「先生は、星空って好きか?」
しばらくして小さく「好きだな」と一声帰ってきた。夜空に負けない濃紺の髪に、星より明るい肌。美しいのに表情はちっとも輝かないその人は、俺の横に寝そべって同じく空を見上げる。
深夜、出歩いていた所を見回りの先生に捕まった俺は、部屋に戻される前にこうして星を見ないかと誘ってみた。今まで規則や倫理とそう仲良くなかったこともあって、意外と簡単に許してくれた。ガルグ=マクの街から少し出て、小さな丘に誘う。山間のこの辺りでは唯一と言っていい草原だった。
「俺は昔から星空だとか、広くて大きいものを見るのが好きでね。夜なんかはついつい出歩いちまう」
まあ、半分本当で半分嘘。今日も書庫に行っていただけだし。
「こうして空を、ゆっくり眺めるのは初めてかもしれない」
「そうなのか?」
「夜は寝ないと、明日のためにならない。夜番や見回りは、上を向いてぼんやりしている暇はない」
大変だったんだな、と細い変な声が出る。余計な同情なんかはいらないだろうに。改めて、数節前までこの人は傭兵だったんだと思い知らされた。
「夜空がこんなに綺麗なものだと、知らなかった」
声が少し、輝いていた。でも顔は、ちっとも輝いていない。きっと笑えば綺麗なのに。
らしくないことを考える俺をよそに、先生は起き上がって、そのまま背を向けた。「おいおい」
「俺を連れて帰らなくてもいいのか?」
「星空を見たいのなら、部屋でもきっと寝ずに見るのだろう。それに、こう綺麗なものだ、見たいように見ると良い。ただし、明日は遅刻しないように」
相変わらず、ほほえみもしない。でもやっぱり声だけは少し輝いていた。再び火をつけた燭蝋の光と共に、本当に帰ってしまった。別に寂しいという訳でもないけど。
もう一度、空に目を向ける。頭を冷やしてくれる、冷たく深い、藍色の空。あの一等強く輝く月も、簡単に飲み込んでしまいそうな濃紺。そういや、先生の髪も似たような色をしていたっけ。前も、右も、左も、あたり一面先生の色。あの柔らかくてさらりとした髪が垂れこめ、包んでくれている。星が集まって白んで見えるそれは先生の肌? 輝く星々は先生の涙? いや、魅力ってことにしておこうか。泣いてる姿は想像がつかない。どこもかしこも、先生の色。おだやかに涼しく吹く夜風は、先生の声のよう。頬を撫でる柔らかい草は、よくできた時に撫でてくれる手つきにそっくり。こうしていると、先生に抱きすくめられているようで……
「……ようで?」
思わず体を起こす。先生に抱きすくめられて、何だっていうんだ。そもそも星空を見ているだけで先生の事ばかり考えるなんてどうかしている。冷やされるどころか一層熱くなってしまった頭を抱えた。これから夜空を見る度こんなことを考えてしまわなければいいが……
「どう責任取ってくれるんだよ、先生……」
いくら頭を抱えても、違うと言い聞かせても、一面の空は思考を掴んで逃がしてくれない。一瞬でも落ち着くなんて思ってしまった空から、逃げるように自室へと急いだ。