メイドの日(追記あり)「メイドの日……?」
可愛らしい縁取り文字で『本日メイドの日!特別キャンペーン中!』なんて描かれた看板を持った女の子が、通りにまばらに立っている。
吹き込む風こそ冷たいがそこそこ暑い日差しに照らされながら、オロルンは知り合いのバーに野菜を届け、ぷらぷらと繁華街を歩いていた。聞きなれない記念日の名前をスマホに打ち込むと、どうやらどこぞの有名ブログが発祥の語呂合わせでできた記念日のようだった。
フリフリの制服を着た女の子たちがにこやかに……中には不愛想な子もちらほらいるが、道行く人をお店に誘っている。パステルカラーの扉に、気弱そうな眼鏡のお兄さんが吸い込まれていった。
オロルンはその様子を興味深げに見送ると、通話履歴の一番上を押した。
「今暇か?いつもの駅の裏通りまで来て欲しい」
「……お前はいつも突然だな。まず要件を言え、要件を」
「ハハッ」
通話口から甲高い鳥の声と疲れた様子の青年の声が聞こえた。やれやれと諦念を滲ませながらも慣れた様子で応答している。
「カクークの声がするということは、家に居るんだな。それなら君の家からなら15分とかからず来れるだろ、調査に付き合ってくれ」
「まぁ特に用事もねーから行けはするけど……待て、調査って言ったな。何の調査だ?」
「ああ。とある計画のためにどうしても情報が必要なんだ、協力して欲しい。報酬は――果物でどうだ」
「マジかよきょうだい!」
「そろそろケネパベリーが食べごろなんだ。ぷりぷりとしていい実を付けているぞ」
「最高だぜきょうだい!」
「こらカクーク、暴れるなって!」
通話口から漏れる報酬を聞いたのだろう。好物を貰えると耳にしたカクークが、通話の向こうではしゃぎだしたようだ。
「……わかったわかった、すぐ行くから待ってろ。ただし、報酬はちゃんと貰うからな」
「ありがとうイファ。じゃあ、また後で」
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『おかえりなさいませ、ご主人様ぁ♡』
ちりんちりんとドアベルを鳴らしながらパステルカラーのドアをくぐると、客引きに立っている子と同じ制服を着た、目のぱっちりした女の子たちが可愛らしい声で出迎えてくれた。
急ぎ目で来たため少し汗ばんでいるイファと、日陰で涼んでいたオロルンはパステルカラーの調度品であふれる店内に通される。
「きょうだい……調査って言うから何かと思えば。いったいどうしてメイドカフェなんかに」
「これは極めて重要な作戦のための調査だ、イファ。漏らさず情報を持って帰る必要がある」
至極真剣な表情で、蝙蝠耳の青年はイファの顔を見つめる。ともすれば鬼気迫るような気迫に、よく連れ立っているイファですら一瞬たじろいでしまった。
「わかったよ、で、一体何を調べるってんだ。少なくとも、その顔はこの店でするような顔じゃないな。店員の女の子が怯えてるぞ」
くい、と親指で指し示した先には、おどおどした表情でメニュー表を抱きかかえている女性がいた。オロルンとイファの座る席にオーダーを取りに来ようとしていたのだろうが、オロルンの鬼気迫る顔を見てたじろいでしまったようだ。
「すまない、大丈夫だ。メニュー表を貰えるか?」
「は、はい、こ、こちらです!と、当店へのご来店は初めてでしょうかっ……!」
オロルンに呼ばれて、たたた、と席に来たその女性は、わたわたとしながらメニュー表を差し出した。おそらく彼女は新人なのだろう。先輩メイドが不安そうな顔でオロルン達のいるテーブルを見ている。
「ああ、説明を頼みたい」
「ええと、当店は――」
幼さの残る女性がたどたどしく店のシステムを説明する様を、オロルンは眉間に皺を刻みながら聞いていた。黙っていればイケメンなのだと学内で噂される整った容姿のオロルンが、如何にも不機嫌といった顔で憮然として説明を聞いている。時折頷いたりしてはいるが、口を開かなかったため返事はほとんどすべてイファが行った。説明に来てくれたメイドさんは気弱な性格の人だったようで、オロルンのその様子をちらりと見てはびくりと身を震わせていた。
「そ、それではお決まりになりましたらお呼びくださいっ……!」
店員の女性は説明を終えるや否や、ぱたぱたと急いで去っていった。見守っていた先輩の元へ駆け寄っていったようで、遠目に見ても少し震えている。
「……あのなぁ、お前が来たいって言ったから来てるんだぞ。店員さん怖がってんじゃねぇか。なんだその顔は」
呆れたイファが指摘すると、オロルンは顔の力をふっと抜いていつもと変わらない表情に戻った。眉間のあたりを指でつつきながら、困ったように首をかしげている。
「ちょっと隊長の真似をしていた。最近いつにも増して眉間のしわが消えないんだ。寝てるときに引っ張ってもすぐ元に戻ってしまう。イファ、君は医者の卵だろう?いい治療法を知らないか」
イファは小さく溜息をつくと、オロルンの言う「隊長」に思いをはせた。
隊長。それはオロルンがルームシェアしているという年上の会社員のあだ名らしい。知らぬ間にどこかで知り合った男、しかも年上の人間と同居すると突然聞かされた時のイファはなんとも形容しがたい複雑な顔をしていた。引っ越しの荷造りは手伝ったが、未だに会わせてもらってはいない。時折オロルンから聞かされる「隊長」の話のとおりならば、とても真面目な人物なのだということだけは確かだ。オロルンの普段の言動や行動からして、音もなく寝室に侵入し、疲れて眠っているところに眉間をぐいと広げてくる様は想像に容易い。おそらく自分と同様に振り回されているであろう見知らぬ「隊長」に、イファは少しばかり同情した。
「医者は医者でも獣医だっつーの。それにその眉間の皺はお前のせいじゃないか?」
「違うぞ。会社から帰ってきたときもそうだからな」
「ほら見ろよ。も、ってことはそれ以外、つまりお前と一緒の時もってことだ。自分で言ってんなら、ぐうの音も出ないな」
「ぐぅ……」
「ぐぅの音は出たか」
ぐぅ
タイミングがいいのか悪いのか、イファの腹から抜けた音が鳴る。ばつが悪そうに腹に手を当てると、オロルンがぐっと親指を立てて笑顔を向けてきた。
「イファもぐぅの音が出たな」
「昼飯をまだ食ってなかったんだよ。お前に呼び出されたからな」
「ごめん、イファ。来てくれてありがとう。ここの代金は僕が持つから何か食べよう。ほら、この『萌え萌えきゅーん!メイドさんのお絵描きつき!ふわふわ卵のひよこたんオムライス』とか量がありそうだぞ」
「フルで読み上げるなフルで。恥じらいってもんがないのか」
「どうしてだ、これが正式な名前だろう。すみませーん!この『萌え萌えきゅーん!メイドさんのお絵描きつき!ふわふわ卵のひよこたんオムライス』と『ぷりぷりキュートなたこさん唐揚げ』をお願いできるだろうか!あと、アイスコーヒーをブラックで」
「お前さっきの店員さんの話聞いてなかったな!?学食のばあちゃんに呼びかけるみたいに叫ぶな!ベルで呼べ、ベルで!」
新人にはこの二人の接客は荷が重いと判断されたのだろうか、先ほど後ろで見守っていた先輩メイドがオーダーの確認に訪れ、しばらくして頼んだメニューが運ばれてきた。ケチャップで何か描いてくれるとのことで、駄目で元々とカクークの写真をイファがその先輩メイドに見せたところ、慣れた手つきでケチャップを操って、かわいらしいカクークの絵で卵の上を飾ってくれた。思わず感嘆の声を上げ、きちんと許可を取ってからオロルン以上にはしゃいでオムライスの写真を撮るイファを横目に、オロルンはオムライスの絵をじっと見つめて観察しつつ、ケチャップの容器を写真に納めていた。たこさん唐揚げも半分ずつ食べ、一通りを味わうと、二人は店を後にした。
「美味しかったな」
「ああ。でもやっぱ少し量は少なかったけどな……で、調査とやらはこれでよかったのか?」
「ばっちりだ!これで作戦もきっと上手くいく」
「作戦……?」
「こっちの話だ。君には影響ないから気にしないでくれ」
おそらくその洗礼を受けるのは、オロルンとルームシェアしている「隊長」なのだろう。おおよそ予想がついたその作戦に巻き込まれる様子を思いながら、イファは見知らぬ「隊長」に心の中でエールを送った。
「そりゃよかった。じゃあな、きょうだい。俺は帰るぞ」
「助かったよ、イファ。報酬は後日、新鮮なベリーを君の家に持っていこう。カクークにもそう伝えておいてくれ」
初めて入ったメイドカフェで『調査』を済ませたオロルンは、イファを駅で見送った。
まだ夕方というにも早い時間だ。確か今日は帰りが少し遅くなると言っていた。これであれば帰って十分……準備ができる。オロルンは口角を上げながら、今度はでかでかとペンギンのマスコットが掲げられている店へと向かった。
「多分だけど……サンタ服はあったし、売ってるだろ」