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    Siba12finish

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    Siba12finish

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    続き。ラフ文。尻叩きのために進捗を上げさせて頂きます。すみません
    公式「ルイツカはそんなんじゃないよ〜笑」(最初から君を好きでいられて良かった)(花火をバックに見つめ合うルイツカ)(バレてるんだろうな)

     夕陽が差し込む図書室では、数名の生徒が読書や勉強に勤しんでいた。
     類は念のため、読書や自習が出来るスペースを一通り見て回る。司は小説を読んでいる最中に本に入り込んだため、何も無ければ、ページが開かれたままの本が、机上に置きっぱなしになっているはずだ。
     しかし、想定していたことではあったが、見渡せど目当ての本は見当たらなかった。意図せず机上に置きっぱなしという形になっていた本は、恐らく図書委員の手によって片付けられたのだろう。
     類は踵を返して本棚へと向かう。
     専門書を借りることはあるが、この棚に来るのは初めてかもしれない、などと考えながら、類は小説が並べられた棚の前で立ち止まった。
     司に聞いたタイトルを頼りに、本棚を舐めるように眺める。上から下へと流れた類の視線は、自身の腹の位置あたりに並べられていた本で止まった。
     ……あった。
     類は棚に手を伸ばし、それを手に取る。

    『幻頁』――げんよう。

     類は本を片手に受付カウンターまで向かった。図書委員に確認したところ、この小説は図書室に一つしかないとのことだった。類が今、まさしく手にしているこの本に、司が入り込んだのは間違いないだろう。
     類は本を借りる手続きを済ませ、自宅のガレージに戻った。
     ソファに腰掛け、スマートフォンを操作する。
     本の内容を確認したいが、開いた途端中に入り込んでしまう可能性もあったので、類は電子書籍を購入した。
     作中に、司が使用している公衆電話が出てくるはずだ。類は早速画面をスライドし、文字を追っていく。
     時間が惜しいので物語を楽しむことはせず、所々飛ばしながら読み進める。二十分程で、類は物語の最終ページに辿り着いた。
     最後の一文に目を通し、類は溜め息を吐く。大分粗く読んだが、大体の内容は確認できた。
     読んだ限り、作中に時代に関する記載はなく、ごく普通の現代社会として描かれているようだった。作中の季節は秋だ。現実世界と相違はない。
     類は画面をスライドし、発行日の記載がある奥付まで飛んだ。
     二〇〇七年十一月二十五日。
     司が言っていた、使える硬貨と使えない硬貨の間にある年だ。司が迷い込んだ世界は、この本が執筆された頃の時代背景が反映された世界になっているのだろう。
     類は家のプリンターで、小説を全ページ印刷した。本の中でスマートフォンは使えないので、向こうの世界でも内容を確認するには、印刷して持っていった方がいい。紙を雑にまとめ、ホッチキスで止める。
     類は現在の所持金を全て財布に詰め込み、家の現金の保管場所に向かった。物置の中からコインケースと、お札が入ったジップロックを取り出す。
     類はまず、自身が持っていた新札と、家で保管されていた旧札を、同じ金額分入れ替えた。続けて、平成後期から令和に製造された硬貨と、昭和から二〇〇〇年代に製造された硬貨を入れ替える。
     類の財布の中は、旧札と製造年が古い硬貨で満たされた。
     これで準備は整った。
     類はガレージに戻り、リュックサックに財布と紙を詰め込んだ。スマートフォンを開いて寧々やえむ達にメッセージを送り、ポケットに仕舞う。
     リュックサックを背負ってから、類はソファに置かれた小説を手に取った。
     八ページだ。
     そこに、公衆電話の描写があったはずだ。
     ページを開けば、司がいる場所に自分も行けるのではないか、という淡い期待を胸に抱く。
     額に汗が滲む。
     頼むから、司くんの元に行かせてくれ。
     類は頭の中で何度も強く念じた。
     神に縋るように、指先を本の中に滑り込ませてから、類はゆっくりとページを開いた。

     刹那。類は脳を圧縮させられたような、酷い頭痛に見舞われた。
     思わず、両手で頭を押さえる。手にしていた本は、音を立てて床に落ちた。
     予期しなかった痛みに耐えるように、目を瞑ったが、視覚情報が得られない筈の瞼の裏でも、視界が回っているような感覚に襲われた。
     地面に立っている感覚が無くなり、類は身体が吸い寄せられるような感覚に陥る。何か大きな存在が呼吸をして、類はそれに取り込まれる空気にでもなったかのようだった。
     類の身体は、何かにとっての酸素と化し、現実から蒸発した。


     はっと、目を瞬く。
     もつれた視界が鮮明になり、気付けば類は、夜の街に立っていた。
     目の前には公衆電話ボックスがあり、頼りない照明が箱の中を照らしている。風が吹き、夜の肌寒い空気が類の肌を撫でた。
     電話ボックスの中に、体育座りをした制服姿の司がいて、類を驚いた表情で見上げていた。
    「類……?」
     本当に、良かった。
     類は電話ボックスの扉を開ける。
     本の中に入れて、本当に良かった。司に会えて、本当に良かった。
     類の内側は昂った感情で満たされ、今にも身体の外に溢れ出しそうだったが、それを表に出すことはしなかった。
     類はいつもの調子で微笑んだ。
    「迎えに来たよ、司くん」

    2

     司と類は、街灯と店のようなものが建ち並ぶ通りを歩いていた。不鮮明な街並みが、司の視界を通り過ぎていく。
    「類、……その、本当にありがとう」
     あまりの申し訳なさに、思わず司の歯切れが悪くなる。
     電話ボックスの中で身体を丸めて座っていると、外に突然類が現れたのには、本当に驚いた。
     司は公衆電話を見つけた際、真っ先に類に電話をかけた。類ならばきっと、何か良いアドバイスをくれるだろうと考えたのだ。
     突然覚えの無い場所に放り込まれ心細かったが、類に電話をかけてからは、きっとどうにかなると前向きになれた。
     だがまあ、と司は、隣を歩く類を見やる。
     まさか電話の相手が自分を迎えに来るとは、司は思ってもみなかったのだ。
    「優しいな、お前は」
     思わず零すと、類はいまいちピンと来ないといった表情で司を見下ろした。
    「司くんは大切な座長であり友人だからね。
    助けたいと思うのは当然だよ」
     だからここに来たのは至極当然のことだとでもいうような、平然とした口調だった。
     優しいとは言ったものの、同時に、危なっかしいやつだなと司は思う。
     類自身も出られなくなる可能性があるというのに、類は迷わず本の世界に飛び込んだ。もっと自分の身を大切にして欲しいのだが、と司は複雑な気分になる。
     しかし、類が来てくれたことが司にとって非常に心強かったのも事実であり、酷く嬉しかったことも事実だ。司は「危なっかしいやつ」という感想を腹の中に送り込むことにした。
    「そういえば、オレ達はどこに向かっているんだ?」
     類を見上げ、司は先刻からの疑問を口にした。司は、類と再会するなり言われた「僕について来て」という言葉に従って歩いていた。
    「ホテルに向かっているよ。外観が小説内で詳しく描写されているから、見つけやすいと思う」
     類はそう答えてから、少し眉を下げて、司の顔を覗き込んだ。
    「司くん、ここに来てから何も食べていないだろう。それに、隈も出来てる。一度ホテルでゆっくり休もう」
     司の身を労るような、柔らかい視線が注がれる。いつもより類の歩幅が狭いな、と感じていたのだが、もしかするとそれも、司の身を労っての行動だったのだろうか。
     司はそのぬるい温度から、速まる鼓動を隠すように、思わず目を逸らした。
    「是非そう出来ると嬉しいが……。しかし、ホテルに泊まると高いだろう。使えるお札もない」
    「持ってきたよ」
    「なにっ!? この時代のお札をわざわざ持ってきたのか!?」
     類は「まさか」と笑った。
    「古くなった紙幣は、順次新しい物に取り替えられるからね。持ってきたのは平成の旧札ではあるけれど、この時代に製造されたものじゃないと思うよ」
     じゃあ使えないではないかと、司は困惑した視線を類に向けたが、類はそれを横目で軽く受け流した。
    「ただ、紙幣には製造年が記載されていない。見た目さえ誤魔化せたら、使えるんじゃないかと思って」
    「何に対して誤魔化すんだ?」
    「勿論、人だよ」
     類はにこりと笑んだ。いつもより狭い歩幅を進めながら、類は説明を始める。
    「製造年が新しい硬貨は公衆電話に使えないし、スマホも電源がつかない。でも、使えない硬貨もスマホも、こちらの世界に持ってくることは出来ただろう? そもそも僕たちがここに来ている時点で、この世界に存在しないものを持ち込むことはできる」
     類は続ける。
    「そうなると、製造年を判別できない紙幣を持ち込みさえすれば、人間の目なら、誤魔化されてくれるんじゃないかと思ってね」
     公衆電話に使えない硬貨があった例からして、この世界に存在しないものを機械は受け入れてくれないだろう。だが、人を介入させた取引であれば、もしかすると使えるのではないか。
     類はそのようなことを語った。
     上手くいくかは分からないが、やってみる価値はあるだろう。

     しばらく歩くと、ぼやけた景色の中に、鮮明な建物の姿が浮かび上がった。茶色に塗装された長方形に、小さな窓が均等に配列されている。よくあるビジネスホテルのようだった。
     自動ドアを通ると、眩い照明の光が司の目に飛び込む。床や壁が白で統一されていたのも相まって、ホテルに入った直後は視界が明滅したが、直ぐに目が慣れた。
     フロントに向かうと、「真面目そうな女性」という印象を受けるスタッフが、司と類を迎え入れた。恐らくそれに当たる描写が、小説内でされているのだろう。
     類はスタッフの女性と言葉を交わし、空室であったツインの部屋を二泊分とった。渡された用紙に、類が代表として必要事項を記入する。
     伝えられた金額を受けて類が紙幣を手渡し、それを女性スタッフがレジに入れようとしたところで、不意に女性は手を止めた。
     どうやら、レジが上手く機能しないらしかった。
     司は不安混じりに、その様子を眺める。
     女性は焦ったように独り言を言いながら、レジを何度も確認した。紙幣を挿入しようとする度に、それはエラーで排出される。
    「あの、失礼ですが……」

     一度、偽札を疑われた。
     しかし、渡した紙幣に特段可笑しな点は無く、透かしもあることを確認すると、女性は余計頭に疑問符を浮かべてしまった。
    「大変失礼致しました……!! こちら、四八〇〇円のお釣りになります」
     結局女性は電卓を使用し、支払いを完了させてくれた。部屋の鍵を受け取り、司と類はエレベーターに乗り込む。
     扉が閉まり切ってから、類は司にいたずらっ子のような表情で笑いかけた。
    「上手くいって良かったね。これで、この時代のお金も手に入ったし」
     この時代のお金とは、先程貰ったお釣りのことだろう。
    「ああ、一時はどうなることかと思ったが、無事泊めて貰えて良かったな!」
     胸中の引っかかりを隠すように、司は努めて明るい声を出してみせた。
     司は、宿泊料金を全て類に支払わせたことが申し訳なかった。スタッフとのやり取りを見ていることしかできなかった事実に、少し凹む。
     司が持っていた小銭入れの中には、購買を利用するための、少しの硬貨が入っているだけだった。常時制服のポケットに小銭入れを入れていたのが、公衆電話で活躍したのは幸運だったが。
    「類。何から何までありがとう。帰ったら、お金も必ず返す」
    「気にしなくて良いよ、そんなこと」
     類は司を見下ろし、ゆるりと笑う。
     元の世界に戻ったら、類に必ずお金を返そう。そしてどんな実験にも付き合おう。
     司は、未来の自分が爆発や跳躍を心して受け入れることを決意した。

     エレベーターを三階で降り、扉が等間隔に並ぶ不鮮明な廊下を進む。その中に、結露した窓を一部分だけ拭ったような、鮮明さに切り取られた扉が一つだけあった。
     それが、伝えられた部屋番号と同じ部屋である事を確認してから、鍵を開け、中に入る。照明を付けると、部屋の全容が浮かび上がった。
     扉の付近には全身鏡やスリッパ、浴室用ドアが設置されている。
     スリッパに履き替え中に進むと、ベッドが隙間を空けて二つ配置されていた。その奥には向かい合って座ることが出来る小さなテーブルや、置き時計、内線電話などがあったが、所々不鮮明な部分も確認出来た。
     部屋の隅。茶色の物体の上に、黒い四角が存在している。恐らくこれはテレビではないだろうかと、司は思考する。
     ベッドの掛け布団も、何かの柄が描かれていることは窺えるのだが、目を凝らしても一向にその柄を認識することが出来なかった。視力が悪い人の視界はこんな感じなのだろうか、と司はぼんやり考える。
     作中重要な部分が視覚的に見て取れるので、分かりやすくていいのかもしれないが。鮮明さと不鮮明さが入り混じった風景は、少々居心地が悪かった。

     リュックサックを下ろしてから、「腹ごしらえをしよう」と類が言った。
     類は内線電話を使い、ルームサービスで天ぷら蕎麦を二杯頼んだ。
     司は類と対面する形で肘掛け椅子に座り、蕎麦の到着を待つ。しばらくすると、男か女かも分からぬぼやけた造形のスタッフが、蕎麦をテーブルまで運んでくれた。
     目の前に置かれた蕎麦から、優しい匂いの混ざった湯気が立ち込める。丼の中の蕎麦を浸す汁は、つやつやと狐色に輝き、その上にはカラッと揚げられた天ぷらが盛られていた。
     司と類は揃って手を合わせてから、箸を持った。
     蕎麦を啜ると、汁の優しい甘さが口の中に広がる。天ぷらは衣のサクサクとした部分と、汁に浸かりふやけた部分の食べ比べが楽しく、司の頬が緩んでいった。久しぶりの食事に、司は思わず勢いよく完食してしまった。
     手持ち無沙汰になり、蕎麦を啜る類を眺めていると、顔を上げた類と目が合う。
    「食べ終わった?」
    「ああ。腹が減っていたから、すぐになくなってしまった」
    「まだお腹減っているだろう。これ、良かったら食べて」
     類が食べている最中の丼の中へと箸を動かすので、司は慌てて拒否した。
    「いやいやいや、お前が食べろ! オレのことは気にするな!」
    「遠慮しなくていいから」
     その言葉と共に、司の丼の中にはさつまいもの天ぷらやシシトウの天ぷら、かぼちゃの天ぷら、山菜などが次から次へと投入されていった。
     ……そういうことか。
    「野菜は食べろ!!」
     狭い部屋の中に司の声が反響する。
     結局司は、類に押し付けられた野菜達を完食した。美味かった。

     シャワーを浴び、二人共備え付けのパジャマに着替えたところで、ベッドの縁に腰掛けた司は「そういえば」と口を開いた。
    「三時間後に寧々かえむに電話をかけろと言っていただろう。類が来てくれたから、掛けるタイミングを失ってしまったが」
     置き時計の時刻は既に二十二時を指している。類の言っていた三時間はゆうに超えてしまっているだろう。
     もう一つのベッドに腰掛けた類が、対面する司を見て微笑んだ。
    「僕がここに来るのに失敗する可能性や、来られたとしても司くんに会えない可能性もあったからね。でも、こうして会えたから、電話はしなくて大丈夫だよ」
     司はそうか、と呟く。
     えむや寧々、家族達に電話を掛け、ひとまずの無事を知らせてやりたいところだが、居場所を問われても答えることは出来ない。それに、この世界で使えるお金は無闇に消費せず、脱出のためにとっておいた方がいいだろう。司はこれから先のことをぼんやりと考えた。
    「類。明日はどうする? ひとまず、帰る手掛かりのようなものを、二人で探してみるのが良いと思うのだが」
     司が言うと、類は「ああ、そのことなんだけどね」と伝え忘れていたかのように言った。
    「僕に考えがあるんだ」
    「……考え?」
     類は頷くと、その考えとやらを語り始める。
    「実は作中、登場人物が、友人に公衆電話をかけるシーンがあったんだ。そして、電話を受けた友人が会いに来る。セリフや境遇は違うけれど、司くんは無意識に物語の内容に沿って行動し、物語通りの結果を迎えていたと言える」
     そうなると、僕達が物語通りに行動していけば、物語通りの結末を迎えられるんじゃないかと思うんだ。類はそう続けた。
     そうだったのか、と司は驚く。
     公衆電話がある方向に歩みを進めたのも、その先で公衆電話を見つけたのも、自分の意思が伴った行動の結果だと思っていたが。
     司の意識の外側で、何か大きな力が働いていたのかもしれないと思うとゾッとした。
    「ホテルに泊まったのだって、司くんに休息をとって欲しかったというのもあるけれど、実は物語に沿っているんだ。小説の登場人物二人は、このホテルのこの部屋で、天ぷら蕎麦を食べる」
     この世界に来てからの司達の行動は、どうやら全てが物語をなぞらえたものとなっていたようだ。
     司は、物語の内容が気になりだした。
    「その小説はどんな話なんだ?」
     司が問うと、類は、物語の内容を簡潔に語り始める。
    「これは、希死念慮を持つ売れない小説家の沙織と、その友人である直樹が、沙織の書きかけの小説の中に迷い込む話だ」

     人生に疲弊している沙織は現実に戻る気が無く、自作の中に留まろうとする。しかし直樹は、そんな沙織に再び生きる希望を与えようと奮闘する。直樹は沙織と小説内のさまざまな場所を巡り、小さな旅行を楽しみ、沙織に生きる希望を抱いて貰おうとする。

     司は類が語った言葉を、脳内で咀嚼する。登場人物が小説の中に入り込むという点も、現在の司と類の状況と、重なっていたようだ。
    「どういう結末なんだ?」
     不安混じりに尋ねる。
     司は小説の序盤で本の中に迷い込んだため、全くと言っていいほど小説を読み進められていなかった。今聞いた内容も、初めて知ったものばかりだ。
    「二人とも小説から出られるという結末だよ。だから、僕たちもきっと元の世界に戻れる。僕たちはこの物語通りに行動していこう」
     類は、司を安心させるように微笑んだ。
     司は、ほっと安堵する。
     ハッピーエンドに向かうシナリオがあるというのなら、司達はそれに沿って演じればいいだけだ。類と元の世界に帰れる未来が見えて、司の張り詰めていた気は緩んでいった。
     類は、ベッドの側に置いていたリュックサックから、ホッチキスで纏められた大量の紙を取り出す。
    「何だ? それは」
    「小説を全ページ印刷してきたんだ」
     司は目を瞬かせた。この男はどこまでも用意周到だ。
    「ホテルに泊まるシーンは、二人が就寝したらお終いだ。今日はもう寝ればいい。明日、ここを十時頃に出発しよう。明日から沙織と直樹の旅行が始まるから、僕たちは彼らが行った通りの場所に行くだけだ」
     なるほどな、と司は感心を口にした。
    「類、オレも見て良いか?」
     司は立ち上がり、類が座る対面のベッドに座り直す。身体を寄せ、類の手元の紙を覗き込むと、類は司から隠すように紙を伏せた。
    「僕が内容を把握しているから、司くんは見る必要ないよ」
     素っ気なく突き放され、司は虚をつかれる。
    「何故見せてくれないんだ」
    「司くんは、見なくていいよ」
     類は同じようなセリフを繰り返す。
     二人共内容を把握していた方がいいだろうと問いかけるも、類は紙を見せようとしなかった。
     頑なに見せたがらないので、司は余計に物語の内容が気になり出した。
     司は少し考えたあと、類の手からひょいと紙を奪い取り、立ち上がった。
    「あっ」
     類が上げた声を無視して、司は捲られていたページの文章に目を通す。ホテルでのワンシーンだった。

    「何でここに来たの?」
     沙織は、活力のない声で問う。
    「君は大切な友人だからだよ。居なくなったら寂しい。だから、一緒に元の世界に戻ろう」
    「私は戻る気はないわ」
     直樹はガラス玉に触れるように、慎重に言葉をかけた。しかし、沙織は直樹の言葉を一蹴する。
     沙織の瞳は深い闇に染まっており、今にも消えてしまいそうな危うさがあった。
     直樹は、沙織の存在を確かめるように手を伸ばす。そして、彼女の身体をきつく抱きしめた。
    「僕が、君にまた生きたいと、そう思わせてみせる。君が書いた世界を、僕らで旅しよう。ここにいる間は、向こうの世界のことは忘れて」
     沙織にはきっと、子供の頃のような時間が必要なのだ。今日のご飯は何だろう、とか、明日は何をして遊ぼう、とか、そのようなことだけを考えていられたようなあの時間が。直樹は沙織を抱きしめる腕に力を込める。
    「どうして、そこまでするの」
    「君に死んで欲しくないだけだよ」
     沙織はされるがままになっていたが、少ししてから、直樹を緩く抱きしめ返した。
    「変な人」

     司は、呆然としながらその文章を追っていた。どうやら、物語には恋愛要素が付属しているようだった。類はこれを司から隠すために、頑なに見せようとしなかったのだろうか。
     いつの間にか立ち上がっていた類が、司の手から紙を奪い取った。
    「それじゃあ、今日はもう寝ようか」
     司は、むっとする。
    「小説内だと、寝る前にまだすることがあるだろう。オレたちは、小説通りに動くんじゃなかったのか」
    「何も全てを小説通りに進める必要はないさ。大筋さえ合っていれば良い」
     類は司の言葉を一蹴した。そんなに、司と恋愛劇を演じるのが嫌なのだろうか。
     そんな筈はない、と司は強く思った。
     ホテルに向かう道中、類に注がれたぬるい視線を思い出す。

     類の視線に混ざる、確かな熱に気が付いたのはいつだったか。
     司の脳裏に、朧げな記憶が浅く浮かぶ。
     類が司に想いを向けていることを、司は随分と前から、察していた。気付いたきっかけは覚えていない。ただ、気付いてしまえば、類のその熱は見て見ぬふりができぬほど、想いを一心に伝えてくるものだった。
     そして、司がそれを不快に思ったことは、一度もなかった。注がれる熱に気がつくほどに、類を隣で見ていた司もまた、類のことが好きだった。

    「出来るだけ小説通りに進めた方が、本来の結末を迎える可能性が上がるだろう」
     司は引き下がることなく、自身の言い分を主張した。勿論、口にした言い分は本心である。
     だが、それよりも司はただ、類と演じてみたかった。
     言ってしまえばただの欲だ。
     想い人と、恋愛劇を演じてみたい。普段、司はヒーロー役を演じることが多く、類は悪役を演じることが多いのだ。こんな機会、そう訪れないだろう。司は期待の込もった目で類を見つめる。
     しかし、返ってきた視線は冷めたものだった。
    「司くんが見る必要はないし、物語に沿った行動は僕が全て管理する」
     類の声色は真剣だった。司を見据える瞳にも、普段の柔らかさはなく、司はその表情と言葉に押されてしまう。
     反論しようと口を開いたが、出かけた言葉も程なくして飲み込んだ。
    「……分かった」
     仕方なく、司はそう口にするしかなかった。
     しかし、だ。そこまで頑なに拒否されると、さすがの司も傷付く。
     それに、他に想い人がいるならまだしも、類も司を好いているのであれば、問題はないのではないか。
     そもそも、出来るだけ小説通りに動いた方が安全であることは確かだ。この男は、何をそこまで渋っているのだろう。
     次々に疑問と不満が湧いて出る。司は段々やけになってきた。
    「内容は、もう見ないと約束する」
     類はあからさまに安堵した表情を見せた。その態度に、また小さく腹を立てる。
    「その代わり」と司は続けた。
    「お前がオレに、どう演じればいいのか教えてくれ。登場人物の行動もセリフも表情も、全部だ。演技指導なら得意だろう」
     類は目を見開いた。不意を突かれ、反射的にそうなった、といった様子だった。やってやった、と内心で笑みを浮かべる。
    「思えば、ちゃんとした恋愛劇を演じたことはなかったな。丁度いい機会だ。ここで練習しないか?」
     司は真剣な眼差しで類の瞳を見据える。
     類は視線を逸らさない。いや、逸らすことが出来ないでいるのかもしれなかった。今の類は、蛇に見つめられ動けなくなっている蛙を連想させた。
     類は細い溜め息をつく。
     何かを言いたげに口を薄く開き、また閉じて、それを数度、類は繰り返す。断る言葉を探しているようだった。
     類はしばらく考える素振りを見せたが、不意に、何かを決意したような表情をした。
    「……分かった」
     静かな声が言った。
     類が、了承してくれた。司の胸は歓喜で満ち溢れた。
     類は切り替えてからは早いようで、淡々と司に指示を出していった。
    「司くんは、直樹の役を演じてくれ。僕は沙織を演じる。セリフは覚えてる?」
    「ああ、覚えている」
     先程読んだ時に、大体のセリフと流れは頭に入っていた。普段から、台本を早い段階で覚える努力はしているため、物語を頭に入れる癖がついている。
    「じゃあ、早速始めるよ。司くんは、沙織が消えてしまうかもしれないという不安と、想い人に触れる緊張感を意識して演じて。……まあ、自由に、司くんが思うように演じてくれ」
     司は頷く。胸の鼓動が、吐き気を催しそうなほどに速かった。
     類はベッドに腰を下ろした。一つ深呼吸をすると、類は表情を切り替える。
     死人のように冷たい、血の気を一つも感じさせない表情だった。少し触れれば塵のように消えてしまいそうなその姿は、希死念慮を抱いているという沙織そのものであった。
     部屋の空気が冷え、ホテルの一室は舞台の一部となる。

    『何でここに来たの?』
     類が口を開いた。
     始まった。下手をすれば、司はショーの本番よりも緊張しているかもしれなかった。
    『君は大切な友人だからだよ。居なくなったら寂しい。だから、一緒に元の世界に戻ろう』
     司は直樹の心情を浮かべながら、慎重に声に感情を乗せる。
    『私は戻る気はないわ』
     司は、類の側へと歩みを寄せていく。心臓の音がうるさかった。抱きしめたら、類にこの音が聞こえてしまうかもしれないな、とぼんやり考える。
     司は手を伸ばし、類の身体をきつく抱きしめた。腕の中で微かに、類が身じろぐ。
    『僕が、君にまた生きたいと、そう思わせてみせる。君が書いた世界を、僕らで旅しよう。ここにいる間は、向こうの世界のことは忘れて』
     司は抱きしめる腕に力を込めた。緊張から、指先が微かに震える。
    『なんで、そこまでするの』
    『君に死んで欲しくないだけだよ』
     ベッドの上にだらりと下ろされていた類の手が動く。司の背に、ゆっくりと回る。そして、司は力のこもっていない腕で抱きしめ返された。
    『変な人』
     類が、最後のセリフを言う。
     このセリフのあとには地の文が続き、沙織と直樹は就寝することとなる。
     司と類は、しばらく互いを抱きしめあった。司の心臓は破裂しそうだったが、酷く満ち足りた気分だった。
     身体が離れると、類の顔が視界に映る。類はいつも通り釈然としていて、司は少し悔しくなった。
    「いい演技だったよ。司くんは、恋愛劇も不安なく演じられそうだね。今後の演技が楽しみだ」
     司は、はっと我に返り、風のような速度で類から距離を取った。
    「ハーッハッハ! そうだろうそうだろう! 今後もオレに期待しておけ、類!」
     気恥ずかしさを隠すように、司は声を張り上げ、捲し立てる。全身から汗が噴出するのが分かった。
    「それじゃあ、演じ終わったことだし、今日はもう寝ようか」
     司は被せるように、そうだな!! と返事をした。類の視線から逃げるように、慌ててベッドの中に潜り込む。何とも思っていないですよ、という雰囲気を演出しようとするあまり、ぎこちない動作になってしまった。
    「フフ、おやすみ司くん」
     類がくすりと笑う声がして、司の顔に熱が集まる。全て見透かされているようで、いたたまれない。
     司は布団を頭まで深々と被り、自身の羞恥に耐えるように身体を丸めた。おやすみ、と小さく返事をする。
     とんでもないことをしてしまったのではないか。
     自身の行動を思い返し、顔から火が出そうになる。しかし、羞恥心に負けないくらい、満たされた感情が確かにあった。
     照明のスイッチを押す音がした。類が明かりを消してくれたのだろう。
     明日は確か、十時に出発だったか。
     司は目を瞑り、自身の鼓動を聞きながら眠りについた。
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