仮題 今日のわんこ ふわふわの髪に指を差し込み、両手でわしゃわしゃと撫でる。
「よしよ〜し、いい子ね〜」
「おいいい加減にしろよ」
私の目の前のいい子、彰人は迷惑そうにその手を退けようとする。
「なんでよぉ。いーじゃない、かわいいおとーとをよしよししたって!」
「よくねぇ。オレは犬じゃねぇ」
顰めっ面。かわいくない。でもそんなところもかわいい。込み上げる感情を抑えることなく、目の前の弟にぶつける。
「ふふ、かわいくない」
「おい!」
おでこをくっつけるように引き寄せて、犬と戯れるように首や耳の後ろを撫でる。そしてこのかわいいわんこ、じゃない、弟にちゅうを贈るべく顔を引き寄せる。しかし。
「やめろ酒臭い」
「あっちょっと! なんでにげんのよ! ちゅーさせなさいよ!」
「っとにいい加減にしろよこの酔っ払い……!」
彰人に顔を押しのけられる。もうちょっといい避け方あるでしょ。前が見えない。ていうか避けないでよ。
「なんで避けるの! あきとはわたしとちゅーしたくないの!?」
「しねぇよ! 今は!」
「なんで〜!?」
「お前な……」
大きなため息が聞こえる。なによ、そんなに避けなくてもいいじゃない。
「わたしは、こんなにあきととちゅーしたいのに」
悲しい。お酒のせいで感情の振り幅が大きい。すぐに涙が出てしまう。私は泣いてるというのに、彰人はまだ怖い顔をしていて。
「オレがお前に何したか、忘れてんじゃねぇだろうな」
低い声でそう呟いた。彰人が、私に何をしたのか。彰人が言わんとしていることがなんなのか、わかっている。
「覚えてるわよ。忘れらんないわよ」
忘れられない、あの夜のこと。彰人と、弟と、身体を重ねた、数年前のある日のこと。
私は合意なんてしてなくて、だから、強姦と言えばそう、という行為だった。制止の声は全部唇に塞がれ、暴れる手足は押さえつけられ、誰も通したことのなかったそこに入り込んで、ナカに出され。散々としか言いようがなかった。全てが終わった後、青ざめながら謝る彰人の頬を思いっきりぶん殴って、これで終わりということにした。今までどおりでいよう、と。彰人は戸惑っていた。だって強姦した相手が、一発殴っただけで今までどおり過ごしましょうなんて言い出したんだから。私だって戸惑っていた。思うところは色々あった。怒りとか、恐怖とか、悲しみとか、そういった感情も色々あった。それなのに私は、何よりも弟が側にいることを選んだ。また何かあるかもしれない。完全に今までどおりになんて戻れない。そんなことはわかっていた。それでも許したのは、あの行為自体は、嫌じゃなかったせいだと思う。
そうして続いた歪んだ日常を、今日、また、歪ませる。
「ちゃんと覚えてる」
私を押しのけていた手を取り、その瞳を見据えて答える。彰人は怖い顔のまま。
「じゃあお前今自分が何してるかわかってんのか」
鋭い眼光を向けながら聞かれる。そんなの、当たり前じゃない。
「……わかんないほど、バカじゃないし」
わかってるに決まってる。わかっているから、こうしてるんだから。彰人は黙っている。でも、彰人だって、これで意味がわかったでしょ?だから、そんな顔しないで。
「仕方ないじゃない、忘れられなかったんだから」
あれから何人か彼氏はできた。でも、誰とも最後までは及ばなかった。どうしても、気持ち悪く思えてしまった。私が好きだと思った人でさえ、この感覚はどうにもならなかった。だからといって性欲がないわけじゃなくて。誰かに触れられたいという思いはいつもあった。でも、触れられて平気だった人なんてたった一人しかいなくて。
「ねぇ、彰人」
彰人の手に頬を当てる。すり、と頬を擦り寄せながら、身体も彰人に近寄る。
「……んだよ」
彰人にかわいこぶっても仕方ないから、に、と口角を釣り上げて笑う。
「責任、取ってくれるでしょ」
座布団に胡座をかく脚の片方を挟むように膝をつく。頬に当てていた手が、頬を撫でて、顎を支える。
「……いいのかよ」
少し、声が震えている。頬も少しだけ朱に染まっている。細められた目が潤んで見えるのは、気のせいだろうか。そんな彰人の様子に、きゅ、と胸が締め付けられる。心臓がとくとくと忙しなく動き出す。そっか、私も、彰人とことが。
「私がそうしろって言ってんのよ」
彰人の頬を撫でる。かわいい弟。昔も、今も。きっと、これからも。
「明日の朝、また泣いても知らねぇからな」
重ねられた唇は今までのどのキスより優しくて、それを彰人からもらえたという幸福感を、しっかりと噛み締めながら瞳を閉じた。