スーツと珈琲と相棒と 良いものが見れたなぁと、寝る前のベッドの上で顔をほころばしながら、暁人は今日の出来事を思い返していた。
数ヶ月前、暁人はKKや凛子たちを始めとするチーム――ゴーストワイヤーへの正式加入が決まり、せっかくだからと今後の活動についてが話し合われ、よほど簡単な依頼では無い限り単独では行動しないことが決定された。それからというもの、KKは暁人と行動を共にすることが増えた。発案者は凛子だった。
「一匹狼のアナタには、暁人くんみたいなタイプがぴったりね」と、アジトのメンバーの満場一致でそうなった。実のところ、少しでも長くKKといることができる――と暁人は密かに心を弾ませていた。KKは最初こそ渋い顔をしたものの拒否はしなかったため、それからほとんどは二人揃って行動することになった。
最初こそ互いの家からアジト、もしくは現地集合していたが、実はKKがアジトと一室を家替わりにしていた事、そしてその一室を資料保管庫にするという事で結果的に追い出される形となり、ちょうど暁人が借りていたアパートも更新のタイミングもあったので成り行きで同居することになった。同居の提案をしたのは暁人からだったが、KKは嫌がることなく「いいぜ」と即答してくれたのが意外だった。
そんなある日のこと、今日は依頼もなければ互いに予定もないそんな一日だったが、KKはメモを残して出かけてしまったらしい。「夕方には戻る」と一言だけ添えられていた。
暁人はたまには家でのんびりするのもいいか…と暫くは家でゴロゴロしていたが、ふと思い立って気になっていた喫茶店に行くことにし、その場所へと足を運んだ。
ふとテラス席の方を見ると何人かお客さんがいる中、スーツ姿の男性が目に付いた。コーヒーを飲みながら本でも読んでいるようで、どこか落ち着いた雰囲気の男性を暁人はついじっと見つめてしまった。
すると、男性は視線に気がついたのか振り返る、その男性の顔を見て暁人はつい声を上げてしまった。
「け…KK!?」
周囲の人たちの視線が暁人に向けられると、スーツ姿のKKはやれやれと少しため息をついて、こっちへ来いと手招きした。暁人はそそくさと向かいの席に座る。
「こんなところで大声出すなよ、目立つだろ」
「ごめん…まさか、KKだとは思わなくて…」
とりあえず何か頼めよ、とメニューを広げられ暁人はそれに目を通す。とりあえず、KKの飲んでいるコーヒーと同じものを注文した。
「……その格好」
いつもの戦闘服のジャケットや家でのラフな格好とは違い、スーツ姿にきっちりと結ばれたネクタイのKKがとても新鮮に映る。同性の暁人から見ても、格好よく見えた。
「あ? …ああ、刑事やってた時に世話になった奴とこれから会うんだよ、この格好の方がわかりやすいと思ってな」
だからか、と暁人は納得し今しがたテーブルに置かれたコーヒーを一口飲んだ。口に広がる苦味と共に、心臓が少し高鳴っている。目の前でキッチリとしたスーツを着こなし、本を片手にコーヒーを飲むKKの姿をつい見つめてしまう。
同居を始めてからというもの、普段は見ることのなかった互いのだらしのない所を見せることにはなるが、二人とも嫌がる素振りも見せなければ何か文句を言うわけでもなかった。赤の他人、ましてや知り合って一年も経っていないおじさんとの同居はなにかと大変ではないか、と周囲から心配されたが、それは暁人自身が望んだことだった。
気の迷い、と言われればそれまでなのかもしれない。それでも、好きになってしまったのだから仕方の無いことであって――暁人はあの一夜を共に戦った相棒のことが好きになってしまった。
奇跡としか言いようがない、科学的にも証明しようもないのだが、KKを含めあの日失われた命はすべて現世へと戻り、こうして変わらない日々を過ごしている。そんな中、暁人は相棒と呼び合える仲にまでなったKKに恋をしてしまった。これは憧れの気持ちかもしれない、最初はそう思うことにしたがやはりそれだけではなかった。この人と一緒にいるのが心地よい、そう思うことが日に日に増えていった。
だからと言って、暁人からその思いを伝えるつもりは今のところ考えてはいなかった。それは同居を始めた今も変わらずだ。もしこの気持ちを打ち明けてしまえば、きっと拒絶されてしまう――暁人はそれが怖かった。
KKには妻と子がいる、彼曰く終わった関係と言えどそれは変えられぬ事実なわけで。そんな彼がパートナーを、しかも歳の差がある男となんて――そう考えてしまえば、この気持ちは胸に閉まっておくべきだと心に決めた。
同居生活を始めて、あのアジトの惨状を見て覚悟は決めておいたのだがその心配はなかった。家事を全くやらないのかと思えば、洗濯は雑ながらも自ら進んでやってくれる。料理も簡単な炒め物や汁物なら作れるらしく、正直暁人が驚いたほどだった。結局のところ、今は分担ができるのだから有難い話ではある。生活力皆無かと思われた相棒はそれなりに出来る男であった。
一緒に暮らしていれば互いのだらしない所も見てしまったり、見せてしまうこともあるのだがそれも気にはならなかった。ついうっかり、暁人が気を抜いてソファで居眠りしてしまった日があったが、そんな日はいつのまにか毛布が掛けられていて、その礼を言いに行くと「風邪ひかれると困るからな」と彼の優しさを感じて嬉しくなったものである。
KKは…というと、言うことはちょくちょくおじさん臭いのだが、おじさん特有の汚いことはしない、要するに不潔感はないおじさん、といったところである。これにはだらしないところも見たい、と密かに思っていた暁人が少しガッカリしたぐらいで。もしかすると、五〇歳を超えたあたりから…などと期待したが、果たしてそこまで一緒に居られるのかを考えて、勝手に少し落ち込んでしまうこともあった。
「……おーい、暁人、暁人くーん」
「……え? あ、ごめん、聞いてなかった」
「ったく、さっきからぼーっとしやがって…なにか用があって来たんじゃねぇのか?」
「ううん、そうじゃなくて…散歩、かなぁ」
「嘘つけ、目が泳いでんぞ」
KKがそう言ってメニューを再度開き、大きなパフェの写真を指差す。
「これを食いに来た、違うか?」
なんで分かったの、と言うよりも先にKKが店員を呼び止めそのパフェを注文する。出来上がりに時間がかかると説明され「別にいいよなぁ?」とKKにニヤリと笑われると、暁人はただ頷くことしか出来なかった。
「オマエ、最初にメニューを見た時にその写真を少し長く見ていたからな」
「え、それだけで分かったの?」
「元刑事の観察眼、舐めるなよ?」
「KKには敵わないなぁ…」
しばらく沈黙の時間が流れる。KKは再び本に目を通しながらコーヒーを飲むと、真似するように暁人もコーヒーを一口飲んだ。つい視線が何度もKKに向いてしまうのをバレないよう逸らしながら、注文したパフェが来るのを暁人は静かに待っていた。
***
「あのパフェも、美味しかったなぁ」
今日食べたパフェの味を思い出してつい笑みを零す。KKのスーツ姿を見ながら食べるパフェは、それはもう絶品だった。代金を支払おうとすると、何も言わずにKKがごちそうしてくれたので、有難く甘えることにした。彼のそういうところが好きなのだと改めて思わせてしまうほど、気持ちも大きくなっていた。
良い気分のまま眠りにつこうとしたその時、控えめのノック音が聞こえた。
「悪い、まだ起きてるか?」
KKの声が微かに聞こえて、つい心臓が高鳴る。
「うん、まだ起きてるよ。どうかした?」
「あー……少し、話せるか?」
暁人の胸がザワつく、だが断る理由は無かった。
「大丈夫、今そっちに行くよ」
二人がけのソファに並んで座ると、しばらく無言になり呼び出したKKまでもが表情を曇らせている。暁人はずっと胸をざわつかせていた。沈黙を破ったのはKKのほうだった。
「……今日、知り合いに会うって言っただろう」
「う、うん」
「まぁその、色々と話はしたんだが……」
「待って、その先は言わないでくれる…?」
なんとなく、その先を聞きたくなくて咄嗟に暁人が制止する。
「まだ何も言ってないだろ」
「それでも、なんとなくわかるんだよ、だから…」
「あ? なんだよ、なんとなくわかるって」
KKが少し怒った表情で、ちゃんと話を聞けとでも言うようにじっと暁人の顔を見つめる。暁人は半ば諦めたように少しため息をついて「ごめん、続けて」と呟く。
「オレには妻と子供がいた、オマエにも話したと思うが覚えているか?」
忘れるわけが無い、そう思いながらも暁人は無言で頷く。
「…この前、再婚したんだとよ」
「え? …そうなの?」
「これでオレが気にかける必要は無くなったわけだ。息子の養育費は払うけどな」
そう言いながらKKが立ち上がり、冷蔵庫から缶ビールを二本取り出す。オマエも飲むか? とその内の一本を暁人に差し出した。
「オレよりも若くて面倒見の良さそうな男で、収入も安定しているし家には毎日帰る、真面目な奴だとさ」
KKが缶ビールのタブを開けて、ぐいっとビールを一口飲む。喉を鳴らして飲む姿を無意識に暁人が見つめる。
「幸せそうだってよ、安心したよ」
そう呟いた彼の表情が、少し寂しげに見えた。
「…KK、あのさ」
KKが視線を暁人に向ける。
「……僕とお付き合い、しませんか」
少しだけ緊張して、つい敬語になってしまった。KKの反応は、と言うと…急に笑い出す始末である。
「はっ、オマエなぁ…人がしょぼくれてるって時に…」
半笑いで話すKKが珍しく、釣られて暁人も笑い出す。
「やっぱりしょぼくれてたんだ、可愛いじゃん」
「うるせぇよ、そうなるのもわかるだろ? だから今夜は付き合えよ、相棒」
「仕方ないなぁ」
返事はその後にでも聞けばいいか、と暁人も缶ビールのタブを開けゴクリと一口飲む。緊張して乾いた喉に染みた。
「明日は休みだし、KKが潰れるまで付き合ってあげるね」
「先に潰れるのはオマエかもしれねぇなぁ?」
「言うね、どっちが強いか勝負する?」
「望むところだ、朝まで付き合ってもらうぜ」
互いにニヤリと笑みを浮かべながら、缶ビールをカツンと合わせた。
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翌日、結局二人とも朝を迎える前に酔い潰れ、飲み干した空き缶と飲み残した空き缶がテーブルの上に散乱し、途中から開けだしたつまみのお菓子の袋は中身を少し残したまま放置されている。二日酔いで頭をグワングワンとさせながら起きた暁人が絶句したほど酷い状態だった。
「うっわ……なんだこれ、酷いな……」
隣で豪快にいびきをかくKKを眺め、こんな寝顔なんだなぁとつい愛おしく思いながら、ツンツンと頬を突く。唸りながらKKが目を覚ます。
「おはよう、KK」
「おう、おはよう…」
「二日酔いだろ? 大丈夫?」
「大丈夫だ」
少し舌っ足らずのKKが可愛く思えて、勢い余って暁人が頬にキスをした。
「……………」
KKが少し固まる、ついやってしまったと暁人が少し後悔したのもつかの間、唇が触れ合う感触がした。
「…うわ、酒くっさいな」
「それはお互い様だろ」
顔を見合せて、ふっと笑い合う。幸せと言える時間が流れた。
「じゃあ、昨日の返事はOKってことで」
「いいのかよ、こんなおっさんで」
「バカだなぁ。KKだから、だよ」
「後悔するなよ?」
「しないよ、その代わり今までの人生で一番幸せだって思わせるから覚悟しておいてよ」
「言うねぇ、お暁人くんは」
とりあえず風呂に入るか、と二人揃って浴室へと向かう。その手は腰にそっと回されていた。