶ちゃんと死別した話。
    お屋敷に仕えるメイド視点のヒス晶♀です。

    【ヒス晶♀】ヒロイン 私がこのお屋敷へやってきた日、奥様が亡くなった。悲しみの眼差しをしたひとたちが慌ただしく動き回るお屋敷内で、何もできない私は、下ろしたての制服で姿ばかりメイドらしくして、右往左往していた。わけがわからないまま数日を駆け抜けて、奥様の葬儀が終わって、夜。メイド長様に居室で休むように言われたときは、率直に安堵した。すぐに、与えられたばかりの自室に戻ったのだけれど、ハンカチを失くしてしまったことに気付いた。母さまが、初めてご奉公をする私のために、お守り代わりにと持たせてくださった刺繍入りのハンカチ。仕方がないと諦めきることもできなくて、自室をひっそりと抜け出した。心当たりの場所をいくつか回った。そうして、ハンカチは見つからないまま迷子になった。夜色に染まったひろいお屋敷、そこに佇む静けさは、肌触りが少しだけするどい。手持ちのランプの暖色の灯りのあたたかさに祈るようにして、おそるおそる靴先を進めた。行き着いた先の扉をこわごわとひらいた。
     その瞬間、世界の緻密さが変わった気がした。
     目の前にひろがったのは、青の世界。月のひかりに浸った夜色の、朧にかがやく繊細な青。そこは多角形のサンルームで、青の影を輪郭にまとった植物たちが、月明かりを浴びている。物語を読んで空想した光景みたいな景色に、私は呆気に取られた。もしも、一歩靴先を踏み入れれば、切ない恋を胸に抱える儚いレディに、物語のヒロインになれるように思えて。
     鼓動が高鳴った。だけど、私の靴先は床にくっついたみたいに動けなかった。指先も、眼差しの瞬きも、一切の動きを失くして、呼吸すら忘れたみたいに立ち尽くす。
     眼差しの先には、ひとがいた。青の世界の色合いを肌の白さに映して、月明かりに絹糸のような髪先をきらめかせながら。
     眉間から顎先をかたどる線、柔らかそうな髪の質感、喉の直線的な隆起、背筋に通る優雅な芯、その描写に寸分の狂いはなく、そのひとこそが、ヒロインに手のひらを差し出す王子様なのだと思った。
     だけどそのひとは——旦那様は、泣いていた。長い睫毛に縁取られた眼差しがこちらを向いたとき、私ははっとして息を止めた。
     美しくとがった顎先を、涙が伝い落ちる。青の世界へと落下した透明な雫は、母さまが大切にしている婚約指輪の宝石みたいに、きらきらとしていて美しかった。

     *   *   *

     結婚、するのだと思う。旦那様のご友人の、そのまたご友人が私を見初めてくださった。めくるめく恋の物語を読んで、いつか憧れたヒロインみたいに、幸せなレディになるのだと思う。私をひとりで育ててくださった母さまのことも、安心させられる。すべてが上手くいっているはずなのに、どうして?
     私の気持ちは塞いでいて、憂鬱なため息がくちびるからこぼれる。これは、マリッジブルーなのかしら。
     考えてみたけれど答えは見つからないから、ひとまずは目の前の仕事をこなす。数十年前にブランシェット領主を退いた旦那様は慎ましく暮らしておられるから、このお屋敷はその広大さに比して使用人が少ない。だから、それぞれがオールワークに近いかたちで、仕事をこなしている。私も、主たる役割はハウスメイドだけれど、キッチンのお手伝いもする。今は、お夕食の料理に使うための野菜の皮を剥いている。
     くるり、くるり、私が操る刃先を伝って、ジャガイモの皮が剥がれてゆく。指先が動作を覚えているから、心が物思いへと沈んでも滞りなく。
     そうしてもうすぐ、すべてのジャガイモを剥き終える、というところで。
     丁寧な靴音が、背中の向こうで響いた。振り返れば、旦那様が控えめな佇まいでこちらを伺っていた。
     高貴なサファイアみたいな、青の瞳が私を認めて遠慮がちに微笑む。
    「ごめんね。キッチンを借りてもいい?」
    「え、ええ……」
     要領を得ないまま、思わず頷いた。だけど、こちらへやってきた旦那様が、コンロ横の壁に掛けてある鍋に手を伸ばしたところではっとした。
    「あ、あの、お申し付けくだされば私が……!」
     ナイフを作業台に置いて、慌てて旦那様に駆け寄る。だけど、旦那様は穏やかな表情で気軽に私を制す。
    「ああ、ありがとう。でも、大丈夫だよ。自分で作りたいんだ」
     せっかく片付けてくれたのに、散らかしてごめんね。——そんなふうに、私なんかに丁重に断りながら、旦那様は鍋を手に取った。
     それから先は、まるで軽快な寸劇みたいだった。沈没藻がぎえっと鳴いたかと思ったら、ひゅうっと卵が飛んできて、かちゃかちゃとレードルが独りでに踊る。様々な音が重なって、いろんな動きが楽しげに行き交う。
    「すごい……! 魔法って、すごいです!」
     思わず感激する私に眼差しを向けて、旦那様は微笑む。
    「ありがとう」
     視線が合わさったのは数秒、そのあいだ、呼吸がぴたりと止まってしまった。はっ、と呼吸を取り戻しても、頬が急激に熱くなって、だから、それに戸惑っているうちに。
     やがて、柔らかな湯気が鍋から立ち上って、優しげな匂いがキッチンに満ちた。旦那様が鍋から皿によそったのは、ミルク粥のような、だけど少し違うもの。
     じ、と思わず皿を見つめていると、
    「おじや、っていう料理なんだ」
     旦那様が不思議な響きの言葉を紡いだ。おじや、と知らない歌を口ずさむみたいな心地で呟いてみる。胸が軽やかに高鳴って、
    「初めて聞く料理です」
     歌うみたいな気分ではしゃいだ。そうしたら、旦那様が微笑んだまま言った。
    「元々は、この世界の料理じゃないから」
     その瞬間、空へと飛んだシャボン玉がぱちんと弾けるみたいに、夜空に咲いた花火が静かに潰えるみたいに、胸の高鳴りが失われた。
    「そう、なのですね……」
     緩やかに眼差しを伏せる。それと同じ緩やかさで、物語のページが閉じてゆく。
    「優しい味がするんだ。よかったら、食べていって。……ああ、もちろん、仕事もあるだろうし、無理にとは言わないけど」
     ぱたん、と表紙が閉じる音。私はメイドらしく、控えめに微笑んだ。
    「畏れ多いことでございます。でも、仕事がまだ残っておりますので」
     最後のジャガイモは、まだ皮が残っていたけれど。
     それを取り落とすみたいに作業台に置いて、私はキッチンを後にした。
     絨毯に吸い込まれる覚束ない靴音、私の浅い息遣い。やがて角を曲がったところで足を止めれば、頬を涙が滑り落ちた。
     私がこのお屋敷に来た日に、奥様が亡くなった。お会いすることは叶わなかったけれど、長年を旦那様と寄り添った奥様は、異世界からやって来てこの世界を救った賢者様だったのだと聞いている。
     月のひかりに浸った夜色の世界で、宝石のようにきらめいた旦那様の涙。その美しさに魅入られて、抗えずに恋に落ちたなんて。
     知りたくなかった。気づかないままでいたかった。
     そうしたら、こんな胸の苦しさなんて知らないまま、きっと幸せなヒロインになれたのにな。
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