シモンくんの誕生日の話(シュガシモ)「兄貴、誕生日おめでとうございます!」
事務所に入るなり見知った男共に囲まれた。それぞれ豪奢にラッピングされた荷物を持って頭を下げている。
面倒を見ている店の嬢にしつこく聞かれ、誕生日を教えてしまったが最後、舎弟にまで広まって毎年こうだ。
「気を使うなっつったろ」
「俺たちが祝いたいんですよ! さ、座ってください!」
かつての自分がそうだったから、兄貴を立てざるを得ない弟分の気持ちもわかる。だから無碍にもできない。テーブルに積み上げられていくプレゼントと日頃の感謝の言葉ひとつひとつに礼を伝えるので午前中が終わった。
やっと舎弟共が帰っていく。自分とシュガーだけになる。
一息吐こうと煙草を咥えると、電話が鳴る。受話器を取ればボスだった。
『欲しいもの決めといてって言ったのに、連絡もないなんて冷たいんじゃない?』
「めんどくさい彼女かよ」
急用では無いと判断して、通話したまま煙草に火をつける。
『で、欲しいものは決まった? 勝手に決めると怒るでしょ?』
「当たり前だ。いつも変なものを黙って寄越しやがって」
『それが嫌なら上手におねだりしてごらんよ。パパとしても息子にわがまま放題されてみたいんだよねえ。僕の愛情ストックありあまってて欲求不満というか? 贈り物もセーブしてるほうだし?遠慮せずにもっとこう、ほら、出来の良すぎる息子じゃつまんないっていうか、僕の膝の上で高級車くらいねだってほし』
ガチャンと受話器を定位置に戻した。
「あんたに車なんか用意させたらどこに細工されてるかわかったもんじゃねえよ」
続いてノックの音がした。忙しい日だ。返事をすると、第一秘書が入ってくる。紙束を差し出されて受け取った。
「贈り物のリスト、第一陣の分が終わったので渡しておきますね」
プレゼントは手渡しばかりではない。キャバレーの女や商店関係者からも、事務所への郵送で数えきれないほど届く。中身を確認し、差出人をリスト化する作業で事務員の一日が潰れる。
「助かる。……誕生日なんて面倒なだけだな。仕事も滞っちまう」
「私は好きですよ。シモンさんがたくさん好かれてることが伝わってきて楽しいです」
「どうだか。ごますりだろ」
秘書は曖昧に微笑み、「これは秘書一同からです。お誕生日おめでとうございます」とテーブルに透明ケースに入った万年筆を置いて部屋から出ていった。万年筆から微量の魔力を感じる。それは攻撃的なものではなく守護の類で、おまもりのような機能が備わっているのだろうと察した。
「──いつまで壁の一部になってるつもりだ?」
壁際の椅子に座っているシュガーへ声をかける。朝、部屋に入ってからずっとそこで大人しくしていた。事情を知らない舎弟などは等身大の人形があると勘違いしたかもしれない。
「僕が動く必要を感じなかった」
「それはそうだが……。まあいい。ところで、あの賑わいを見ていて思ったことはないか?」
「…………」
返事に困っている。相変わらず思考の融通が効かない道具だ。
──おまえは祝ってくれないのか?
──シモンが望むなら。
──あー、もういい、もういい。
それが去年のやりとり。今年も同じことを繰り返すつもりはない。それ以上は続けずに立ち上がった。
「飯、食いに行くぞ」
「わかった」
舎弟からの貢ぎ物はこのあと秘書が回収する。過去に爆発物が紛れていたこともあった。開封は部下に解析させてからと決めている。俺にとって誕生日とはそういう日だ。善意だけでなく見栄や悪意が一緒くたに糖衣に包まれ、投げ込まれる日。
運転手が待機する車に乗り込み、シュガーと行きつけの料理屋に向かう。連絡していなかったが、店主は「来ると思ってました」と店の奥へ案内してくれた。ボス主催の誕生日パーティから脱走して以降、毎年の避難所にしているからだろう。余計な言葉も気遣いもなく、ただ静かな個室をあてがい、いつもと変わらない食事を提供してくれる。ありがたいことだった。そうして胃を満たす。
──いつもなら最後にエスプレッソだけが運ばれてくるのだが、今日は違った。
店主が申し訳なさそうな顔で現れ、エスプレッソカップの他に小さなプレート皿をテーブルに置く。
「すみません。私のためと思って受け取ってください」
それは花火が一本刺さったミニケーキだった。ブラックチョコの王冠に鍵が添えられている。見覚えがある。貸し倉庫の鍵だ。
店主は俺が甘いものを好まないことを知っている。だからデザートなんて出さない。そもそも誕生日を祝わないことがこの店の良いところだった。こんなふうに萎縮しながら暗黙の了解を覆すなど、外部の力が働いているとしか考えられない。何事ものらりくらりとかわす店主が屈する相手など限られている。例えば、うちのボス。
「あのたぬきじじい……。いや、気にすんな。気を使わせて悪ィな」
店主はぺこりと頭を下げ、厨房へ戻っていった。
花火が賑やかに閃光を散らしている。指先でつまんでやるとジュッと音を立てて鎮火した。魔力で強化している肉体はこの程度では火傷しない。食べられない花火の棒を取り除き、鍵も回収する。ただのケーキが残ったが、甘そうなそれを食べる気にはどうしてもなれなかった。
とはいえ、うちのボスのせいで気を揉むハメになり、わざわざ作らされたものに口をつけないのも悪い気がする。
「おまえ食うか?」
向かいに座るシュガーへ皿を押しやる。
「シモンが望むなら」
聞き慣れた定型文にピキッと青筋を立てる。そう来ると考えればわかるのに、同じ失敗を繰り返す自分への苛立ちだ。
「俺ってどうして学習しねえのかな。──食えよ、とりあえず一口。苦手な味じゃなかったら食い進めろ。エスプレッソも飲んどけ」
「わかった」
「おまえもさぁ…………はぁー、止め止め」
シュガーとの対話を諦め、厨房に向かって「ワインあるか?」と声をかける。「すぐお持ちします」と返事があった。
食後酒の入ったグラスを持った店主がやって来て、心配そうに食べかけのケーキへ視線をやっている。気にしていないと声をかけても、その表情はぎこちない。
「シュガー、ケーキはどうだ?」
第三者を巻き込んで話を広げようとしたが、相手はシュガーだ。質問したところでどうせ返事はないだろう。それで構わない。こいつも美味いって言ってる……などと適当に繋げればいい。
「……おいしいよ、このケーキ」
「ほら、こいつも美味いって言って……なんだと? なんて言った?」
「おいしいよ。ビターチョコのクリームに……甘酸っぱいベリーソースが入ってて、おいしい」
イエスかノーでは答えられない感覚的な質問にこうも具体的に答えたことがあっただろうか。明らかに変だ。まさか。
椅子がひっくり返る勢いで立ち上がり、店主の胸ぐらをつかんだ。
「てめぇ、何を頼まれた! 変な薬でも盛ったか⁉」
「い、いえ! バースデーケーキを作って鍵を添えろと言われただけで……!」
泣きそうな顔の店主を放り捨て、シュガーに口を開けさせて指を突っ込んだ。胃の内容物を洗いざらい吐かせ、吐瀉物の一部をハンカチに包んでポケットにねじこむ。あとで調べるためだ。そうして、早々に帰宅する。
「……ごめん、シモン」
玄関で靴を脱ぎ、吐瀉物のついた俺のジャケットを回収しようとするシュガーへ安静にするよう命じた矢先、そう謝られた。
「悪いのはボスだ。おまえのせいじゃない」
「そうじゃないんだ。道具が勝手なことをしたから」
珍しく食い下がったなと思いつつ、話が噛み合っていないことに遅れて気付く。
「あ? ん? ……んん?」
「道具は道具の意思で話さない。話すべきことを言うものだ。でも、あなたが求めるものはそうではない気がして、独断で発言してしまった。許してほしい」
「どういうことだ? さっきの味の感想は……自分で言った? ケーキはなんともなかった?」
「うん」
「どういう風の吹き回し……おい、ダメだ、下見るな、黙るんじゃない。俺を見てちゃんと答えろ」
頬をつかみ、むりやりこっちを向かせた。赤い瞳が俺を捉える。
「……伝えたほうが良いと思ったから」
「味の感想をか?」
「わからない」
「わからない?」
「あなたを見ていると……。僕はあなたに望まれている道具になれていない気が……した。だから……。でも、そんなふうに考えることは正しくなかった」
「待て待て待て、勝手に結論を出すな」
「………」
彼の瞳の奥から読み取れるかすかな感情が消えた。考えることを諦めたときの目だ。
「電池切れんな。来い」
寝室に連れて行き、ベッドへ押し倒す。あるがままを受け入れると言わんばかりの無関心顔を覗きこみ、その鼻をつまんだ。
「俺のご機嫌取りはするな。余計なことを言うくらいなら黙ってろ」
「……わかった」
そう命じれば、本当に黙りやがる。彼は馬鹿正直に空気を読んで、黙々と俺の腰ベルトを外し、ズボンからワイシャツの裾を引き出していた。その無神経な態度も気に障るが、「道具は道具の意思で話さない。話すべきことを言うもの」──先ほどの言葉が頭にこびりついて離れない。薄々勘付いてはいたが、改めてはっきり言われると腹が立つ。今までベッドで紡がれた甘ったるい言葉までもがそうだったのかと思うと。だが、そうとわかればこれからじっくりと本物を引き出してやるまでだとも思えた。料理屋でのように。
彼の変化を大きく感じ取れたことで、結果的には悪くない気分だった。
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本当に無言で最後までヤッた。意地になってなにか言わせてやろうと責め立てたが、向こうは向こうで意地を張って声を殺していた。出すものを出した後はばかげた勝負だなと冷静になってしまう。
一応は俺の勝ちということにしたい。シュガーはイくときに俺の名前を呼んだ。それも主人の機嫌取りのためでわざとだ…などとは言わせない。そこまで器用な奴ではないはずだ。なにより、しょんぼりとした顔が「さっきのは意図しない失敗だった」と雄弁に語っている。いまなら珍しい言い訳でも聞けるだろうか。いじわるな好奇心がむくむくと大きくなる。
「言いたいことはあるか?」
「…………。──誕生日おめでとう、シモン」
俺は目を見開いて、あからさまに驚いてしまう。それはいつもと同じ、抑揚がない感情の読み取りにくい喋り方で、けれども普段の定型文にはない内容。予想していない言葉だった。
「……どうせ誕生日を祝う意味も理解してないだろ」
「うん」
異なる価値観で育てられた彼が誕生日という日に特別な感覚を持ち合わせていないことは、彼自身の誕生日に声をかければおのずとわかる。
「でも、言いたいと思ったんだな」
「うん」
「どうしてだ?」
「あなたに……そう言葉をかけるひとたちの顔が、優しかったから。……僕も、同じように……、あなたに……、できれば……、……、……わからない。ごめん」
「充分だ」
腕を伸ばし、シュガーを強く抱きしめる。力加減ができていない自覚はあった。痛いかもしれない。痛いとたった一言訴えてくれさえすれば放すのに……と、つい力を緩められずにいる。けれどシュガーは口を閉じたままだった。望みすぎても良くないか。
「今日のおまえは間違ってない。そもそも俺は前から言ってるだろ。したいことをしろ。言いたいことは言っていい」
「…………シモンがそう望むなら」
腕の中から解放してやり、彼の顔を見る。すると納得のいっていなさそうな顔をしていておもしろおかしかった。《言いたいことがある自分》を受け入れることは、己を道具と思い込んでいるシュガーにとって気持ちの悪いことなのだろう。《そんなものはないはずなのに》とでも自問自答していそうな顔だ。
ふと、シュガーの指先が俺の頬に触れた。汗ばんだ肌に張り付いた前髪を取り払ってくれる。
「今のは俺がそう望んでいるように見えたからか?」
「……わからない」
「そうか」
その夜は、いつの誕生日よりもぐっすりと眠った。
■ ■ ■
翌日もなにかと忙しかった。誕生日の後始末もそうだし、レストランの店主には変な疑いをかけた詫びも入れた。匿名で寄付もしておいた。ゲロで汚したテーブルを千年ものの精霊黒檀にしても釣りがくる程度の金額を。
なお、ボスからの鍵は埠頭の貸し倉庫のものだった。開けてみると中には大量の銃火器が並べられているではないか。
手前の箱に魔力充填式の使い捨て電話が置かれていた。まるで図ったように着信が鳴る。どうせ鍵に追跡機が内蔵されていたのだろう──受話器をとって応答すれば、案の定ボスだった。
『やあ。来月に取引があるから、セッティングを頼むよ。成功させてくれるね? 取引先からの信頼獲得は僕へのご褒美、取引報酬はキミへのご褒美……ってことで、よろしく。一日遅くなったけどハッピーバースデー。困ったことがあったらいつでも膝の上においで、愛しのパ』
話の途中で通話を切る。
長い溜息を吐いた。来年は素直に車をねだろう。