あなたは春と風淡い初恋というやつだ。
一生懸命何かに打ち込んでいる姿ってカッコいい。
クラスの男子が、ライブをするから見にきて欲しいとホームルームでみんなに言う。その時私は、軽音部なんてあったっけとか、はやく終わらせてくれないとバイトに遅刻するとか、そんなことを思っていた様な気がする。
チラシ貼っとくからよろしく!と明るい声と笑顔で言った男子は私が使っているのとは違う大きなリュックを背負って颯爽と走っていった。
「ライブだって!行く?」
友達が茶化すように声を掛けてくる。バイト行かなきゃと返事をした私に、「今日の話しじゃなくてライブの話し!次の日曜、狸小路だって!」と、さっきの男子が貼っていったチラシを指さして言う。
「わぁ、美園くんも出るみたいだよ!行こうよ!」
「美園くん……」
「C組の!カッコいいよねぇ〜…東京育ちだと洗練された感じあるよねぇ〜…」
「入学式の時『五稜くんかっこいい〜!』って言ってたのに」
「えー?そうだっけ?」
高校生。思春期。多感な時期は恋愛への憧れから他人をそういう目で見ることが多くなる。一緒にアイドルになろうよ!って子どもの夢を口にしていたのが本当にただの夢物語になって、すぐ近くの、手を伸ばせば届く憧れを手に入れたくなる。
「美園くんって、告白全部断るんだってさ!」
「へぇ、どうして?」
「音楽が一番だから〜って。プロのミュージシャンになるのが夢だから」
「夢かぁ」
「同じ理由で、同じ学年だけでも十人は断られてる」
「……怖っ」
「でも、恋愛は音楽表現の幅を豊かにすると思わない?」
「あはは、なんの受け売り?」
「お兄ちゃんが買ってる雑誌に載ってたバンドマン!」
ベースの人がカッコいいんだよねぇという彼女に、少し呆れた顔を私は向けたと思う。同時に、C組の美園くんという同級生が告白を断る理由をなんとなく理解できた様な気もした。
「ベースってどんな楽器?」
「え?んー、ギターじゃない方!」
「絶対わかってないっしょ」
適当な会話をしながら帰り道を歩いて、別れ際に「じゃあ日曜決定ね!」と笑った友達に流されて、私は初めてライブハウスという場所に足を踏み入れた。
この場所には、思春期の男子が十人もの告白を断るくらいの夢というものがあるのだろう。何かに一生懸命に打ち込めるのって、本当はかっこいいことだってわかる。それが手近な恋愛でも、届かないかもしれない夢でも。
(暗い……結局朝から遊んでたからもう眠い……かも)
興味がある気がする恋愛にも、なんとなく思い描いていた夢にも打ち込もうという気持ちになれない私は、なんだか眠りについてしまったみたいだなと思った。高校生になったら、ちょっと素敵な恋をして、夢が決まって、大人になれるんだと思っていた。バイトの面接の時に将来の夢を聞かれて、私はなんて答えたのだったっけ。
「大丈夫!?」
コインと引き換えた冷たいペットボトルをいたずらに頬に当てられて、わっ!と大きな声をあげた。前に立っていた知らないお姉さんが少し振り向いて、ごめんなさいと2人で謝った。
「大丈夫?」
「ごめん、暗くて眠くなっちゃった」
「子どもか!」
「あはは……」
もうすぐ始まるみたいだよ、と友達は言う。私たち以外のお客さんは、同じ学校の人とか、別の学校の制服を来た人とか、大人の人もいた。いろんなバンドが出ているから、いろんなバンドのお客さんが来ているのだという。大人のバンドに混じってライブをするなんて、それだけで単純にすごいと感じた。
「こんばんは、今日はよろしくお願いします」
静寂を吹き抜ける、爽やかな風のような声。
いつのまにかステージには人がいて、友達が小さな声で美園くんと五稜くん、雰囲気あるね!と楽しそうに耳打ちをしてきた。その直後。
お腹の奥底に響いてくる大きな音に、思わず耳を塞ぎたくなった。ビリビリと空気が揺れている。けれど。
ステージの真ん中に立って、大きく口を開けて、歌をうたう人がいた。歌声はまっすぐ会場を満たしていく。初めてのライブハウス、知らない人たち、知らない場所、聞いたことないくらいの大きな音。その全てを、掻っ攫っていくような。
曲が終わって、また少しの静寂。
風が吹く。鮮やかな赤と、穏やかな深緑をたずさえて。
「ボーカルとベース、里塚賢汰です」
あなたは風。
私を眠りから揺り起こしてくれた風。
春を告げて、それで充分だった。
「はぁ〜〜楽しかった〜〜!ライブって面白いね!」
「……うん、すごかった…」
帰り道。興奮冷めやらないと声を上げる友達を少し落ち着かせながらも、自分の心臓もまだ煩く鼓動しているのを感じていた。
「CDまで買っちゃったしさ〜!いつか美園くんたちがメジャーデビューしたらお宝だね」
「あはは、ちゃっかりサインまでもらってる」
「あんたも買ってたじゃん。里塚先輩にもらえばよかったのに」
「……先輩?」
「先輩っしょ?」
「さ…とづかさん、大学生だって五稜くんが…」
「うん、だから去年の生徒会長だよ。あたし達の入学式の時挨拶してたっしょ!」
「……よく覚えてるね?」
「そりゃあ、あんなにカッコよかったらさぁ」
「あ、はは……感服です!」
ここまでくるといっそ清々しくかっこいいと、呆れを通り越して私は笑った。友達は私がどうして笑っているのかわからなかったみたいだけれど、気にせずに美園くんのサインが入ったCDを眺めていた。
「ねぇ、またライブ行こうね!」
「うん。また行こう」
まだ肌寒い四月の夜が、夏みたいに暑く感じられる。それでも今は春。桜もまだ咲いていないけれど、私は心地の良い目覚めを感じていた。家に着いて、買ったCDをパソコンに取り込んで、スマホに取り込むのも待てずにイヤホンをつけて曲を流す。
風が吹く。これからの新緑の季節を思わせる穏やかなあの深緑が、真っ直ぐに夢を見つめて紡ぐ歌声が、身体中を吹き抜けていく。あぁ、今日はなんだか眠れそうにない。
◆◆◆
「ねぇねぇ、美園くんたち、なんか新しいバンドになったんだって!」
大型連休と共に短い桜の時期は過ぎ、ゆっくりと春が夏へ向かおうとしている頃。友達がソワソワしながら持ってきたニュースに、私は目を見開いた。初めてライブというものに行って、意識して音楽をきくようになってからまだ一ヶ月も経っていない。バンドという人の集まりは、そんなに簡単に人を変えたりするものなのだろうか。
「新しいって……?」
「ふふん。安心しなさい、里塚先輩も一緒だから!」
「べ、別にきいてないでしょ!」
意地悪そうにニヤニヤと笑う友達を軽く叩いて、話しの続きを待った。
「ボーカルが入ったんだってさ。お披露目のライブあるらしいよ、行く?」
「………ボーカルって、二人になることあるの?」
「さぁ?あんまり聞かないけどあるはあるんじゃない?」
気になるなら五稜くんに聞いてみる?と友達が教室を見渡すけれど、まだ登校して来ていないのか彼の姿はなかった。
「でもさぁ、先輩がいるのにわざわざボーカル入れたってことは、相当上手いんじゃない?楽しみ〜〜!」
「そう、なのかな……」
「まぁ、あんたは里塚先輩の歌がききたいんだろうけど?」
私の机に肘をついて、友達はさっきよりも意地悪そうに口角を上げてこちらを見る。揶揄うような視線はどうしても恥ずかしくて、恥ずかしくなることが結果彼女の言うことが正しいと言う証明で、それを隠すように私は机を叩いて思い切り立ち上がった。
「歌だけじゃなくて、ベースも聞いてるし!」
「あはは!楽器の違いもわからなかったのにねぇ」
「それはお互い様でしょ!」
しばらく騒いでいると、いつものようにギターケースを背負った五稜くんが教室に入ってきた。友達は「じゃあまた二人で行くってことで!」と勝手に決めて五稜くんに声をかけにいってしまった。行きたいと思っていたのだから問題はないけれど。友達と話す五稜くんの後ろ姿を自分の席から見る。あのライブの後、何度も聞いている曲のギターを、同じクラスの同い年の男の子が弾いている。いつか彼らは夢を叶えてプロになるんだろう。今わたしがきいている曲を、札幌の小さなライブハウスじゃなくて、東京の大きなドームとか、そんな場所で演奏する日が来るんだろう。その時、私が何をしているかはわからないけれど、その場所にいられたらいいとは思う。
カーテンが揺れる。誰かが開けた窓から風が入ってくる。さわやかな五月の風。目を閉じて、私はあの声を思い出していた。
「ボーカル、旭那由多」
ステージの中心に立っていた知らない男の子がそっけなく名乗る。一瞬の静寂の後、客席からは大歓声があがった。自分の周りにいる全ての人が熱狂している。一緒に来た友達も、彼に惜しみない拍手を送っていた。そしてまた曲が始まる。知らない曲だ、けれど、カラダが震えるのがわかる。それはライブハウスの大きな音のせいではなくて、ステージにいる彼らから、そして中心にいる彼からうまれた“音楽”の力だと、音楽をわからなくても理解した。
私は、きっとそこに立つのだろうなと思っていた人を見た。私から見て左側、中心から外れた場所にあなたは立っていた。
唇はぴったりと結ばれてその体から声を生み出すための風が吹くことは無い。お腹の奥底に響いてくる、びりびりとした低音も、まるで台風の目ように凪いでいる。
一番違うと感じたのは、あの穏やかな深緑だった。もう、そんな言葉は当てはまらない。その目は閃光を放ち続けているかのように、瞬きもせず、中心で歌う彼を見ている、彼しか見ていない。同じステージの上にいるはずの五稜くんも美園くんも、まるでそこにはいないみたいだった。
(あぁ……一生懸命、何かに打ち込んでいる姿って、怖い)
あなたは嵐。
全てを薙ぎ倒す強烈な雷鳴。
春はすでに無く、嵐吹き荒れる夏の夜だった。
◆◆◆
『ジャイロの新曲きいた!?』
通知音にスマホを開く。メッセージ上でも、変わらない元気な声が聞こえてくるようだった。
『きいてないよ』
『えー!早くきいて!ライブも行こうよ!』
『東京は無理だよ』
『まだギリギリ春休みでしょ?ウチ泊まれば宿代浮くよ〜〜?』
『それはありがたいけど…』
『とりあえず新曲きいてよ!サブスクもあるから!』
送られてきたリンクをタップすることはなく、そのままスマホを閉じた。
季節はあっという間に過ぎていった。光陰矢の如し、気が付けば受験、卒業、そして入学。
メッセージをくれた友達は夢のために努力をして無事桜咲き、憧れの上京。
私は、結局、何かに一生懸命打ち込むことはなく、正確に言えば、その何かを見つけることができず、子どもの頃になんとなく描いていた夢はもう思い出すこともなく、興味がある気がしていた恋愛は興味のままで。両親と相談をして大学生になった、というところ。
人生が眠りについてしまうような感覚、実際眠っているようなものなのかもしれない。
そういう時、私はどうしてもあのCDをきいてしまう。揺り起こされたあの日の衝撃を思い出すと、本当は、自分も何かをしてみたいのだと思い知ることができる。せめて眠らずにいられるように。
「………新曲かぁ」
ジャイロアクシアのことは、もちろん知っている。友達はずっと美園くんを追い続けていて、連れられてライブに行ったこともある。同じ学校にいた同級生が大きなステージの上で堂々と夢を追い続けている姿は、単純にすごいと感じる。もう一人の同級生は、分かれてしまったみたいだけれど、彼は違う場所で同じ夢を追い続けているのだという。
私がいる場所はずっと変わらない。
客席のどこかに立っている私から見て右側へ、楽器まで変わってしまったあなたは、台風の目の凪のようでいて、時折り雷鳴のような苛烈さがあって、同じ姿をした違う人のように思えてしまう。そもそも名前しか知らない、生徒会長だったことさえ気にしていなければ気付いてもいない、私のことを知る由もないあなたがどうなったところで、私に何を言う権利も資格もないのだけれど。それでも。
「この声が……音が、好きなんだよ……」
たった一曲の音楽が人生をまるごと変えることだってあるだろう。それを大切にしたいと思うことは、当たり前じゃないか。
音楽はおわり、CDの回転が止まろうとしていく。止まないで、止まないで、風よ吹け、強く強く。もう一度と再生ボタンを押した。
「……………っは、…朝……?」
カーテンの隙間から差し込む朝日で目を覚ました。机に突っ伏したまま寝てしまったらしい。
(今日は一限から……今何時……)
ぼんやりとする目をこすりながらスマホに手を伸ばす。時間を確認しようとしたのに、友達からきていたメッセージの通知を開いてしまった。あぁ、ライブに行くかどうするかの返事をしなくては、新曲も……
「…………“FANFARE”」
サブスクのリンクと共に表示された曲名を口にする。春の季節に相応しいタイトルだと思った。私はゆっくりと、指先でその文字をなぞった。
風が吹く。熱く、眩しく、華やかな風が。
音楽のことなんて、何もわからない。
バンドのことなんて、何も知らない。
それでもわかる。この音楽に、この音色に、この歌に、ずっときいてきたあなたの振動を感じる。
吹き荒れる嵐の中、台風の目の凪から、真っ直ぐに夢を見つめ続けて、一生懸命バンドに打ち込んでいる姿は美しい。
「………あ、もしもし、おはよう。起こしちゃった?…うん、ごめん。あのさ……ライブ、行こうと思う。ジャイロアクシアの」
高校二年の春でした。
それは運命なんてものではないけれど。
私を眠りから優しく揺り起こしてくれた。
(拝啓 GYROAXIAギター 里塚賢汰 様)
あなたは風。
炎をどこまでも熱く、高く、燃え上がらせるための風。
鮮やかな赤、穏やかな深緑。
私の、初めての春。