12/25のさににこ「耶蘇の聖誕祝いか」
「うん。正確には誕生日じゃなくて、生まれたことをお祝いする日だそうだよ」
といっても、本丸で何らかのイベントを行うわけではない。ニュース番組で流れる現世の風景を見ながらの、近侍の日光一文字とのやりとりだ。
「たとえその日がわからずとも、節目の祝いは必要ということか」
「そうだね、国によってはとても大事な日だし」
日光はじろりとこちらに視線を向ける。プライベートでどれだけ親密になっていようと、審神者と近侍である昼のあいだは一線を引いた態度をけっして崩そうとはしない。
「この本丸では、そうした節目の祝いはあまり行われておらぬようであるが。主の就任日の祝いくらいではないか」
「うーん、作られた日まではわからない子が多いからね。それに昔の日本だと、生まれた日付はそんなに重視されてなかったみたいだし」
生まれた日を祝う風習が根付いたのは二十世紀も半ばになってからで、それ以前は数え年が一般的だったはずだ。もちろん元服など、成長の段階ごとの祝いはあったにせよ。
「ここに顕現した日はみんなわかっているから、その日にはきょうだいの中でお祝いする子たちもいるみたいだね」
「俺が念頭に置いているのは主のことだ」
「わ、私?」
「この時代の人間ならば、生まれた日も明らかであろう。なぜ祝賀の儀を執り行わぬ」
相手が日光一文字でなければ、なんとなく気恥ずかしいからと笑ってごまかせた。
しかし彼の微動だにしない顔を前にすると、『なんとなく』ではとても切り抜けられそうにない。
「え、えーとね。私ももうすっかり大きくなったし、お祝いをしてもらうくらい小さな子どもじゃないし。かといって、毎年長生きのお祝いをするほどの年齢でもないからね」
「節目の祝いが必要、とさきほど話していたではないか」
確かにそう話していたし同意もした。
「そ、それはそうなんだけどね。毎年毎年、みんなに宴会を開いてもらってのお祝いはこう、照れくさいっていうか」
宴会というフレーズに思い当たるところがあったらしく、日光は目をつぶって首を横に振る。
「なるほど。毎年のように酒豪どもに絡まれてはたまらぬ、というのであれば致し方ない」
「あ、あははは……」
年に一度とは言え、次郎太刀や日本号らに囲まれ、主役として持ち上げられる時間は、どうしても喜びより羞恥心が勝ってしまう。それも理由の一つにはちがいない。
が、折衷案を求める近侍の姿勢は変わらない。
「ならば十年ごとの不惑や知命、還暦、その後は米寿、白寿、茶寿、大還暦など、節目とされる年にのみ祝宴を上げてはどうか」
「そ、そのくらいならいいかなぁ」
十年も間が空くのなら、審神者自身にとっても感慨深い記念になるだろう。毎年は恥ずかしさが先立ってしまうけれど、祝われることそれ自体は嬉しいことなのだ。
それに十年おきの祝いを提案してくれる日光は、つまりこの先二十年、三十年をともに過ごすことを見据えてくれている。刀剣である日光にとっては、さほど遠い未来の話ではないのかもしれないが……来月の予定を決めるかのように、さりげなく口にされた年月の重みが胸の奥にずしりと響いた。
「あっ、ところで日光くん、さっき言ってた節目のお祝い、最後のふたつは何歳なのかな。九十九歳の白寿までは聞いたことあるんだけど」
ずっと共にあろうと考えてくれた年月がどのくらいの長さなのか、よく呑み込めていないことに気付く。人生百年時代と言われるようになって久しいが、伝統的な長寿祝いとなるとなかなか触れる機会がない。
戦だけでなく歴史にも詳しい日光にしてみれば、なんということもない知識なのだろう。
「茶寿とは百八歳、大還暦とは百二十歳の祝いである」
「そ、そんなに長生きできるかなぁ……」
聞いたことがなかったのも当然の数字が返ってきた。
「我らの時代より、医術も進んでいるのであろう」
「そうだね。私も健康に気をつけたら、そのくらいはいっしょにいられるかなぁ」
もっともこの本丸で刀剣男士たちと過ごす時間は、人の世のそれとは違う流れを持っているようにも感じている。医学の発展とは別の理由で、気がつけば驚くべき長寿を成し遂げているのではないか、とも思えた。