短冊に願いを「さーさーのは、さーらさらぁ」
ご機嫌に歌を歌いながら、色とりどりのペンを使って麻里が短冊に願い事を書いていく。可愛らしい文字で書かれた願い事は、食べたいものや欲しいもの、将来の夢やアニメのヒロインに会いたいなど、子供らしいものばかりだった。
「あらあら、麻里ったらこんなにたくさん書いて」
ふふふ、とその様子を微笑ましそうに眺めていた母が笑う。
「いいじゃないか、可愛いんだし」
隣で見ていた父も、愛娘の可愛らしい姿を見てにこにこと笑っていた。
たくさんの短冊を書き終えた後、突然麻里は真剣な表情で一枚の短冊に一字一句丁寧に何かを書き始める。何を書いているのか母が見ようとすると、ダメ!と止められた。それも、これは絶対に叶って欲しいから明日まで見ちゃダメだよ!と念を押すほどに。
――その短冊に書かれた願い事を、僕は知っている。
随分と懐かしい夢を見た。
カーテンの隙間から差し込む朝日で夢から覚めた暁人は、どこかほっこりとした気持ちで良い目覚めを迎えた。スマホの画面で時計を確認し、今日の日付を見て何故こんな夢を見たのか納得した。七月七日、今日は七夕だ。
本来なら今日は平日なので仕事があるのだが、ある理由で有給を取った暁人は起床後、顔を洗ってキッチンに向かう。
――生姜をたっぷり使ったスープ。具材は飲み込む時に辛くないよう細かくする。あとはあったかいはちみつ入りの飲み物も作ろう。固形のものはきっと食べづらいだろうから。
少し時間をかけてコトコトと煮込んでいくと、家中に美味しそうな匂いが漂い出す。掠れた声でゴホゴホと咳き込む声が微かに聞こえた、KKが起きたようだ。
昨晩、全身びしょ濡れで相棒が帰ってきた。
河童を追いかけている途中で足を滑らせて水中に落下したが逃げられた、と悔しそうに話す彼の右手は水気を飛ばそうと風のエーテルを纏っていた。
エーテルで乾かせるわけないでしょ、と暁人は半笑いを浮かべながら玄関先で彼の着ていた服を脱がせ風呂場へ直行させた。
「ロングコートとか、洗濯機で洗えないんだけど…」
洗濯するのは僕なんだぞ、と文句のひとつでも言ってやりたいが、仕方ないかと半ば諦めてとりあえず洗面所に置いた。ワイシャツとズボンはアイロンをかけなきゃいけないな、と少し大きなため息をついたのだが、風呂でご機嫌に鼻歌を歌うKKの耳にはおそらく届いていないだろう。
帰ってすぐ風呂に直行させ、体が冷えないうちに早く寝ろと無理やり寝室へ押し込んだのだが、どうも時すでに遅かったようでKKは風邪をひいてしまった。
そんなKKを看病するために、暁人は休みを取ったのである。
「KK、おはよう。体調はどう?」
ノックしてからKKの寝室に入ると、怠そうに体を起こして掠れた声で小さくおはようと返事が聞こえた。
「もしかして喉が痛いの悪化してる?喉が痛くても食べられるようにスープを作ったんだけど…食べられそう?」
少し考えてからKKが頷く、さすがに腹が減ったのだろう。
「じゃあ用意して持ってくるからね」
少し冷ましてすぐに食べられる温度にしたスープと、暖かい飲み物をトレイに載せてKKの寝室へと運ぶ。
「無理して全部食べなくていいからね?食べ終わったらスマホにメッセージ送ってくれる?」
KKがうんうんと首を縦に振る。ゆっくりでいいからね、と暁人は部屋から出た。
ふと、先程見た夢を思い出す。そうだ、と何かを閃いた暁人は「買い物に行ってくるね」とKKにメッセージを送った。すぐに既読のマークはついたが返信は無い、KKはいつもそうだ。レトルトのお粥や雑炊、手軽に食べられそうなカップスープなど買うものをメモした後、暁人は買い物へと出かけた。
暁人の作ったスープをゆっくり飲み、腹を満たし喉を労った後でKKはちみつ入りの飲み物を飲みつつ読書をしていた。風邪で寝ているしかないなんて、退屈で仕方がないのだ。大したことない、と無理やり出かけようとしたら物凄い力で暁人に阻止された。
エドや凛子にも「風邪をひいて寝込んでいるから今日はおやすみさせます」と、オマエはオレの親かと言いたくなるような口振りで連絡をしていた。
喉の痛みと咳が出ることによる気怠さはあるものの、熱は微熱で寝込むほどでは無い。だからといって、黙って外に出ようものならワイヤーで縛り付けるからな、と暁人に脅されたのだ。仕方なく、KKは読書をすることにした。スマホの画面をもう一度見たあと、ふと今日の日付が目に入った。
七夕か…と何気なく今日の天気予報を調べる。快晴のようだ。そのままの流れで普段見ないようなネットニュースやらオカルト系掲示板やらを眺めていると、徐々に睡魔が襲ってきた。どうせ暁人もいないしな、とそのまま睡魔に抗うことなくKKは一眠りすることにした。
目を覚ますと、時刻はもう夕方だった。部屋の外に出し忘れていた食器やトレイは片付けられていて、テーブルには暁人が書いたメモが残されていた。
<起きたらメッセージを送って>
どうやらKKが寝ているのを気遣ってあえて手書きのメモを残したらしい。気が利くやつだなぁと、少し嬉しくなった。起きた、と短いメッセージを送るとすぐに既読のマークがついた、早すぎるだろ。
すぐに暁人がノックをしてKKの寝室へと入る。
「よく眠れた?随分ぐっすり眠っていたからつい寝顔を撮っちゃった、さては最近ちゃんと寝てなかったな?」
途中聞き捨てならない言葉が聞こえたので抗議しようと口を開こうとすると、暁人の手でそれを制される。
「今日は喋るの禁止!やりとりはスマホとか筆談でもできるからね!」
オマエ…ずるいぞ…と不服な表情をすれば暁人がふふんと笑う。早く治したいなら言う通りにしてよ、と言わんばかりの表情である。
「お粥とかうどんとか買ってきたから用意するね、一応お蕎麦も買ってきたけどそれにする?」
喉が痛い時に蕎麦ってどうなんだ…と思いつつも、KKが首を縦に振る。この日の夕食はネギと生姜がたっぷり使われた暖かい蕎麦で、愛情もたっぷりと込められたそれはとても美味しく心まで満たしてくれた。
「せっかくの快晴だからもしかして天の川が見えるかもしれない、ベランダで見ようぜ」とメッセージを送るとそれはまた来年ね!と遠回しに寝てろという意味の返事が返ってきた。少し不貞腐れたKKはまた襲ってきた睡魔に抗うことなく、大人しく寝たのであった。
翌日の朝。
朝の日差しでKKが目を覚ますと、昨日よりも明らかに体調が良いのがすぐにわかった。喉の痛みもだいぶ治まり、唾を飲み込んでも辛くない程度にまで回復したようだ。
時計を見ると、いつもの起床時間よりもだいぶ早い。このまま二度寝をするのは時間がもったいないとKKは起き上がってリビングへと向かった。
ふと窓の方を見ると、見慣れないものが飾られていた。――短冊が下げられた竹である
。
どうしてこんなものが家に、とKKが困惑しつつ下げられた短冊を読むと、暁人が書いたであろう文字で願い事が書かれていた。
回らないお寿司が食べたい、狙っているあのバイクが買えますように、昇級試験が合格しますように―――
どんだけ願い事書いてんだよ、とKKが少し笑いながら下げられた短冊をひとつひとつ読んでいく。
最後に一番近く吊るされている短冊を手に取り願い事を読んだKKは、その内容を見て驚いた表情をして固まってしまった。ちょうどその時、暁人の寝室の扉が開いた。
「あ、おはようKK。もう大丈夫そう?」
「…………おう」
まだ若干声の掠れはあるものの、喋ることが辛くない程度にはなった。普段よりたくさん睡眠をとってしっかりと休息した結果なのだろうが、それだけではないようだ。
「オマエ、これ…」
「あぁ、その竹ね。昨日七夕だったでしょ?七夕飾りセットが半額になってたからつい買ってきちゃった」
願い事は全部僕が書いちゃったけどね、暁人が笑う。オレが願い事を書く短冊はねぇのかよと文句を言われるだろうと思っていた暁人は、突然KKに抱きしめられ驚いた。
「え、突然どうしたのKK……?」
「あの願い事はオマエ、反則だろ…」
あークソ、と悔しいのか嬉しいのかわからない一言を漏らしながら暫く抱きしめられた後、急に真剣な顔つきでKKが暁人を見つめた。
「明日、なんも予定無いよな?」
「今のところないけど…」
よし、とKKが頷く。
「風呂入ってくる、上がってきたら覚悟しておけよ」
そう言い残してパッと暁人を離したKKは足早に風呂場へ向かっていった。
「なんだよ、覚悟しておけって………あ」
その言葉の意味に気がついて、ぶわりと暁人の顔が赤く染った。
風呂から上がってきたKKが朝っぱらから暁人を抱いて風邪をこじらせ、濃厚な口付けをたくさんした暁人が風邪をうつされ大変なことになったのは、また別の話。
「さーさーのは、さーらさらぁ」
自室の扉越しに、麻里のご機嫌そうな声が聞こえてくる。小学生の暁人は風邪をひいてしまい、部屋でひとりベッドの上で過ごしていた。
寝すぎてしまったためかなかなか寝付けず、何度も読んだ児童書に飽きつつまた読み返していた。一階のリビングからは楽しそうな麻里と両親の声が聞こえてきて、暁人は少し拗ねていた。
「僕もお願いごと、書きたかったなぁ…」
父が大きな笹を買ってきてくれた時から短冊に願い事を書くのを楽しみにしていたのに、タイミング悪く風邪をひいてしまい寝込んでしまった。
少し泣きそうになりながらも、自分はおにいちゃんだから我慢しないといけないんだ、と自分に言い聞かせながら自然にやってきた睡魔に抗うことなく眠りについた。
その翌日の朝のこと。早朝に目が覚めた暁人は、昨日よりも体が楽なことに気がつく。あんなに辛かった咳はすっかり止まり、熱もない。やった!治った!と足早に階段を駆け下り、リビングへと向かう。
窓の方に大きな笹と、麻里が書いたであろう短冊がたくさん下げられていた。麻里がどんな願い事を書いたのか気になった暁人は、まだ誰も起きていないのをいい事に一枚一枚見ていくことにした。
女の子らしい、可愛い願い事ばかりでくすくすと暁人が笑う。ふと、一枚の短冊が目に入った。そこに書かれていた文字を見て、暁人は胸がいっぱいになる思いだった。
「おにーちゃん、おはよう!」
元気よく起きてきた麻里が階段を駆け下りて暁人の傍にやってきた。
「もうおねつないの?へいき?つらくない?」
心配そうに暁人の顔を見る麻里が愛おしくてたまらなくなった。
「麻里の願い事のおかげで元気になったよ!ありがとう麻里」
愛おしさの余り、麻里をぎゅーっと抱きしめたことを今でもしっかりと覚えている。麻里もぎゅーっと抱き締め返してくれて、嬉しそうに頬を擦り合わせた。
「おにーちゃんのたんざく、ちゃんとのこしておいたよ!」
みてみて、と手に持っていた短冊を暁人に渡す。握りしめていたのか、少しくしゃくしゃになった短冊を受け取りながら、暁人は嬉しそうに微笑む。
――大好きなおにいちゃんがげんきになりますように
――大好きなKKが元気になりますように
思いを込めながら書いた短冊には、不思議な力が宿るそうな。