海祇のやどりぎ1. 星色、香りて
銀色の月が暗闇を青白く照らし、冷たく澄んだ光を辺りに落としている。冬枯れの木々は白の光に照らされ、その姿を淡く暈して細い枝をちらちらと揺らしていた。無数の星が夜空を踊り、晴れた闇に凍てついた光を燦かせている。
風の音は聞こえない。
静けさがあまりに冷ややかで、けれどどこかやさしい歌を奏でる。頬に触れる空気は冬の色を宿して、甘く冷たい香りを放つ。
──密やかで静謐な、眠りの時間が過ぎていく。
魔法舎の自室で窓の縁に腰掛けたフィガロは、揺るぎなく静かに佇む月をぼんやりと見上げていた。雲ひとつない空に浮かぶ銀月は、依然怪しく世界を見下ろしている。
フィガロは、ふう、と小さく息をつくと手元のワイングラスをゆっくりと傾け、幾分か温くなったワインを喉奥へと一気に流し込んだ。
「ん……」
鼻に抜ける熟れた果実の香りを確かめるように、そっと目を閉じ馨りの足跡を追いかける。数瞬の後、空いたグラスを手の中でくるりと回して逆さまにすると、濡れた唇をぺろりと舐めた。
「あーあ、また空っぽだ」
空になったグラスに新しい酒を注ごうと呪文を唱えかけた手をふと止め、フィガロはその細く長い指をそっと顎に当て思考を巡らせる。ふわふわと宙を浮いたままのワインボトルに歪に映る自分の姿を見つめ、再び、緩慢な動作で物言わぬ月を仰ぎ見た。
そこには、変わらぬ光を帯びた丸い月が、ただ黙して静かに大地を見下ろしていた。
「……、」
数瞬の後、ふ、と口の端をゆっくりと持ち上げると、フィガロは空のままのグラスと未開封のボトルを机に置き、椅子の背もたれに掛けた白衣を肩に羽織る。ぱちん、と指を鳴らすと白衣の皺が消え、揺れて、揺れて、ふわりとその背を密やかに隠してしまった。
「……今日はまだ、終わらないよね」
フィガロは小さく誰かに問いかけるように、それでいて自分に言い聞かせるように呟く。開いた窓から音も立てずに部屋の外へと降り立つと、ふわり、箒を使わず夜空へと軽やかに舞い上がった。
星の瞬きさえ聞こえそうな真夜中に、晶は自室でひとり賢者の書を眺めていた。ぼんやりと焦点の合わない瞳で自分の書いた文字を見つめながら、くるくるとペンを回し想いを巡らせる。
ひさしぶりに任務や会議の無い休日はひどく穏やかで、晶は魔法舎で気ままに暮らす魔法使い達の様子を見て回りながら、のんびりとした一日を過ごした。
「ふふ、珍しく穏やかな一日だったな」
休日が楽しみ過ぎたのか、早く目覚めてしまった晶は朝食前に散歩をして、朝の澄み切った空気を楽しんだ。木々の擦れる音に耳を傾け、水の流れる音に心を擽られ、鳥たちの透き通った鳴き声に心を寄せた。
日中、西の魔法使いたちの授業で彼らと一緒になって歌い踊り、魔法舎の裏庭の花壇に新しい花を植えると張り切るミチルとリケを微笑ましく眺め、ルチルの淹れたハーブティーとネロの焼き立てクッキーを味わうお茶会は、あたたかで優しい特別な時間だった。
夕方、スノウとホワイトと一緒に中庭でミスラとオーエンの争いの仲裁をして、食堂でつまみ食いをしたブラッドリーがネロに胡椒で飛ばされる一部始終を見送って。夕食後に談話室で城から戻ったアーサやカイン、ヒースやシノたちと一緒にカードゲームをして。
何気ない日常が当たり前に過ぎていく様を、晶はただ、愛おしささえ感じながら過ごしていた。
「さて、そろそろ寝ようかな」
明日はお城で会議があるから居眠りしたら大変だし、と呟きながら、晶は開いたままの賢者の書をぱたんと閉じる。そのまま両手を広げて軽く伸びをすると、そっと瞳を閉じ、ふう、と大きく息をついた。
──コンコン
控えめに鳴るその音は、閉め切ったカーテンの向こう、窓の外から聞こえてくる。晶には、その音の主にはおおよその見当がついていた。こちらの世界に来て、窓からの来客は今まで何度か経験していたが、この時間にノックと共に訪れる人はそう多くはなかった。
晶は椅子から立ち上がるとゆっくりと窓際へと近づき、一呼吸置くと、ほんの少しの期待と共にそっと黄緑色のカーテンを開けた。
「……あ、やっぱり、」
窓の向こうに煌めく榛色を宿した瞳と、晶の紫紺の瞳が絡み合う。銀月に照らされた青灰色の髪は、闇の中で光を映して淡く溶け、月の向こうへ消えてしまいそうなほどの儚さを漂わせていた。
月明かりの中で影になったその表情をうまく読み取ることができず、晶は一瞬、動きを止めてしまう。その様子に窓の外の来訪者は小さく笑みを浮かべながらぱちんと指を鳴らすと、晶の部屋の窓を開け、その縁にふわりと羽毛のように腰を下ろした。
「ふふ、賢者様、こんばんは」
「……フィガロ」
「どう? 驚いた?」
そう言ってフィガロが悪戯っぽく片目を瞑ってみせると、晶は、もう……、と困ったように笑いながら小さく首を横に振る。あれ、おかしいなぁ、と無邪気に笑うフィガロの横に並び立つと、晶は、淡い光に照らされた色素の薄い髪を見上げた。
相変わらず、月明かりを背にしたフィガロの表情は判然とせず、ただ、いつもと同じ悠然とした佇まいで笑みを湛えている様子が見て取れるだけだった。
晶は眉尻を下げてにこにこと笑うフィガロの手を取ると、冷たくなった自分よりも大きなその手を温めるように、両手でそっと包み込む。そのまま、まるで心の中まで覗き込むような真っ直ぐな瞳で榛色を宿した瞳を見上げた。
「賢者様、どうしたの?」
「フィガロ、眠れないですか?」
「……どうしてそう思うの?」
瞬きほどの沈黙の後に、取り繕ったような笑顔を浮かべたフィガロは、ゆっくりと脚を組み替え、わざとらしく小首を傾げて見せた。晶は何も言わずに包み込んだ両手を握って、困ったように小さく微笑む。
「……手が冷えています、フィガロ。眠れないのなら、中に入って温かいお茶を飲みませんか?」
「……参ったな」
口の中でそう小さく呟いたフィガロの手をするりと撫でながら、晶は先を促すように、フィガロの瞳から目を逸らさずに見つめ続ける。漸く観念したのか、眉を下げたフィガロがぽつりぽつりと言葉をこぼし始めた。
「お酒を飲んでもちっとも眠くならなくてさ、」
「……はい」
「月が綺麗だったから、空を見上げていたんだ。それでも、なかなか眠くならなくて、」
「……はい」
どんな時でも他人事のように、世界の外側からまるで傍観者のような達観した視点で物事を見つめているフィガロが、ほんの少しだけ、頼りなげにぽつりと漏らしていく言葉を、晶はひとつ残らず、まるで大切なものを胸に抱えるように掬い上げていく。
「前にも話したと思うけど、俺は魔法使いだからね。別にすぐに寝ないといけないほど弱ってないし、そのままお酒を飲んで、朝まで寝ないで過ごしちゃおうかなと思ったんだ。でも、あの時の賢者様の言葉を思い出して」
「……覚えていてくれたんですね」
もちろん、と、フィガロは笑い、されるがままになっていた自分の手を包み込む晶の手を取って、その指にそっと自身の指をひとつひとつ絡めていく。見上げる紫紺の瞳が月の光を映し、きらりとやさしく、揺れた。
フィガロは繋いだ片手はそのままに、そっと長い指を自身の唇に当てて、ゆっくりと、秘め事を囁くような声音で晶に語りかける。
「ねぇ、賢者様。このまま二人で温かいお茶を飲んで、他愛のないおしゃべりをするのもいいけれど。ちょっとだけ、俺と、悪いことしない?」
「……悪いことなんですか?」
小首を傾げて見上げる晶の額にそっと自身の額を寄せて、フィガロは悪戯っぽい笑みをこぼす。フィガロ、とやわらかで心地よい音を象った晶の薄い唇にそっと触れると、フィガロは、ふ、と瞳を和らげた。
「どうだろうね? きみが確かめてみてよ」
「俺でいいんですか?」
「きみがいいの」
……ふふ、じゃあ少しだけ、と控えめに笑みをこぼした晶の手を引いて、フィガロは窓の外へと浮かび上がる。うわ、と小さな悲鳴をあげた晶に悠然と微笑み返しながら、夜空を閉じ込めたオーブが煌めく箒を取り出し、空へとふわり、舞い上がった。
2. 星色の絵の具を溶かして
「ほら、賢者様。空を見上げてみて? こぼれ落ちそうなくらい、星屑が見えるでしょ」
「……ほんとですね、すごくきれい」
しん、と冷えた空気は幾千の星に彩られ、氷のかけらのように星のしずくが煌めく。それはまるで夢の景色のように、儚く揺れて、揺れて、燦いている。二人が見上げる夜空に流れ星が細い尾を引いて、すうっと駆け抜けていく。細く光るその白の光は、一際輝き、二人の心を彩る。
「賢者様、寒くない?」
「はい。ちゃんとあったかいですよ、フィガロ」
ふふ、それはよかった、と笑いながら箒の後ろに腰掛けた晶を振り返って、ふわり、フィガロはさらに宙を蹴って空高く舞い上がる。地上の光は遥か遠くでその輝きを煌かせ、魔法舎の灯りも小さく滲んで見えた。
「賢者様、今日はお休みだったんでしょ。ちゃんと身体は休められた? ……この時間に連れ出しておいて言う台詞でもないけれど」
「ふふ。はい、ゆっくりできましたよ。フィガロはずっと先生たちと打ち合わせでしたよね? すみませんでした、やっぱり俺も参加すればよかったかな」
そう言ってフィガロの腰に回していた腕をおずおずと離そうとする晶の手を引き寄せながら、フィガロはころころと笑い声をもらす。ちゃんと掴まっていてね、と前置きをしてからふわり、また箒の高度を上げていく。
「……それじゃあお休みにならないじゃない。大丈夫、授業の方針とか、今後の任務の編成とか、中央の市場の美味い屋台とか、西の国の古い酒の銘柄とか、夜はバーで飲もうかとか、そんな話ばっかりだったから」
二人声を上げて笑い、風を切って空を泳ぐ。満天の星空の下、晶はフィガロの背にそっと頬を寄せた。しばし訪れた沈黙さえ心地よく、静けさの中で互いの鼓動だけが重なって、とくんとくんとやさしい音を奏でる。ほんの少しだけ、いつもより早くて、そして、あたたかい音色で。
「賢者様、どうかした?」
「いえ……なんでもない日常って、大切だなと思って」
「……、」
フィガロは小さく口の中で呪文を唱えると、自分の背にしがみついていた晶を腕の中へと閉じ込めた。後ろから抱き抱えられるように箒に跨った晶は、不思議そうな瞳でフィガロを振り返る。柔らかな光を湛えた翡翠を宿した瞳が、きらりとやさしく揺れた。
「きみにとって、この世界にいるってだけで『なんでもない日常』からはだいぶかけ離れてるんじゃない?」
「それは……そうなんですけど。でも、最近改めて思ったんです。俺にとって、この世界も、みんなも。ちゃんと、大切な場所なんだなって」
そう言って紫紺の瞳を緩ませた晶は、箒を握るフィガロの手に自身の手を重ねると、フィガロのことも、大切です、と小さく呟き、花が綻ぶように淡く微笑んだ。
「……賢者様はずるいなぁ」
「ふふ、それはきっと、フィガロの影響ですよ?」
「あはは、そうかもね?」
包み込まれるように降り注ぐ星空は誰のものでもなくて、けれど、手を伸ばせばその手に届きそうなほどに燦き、光を放つ。二人はしばし互いの体温を、鼓動を感じながら、星の煌めきの色に、銀月の艶めきの香りに、束の間の二人だけの刻に、その身を委ねた。
「それで、賢者様は今日一日何してたの?」
フィガロは箒の高度をゆっくりと下げながら、腕の中の晶に問いかける。風のない穏やかな夜はしんと静まりかえっていて、二人の声がやけに辺りに木霊して聞こえる。
「……ええと、今日は、」
やましいことをしているわけでも、やましい話をしているわけでもないのに小声で話し出す晶に、大丈夫だよ二人しかいないんだから、と声を掛けながら、フィガロはぱちんと指を鳴らす。
「でも、気になるならこれでどう?」
「……防音魔法ですか?」
問いかける晶に、フィガロは悪戯っぽい笑顔を浮かべながら片目を瞑ってみせた。夜空の只中で周囲を気にする晶のために唱えた魔法が、そっと、二人だけの世界を作り出す。
「ふふ。これで、悪いこともできちゃうね?」
「もう……」
フィガロが口を尖らせた晶の頬を突くと、ぷすう、という間の抜けた空気がもれる音がして、どちらともなく笑い声がこぼれ落ちた。
先ほどよりだいぶ高度の下がった景色は、地上の灯りが近くなって、真夜中に灯る暖かな光を映し出していた。魔法舎にも、明かりの灯った部屋が幾つか見える。フィガロはそれ以上高度を下げることなく、ふわりと舞うように、漂うように、空を泳ぐ。
「賢者様、それで、さっきの続きは?」
「あ、はい。俺は今日、魔法者で過ごすみんなの様子を見て回ってました。……そうだ。今日、ミチルとリケが魔法舎の裏庭の花壇に新しい花を植える予定を立てていて、」
すごく素敵だなって思ったんです、とフィガロを振り返りながら、晶は目元を綻ばせる。そんな晶の様子にフィガロもつられて微笑みながら、風に吹かれて乱れた晶の前髪を優しく撫で付けた。
「うん」
「前に、俺の世界にイメージカラーっていうのがあるって話をリケにしたことがあって。……その人の見た目とか雰囲気とかから想像した、その人らしさを連想させるような色のことなんですけど」
「へぇ、素敵な文化だね」
そうなんです、と微笑みながら、晶は空を見上げる。先ほどよりも小さな光の流れ星がひとつ、天を横切った。晶はその光を愛おしそうに眺め、再び口を開く。
「今度、賢者の魔法使いみんなのイメージカラーの花を植えようって、二人が意気込んでいて」
「あの二人らしいね。ずいぶん賑やかな花壇になりそうだ」
「ふふ、きっとカラフルでとっても綺麗ですよ」
ゆっくりと、地面が近づく。穏やかな時が流れ、星の瞬きの音色が辺りを踊る。さあ賢者様、着いたよ、というフィガロのやさしい声音に包まれながら、二人揃ってふわりと窓から自室へと降り立った。
「ねぇ、賢者様。じゃあ、賢者様から見たら、俺は何色に見えるの?」
「フィガロは……海の色です。やさしくて、広くて、包み込んでくれるような。うんと深くて、水面は碧く煌めいているんですけど、でも、どこか寂しげで、少し、ひんやりしてるかな。……そんな感じです」
晶の言葉に目を瞠ったフィガロは、まるでそれを隠すように、ひんやりかぁ、と茶化してみせる。色のイメージです、たぶん、髪の色とか、瞳の色の、と慌ててつけたした晶の髪を、フィガロの大きな手がそっと撫でる。
「ふふ。……じゃあさ、賢者様は星色だね?」
「ほし……?」
「だってさ。きみはいつもきらきらしていて、みんなを見守っていてくれるじゃない」
そう言って眉尻を下げて笑うフィガロと、驚きと恥じらいの表情を象った晶の影が、逆光の銀月の光に照らされながらゆっくりと重なった。
眠りの時間と目覚めの時間の境界が、ぼんやりと白く霞がかる。闇の淵がゆっくりと溶け始め、薄い青に仄かに紫が混じっていく。透明な空気が、まるで夢の続きを惜しむように纏わりついて、揺れて、揺れて、澄み渡る。遥か遠くの山の稜線が、薄っすらと白み始めた。
中庭の噴水はその色を映してきらりと揺らめいて、耳に心地よい音色を奏でる。そっと手を伸ばして掬ってみても、指の隙間からこぼれ落ちた水がちゃぷんと跳ねて、波紋が広がるだけだった。
フィガロはぱちんと指を鳴らして濡れた手を乾かし、近づく気配に、ふ、と目元を和らげる。取り繕った笑みを浮かべ振り返ると、そこには優しく微笑む晶の姿があった。
「フィガロ。やっぱりここにいたんですね?」
「賢者様。よくここにいるってわかったね」
フィガロの姿を認めると嬉しそうにぱたぱたと駆け寄ってくる晶の様子に、眉を下げて笑い返す。フィガロはそのまま自分の隣に腰掛けた晶の頬にそっと手を伸ばすと、ふわり、紫紺の瞳がやわらかに揺れた。
「ごめんね、きみをひとり部屋に置いてきちゃって。……もしかして寂しかった?」
「……それも、もちろんありますけど。匂いがしたんです。フィガロの、匂い」
「……。ふふ、夜の匂いでも残ってた?」
悪戯っぽく笑い、まるで秘め事を囁くような声音でそう問いかけながら晶の表情を覗き込むフィガロに、晶は仄かに頬を染めながら小さくため息をつく。
「もう……違いますよ。やさしい匂いです。やさしい花みたいな、海みたいな、そばにいて欲しいなって、そばにいたいなって思わせてくれる、」
「ちょっとちょっと、どうしちゃったの?」
きみらしくもない、と目を瞠るフィガロの瞳を、紫紺の瞳が真っ直ぐに捉える。フィガロの瞳がそれを捉え、夜明けの光を映して静かに揺らめいた。
──しばしの沈黙と、やわらかな香りが辺りを包む。
「もっと一緒にいたいです、フィガロ」
「……賢者様」
噴水の水音だけが辺りにやけに大きく響いて、ほんの少しだけ触れ合った腕から互いの熱が伝わる。フィガロは晶を見つめながら、やわらかく、やさしく目を細めた。晶は目を逸らさずに真っ直ぐにフィガロを見上げながら、きゅ、と握った手を胸に当てて、薄い唇を開く。
「フィガロ……手を。手を繋いでも、いいですか?」
「……ふふ。繋ぐのは、手だけでいいの?」
「そういうところですよ、フィガロ」
「ごめんごめん」
眉尻を下げ頼りない笑みを浮かべたフィガロの手をそっと取り、整った爪をするりと撫でて、指の股に自身の指先を這わせていく。なぁに、くすぐったいよ、と、ころころと笑うフィガロを見上げると、晶は小さく、ふう、と息をついて、目の前の榛色を宿した瞳を見つめ返した。
何度も開きかけた口をはくはくと開けたり閉じたりしながら必死に言葉を探す晶を、フィガロは不思議そうな瞳で、それでいてあたたかくやさしい色をのせて見下ろす。
「ねぇ賢者様、ゆっくりでいいから聞かせて。賢者様の、心の声」
「……心も。あなたと心も繋がりたいです、フィガロ」
「…………敵わないな」
フィガロの一瞬大きく見開かれた瞳はすぐさま伏せられ、晶の小さな肩に凭れ掛かるようにそっと額を寄せて、閉じられた。まるで、困ったような、切ないような、言い知れぬ表情を、ほんの少し赤くなった頬を隠すように。
晶からは、フィガロのその表情は窺えない。
「……このまま時が止まればいいのになんて、柄にもないこと思っちゃった」
「ふふ。フィガロ、もしかして珍しく照れてますか?」
「…………うん、すごく」
隠しきれないくらい赤く染まった耳を、つう、と撫でられぴくりと肩を揺らしたフィガロの様子に、晶はくすくすと笑い声をこぼした。繋いだ手はそのまま絡め合って、溶け合うように、繋がっていく。
「この世界に来てすぐの頃に、ヒースから聞きました。どんなに強い魔法使いでもできないことがあるって」
「……うん」
「死者を蘇らせること、無から有を生み出すこと、……それから、時を止めること」
「そうだね。俺やオズみたいな魔法使いでもできないよ」
フィガロは繋いだ手をそっと口元に寄せて、触れるだけの口付けを落とす。なんでもないようにそっと頬を寄せて、そのあたたかさを確認して。肩から伝わる熱を、繋いだ手から伝わる想いを手繰り寄せる。
「それでも……、」
「……賢者様?」
言葉に詰まった晶の表情を窺うため、フィガロは凭れかかっていた身体を起こして晶と向き合う。俯いて繋いだ手に視線を落とした晶は、きゅ、と口元を引き結んでいる。
フィガロの視線に気付いた晶は、頼りなく眉を下げて、微笑んだ。そっと唇に触れる長く細い指が、晶の唇を、頬を辿る。確かめるようにもう片方の手を繋ぎ直すと、晶はゆっくりとひとつひとつ言葉を選んで想いを紡いでいく。
「……それでも、思うんです。こうして一緒に同じ時を過ごせたら。たとえ時を止めることができなくても、……約束ができなくても、」
「……、」
「今だけはちゃんとそばにいられたら。そばにいて、心を交わして、心を繋げられたら、何かが、変わるかもしれないって」
傲慢、でしょうか? と泣きそうな顔で微笑む晶の手を引いて、フィガロはその胸にそっと顔を埋める。
賢者様、ありがとう、と絹糸のような声音で囁かれた声に心を揺らして。自分より長身のフィガロの背に腕を回した晶は、大切なものを包み込むように抱きしめて、愛おしそうに目を細めた。
「あなたのことがもっと知りたいです、フィガロ」
手を取り合って、どこまでも。身体も、心も繋いで、落ちているのか、飛んでいるのかもわからないくらいに絡み合って。束の間の時を共に、歩めたら。
薄明に照らされた噴水の雫が、白く淡い光を放つ。吹き抜ける風は穏やかで、二人の髪をやわらかに擽り、朝の香りを運んでくる。
風に揺れて、縺れ合って、絡み合って。重なる黒と薄青色の髪がふわり、光を映して淡く、溶けた。
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あとがき(2022.01.09)
晶くんオンリー2おつかれさまでした…!
スペースにお立ち寄りくださり、作品をお読みくださりありがとうございました。初めての晶フィでのサークル参加となりましたが、とても素敵な時間を過ごすことができました、ありがとうございました…!
以下、ほんの少しだけ裏設定のおはなしです。
晶くんがフィガロとイメージカラーの話をするところは、リケのまほパカドストのネタを参考に捏造しています。
フィガロのイメージカラーは彼のありのままのイメージを言葉に詰め込みました。深い色から淡い色へとグラデーションになっている光を映した青……そんなイメージです。
フィガロが晶くんをあらわした「星色」は、今回素敵な作品にされている方を多く見かけましたが、「晶」という文字の成り立ちから来ています。三つの星がきらきらと輝く明るい光……フィガロが晶くんから聞いてこのことを知った上でそう例えたのか、彼の心のままの声なのか、それはみなさまのご想像にお任せいたします。
普段はフィガロの別CPの過去のおはなしを書くことが多いので、晶くんオンリーに申し込みをするのをぎりぎりまで悩んだのですが、暖かく受け入れていただき本当に嬉しかったです。まさか反応をいただけるとは思っておらず、むしろいつもよりたくさんの書き込みやマシュマロ、スタンプをいただき驚きました。安心しましたし、たくさん悩んで書き上げることができてよかったなと胸を撫で下ろしております。あたたかいメッセージをありがとうございました。
長くなりましたが、少しでも、読んでくださった方の心のどこかに、彼らの切なさや、儚さや、あたたかな光が届いたら嬉しく思います。
ありがとうございました。
せら