「いいなぁ」
やってしまった。無意識だった。
冷たくなる身体の奥、心臓だけが動く感覚。
あぁ、もうほんとに最悪だ。
「なにがですか?」
真意を問うように犬飼が言葉を落とす。視線が刺さって目をそらす。
ただ羨ましかった。その目が、肌が、髪が、体質が。犬飼いの持つ普通の全てが。そしてそれが溢れ落とした。
たまに思う。犬飼も凌牙もシバケンも、俺のそれに触れようとしない。気を遣ってくれているのかもしれないし、目をそらしてくれているのかもしれない。
そうだろうと問えば否定するだろうが、残念ながら本心なんてものは本人だってわからないから。
普通じゃないを意識し続けていたら、そんなの知ってるって開き直れるんだよ。誰かに傷をつけられる前に、誰より深く自分を抉るんだ。
なのに間違えた。無傷のままに突っ込んだ。余計な傷を増やす気なのか。そんなにそれが羨ましかったのか。
「んー……っとさ、犬飼の髪質、ちょっといいなと思って。ほら俺猫っ毛でどうしてもぺたってなりがちだからさ、それだけ」
頬を撫でていた手をさり気なく頭に移して、毛先をいじったり、指を通したり、せわしなく動かしたあと、自然な流れで髪を撫でた。
「そうですか?寝癖がつきやすくて扱いづらいし、全然よくないですよ!私はむしろ甲斐田くんの髪質に憧れます。ほら、手触りがすごくいい」
俺の髪をまるでそうめんの束でも掴むようにしてひと束持ち上げると、するすると感触を楽しんでいる。
犬飼は髪の質にだけ触れて、色について触れる素振りはない。
質の話に質で返す、そんな当たり前のことなのに、俺の世界にはないものだった。それらはすべて、俺の否定に繋がった。
「私の髪質とかいだくんの髪質、足して2で割ったら理想の髪質になれるかもしれませんね」
そうめん扱いだった俺の髪を掴む手はそのままに、反対の手で自分の髪をたわしでも掴むようにざっくりと握った。笑える絵面、ここってキッチンだっけ?
「じゃあまずは足すところから始めよっか。2つじゃなくてひとつになっちゃうけどね」
「それだと髪質は変わりませんよね」
「ヤッてみなきゃわかんなくない?」
「だって今まで何回……あ、いや…えっと……」
あ、いけそう。俺は横目でティッシュを探す。さり気なく、普通じゃない目で普通に探して。
「……バレてますよ」
「なにが?」
「あなたが何を探していて、それを何に使うつもりなのか、です」
「気づいたのに止めないんだ?」
「止める必要はないかなーって……あの、ここでします?ティッシュ以外は寝室ですけど」
なんてことないような口調だけど、期待を帯びて緩む顔つきも、少しだけ熱くなった手のひらも、俺だけ知ってる普通の犬飼だ。
だからあえて言わないよ、普通ってそういうものなんでしょ。
俺は、普通にはなれないけどね。