例えばこいつがプラスチックだったら。ビニールだったら、布だったら、紙だったら。俺はこいつを壊せるだろうか、壊してしまうだろうか。
考える。
壊したあとには何が残るのかと。多分ゴミしかない。踏んだら少しだけ足の裏を刺激して、些細な音を立てる程度の。
なぞる指先に爪を立てながら、錆はぱらぱらと落ちていき、俺が爪を立てればぱきりと割れる。剥がしても剥がしてもどこまで行っても錆だらけだ。こうしてずっと剥がしていけば、いつか壊れて穴が開くのだろうか。
子どもの頃話。俺はそれを菱形の集合体だと思っていた。でも本当は長い長い一本ずつが、何度も何度も折れ曲がって絡み合ってるんだと知ったときのこと。
卑屈な俺はただただ悔しくなった。
『オレはひとりじゃないんだぞ、ちゃんと繋がれてるんだ、お前と違ってな。 』そんなふうに言われている気がして、怒りに任せて何度もそいつを蹴ったけど、軽くて小さい俺の身体は反動で弾き飛ばされて、そいつを睨みながら泣いた。
手と足と尻の下で土が鳴る。動けばざらりと服が泣く。一つ一つはバカみたいに小さくて軽いくせにみんなみんなみーんな、寄ってたかって俺を笑ってるみたいに思えたから、悲しかった、会いたかった。最低だった。どうして信じられたんだろう。馬鹿みたい。可笑しいよね。
「……犬飼でしょ。気配消して近づいてくるのやめてくんない?」
「そんなつもりではないんですが……あの、甲斐田くん、大丈夫ですか? 」
「なにが?」
「こんな時間にフェンスの前にいるので……。脱走しようとしているわけでもなさそうです。本来であればは規則違反ですが……、一人になりたいときもありますよね。」
「……ねえ、犬飼。」
「何か相談事ですか?私で良ければお話聞きますよ。でも寒いので中に入りませんか?温かいお茶くらいなら用意できます。内緒にしてくださいね」
しーっと口の前に人差し指を立てたその顔は、いつもよりもっと幼く見えたのが面白くなって笑った。
けれど犬飼は大人だし、俺だって大人のはずだ。優しい大人はわるいやつ。だから犬飼はわるいやつ?俺はいい大人?わるい大人?いやその前に、俺って今大人なのかな。
「あのは、これ、壊せる?」
さっきまで錆を剥がし続けていたそいつに指をかけながら聞いてみる
「このフェンスをですか?」
「そ。例えばそうだな……。もし、もしさ、俺がやばいやつに捕まって監禁されたとして。そこの周りにこれと同じフェンスがあったとしたら。犬飼は壊してくれる?」
一瞬ぽかんとまぬけづらを晒したと思ったら、今度は意を決したような顔で口を開く。ああどうか、幼かった俺を救ってほしい。俺は、もう大丈夫だから。
「もちろん、壊しますよ。素手ではちょっと難しいかもしれませんが、絶対に壊して助けに行きます!」
きっと俺はずっと傷つき続ける。泣いてフェンスを蹴り続ける。だけどもし、俺の代わりに壊してくれるやつがいるのなら。向こう側に連れて行ってくれるなら。
「裏の犬飼なら素手でイケそう」
「えぇ……。」
「っていうか犬飼ってさ……」
いい大人?そう続けるつもりだったのに声にならなかった。怖かった。
そうだよ俺は。怖がりで、寂しがりで、フェンスや砂利に馬鹿にされてみっともなく泣きわめく子どもの俺と、今も一緒に生きているのだから
「あの、中に入りましょう?流石に寒いです……。」
「ナカで熱いコトしようってお誘い?大胆だね」
「またそういう言い方を……。」
「1本吸ったらイくよ。」
「わかりました。お茶を淹れて待ってます。待ってますからね!」
小走りで戻っていった犬飼の背中を目で追いながら煙草に火をつける。
一口目に吸い込んだ煙はどういうわけか錆の味がして、あまりの不味さに声を出して笑った。