それでも僕らは愛することをやめない[零 暁月]
かんかんかんかんかん…
ゆうやけ。
おぼえてるよ、おしえてくれたから。
ぴかぴかとあかいろがひかっているのがみえる。
あぶない、っていってたのに。
あぶない、ってなんだったんだろう。
さむいなあ、さむいなあ。
どうして、さむいんだろう。
どうして、ひとりなんだろう。
ずっといっしょって、いってたのに。
うそつき、うそつき。
さみしいなあ、さみしいなあ。
どうして、いっちゃうの?
ひとりはこわいよ。
ひとりに、しないで。
ずっといっしょに、あそぼうよ。
ひとりは、こわいよ。
***
[壱 宵]
ざぁーーーーっ。
屋根が鳴るような雨の日。ひとつ、オレンジ色のあかりがついたリビングで、七人が肩を寄せ合い何かを話している。
「……では、次、自分ですね……」
「も、もういいだろやめろよ……」
涙目になりながら慧が文句を垂れる。それを見てテラがニヤリと笑った。
「えー、やっぱり怖いんじゃん猿川くん?もう寝てもいいんだよ〜?」
「は?!怖くねーし、!」
「声が震えていらっしゃいますね……」
「大瀬、いいよ。始めて」
ふみやがそう促すと、大瀬は理解にもらった白湯を握りしめながら、口を開いた。
「……昔々。おやまのなかに、ヒトが大好きな狐が居ました。狐はとてもさみしがりやで、いつもヒトと一緒にいたいと願っていました。一人の少年と仲を深めた狐は、少年と自分には違うものがたくさんあることに気がつきました。どうして違うのだろう。少年とずっと遊んでいたかった狐は考えます。自分もヒトになればいいのだと。そうして狐は____」
「も、もういいっ!や、やめろ大瀬ーー!!」
慧が叫んだ。目には涙が浮かんでいる。
「ちょっと猿川くん、まだ話始まって一分も経ってない。オバケくんの雰囲気壊さないで」
「えー、面白そうだったのに」
テラと依央利が口々に文句を垂れる。
「…………さるちゃん、大丈夫?がっくがくだけど」
苦笑いの依央利がそっと慧にブランケットをかけた。それを白湯を啜った理解が見つめて一言、「怖いのか?」悪気のかけらもない発言をする。
「こ、怖くねーし!」
「なんてセクシー……ですが猿川くん、あんまり見栄を張りすぎてはだめですよ」
ウインクを飛ばす天彦。彼の上に座って目を輝かせるふみやが両手に持った毛布をすこし引き寄せて言う。
「大瀬、続き話してよ」
「だーーーー!!!!」
「……慧」
ふみやが口を尖らせる。ふふ、と笑った天彦がその頭を優しく撫でた。
「……さ、みなさん。もう夜も遅いですし、そろそろ寝ましょう。理解お兄さんが子守唄を歌ってあげますから」
ぱんっ、と手を叩いて理解がにっこり笑った。
「お願いします……」
「望むの君だけだから」
にっこり笑う大瀬を見たテラがすかさずツッコミを入れる。
「奴隷も子守唄ぐらい歌えますけど?!」
「お、おち、おちつけよ、いお……」
「落ち着くの君の方だけどぉ?!」
「依央利さんも落ち着いて。ほら猿、寝るぞ」
「ぜ、ぜってえ寝ない。起きてる」
「寝れない、の間違いじゃないのー?」
「はぁ?!っざっけんな!!」
「こら猿!うるさいぞ」
「理不尽だろ!!」
やいのやいのと喧嘩が始まる、午後九時前。夏の雨は募る暑さを少し洗い流して、紛らわせてくれる。
「……ふみやさん、今日はどうします?」
ふいに、天彦が膝の上の彼へと声をかけた。今日は一日中低気圧に悩まされていたようだが、恋人を膝の上に抱いている今はそれほどではないようで、優しい視線を向ける。ぽすん、と後ろに体重を預けた後、彼は天彦の方を向き口を開く。
「部屋行ってもい?」
「もちろんいいですよ。天彦が添い寝してあげます、ふふ、僕の可愛い坊や」
天彦はそう言って彼に頬擦りする。きゅっ、と抱きしめる。
「はは、ありがと」
ふみやはそっと微笑んだ。それをみて、天彦はさらにへにゃりと笑う。腕にちょっとだけ力が入る。数秒そうして彼の名を呼んでいると、「……天彦、くるしい」と彼から抗議が飛んできた。
「おや、すみません」
ぱっ、と天彦は手を離した。
「さて、私はそろそろ部屋に行こうと思います。猿!夜更かしするなよ」
「うるっせーな!とっとと寝ろ!」
「理解くんおやすみ〜」
「おやすみなさい!」
「良い夢を」
「おやすみ」
「おやすみなさい……」
とん、とん、とん……と足音が遠のいていく。
「さぁーて、僕は洗い物やっちゃおうかな」
「テラくんも先寝るね〜、明日早いし、早寝はお肌にもいいし」
テラは手鏡片手にひらりと手を振って部屋を後にして行った。
「僕たちも行きましょうか、お部屋」
天彦が珍しくうつらうつらとし始める恋人に声をかけると、こくん、頷くのが見えた。少し笑って天彦は彼を持ち上げる。
「僕たちもお先に失礼します、おやすみなさい」
「はいは〜い、おやすみなさい!」
「おう」
「おやすみなさい……」
天彦が廊下を歩いていくと、遠くから残る三人がわいわいと盛り上がる声が聞こえた。
「はい、着きましたよ、坊や」
「ん……ありがと」
「もうすっかりおねむですね……セクシーだ」
「天彦もはやく、こっち」
「はあい、今行きますね」
ふみやが我が物顔でベットの隣をたたく。うれしそうに天彦はそれに従った。寝転がると、腕の上にふみやの頭が乗った。すすす、と近づいてくる彼はとても愛らしい。
「……ね、天彦」
「はい、どうされました?」
月明かりだけが小窓から差し込む部屋で、身を寄せ合った二人は少しだけ会話する。ガラス張りのクローゼットが淡い光を反射していて、そっと下に落としている。
「明日、暇?」
「明日ですか?はい、一日中一緒にいられますよ」
「じゃ、出掛けに行こ」
「いいですよ。どこか行きたいところでも?」
「ううん、でも、なんとなく」
「ふふ、わかりました。どこまでもお付き合いしますよ」
「ありがと……おやすみ」
ふみやはもう少しだけ天彦に身を寄せて瞳に隠しを入れた。そんな彼の頭を優しく撫でた後、天彦も意識を夢の世界へと寄越した。
かんかんかんかんかん……
「……あ、れ……」
天彦は気がつくとどうしようもなく青い空の下、遮断機の前に立っていた。周りを見渡しても田園風景が広がっているだけ。ここは、どこだろう。
がたがたがたがたがた、ん
目の前を見知らぬ電車が通り過ぎていく。行先も何も書かれていない。緑色の車体に、固茹での卵のような色の窓枠。
これは、夢?
頬をつう、と汗が流れていく。暑い。遮断機が上がると、次に蝉の声が酷く脳髄に刷り込まれた。
じわじわじわじわじわ……
間も無く遮断機が上がったので、行く当てもなく進んでみる。歩いても歩いても乾いた土の道。脇には用水路が流れていて、水の流れる音がかすかに聞こえる。
家が一つもない。
尋ねようにも、尋ねられない。ここは、どこなんだろう。こんな夢は初めて見る。
「おにいちゃん」
びくり、身体が反応する。後ろを振り向くと、線路の真ん中に小さな子供が立っていた。歳は恐らく五、六歳。瞳の紅い、黒髪をもつ小さな少年だ。腕に橙色のボールのようなものを抱えている。
「おにいちゃん、ちょうどよかった!ついてきて!ぼくのひみつきち、教えてあげる」
彼以外の音が急にぴたりと止まった。
秘密基地?
「坊や、そこは危ないですよ……急ですね、ついて行けば、いいんですか?」
「うん、ほら、こっち」
よくわからないけれど、夢なら身を任せるほかなさそうだ。そう思って、天彦は小さな少年を追う。
ぐい。
「っえ、」
不意に右手が後ろへ引っ張られる。同時に、少年の声はかき消されなにか別の声も聞こえた。
「天彦!」
「……っ、……?ふみや、さん……?」
目が、覚めた。
辺りを見渡すと、まだ空も藍色のまま。自室だった。
「天彦、大丈夫?魘されてた」
ふみやが自分の右腕を握っていた。恐らく彼が引っ張ってくれたおかげで夢から抜け出せたのだろう。
「え……ありがとうございます、起こしてしまいましたか」
「俺のことはいいよ、大丈夫?めっちゃ汗かいてる」
ふみやは天彦を心配するように頬に滲んだ汗を指先で拭って見せた。
「……すみません、ふみやさん。大丈夫です」
「水、持ってくる。待ってて」
迷わずに起き上がったふみやは呼び止める間も無く部屋を出て行ってしまった。天彦が時計を確認すると、午前四時前。酷い時間に彼を起こしてしまったようだ。ベッドの端に座ってひとつ、ため息をつく。
夢の景色がやけに鮮明だ。どうして、あんな夢を?
どういうことなんだろう。よくわからない。
耳の裏に遮断機の警戒音と田舎の暑さが鮮明にへばりついている。頸を伝って汗が流れていくのがわかった。
「天彦」
天彦がぱっと顔を上げると、すぐに彼がガラスのコップに入った水を持ってきてくれたのが見えた。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
「いいよ、気にしてない。よかったら飲みな」
「ありがとうございます」
ふみやの優しさを噛み締めて、ひんやりとしたそれを天彦は受け取った。一口含むと、身体にへばりついていた田舎の暑さを流すようだった。想像上のものなのに、何故こんなにも現実感を帯びているのだろう。天彦はまたもや首を傾げた。
そうしている間にふみやは天彦の隣に座って顔を向ける。少し眠たそうに開かれた瞳を見て、天彦は眉を下げた。
「ごめんなさい、ふみやさん……起こしてしまって」
「べつにいいって。変な夢でも見た?」
にかりとはにかんだふみやの優しさにじん、と暖かさを感じながら天彦はコップに残った透明な水面を見つめる。
「……当たりです。酷く不思議な夢でした」
「大丈夫?寝れそう?一緒に起きててもいいよ」
「そんな、悪いですよ!大丈夫です、僕ももう大人ですから。悪夢を見て眠れないなんて子供じゃないんですし……」
そう言った天彦の方へふみやは上体をぽすん、と預けた。肩に頭を乗せる。
「ずっと子供じゃだめ?なんで?」
いいじゃん、べつに、とふみやは目を閉じながら笑った。
「……だめですよ、人は大人になるものです」
「いいじゃん。俺はまだ子供だから、天彦だって子供に戻ってもいい」
「貴方らしくない、変な理論ですね」
「嫌い?」
「凄く気に入りました」
「はは、でしょ。朝焼けでも見る?」
「良いんですか?」
「いいよ。明日は午後から出かければ」
「優しいですね」
「次また奢ってね」
「ほんと、都合良いんですから」
天彦がふみやのおでこを優しくぴし、とはじく。「いて」と小さな声が上がった。
天彦が次に目を覚ましたのは、すっかり太陽の上り切ったリビングのソファだった。隣は明け方と同じように彼が天彦に状態を預けてすやすやと寝息を立てている。彼の頭を撫でてから、周りを見渡す。毛布をかけてくれたのは、依央利だろうか。
「あ、天彦さん!おはようございます」
キッチンの方にいた依央利と目が合った。彼はにっこり笑ってそう言うと、こちらに駆け寄ってくる。
「お二人で何されてたんですか〜?珍しいですね、何かあったんだろう、って起こさないでおいたんです。理解くんは起こす気満々で、ちょっぴりうるさかったけど」
首悪くしちゃうから〜、ってね、と依央利は可笑しそうに笑う。天彦も彼らしいな、と思った。
「天彦さん何か食べます?と言っても、もうお昼ですけど」
「そうですね、こちらの坊やが起きたらなにかお願いしたいです。ええと、他にいらっしゃる方は……」
「大瀬さんと、僕と、さるちゃんが帰ってくればさるちゃんなんですけど……まーたどうせ喧嘩だからいつ帰ってくるかわっかんないんだよねー、まあそれも負荷だし!いいんですけど」
テラと理解は外出中だろう。この時間帯は外に出ていることが多い二人だ。
「朝から喧嘩なんて、猿川くんは元気ですねえ」
「ホントですよねー、まったくもう」
そう言いながらもまんざらではなさそうな依央利に天彦は少し微笑む。怪我をして帰ってくるのはあまりいただけないが、怪我の治療という負荷が増えるので嬉しいと感じる節も彼にはあるのだろう。本当に仲がいい人達だ。
「なにかコーヒーでも淹れてきますね!ふみやさん、もう少し寝るでしょうし」
「そうですね、無理に起こすと不機嫌になるので……」
「ふふ、そうでした」
二人で顔を合わせて笑ったあと、依央利はキッチンへと戻っていった。
天彦はふみやへと視線を移す。まだすやすやと眠っているようだ。少し垂れた目尻が年相応の可愛らしい寝顔をより強調して天彦の瞳に映った。もうだいぶ痺れてしまった左肩を動かさないよう慎重に右手で彼へと毛布をかけ直す。そんなことをしていたら、あっという間に時間がたっていった。
***
青々とした空を歩いていく。隣の彼は振った話に笑顔で答えてくれて、時折肩を揺らして笑った。明け方とは大違い。血色の良い、いい顔だ。
よかった、と思う。
魘されている彼はとても苦しそうだった。彼の悪夢がどんなものかは計り知れないけれど、せめて寄り添うくらいは許されたい。一緒にいたい。少しでも、その夢が夢のままであるようにまじないをかけてしまいたい。ずっと、この景色が続くといい。
ずっと、一緒にいたい。
「ねえ、天彦?」
彼の名を口にすると、透き通った海の水面のような瞳がこちらにするんと向いた。どんなに磨き上げられたダイヤモンドでも、彼の美しさを越えることはできないだろう。
「どうしたんですか、ふみやさん?」
「俺とさ、ずっと一緒にいてくれる?」
「ずっと、ですか?」
「うん」
またまた子供らしいお願いですね、と俺を揶揄う彼。少しむかっとくるかが、早く答えて、と彼を急かす。すると、少し前置きをした後にこう言った。
「貴方が望むなら、満たされるまで添い遂げますよ」
彼は笑った。その笑顔が深まった夏の風に攫われてしまいそうだった。まだまだあきはこない。
青々とする緑が風に揺れる。遮断機の音がふと聞こえた。ざあっ、と不意に風が吹いて、それと同時に電車が勢いよく走り抜ける。強い風に思わず目を閉じて揺れる髪を抑えた。風が止んで、遮断機の音が止む。
数秒で考えた。彼はこれからどうしたいだろう。ずっとなんて、本当にあるのだろうか。ずっと彼を愛し続ける自信はある。でも彼は?彼は自分の知らない世界をたくさん知っている。自分の知らないところからこの世界を見下ろすことができるのいつか、自分から離れていってしまうのではないか?
……なんて、彼を信じられないなんて。
俺は馬鹿だな、なんて自嘲をした。
彼を愛しているのは変わらない。
どんな障害があっても彼が好きだ。
これがちゃんと伝わっていれば、彼はずっと一緒にいてくれるだろうか。
「ね、天彦」
伝われば、
「…………あ、……………あま、……ひ、こ……?」
青々とする空が眩しいくらいに輝いている。
伸びる影はひとつだけ。
線路の上にゆらめく陽炎だけが視界に映った。
蝉が泣いている。
残り風に、猫じゃらしが靡いていた。
***
[参 天の原]
「ずっと一緒にいてくれる?」
彼は上目遣いをきゅるんと使ってそう言った。本当に可愛らしい。
ずっと、か。
天彦は考える。
彼は心配なのだろうか。自分は十分すぎるくらいに愛を彼に伝えているつもりだけれど。でも、それでも心配なのだろうか。
「またまた、子供らしいお願いですね」
くすりと笑うと、少し怒られた。そこまでのセットが可愛い。彼を見下ろせる身長で心底よかったなと思う。
「……そうですね……貴方が望むなら、満たされるまで添い遂げますよ」
にっこりと笑ってそう言うと、彼は少し目を見開いた。そのまま少し下を向いて何かを考え始めた。
かんかんかんかんかん……
遮断機の音が耳に入る。すぐ、強い風が吹いた。
ざあっ。
思わず目を塞ぐと、電車の通り過ぎる音だけが情報として自分の中に入ってくるのがわかった。
そうだ、
「ふみやさ」
あ、れ?
じわじわじわじわ……
蝉の鳴き声が頭の中で反響する。
目を開けると、鬱陶しいほど夏を象徴する空の色が目に焼き付いて見えた。
この景色、は。
隣に居るはずの彼が忽然と、姿を消している。
また、夢を見ている?
どうして?
今さっき、僕は彼と一緒に話をしていた、はず。
不意に、どんっ、と後ろから重みを感じる。
天彦はそれに驚いて勢いよく振り返ると、
「おにいちゃん、さっきはどうしていなくなっちゃったの?」
夢で見た、少年が足に抱きついていた。
「……君は、一体……というか、ここは、……?」
天彦が質問を投げかけようとすると、ぱっ、と腕を握られ、そのまま引っ張られた。
「いこ!」
「えっ、ちょ、ちょっと!」
少年の力に抗うこともなく、天彦は進んでいく、炎天下。
「あなた、何者なんですか?ここは一体何処なんですか!」
「いいから、きて!」
少年に連れられて、来たのは。赤い門がつらつらと、奥まで続いている石畳の階段だった。少年は天彦の一歩先を歩いていく。もう、腕は掴まれていない。信頼されたのか、はたまた、もう逃げることはできないのか。
「……ここは、何処なんですか?」
天彦は辺りを見渡しながら言う。周りは鬱蒼とした竹林が何処までも続いていて、不思議な光景だった。
「ここはね、ぼくの秘密基地!」
天彦は先の彼を追っていく。小さいのに、すいすいと進んでいくのでついていくのが大変だ。
「それは……先ほども聞きました。どういう場所なんですか?」
「ねえおにいちゃん、蝉はすき?ぼくはすきだよ」
「……会話、してください……」
話を逸らそうとしているのか、突拍子もない話題を突きつけてくる。
「ほら、みえた!」
数段上の彼が指差す先を見ると、陽の光が周りにあたたかくさす、小さな納屋のようなものが見えた。そこだけ視界が開けている。
最後の赤い門をくぐる。ふたつ、自分の身長ほどの太い四角柱が道の両側に立っていた。
不思議だな、と思う。普通ならここにお稲荷様の石像を置くものだ。なにもいない。
「おにいちゃん?」
少年が初めて振り返った。手にはいつのまにか狗尾草が握られていて、きらりと光った紅い目がうっすらと見える。
「どうしたの?」
「……いえ、なにも……どうか、されたんですか?」
「ううん」
彼は緑が少し広がるそこに座って、言う。
「……ひとりは、さみしいんだよ」
「え?」
天彦は思わず口から言葉を漏らした。
「……連れてきちゃって、ごめんなさい。おにいちゃん、……にてたから」
「似てた?」
天彦は首を傾げ、数歩歩いて隣にしゃがんだ。同様に狗尾草をひとつむしってみる。しゃり、と音がする。最も簡単にそれはぷちんと切れて天彦の手に収まった。遠くから見るとわからないが、白詰草が少し咲いていた。
「……ぼくね、ともだちがいたんだ。それも、ずーっと前のことだけど。でもね、ひとりになっちゃった」
「どうして、でしょう」
「……あそびにこなくなっちゃったんだ、急に」
しゅんとした顔で彼は言う。いつからここでずっと一人なのだろう。
「親御さんは?」
「……にんげんと仲良くするやつなんて、あととりにできないって。だから、もどれない」
「人間と仲良く……?…………君は、一体」
「……ぼくは、……ぼくは、おにいちゃんたちとはちがう。ほんとはおいなりさん?にならなくちゃいけなかったんだよ」
「……君は、」
天彦は先ほどの石柱を振り返ってみる。やっぱり、なにもいない。
「…………坊やは、狐?」
こくん、と頭が動く。
「……そう、なんですね……」
天彦は考える。でもどうして、自分なのだろう、と。似てた、とはいったいどう言う意味で?
「……その、坊や」
「なあに?」
「よかったら、僕に似ていた、という君の友達の話を聞かせていただけませんか」
「……きいてくれるの?」
「え?」
「……ううん。なんでもない!」
そう言って顔を上げた狐は笑ってまたもや天彦の腕を引っ張った。
「っわ、!」
「こっち、きて!」
そう言って納屋の方に天彦を引っ張っていく。
狐ががらりとドアを開けると、ひんやりとした空気が天彦をつつんだ。
「おにいちゃん、おはじきすき?」
狐が履いていた草履を脱いで上がるので、天彦もそれに倣って靴を脱いだ。見渡すと、端の方の木が少し朽ちている。水瓶が置いてあったり、何かが入っているのか巾着が並べられていたり、座布団が隅に重ねられていたり……不思議な空気感だった。
「御弾き、ですか?綺麗で良いですよね」
辺りを見渡しながら天彦は会話を繋いだ。外よりも涼しいが、ここまで蝉の鳴き声が聞こえてくる。
「あそんだことある?」
「すみません、あんまり」
「じゃあ、おしえてあげる!」
「いいんですか?」
「うん!ぼくの話、きいてくれるから」
たたた、と中に入った彼はここに座って、と自分の座布団の隣にもう一枚敷いた。手には巾着が握られていて、じゃらりと音がする。
「……聞いてくれない人も、いたんですか?」
天彦が座布団に正座してそう聞くと、控えめにこくりと頷いた。
「……あのね、悪いことってわかってるんだよ。でもね、ひとりってさみしいの。しってる?」
天彦を見上げて狐が言う。
「知っていますよ、とてもよく」
天彦は頷く。寂しいのも、共感者がいないのも、ひとりぼっちが辛いのも。よく、わかる。
「おにいちゃんも、ひとりだったの?」
「……どうでしょう、独り……だったんですかね」
「だった、ってことはいまはちがうの?」
「そうですね、今は独りじゃないです。打って変わって、すっかり賑やかになったんですよ」
「そうなの?」
「はい、とても」
天彦は自分の顔が自然と綻ぶのがわかった。そうだ、今はすごく幸せ。今の生活が、ものすごく幸せなのだ。毎日賑やかで、楽しくて、笑えて。以前の自分からは考えられない生活をしていると思う。
「……じゃあ、よかったね!うらやましいなあ」
「坊やはずっとここに?」
「……うん。たまにね、おにいちゃんみたいにきてくれる人がいるんだよ。なんでかは、わかんない。おそとにあそびにいくと、いるの」
「どうして、なんでしょう。波長が合うんでしょうか」
「みんなおにいちゃんみたいな人ってわけじゃなくてね、さっきおにいちゃんがきてくれた時みたいにすぐいなくなっちゃう事がおおいの。でも、おにいちゃんはもどってきてくれた」
聞くと、ここまで辿り着いて古屋まで入ったのは天彦が初めてなんだと言う。強引に引っ張っていっても、途中で道を外れて逃げてしまうんだと言う。だから、聞いてくれるのか、なんて不思議な聞き方をしたのだと少し腑に落ちた。
「これ、あげる」
狐は硝子のおはじきをひとつ、天彦に手渡した。
「おにいちゃんと、おんなじ色」
「……ふふ、ありがとうございます」
紫色のラインが二本入っている。つるつるざらざらとしたそれを天彦は大事にポケットへとしまった。
「あのね、おにいちゃん」
ぱちん、と狐はおはじきをひとつ弾きながら言う。弾いたおはじきが当たって、二つほどが移動した。
「ぼくね、ともだちがいたの」
「お友達、ですか」
「うん。すっごくなかよしだったんだ、まいにちいっしょにあそんだの」
「それは、僕と同じ、人間のお友達ですか?」
「うんっ」
「そうですか。とてもいいですね」
天彦も狐に倣っておはじきをひとつ弾いた。
「……これ、思い描いた方向に弾けないですね…床を弾いてしまいそうです」
「そうでしょ、ぼくうまいんだ、おはじき」
へへ、と狐が笑った。そのまま話を続けてくれる。天彦はそれに時折相槌を入れながら、ゆっくり時間をかけて聞いた。
どこかで、聞いたような話だ。
寂しがりやの狐。
「時間になるとね、ここをおりて、ふもとまでいくの」
人が好きな狐。
「ひーくんはね、いつもおむかえがくるの」
「お迎え?」
「うん。ひーくんはおかあさん、って言ってた」
「夕焼けの下で、また明日と約束するんですね」
「うん。でもね、ぼくにはおかあさん?がいるのにおむかえにはこないんだ」
違うもの。狐と人間の間にある、決定的な差。
「ひーくんにはしっぽも、おみみもない。でも、ともだちなの」
「はい」
「でもね、そんなのともだちじゃないって。おいなりさまはヒトよりもうえなんだっていうんだよ」
「……坊やは、人とお友達になりたかったんですか?」
「うん。おいなりさまになんて、なりたくなかった」
「……友達じゃ、なくなるからですか?」
「うん」
うーん、と天彦は頭を回す。どこかで聞いたような話なのだけれど……
「あのね、ひーくんは、すっごくやさしくて、いっしょにいるとたのしいかったんだ」
「素敵な方だったんですね」
「ずっといっしょだと、おもってたの」
「ずっと?」
「うん。やくそく、したんだ」
懐かしそうに彼は笑った。天彦は自分の隣にいた彼のことを思い出す。どことなく、似ている……気がする。
「でもね、ひーくん、こなくなっちゃったの」
「え、」
「またあした、っていったのに、こなくなっちゃって。ずっとまってたけど、こなかったの」
「……それで、独りになってしまったんですか」
そう天彦が言うと、こくりと狐が頷いた。
思い出した。
これは、昨晩聞いた狐の話によく似ている。
「……その、ひとつ聞いても?」
「なあに?」
「坊やはいつもその姿なのですか?どうも、僕の知り合いにすごく似ている気がして」
「……ちがうよ」
「……もしかして、ですが。あなたのその寂しいと言う感情が、僕のような人を呼び寄せているのかもしれません」
「それって、だめかなあ……」
「……あんまり、良いことではないでしょうね。現に僕も、ずっとここにいられるわけではありませんし」
「え、…………でも、……でも!おにいちゃん、いっしょにいようよ!……だって、……また、……また、ぼく、ひとりに、ひとりに、なっちゃうよお」
ぽろぽろと紅い瞳から涙が落ちた。
「……狐さん、聞いてください」
天彦はそっと語りかける。紅い歪んだ瞳が向けられた。……その顔で泣かれると、胸がずきりと痛む。
「君が化けているのは、僕の大切な人です」
黒髪。髪型は違えど、形の整った眉や少し垂れた目尻を見れば、すぐにわかる。
「……え……?」
「僕も、大切な人がいるんです。何も言わずに、ここに来てしまった。きっと彼は今、僕のことを探し回っていることでしょう。彼はとっても心配性なんです。今朝君が僕に干渉してきた時も、僕を彼方に戻したのは彼でした。彼はとっても優しいんですよ」
「……うん」
「狐さんには、とっても申し訳ないです。でも、やっぱり僕は戻らなくちゃならないんです」
「…………うん」
「どうして、あなたのお友達が帰ってこないのか。僕にはわかりません。でも、少し一緒に考えさせてください」
「……え、」
「試しに麓まで降りてみませんか?なにか狐さんも思い出す事があるかもしれませんし」
「……うん」
「それに、どうやったら戻ることができるのかいまいちよくわかりませんし」
大瀬が語る怪談になるほどだ。ここに来た人たちがちゃんと帰れたのかどうかはわからない。もしかしたらここで朽ちていった方も____考えるだけで天彦は背筋が凍った。
一番怖いのは……この悲しみを持っている彼が、全くの悪意を持たずこの世界に人を呼び込んでいると言う事。彼はただ、話を聞いて欲しかったわけでもない。
一人が怖いのだ。
「……すごく、わかりますよ。ひとりぼっちが辛いっていうことは」
だから。
「せめて、君が独りじゃないという証拠を見つけましょう。もし見つからなくても、僕がいたと言う事実は変わらないでしょう?泣かないでください」
天彦がひとつ涙を拭うと、決壊したように狐は泣き始めてしまった。
少しの間、天彦は狐の頭を撫で続けていた。
***
「……っは、……っ、は、…………っ」
もう、何分走ったのだろう。
もう、何度この曲がり角を曲がったのだろう。
もう、何回彼に着信を掛けたのだろう。
どこに、行ってしまったのだろう?
ただそれだけ。
その疑問が俺のみぞおちあたりでずっと、ぐるぐるぐるぐると回っている。
音も、なにもしないまま、忽然と姿を消した。
電車に轢かれたなんて、そんなことも考えたが、冷静に考えれば絶対にない。血飛沫が上がるはずだ。
ほんとうに、なにもなかった。
なんの前触れもなく、まるで最初からこの世界にいなかったような。そんな感覚を覚えた。
神隠し?
……まるで、昨日大瀬が話していた怪談みたいじゃないか。
俺はあの話を知っていた。
人好きの狐が、気に入った人間を天の原に連れ去るのだ。もし攫われたのなら、……神隠しにあったのなら。
もう、きっと戻ってこない。
ネットで有名な話だ。
匿名掲示板で有名になった話。
そんな話が本当にあるのかは、知らないけれど。
……そんな話、きっとないけれど。
だから、捜す。どこかに居るはずの彼を。
「……っ天彦……!」
どこに、どこに、どこに。
『……っあの!』
後ろから声がして、不意に振り返った。
『……その、お兄さん』
通る声だ。子供の幽霊?古びた半纏に身を包んでいる。
「……誰?」
『その、僕の友達を探して欲しいんです』
「…………はぁ?……いま、そんな場合じゃ」
『あなたの隣にいた彼は、今、僕の友達と一緒にいます』
「……え」
『やっと、僕の声が聞こえる人がいた……僕、その子に悪いことしちゃったんです。だから、どうしても、謝りに行きたくて』
「…………でも、どうやって」
『僕に考えがあります。一緒に、来てくれませんか?』
「待って」
もしかしたら、幻覚かもしれない。幻聴かもしれない。俺自身がおかしくなったのかもしれない。
「……お前の友達って、……狐?」
『……そうです。僕らの時は、もうずっと止まったままなんです。僕も彼も、もう前に進むべきなんです』
「…………わかった。どうすればいい」
『……!ありがとうございます、!どうしても、現世に残っている人の手助けが必要で……!』
「……現世に残ってる、って…………お前、まさか」
『僕ですか?…………ふふ、それ、聞いちゃいます?』
「……………………遠慮しとく」
『あはは!酷い顔!こっち、着いてきてくれますか?』
「…………わかった」
馬鹿にしてるか?この子供。
***
肆は「斜陽」の予定です。
この続きも一応ありますが一応ここまでで…
なんだか知りませんがここからあんまり進んでおらず、完結までは持って行けてないです。オチは決まってます。
よければご協力よろしくお願いします😭