つなとらワンライ「ホットドリンク」 スタジオの中には欲望や願望が渦巻いている。芸能界全体がそういう場所であると理解をして自ら飛び込んだ世界ではあるが、上昇気流のような感情の大群にあてられて時折苦しくなることがある。
よりによってこんな時に。
少しだけ休憩をもらってその場を離れた。向かったのは幾分か歩いた先にある自販機スペース。自販機横に備え付けられたソファで項垂れた。
以前TRIGGERがレギュラー出演していた番組と同じプロデューサーが作る、単発のバラエティ番組を撮影しているところだった。花巻すみれとのスキャンダルや八乙女事務所退所に伴い表舞台から身を隠していたが、縁あってまた現場に呼ばれていた。それでも流石にTRIGGER全員、ゴールデンタイムのレギュラー出演とはいかず、単発のバラエティで龍之介一人での出演となった。プロデューサーからは、あれだけ世話になったのにこれしか報いることができなくて、と直接謝られた。
上層部では、きっと今後の龍之介ひいてはTRIGGERの行方を占う試金石と考えているのだろう。
理解はしている。気合いも十分。能力だって磨きをかけてきた。
ただそれでも気負う部分はあるのか、周りのそういった感情に敏感になっていた。
「……大丈夫か」
頭の上から聞き覚えのある声がした。近づく足音にも気づかないくらい、周囲を気にしていられなかった。
「……虎於くんか。……ごめん、今はあまり余裕なくて」
相手をしていられない、とは直接言わなかった。
しばらく無言の時間が続くと、隣の自販機から缶が落ちる音がした。
「……その、これ飲めよ」
視界の端に飛び込んできたのは一本の缶コーヒー。どうやら虎於から差し入れられたらしい。
「こういう時に仲間が側にいないっていうのは本当に……怖いと思うから。デンマークのフェスで……似たような状況になった時に、あの時のあんたのように一人で歌えるかって時々考える。……あんたはすごいよ」
少しだけ震えるような声で、訥々とこぼす。頭の上に降り注がれる虎於なりの励ましが、強張っていた身体に染み渡る。
ようやく顔を上げると、頬にさっと赤みが入った虎於が佇んでいた。
後ろめたさと申し訳なさと気恥ずかしさと、少しの尊敬。
全てが混ぜられて、深みのある感情を醸し出していた。
「あり、がとう」
虎於からそのような評価を受けているとは思わなかった。また、そのようなことを考えているとも。
差し出された缶コーヒーを受け取った。缶の熱さで、指先の感覚を忘れていたことに気がついた。スタジオの空気で指先が少しかさついている。何度か失敗しながらも、プルトップに指をかけた。
缶コーヒーを口に含むと、緊張のせいか喉が渇いていたことを自覚した。指先といい喉といい、それほどまでに身体の感覚を見失っていたとは。
ファンは「十龍之介」を求めているのに、ここで自分の身体すら見失っているようではとうてい「十龍之介」になどなれない。
残りのコーヒーを全て飲み干して、唇に残った分も舐めとった。
「ありがとう虎於くん。改めて気合い入ったよ」
「ああ。それでこそ十龍之介だよな」
ゴミ箱に缶を入れると、景気のいい高い音が鳴った。
「うん。行ってくるね」
先ほどとはまるで違う表情を見せた龍之介に、虎於はこっそりと安堵した。
スタジオに向かう龍之介の背中を見送りながら、心の中で小さく呟く。
あれは本物の言葉だったんだと。借り物ではない、虎於自身の言葉だったんだと。
そして心の中で叫んだ。
龍之介、頑張れ。