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    pp101615

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    pp101615

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    6/15つなとらオンリーの無配です。
    もらってくださった方ありがとうございます🎀

    #つなとら
    tsunamiTiger

     重い空気がじっとりと肌にまとわりつくような日々が続いていた。長雨が降り頻る、夏にはまだ遠い梅雨の最中の息苦しい夜だった。地上よりも天に近いマンションの一角。外界から囲われた部屋の中では、『除湿』に設定したエアコンが静かに音を立てていた。
    「『人生で心に残っている日はどんな日ですか?』」
     さらりとした感触の右の手のひらを真上に向けて、開いては閉じて、空を掴んだ。虎於はソファの上に膝を折って座りながら、照明に透ける手のひらをじっと眺めていた。

     今日は互いに仕事が早く終わった。楽屋に戻って『これからどうだ』と虎於からラビチャを送れば、『俺もさっき終わったとこ! スタッフさんおすすめのナッツをもらったから持っていくね』と即座に返信が届いた。意図せず緩む口元に気がついて、ここが楽屋でよかったと安心した。せめて外では「御堂虎於」のままでいたい。寄りたい場所があると適当に話して宇津木の迎えを断り、タクシーを掴まえるべく楽屋を後にした。

     考え事をしているような虎於の様子を見ながら、龍之介はいくつかのつまみが広がるローテーブルにワイングラスを運んだ。
    「なに? それ」
     龍之介から問われながらも、なおも手のひらを眺め、開いては閉じてを繰り返す。手のひらの輪郭が明るく色づいて、このまま溶けてゆきそうだ。
    「この間発売した雑誌の質問コーナー。龍之介が答えてたやつ」
     主演ドラマの初回放送に合わせて、各社が競うように掲載した龍之介のインタビュー記事。『あの日から人生が変わってしまった』と、心にわだかまりを抱えた客を淹れたてのコーヒーでもてなし、癒していく喫茶店のマスター役がはまり役だと放送前から評判だった。以前の経験からコーヒーを淹れる姿が堂に入っていると、公式ラビスタの動画がネットニュースになった。
    「ああ、読んでくれたの? 嬉しいなあ」
     ワインについては虎於の方が詳しい。今の気分と食事と互いの好みに合わせて、適切なワインを選んでくれる。今日は上段のものから適当に、とのことだったので、龍之介はちょうど目についたシンプルなラベルの赤ワインを取り出した。虎於の隣に座ると、ソファが柔らかく沈んだ。慣れた手つきでコルクを開け、虎於の前に置いたグラスに注ぐと、上品で甘美なスミレの香りが辺り一面に広がった。
     長らく手のひらを見つめて一人感慨に耽っていた虎於だが、ようやく手を降ろして龍之介の方向に向き直る。どちらからともなくグラスを手に取り、乾杯した。
    「あんたの回答わかりやすいな。『TRIGGERが結成された日』。リップサービスではなさそうだ」
     一口分グラスを煽ると、舌にフルーティーな味わいが広がる。好みからすると甘すぎる気はするが、隣の龍之介の蕩けた表情を見ると、良い買い物だったかもしれない。
     今日のお供は、炒って味付けしたペッパーナッツ。簡単にできて美味しいんだよ、という龍之介の言葉通りこれは美味しい。粉チーズの塩味と胡椒の辛味がナッツによく合う。スタッフおすすめというナッツも良いものなのだろう。好きなカシューナッツを選り分けて、それ以外を龍之介の方にさりげなく寄せる。ナッツをつまむと、面白いようにワインがすすんだ。
    「そりゃあ忘れられないからね。……俺はスカウトだったから。都会的でかっこよくて既に歌もダンスも上手い二人と、これから同じグループで活動するだなんて信じられなかったよ。……あの日から俺の人生が大きく動いたと思ってる」
     幾度かワインを口にしながら、思い出をなぞるようにしみじみと言葉を紡いだ。そんな龍之介をメンバー思いのいい奴だと実感するたびに、虎於の心の奥底は冷えていった。普段は表層に登ってこないが故に、無意識に見ないふりをしている部分。目の前の男と、その男が大切に思うメンバーを傷つけたという一生消えない記憶。眩しい龍之介の姿に、虎於は目を伏せた。
    「……ああ、そうだろうな……」
    「虎於くんは? 心に残っている日ってどんな日?」
     虎於の様子に気が付かないのか、龍之介がぱっと笑って虎於に話を振った。
    「俺か? 俺は……そうだな……」
     手元のグラスを大きく煽って記憶を呼び起こす。幼い頃から何不自由ない立場に置かれて刺激的に感じることは多かったはずなのに、脳裏によぎるのは全てデビューしてからのことばかりだ。考えてみればデビューしたのも龍之介と出会ったことも、ここ一年程度の出来事だ。思い出すほど遠い昔ではない。
     そう考えると、やはりアイドル御堂虎於としての一歩目となるあの日は比較的鮮烈だろう。
    「俺もスカウトだったんだ。了さんから直接……」
     グラスの脚を手にしてくるくると回した。龍之介からは手持ち無沙汰な様子に見えるだろう。内心では、全ての始まりを話すにあたって、震える指先を誤魔化すために何かに触れていなければいけなかった。
     龍之介は、顔を伏せながら話し始める虎於を見つめては、紡がれる言葉をじっと待った。
    「スカウトなんて正直日常茶飯事だった。それでも話を聞いて、着いていこうと思ったのは、了さんだったからだ」
     聞いているよ、という視線を向けて虎於の続きを促した。
    「俺は親からやりたいことをやっていいと言われてきた。だが、本当の意味でやりたいことがやれたことなんて一度もなかった。そういう状況を了さんは調べ尽くしていたんだろうな……あの時の俺が一番望む言葉をくれたんだ。だからそういう意味では、了さんに出会った日は人生でもかなり上位に入る、な……ぁ」
     アルコールのせいで、口が滑った。足元がすっと冷えていき、エアコンの音すら聞こえない。強張る手のひらでは持ち続けられずにグラスをテーブルに置くと、不似合いなくらい大きな音を立てた。横目で恐る恐る龍之介の様子を伺う。すると、アルコールのおかげでふわふわとしながら、元の表情に加えてさらに柔和な笑みをたたえていた。
    「虎於くんがアイドルになっていなかったら、絶対に会えなかったから本当によかったあ。……あの人のことはちょっと複雑だけど……」
     表情を見て少しだけ安堵したのも束の間、心臓がズキンと音を立てた。虎於自身も月雲了には一言では言い表せない感情を抱いているが、あの時間を共にした自分たちでしか分かり合えない関係もあると思っている。それでも、その事実が、恋人の感情を曇らせるのだとしたら。自分はどうしたらいいのだろう。目の前が暗くなる。
    「あ……」
     突然、龍之介の長い腕で横から抱きしめられた。グラスを置いていて助かった。
    「……困らせちゃった? ごめんね。でもどっちも本当だよ。どっちも本当でどっちも両立する」
    「うん……」
     抱きしめる腕に、虎於よりも少し高い体温に、大きな愛情を感じる。微かに首筋に吐息が触れた。首に回された腕に手を添えて、小さく、けれど確かに握りしめた。 
    「ねえ」
     龍之介は虎於を抱きしめた体勢のまま話を変えた。
    「俺と会ってからはどう? 俺と会ってから、一番心に残っている日」
    「龍之介と会ってからか……」
     これには少し考え込んだ。龍之介に会う前からTRIGGERについて事前に情報を得ていたこともあり、初めて会った日が心に残っているかというと意外とそうでもない。初めて会った時は最近人気のある芸能人のひとりくらいに思っていたのに、思い直して、惚れ込んで、次第に虎於の世界にとって欠け替えのない人間になっていた。
    「龍之介は?」
     龍之介の胸板に頭を擦り付けて甘えるような仕草をすると、抱きしめる腕の力が強くなった。
    「うーん、どの日も思い出深いけど、やっぱり出会った日かな。バーで初めて会った時」
    「ああ……あの時の」
    「社長から、『十龍之介のロールモデル』って言われて会いに行ったんだよ」
     龍之介が感慨深そうに話す。セクシーでセレブなキャラクターとして売っていたあの頃。
    「なんだそれ」
     龍之介の腕の中で、虎於は思わず口元を押さえてくすくすと笑った。自分の立場上そのように言われるのはわからないでもないが、当時の龍之介が自分をロールモデルにしようとしていたというのは少しだけ可笑しかった。
    「……龍之介はそのままでいいよ。ありのままが一番セクシーだ」
     取り繕った作り物ではない、内側から滲み出す自信。それを得ることがいかに肝要で、世間の人間が得難く思っているものか、龍之介は気づいていない。
    「ふふ、ありがとう。……で、虎於くんはぁ?」
     虎於の柔らかい髪に、龍之介が幾度もキスを落とした。程よくアルコールが回って口調がふにゃふにゃになっている。顔を向けて龍之介の顔を見ると、眦を下げて笑う姿が愛おしい。
    「内緒」
     龍之介が一瞬驚いたような顔をしたので、口元がにやけた。いつも龍之介には驚かせられてばかりだから、少しだけしてやったりという気持ちになる。
    「えー! 教えてよ」
     脇腹をくすぐったり虎於の首筋に額を擦り付けたりしてじゃれついた。

     俺が一生忘れられないと思うのは、ずっとヒーロー側だと思っていた俺が、もしかしたらヴィラン側なんじゃないかって、思わせられたあの日だよ。
     虎於が声に出さずに言う。
     人に言うことも、インタビューで答えることもないが、「人生で心に残っている日」と言われたらあの日を思い出す。心に残っている、と言うと聞こえはいいが、虎於にとっては忘れたくても忘れてはいけない、一生残る火傷のような傷痕だ。

    「あ! 虎於くんまたカシューナッツ以外避けてる!」
    「龍之介が好きなんだからいいだろ」
     傷痕を抱えながら、今夜も更けていく。
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