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    せら ( @ce_ss111 )
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    フィガロと精霊と北の国のおはなし
    フィガロ中心  小説


    *双子の屋敷を出たあと世界征服時代よりずっと昔
    *北に居を構えたフィガロのなんでもない朝のひとときをほんの少しだけ覗いてみました
    *CPなしで名前のあるキャラの登場があります


    *フィガロが森を散策したり、箒で空を飛んだり、森や泉を訪れるなんでもない日常のひとときを覗いてみました






     北の国の雪深い森に、目覚めの光が密やかに語りかける。宵闇の空の縁が仄かに白く色付く時、ゆっくりと光をその身に馴染ませるように、夜明けが闇を溶かし始めた。森の木々は真白な衣を纏い、時折吹き荒ぶ冷たい風に、その身をゆらゆらと燻らせている。
     屋根を滑る雪の音色が、静かな朝に歌うように響き渡る。まもなく聞こえたどさりという雪の落下音に、んぅ、と掠れた声を漏らしながら、フィガロはふんわりと膨らんだ羽根布団の中で身を捩った。
    「……、」
     この氷風吹き渡る季節には、この地を燦々と照らすあたたかな太陽が登るわけではない。厚く重たい雲が覆う空の向こう側に、音もなく静かで冷たく濡れた朝がゆっくりと登ってくる。じっくりと白んでいく空は、やがて、世界を乳白色に染め上げていく。
     ふわり、ほんのりと窓の外が明るんできた時間に寝室の天井を舞うのは、蝶のような羽根を生やした小さな精霊と、小型のドラゴンに似た精霊。ぱちぱちと互いの身体を淡く煌めかせながら、戯れ合うように互いの力をぶつけ合っている。ぱち、と音が鳴るたびにきらきらと鱗粉のような光が舞い、フィガロの眠るベッドの上へと舞い落ちていく。
    「……おまえたち、誰の許可を得てここで戯れているの」
     それもこんな早朝から、と、不機嫌を隠すことなく起き上がると、フィガロは全身に冷たい蒼の魔力を纏う。突き刺すような魔力が部屋中を覆い、幻影の吹雪が空気を凍らせる。透き通った切り硝子の飾り窓がぴしぴしという耳障りな音を立て、一瞬で白く凍りついていく。
     精霊たちはくるくると絡み合いながら宙を踊り、傅くように、ベッドに腰掛けるフィガロの足元へと舞い降りた。不思議の力で支配された部屋が、圧倒的な力の織り成す馨りで満たされていく。ぱきん、という高い音とともに、棚上に飾られたニバリスの花が凍り落ちた。
    「さて、おまえたちには何をしてもらおうか」
     フィガロの足元は、いつの間にやら、常ならば見えないはずの姿を現した精霊たちで溢れ返っていた。きらきらと淡い光が周囲を包み込み、ふわり、そのうちのひとつが動く度に硝子の砂が流れるような心地よい音色が奏でられる。
     狼の姿の精霊から隠れるように身を縮ませる羽の生えた人型の精霊、ウサギの耳のような羽毛を生やした精霊、ふわふわと漂うだけの丸い光、ドラゴンや蝙蝠の姿を象った精霊……みな一様に、木の実や果実を床いっぱいに広げ、フィガロの紡ぐ言葉に耳をそば立てている。
    「……こんなにたくさん、どうしたの。まあいい、おいで」
     呆れたようなため息をひとつこぼし、フィガロはその細く長い指先で、煌めく小さな光にそっと触れた。精霊は嬉しげに身を擦り寄せて、小さく鳴き声をあげる。淡い光が弾けると、次の瞬間にそれはもう、小さな子猫の精霊の姿になっていた。
     真っ白な毛並みの子猫の精霊は、みぃ、と一声あげて、差し出されたフィガロの手の中に飛び込んだ。フィガロはその様子にやれやれとため息をつきながら、ふと思い立って指先に魔力を込める。フィガロの手からふわりと宙へ浮いた蒼い光は、瞬く間に形を変え美しい花々にその姿を変えて、精霊たちの周りへと降り注いでいった。
     きらきらと光と音が共鳴し、不思議の花が降り注ぐ。新雪を纏う花のようなみずみずしく甘い香りが部屋いっぱいに立ち込める。
     羽の生えた精霊が嬉しそうにくるくるとその場を舞い、先程の子猫の姿の精霊が布団の上を駆け回り、獣の姿の精霊が喉をごろごろと鳴らした。暫くの間、フィガロは頬杖をついたまま、戯れる精霊たちの姿をつまらなそうに見つめると、やがて、ゆっくりと口を開く。
    「……気が済んだら、屋敷の結界の見回りを。ついでに屋根の雪を溶かしておいて、昨夜の雪は思っていたより多かったから守護が弱っているかもしれない。それが済んだら、ここじゃなくて庭で好きに戯れるといい」
     精霊たちは、フィガロの声を合図にふわりと空に浮かび、飾り窓のそばへと飛んでいく。呆れ顔でフィガロが指を鳴らすと、冷たい夜明けの空気を取り込むように、硝子の煌めく窓が躍るように開け放たれた。
    「ほら、お行き」
     精霊たちが、一斉に窓から飛び出していく。ふわり、ふわりと不思議の力を確かめるようにその身を揺らし、やがて、星屑の煌めきのような光の残滓を残して、精霊たちの姿はすぐに見えなくなった。
     フィガロは再び指を鳴らし窓を閉じると、ひいやりとした石造りの床にひたりと脚を下ろす。そのまま肩に掛かった長い髪をそっとはらうと、小さく呪文を唱え、淡い光を身に纏い、身支度を整えていった。
     西の国を訪れた際に仕立てた服は、夕焼けの空を映したような深い葡萄酒色の生地で織り上げた、前見頃が短めのテールコート。細く絞った腰元にはアシンメトリーの飾りフリルが揺れている。首元には、中心に淡い緑色の宝石があしらわれた紺色のラバリエールを結び、同色のビロードのリボンでふわりと揺れる髪を低い位置でひとつに纏める。
    「……さて、今日は何をしようか」


     しん、と静まり返った廊下に響く靴音は、普段より少しばかり楽しげだった。居間の暖炉には薪がくべられ、焔が赤々と燃えている。フィガロが身を屈めそっと手をかざすと、ぱち、という弾ける音と共に焔は一瞬だけ勢いを増し、やがて再び元の穏やかなものへと戻っていった。
     よし、と小さく呟きフィガロが細く長い指を振ると、かちゃかちゃと音を鳴らしながらカトラリーやテーブルウェアが奥の部屋から姿を現す。食材がふわふわと宙を飛び、テーブルの上に瞬く間に朝食の準備がなされていく。
     高級星屑糖とスノーシナモンを混ぜペースト状にしたバターをたっぷりと塗った香ばしい香りのバケット、マカロニ菜やベーコンをふんだんに入れ焼き上げた南瓜のキッシュ、芳醇な香りを燻らせる挽きたてのコーヒー。
     フィガロが古びた本を手に席に着くと、最後に飛んできた硝子のプレートの上で、真っ赤なりんごの皮がくるくると剥かれ始める。
     昨夜読み終えたところまでぱらぱらと勝手にページを繰っていく本に視線を向けながら、フィガロは金の縁取りが美しい三つ脚のロイヤルブルーのカップへと手を伸ばした。
    「……ふう」
     淹れたてのコーヒーからは白い湯気が立ち上り、沁み入るように体を温めていく。バケットをつまみ、ぺろりと口端についたバターを舐めながら、フィガロはふと本の一節に目を止める。かり、という香ばしい音を響かせ見つめる先には、掠れた胡桃色の文字でこう記されていた。

    霧の森の奥深く 水晶の洞窟の隠された部屋
    一等大きな水晶に その年一番の月光を当てよ
    輝きを増した水晶は 手にした者に祝福を与えん
    幽けき者に 英雄の力を
    儚き者に 永遠の命を

    「……それは祝福ではなく呪いだろう」
     興味を削がれたのか、はぁ、と大仰なため息をつくと、ぱちんと指を鳴らし本を閉じる。テーブルの脇へと置かれたその本は、赤茶色の皮張りの表紙に花の箔押しがされた古書。西の国を訪れた際に骨董店の店先に積まれていた本の山から仄かな魔力を感じ取り、手にしたものだった。
    「ここに至るまでの紀行書としては興味深かったのに、勿体ないことをする」
     そう呟いて顎に手を当て暫し思案すると、気怠げに別の本を喚び出し、ぱらぱらとページを捲り始める。艶のあるスリーブに入れられた真新しい黒革製の本は、最近新しく購入した白紙の本。自身の描いた魔法陣や編み出した魔法を記すため、特殊な魔法とインクで記されている。
     幾重にも掛けられた魔法により、フィガロ以外には消すことも、書き足すこともできない。
     フィガロは天体図と魔法陣が描かれたページで手を止めると、一切れ取り分けたキッシュに手をつける。ワインが飲みたくなるな、とぼやきながら、しばし同じページを見つめた後に次のページを開くと、緻密な魔法陣で埋め尽くされたページを指でそっとなぞり、ゆっくりと魔導書へと意識を落としていった。


     円形のコンサバトリーが併設された書斎には、フィガロの守護の魔法が色濃く漂っている。星形のペンダントライトには、ステンドグラスやコカトリスの羽根であつらえた呪具がぶら下げられ、強固な守護の結界に更なる力を与えている。くるくると自動で回転するその呪具は、灯りを映し、組み木の床に色とりどりの淡い影を落とす。
     太陽光の代わりにあたたかなランタンが宙に浮き、温度の保たれたコンサバトリーでは、植物の培養や蝶の飼育がされていた。多肉植物や寒さに弱い砂漠地帯の植物は硝子製のテラリウムに入れられ、スノードームのようにきらきらと舞うあたたかな光に包まれている。
     コンサバトリーの中央では北の国では珍しい花々が蕾を付け、その周りをくるくると蒼い羽を持つ蝶が舞い、今か今かと花の綻びを待っている。
     こつこつと靴音を高く響かせ、フィガロは書斎の扉を開けながら、オーケストラの指揮者のように軽やかに指を三度振る。フィガロの指の動きに合わせ、ペンダントライトが調光され、本棚から数冊の本がばさばさと飛び机の上に整然と並べられ、ターコイズのガラス製ゴブレットには群青レモンの輪切りを浮かべた雪解け水が注がれていった。
     フィガロは肘掛け椅子にゆっくりと腰を下ろし、机の上に並べられた数冊の本の背表紙を指でそっとなぞる。フィガロの指が触れた本はふわりと宙に浮かび、ぱらぱらとページが捲られていく。
     精巧な植物の挿絵が描かれた薬草学の本、世界地図や細かな分布図の描かれた地学書、びっしりと賽の目のように古代文字が並ぶ歴史書……それらを目で追いながら、フィガロは黒革の本を取り出し細く整った文字で何かを記していく。時折、ふわりと羽根ペンを浮かせては指を口元にやり、考えを巡らせながら魔法陣や数式を走り書きしていく。
     この季節には珍しく窓の外は比較的穏やかで、時折窓を叩く風雪の音と森の樹々が揺れる葉擦れの音、それに合わせて踊るように奏でられる羽根ペンのかりかりという音以外は、何も聞こえない。
     朝から忙しなく行き交っていた精霊たちも、今は大人しく午前の穏やかな白い光に溶け、姿を消していた。
    「……あぁ、もしかして」
     フィガロは本から視線を上げると、壁際の飾り棚へと視線を送りながら、ぱちんと指を鳴らす。ぎぃ、と鈍い音を立てて開いた扉から、メノウ製の乳鉢と乳棒、小さな鍋とガラス製の持ち手の付いた薬瓶、薬草や石の入った小瓶がかちゃかちゃと高い音を鳴らしながら飛び出して机の上に並ぶ。
    「……やはり満月草と月長石を切らしてたか」
     空の小瓶を手に取り軽く振りながらため息をつくと、手早く目の前に並べられた材料と器具を魔法で元の場所へと戻していく。フィガロはゆっくりと脚を組み替え、暫し思案した後、再び羽根ペンを手に取り違う数式を本の隅に書き込み始めた。


     ゴブレットに伸ばそうとした手をふと止め、フィガロは部屋の外へと意識を集中させる。屋敷の結界に歪みはない。しかし微かに感じる、魔力の揺らぎ。すう、と実りの榛色の瞳を細め、周囲の魔力を探知する。
    「……今日は来客の予定はなかったはずだ」
     フィガロは小さく舌打ち、深々と息をつきながらゴブレットの縁を、つう、と指でなぞる。そのまま手に取りこくりと喉を潤し窓の外へ視線を向けた刹那、禍々しい魔力のかたまりが屋敷の周りに張られた結界に跳ね返された。
     ばちばちという耳障りな音と、何かが凍りつく音、それを溶かす轟々という炎の音。部屋の中からでもわかる外の喧騒に、フィガロは大仰なため息をつく。
    「はぁ……面倒なことは好きじゃないんだけどな」
     同時に、蒼い光を放つオーブを指先に浮かべ不敵な笑みを浮かべると、フィガロは風を操り屋敷の周辺に旋風を巻き起こす。風に抗うように縦横無尽に空を翔ける魔力のかたまりは、円を描くように空を翔び、屋敷の結界を破ろうと光弾を四方に放っている。
    「……随分諦めが悪いな。俺を誰だと思ってるんだ?」
     椅子から立ち上がり窓際まで歩いていくと、空を飛ぶ魔力のかたまりを視界に捉え、さらにオーブに冷たい魔力を込めていく。
    「《ポッシデオ》」
     詠唱と同時に、先程巻き起こした旋風を囲うように幾筋もの小さな竜巻が生み出されていく。じわじわとにじり寄る竜巻に抗おうと障壁を張り堪えていた魔力のかたまりは、やがて、箒のバランスを崩し、今度は結界に跳ね返されることなく窓の外の雪上へどさりと着地した。
    「いったたたた……」
    「暴れて気が済んだなら、さっさと帰るんだな」
    「ちょっと、随分ご挨拶じゃない?」
    「よく言う、そっちから仕掛けておいて」
     雪まみれのローブを両手ではらいながら身を起したのは、黄金色の豊かな髪に黒の大きなつばの帽子を被った魔女。先程までの攻防は嘘のように、春の日差しのような屈託のない笑顔を浮かべ、ひさしぶりね、と笑う。
    「フィガロ、あなた最近見かけないなと思ってたけど、こんな森の奥で隠居するのは流石に早すぎるんじゃない?」
    「おまえはもう少し落ち着いたほうがいいよ、チレッタ」
     あはは、と豪快に笑うチレッタと呼ばれた魔女は、ふわりと窓をくぐり遠慮なくフィガロの書斎へと入り込む。くるりと部屋を見回すと、動きに合わせて長い髪と紫色に星空を散りばめたローブがふわりと舞う。そのままこつこつと高いヒールの音を響かせコンサバトリーの入り口へ向かい、腰を屈めてテラリウムの花にそっと手を伸ばした。
    「ねぇフィガロ、最近何か面白いことはない? 面倒ごとでも厄介ごとでもいいけれど」
    「面白いことなど何もない。敢えて言うなら、おまえに今日の予定を狂わされてうんざりしてるところだ」
    「あはは! いいじゃない、別に減るもんじゃないんだし。どうせ私たちまだまだ何千年も生きるんだから、今日やりたかった事なんていつでもできるわよ」
     何がしたいの? 私が付き合ってあげようか? と笑うチレッタを一瞥して、フィガロは深々とため息をつく。チレッタはというと、そんなフィガロの様子を気に留める事なく、帽子を脱ぎ金色の豊かな髪をばさりとはらい、耳元で揺れる緑色の宝石の付いた大振りなピアスを付け直している。
    「……おまえは本当にしぶとそうだ、チレッタ」
     ぱちん、とフィガロが指を鳴らすと、来客用のテーブルセットが部屋の中央のペンダントライトの下に姿を現した。ロイヤルブルーと金の縁取りが美しい、蝶の羽を象った取手のカップにお茶がなみなみと注がれていく。ありがと、と微笑みを浮かべ、チレッタは揃いのシュガーポットから形のいいシュガーを摘み、ぼとぼととカップの中に落としていく。
    「……あんたもこうやって他人の世話焼きながら、なんだかんだしぶとく生きていそうよね」
    「……他に言い方ないの、おまえ」
     フィガロは脚を組み替え羽根ペンを手元でくるくると回しながら、呆れたように眉を下げて笑う。ぱちんと指を鳴らしお茶をカップに注ぎながら、何か言いたげなチレッタへと視線を送る。
    「ふふ、私は面白い話、持って来たわよ? ねぇフィガロ、ちょっと私と出かける気、ない? 霧の森の奥まで!」
    「……まさか水晶じゃないだろうな」
    「さすが、あんたなら知ってると思ったのよね! どう? お宝探しに付き合わない? 取り分は……まぁその時決めるとして」
    「嫌だよ。そんな眉唾ものの宝に興味もないし、まずおまえが宝を前にして譲る筈がない。それに、大抵のことはおまえ一人で大丈夫だろう。話し相手が欲しいのなら弟子を連れて行け」
     フィガロは呆れたように脚を組み替えながら頬杖をつき、深々とため息を漏らす。軽く指を鳴らし、赤茶色の皮張りの表紙に花の箔押しがされた古書を手元に喚び、ぱらぱらとページを捲っていく。
     チレッタはというと、テーブルの上に並べられたドライフルーツの乗ったカップケーキに豪快に齧り付き、両手に付いたクリームを舐めながら、至極つまらそうな声を上げる。
    「……連れないなぁ、あんたにも断られるなんて」
    「なに、とうとう弟子にも愛想尽かされたの?」
    「違うわよ、この時期は渡し守の仕事が忙しいんだって。寒さが厳しいから仕事も増えるんでしょう」
    「なるほどね、じゃあ俺も忙しいから一人で行っておいで」
     土産はいらないよ、と言って手元の本を開いたままチレッタの前に投げ置くと、腕を組み椅子へと深く座り直す。本の一節を目に留めたチレッタは、ありがと、と笑い、汚れた指を魔法で拭い、本を手に取り立ち上がる。
    「仕方ないなぁ、次は付き合ってよね。どうせお互い暇なんだから、たまにはいいでしょ?」
    「嫌だよ、他を当たってくれ」
    「オズなら一緒に行ってくれたりしないかな?」
    「……おまえ、正気?」
     チレッタはフィガロの表情に、あはは、うそよ、と豪快に笑い返しながら、美しい羽根のついた箒を取り出す。靴音を鳴らし窓へと近づくと、天候を探るように空を見上げ、今日は珍しくいい天気だし絶好の冒険日和ね、と笑う。
     厚い雲に覆われ、時折吹く風が窓に雪を打ちつけていた空は、次第に明るさを湛え、雲の隙間から幾筋もの光が漏れていた。烟ったような薄日の差す空には、羽毛のように、ひらひら舞う雪がその身を踊らせていた。
    「チレッタ」
    「……なぁに? やっぱり一緒に行く?」
     ゆっくりと振り返ったチレッタは、魔女帽のつばの歪みを直しながらにっこりと微笑む。ちゃり、と帽子につけられた金細工の宝石飾りが心地よい音色を奏でる。
    「行かない。俺は切らした素材を取りに行くだけだ。……麓の街までは付き合おう」
     フィガロは椅子から立ち上がり、夜空を映した闇色のローブをばさりと羽織り、海の色を映したオーブの煌めく箒を取り出す。フィガロが小さく呪文を唱えると、部屋が整えられペンダントライトの灯りがゆっくりと消えていく。コンサバトリーに浮かぶランタンだけが、あたたかな灯りを灯していた。
    「あんたのそういう付き合いのいいところ、嫌いじゃないわよ」
    「俺はおまえの強引なところが好きじゃないけどな」
     決して褒め言葉ではないフィガロの言葉に、チレッタは嬉しそうに声を上げて笑うと、部屋の窓を開け放ち空へと勢いよく舞い上がる。くるくると踊るように光の尾を振りまきながら、華やかに、自由に、空を泳ぐ。
     フィガロは、やれやれ、と眉を下げ苦笑しながら、空を、見上げた。おぼろな光が密やかに森の樹々を照らし、銀色の彩を散らす。誘われるように集まってきた精霊たちが、フィガロの周りで揺らめいている。きらきらと淡い光が周囲を包み込み、ふわり、そのうちのひとつが動く度に硝子の砂が流れるような心地よい音色が奏でられる。
    「少し留守にする、屋敷を頼んだよ」
     吹き抜ける風に、精霊たちの放つ煌めきを映したフィガロの髪が、淡く、空に歌い、空に溶けるように柔らかに、揺れて揺れて、煌めいていた。















     ──空を見上げる。
     鈍色の空は重く曇り、白い紗の向こうに透かし見えるはずの青い空は、その気配すら感じられない。遥か、地平線の彼方の雲と雲の繋ぎ目からは、微かに薄白い光が差しているのが見てとれた。
     フィガロは箒に腰掛け、微かな雲間から洩れる淡い光を見つめ、翠に揺れる灰色の瞳をそっと細める。吹き抜ける風は依然として霧のように空気を白く染め上げ、はらりはらりと粉雪が舞う。空の向こうの光に触れた冷たく凍える透明な空気も、次第に白く淡く濁っていった。
     気怠げに脚を組み、両の手を箒の柄についてふわふわと滞空しながら、フィガロは小さな声で詠唱をする。それは呪文か譜か、まじないか。静寂の中、耳をそば立てても聞き取れないほどの絹糸のような声音でふわり、まるで紫煙を燻らせるように穏やかな音を紡ぐ。
     誘われるようにやわらかな風が辺りを吹き抜け、フィガロの周りを淡い光が包み込む。人差し指をそっと曲げ、まるで止まり木のように目線の高さに差し出すと、淡い光の靄がフィガロの手の上でゆらり揺らめき、舞い踊る。その様子にフィガロは、ふ、と微笑をこぼし手のひらを空に向け、ふう、とやさしく息を吹きかける。
    「……さ、行こうか」
     溢れ出す魔力を隠すように、フィガロの纏う空気がやわらかで穏やかな馨で満たされていく。夜空を纏ったローブに冷たく差すような魔力を隠し、フィガロは空を蹴って軽やかに振り返ると、眼下の街へとふわり、徐々に箒の高度を下げていった。


    「さぁさぁ見ていってくれ! 今日は仕入れたばかりの貴重な品ばかりだ。世にも珍しい一角獣の角、ドラゴンの肝、マンドレイクにサラマンダーの血液がたったの……」
    「それ、樫の木の枝と牛の肝臓、月光樹の木の根に安物の果実酒だから気を付けた方がいい」
     フィガロはこつこつと靴音を鳴らしながら怪しげな露天の前にできた人集りに近づくと、聞こえよがしに歌うように軽やかに声を掛ける。自分を睨み付ける店主を流し見ると、くすりと不敵な笑みを返しながら、悠然と夜空を映した闇色のローブを翻す。
    「っくそ、覚えてやがれ!」
     先程、街の外で施した認識阻害の魔法は十分に効いているらしく、自分が一体誰に舌打ちをしたのかもわからないままに、露店の店主はぼそぼそと悪態を吐きながら麻布の上に広げたがらくたを仕舞い始めた。
    「……いつまで経っても変わらないな、街も、人も」
     ざり、と凍った道を踏み締め、フィガロは白に覆われた街をぐるりと見回す。この街では時折、今日のように天候の落ち着いた日には、街の中央にある広場でバザールが開かれるのが習わしだった。小さいながらも廃れることなく北の地で細々と栄え続けるこのシルワの街は、数少ない商人たちの拠点にもなっている。
    「なぁそこのきれいなお兄さん、寄っていかないか?」
     フィガロが呼び込みの声に気怠げに振り返ると、そこには豪奢な絹織物のストールを肩に掛けた異国の商人が、ヤニのついた歯を見せて笑みを浮かべていた。天幕の軒先にクリスタルのサンキャッチャーをぶら下げ、絹の敷物の上に硝子製のテーブルウェアを所狭しと並べている。
    「……へぇ、よく出来ている。東の職人の仕事だな?」
    「お目が高い! 何代も続く東の職人に無理を言って作らせた逸品さ。ほら、これなんか綺麗だろう?」
     商人の指差した亜麻色の硝子製カップには目を向けることなく、ずらりと並ぶ品々の中でも特に澄んだ発色の碧翠のカップを手に取る。流れるような透かし模様のリボンを象った金の縁取りに、括れた脚付きのシルエットが美しい。そっと持ち上げて光に翳すと、サンキャッチャーの光を受けて透けて見える向こう側の世界を七色に映し出し、艶やかに煌めいた。
    「あぁ、それはこの世に二脚とない……」
    「これを貰おう、気に入った」
     蘊蓄を述べようとした店主を遮って、フィガロはじゃらりと砕けたマナ石のかけらを陶器のボウルの中へと投げ込む。ひゅ、と声にならない音を喉から出したまま動きを止めてしまった店主には目もくれず、そのまま指を鳴らし満足げに一対のカップを手にすると、そのままバザールの反対側へと軽やかに歩き出した。
    「ふふ、たまにはこうして出掛けなければ、掘り出し物には出会えないものだな」
     艶やかな煌めきを放つカップを手の中で弄びながら、フィガロは立ち並ぶ露店へと目を向ける。雑踏の中、品定めするように天幕ひとつひとつを眺めながらぱちんと指を鳴らしカップをどこかへ仕舞うと、やがて、中でも一等古めかしい、硝子瓶や紙の包み、真空管や羊皮紙の切れ端を帆布の上に無造作に並べた薬草店へと歩み寄った。
     天幕へと近づくと、高く積まれた数百種の薬草が混じり合う独特の香りに迎えられる。店主はというと、フィガロがそばに立っているのを気にも留めず、一心不乱に年季の入った鼠色の薬研で薬草を挽いている。
     フィガロが腕を組んで目を細めながらしばし薬草の山を眺めていると、薬研車を滑らせる手はそのままに、漸く店主が上目遣いに顔を上げた。
    「……何が欲しいんだい」
    「満月草が欲しかったんだが、置いていないようだな」
    「……あぁ、悪いが今切らしてるんだ。何に使うんだ? 代わりになるような薬草があればそれを持って行くといい」
     店主はそう言って再び薬研に視線を戻すと、ごりごりと鈍い音を響かせながら、乾燥させたバーベナの葉とクマツヅラの花芯を細かく念入りに挽いていく。フィガロは目敏くその二種の薬草の配合を見留めると、態とらしく顎に手を当てふわり、首を傾げた。
    「悪霊でもどこかに出たのか?」
    「……はは、この山の中に満月草がないとわかるほど聡いあんたにゃ、わかっちまうか。……最近ここらじゃ噂になってるんだが知らねぇか? このままだと他の薬草の在庫まで尽きちまう。そろそろ出掛けないとならねぇからな、まじないがわりに──俺はまじないを使えねぇが──まぁなんだ、気休めに持って行こうと思ってな」
     そう歯切れ悪く呟くと、細かく砕いた薬草の粉末を古びた硝子瓶に詰め、麻紐を巻いて腰のベルトへと括り付けた。瓶の中の粉は特段それらしい光を放つでもなく、ただ静かに干からびた色を透明の瓶に映している。
    「……それで、噂っていうのは? バーベナとクマツヅラの花芯は、人間が悪霊祓いに使うものだろう?」
    「あぁ。確かな話はわからないが、なんでも亡霊が出るらしい。俺も半信半疑だったんだが、このところ森に入ったまま様子のおかしくなるやつがいるらしくてな」
    「森というのは、街の西のあの森のことか?」
     シルワの街の西へ続く道の先には、鬱蒼とした針葉樹林の森が広がっている。背の高い木々は皆一様に白に覆われ、時折吹く風に細い枝を揺らしている。
    「ああ、お前さんの言う通りこの街の裏手にあるシルワの森だ。森を少し奥へ進むと、古びたニンファエウムの遺構があってな。その周りだけ草花がよく育つんだ。いつもそこへ薬草を採りに行くんだが……」
    「そのニンファエウムに亡霊が出る、か。……しかし驚いたな。この街には何度か来たことがあったが、まさかあの森にニンファエウムが残っていたとは。かなり昔のものだろう?」
     フィガロがそう言葉を続けると、店主は片膝を立て白の混じった顎髭を撫で回しながら頷いた。風に揺れる薬草がかさかさと音を立て、フィガロのローブの裾飾りがかちゃりと心地よい音を奏でる。
    「街中で噂になるほどのことならば、どこかに亡霊を見た者がいるのか?」
    「いや、噂の出どころがわからねぇから、実際に見たことがあるやつに俺は会ったことがねぇんだ」
    「……そう」
     そう言って森に続く道を見つめたまま何も言わないフィガロを盗み見ながら、店主は手持ち無沙汰に腰に下げた硝子瓶を弄り、大きくため息を吐く。暫くすると、がさがさと雪崩を起こした薬草の山を整えながら、痺れを切らして背を向けたままのフィガロに声を掛ける。
    「さ、どの薬草にするんだ? 同じような効能なら……」
    「いや、自分で採りに行こう。今の時期なら満月草が自生している時期だろう? ……安心しろ、お前が商売に困るほど採りはしないさ」
    「まさか、あんた一人で行く気か? 何があるかわからねぇんだぞ?」
    「俺を誰だと思ってるんだ。…そうだな……逢魔時にここから西の空を見上げて。そこに何か合図があれば、明日、薬草採りに出掛けるといい」
     口を開けたままぽかんと不思議そうな表情を浮かべた店主に笑い掛けると、フィガロはそのまま踵を返す。細い背に揺れる青灰の緩やかな髪を見つめながら、顎に手を当てて何か思案していた店主の表情が、みるみるうちに青白いものへと変わっていく。
    「……青灰に淡く白の差した海の色を映した癖のある髪……翡翠のように煌めく瞳孔……まさか、あ、あんた……」
    「《ポッシデオ》」
     髪をふわりと揺らしながら、ゆっくりと振り返ったフィガロの翠を宿した瞳と目が合った瞬間、店主は意識を手放し、くたりと薬草の山に埋もれ、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠りについた。
    「人間のくせに俺の認識阻害を破るなんて、珍しいこともあるものだ。……薬草のせいか? まあいい、許してあげる。貴重なニンファエウムの情報料だ」
     フィガロはそうひとり呟くと、踏みしめられた雪が氷のように固くなった広場の道から逸れ、新雪が続く西の森への道に足を向ける。途中、背後から薬草店の店主がくしゃみをする音が聞こえフィガロが振り返ると、むにゃむにゃと何かを呟きながら、再び薬草の山へと身を沈める姿が見てとれた。
     フィガロは口元に細い指を当てるとくすくすと笑みをこぼし、再び歩を進めていく。そして、歌うように軽やかに、本人には届くはずのない声音で言葉を、言祝ぎを紡いだ。
    「……おやすみ、いい夢を」


     シルワの森へと一歩踏み入れると、そこはまるで蒼い氷で満たされたように、凛と澄み切った空気に満たされていた。雪道を踏みしめる足音と、時折吹き抜ける風の音、風に煽られ擦られた葉の音、枝から雪がどさりと落ちる音が、フィガロの耳を擽っていく。ひとたび天上を見上げれば、そこには生い茂る樹々の枝が、互いに絡み合うように鬱蒼と広がっていた。
     天を覆うような大樹の根が、雪を掻き分けるうねりのように道の中程まで広がっている。天に枝を差し伸べた樹々によって明るい空は隔たれ、微かに樹々の隙間から木漏れ日が白んでいる。
     風に吹かれて老樹が葉を振るい、纏った白を揺り落としていく。樹皮に裂け目の入った樹には青い苔が生い茂り、その横の老樹は根元に大きな穴倉を広げている。フィガロがそっと近づくと、穴の奥から、キィ、という甲高い小動物の鳴き声が聞こえてきた。
    「……ずいぶん穏やかな森だな。北の森にしては珍しい」
     フィガロがそっと手を伸ばし魔力を込めると、淡い光が靄のようにふわふわと集まってくる。従えずとも傅くように自身の周りを飛び交う精霊たちに翠緑の瞳を細め、フィガロは顎を上げてくすりと笑う。
    「なぁに、お前たち。俺と一緒に行きたいの?」
     森の入口からずっと、着いて来ていただろう? と問いかけるフィガロの差し伸べた手に、戯れるようにくるくると絡みつく光は、やがて、小さな青い鳥の姿に形を変え、ぱたぱたとフィガロの手の上へと降り立った。
    「……いいよ、おいで」
     気まぐれにそう答えると、フィガロは、きゅ、と新雪を踏み鳴らしながら、森の奥へと進んでいく。名も知らぬ大きな樹林が細い道の両脇に聳え、道を塞ぐように張り出した根には覆い尽くすように白い雪が降り積もっていた。
     程なくして、フィガロは目の前に現れた白い神殿の前でゆっくりと足を止める。瀟洒な装飾の施されたそれは、荘厳な空気を纏いながら、森の奥に静かに佇んでいた。大理石の支柱には枯れた蔦が巻きついて、彫刻を覆い隠している。フィガロが細い指をそっと振ると蔦が霧散し、細い切り込みの入った古代文字の石碑が現れた。
    「へぇ、ずいぶんと立派なものだな」
     神殿前の白く凍りついた階段に向けてフィガロが呪文を唱えると、しゅうしゅうと湯気を立てながらじわりと溶けて、溶けた氷に半ドームの白い屋根が映り込む。かつん、と靴音を響かせながらフィガロは円柱へと近づき、細い指でゆっくりと文字を辿りながら神殿の歴史へと耳を傾ける。
     さわさわと耳に届くのは、木の葉の擦れる音か、精霊のざわめきか、はたまた古の歌声か。程なくしてフィガロは碑文から目を上げ、くるりと神殿内部を見渡していく。半円形の壁面には、白い鈴の花の彫刻が其処彼処に施されていた。
    「……神像がなくなっているな。祝福が施されていた痕跡があるのにここまで朽ちているのは、恐らくそのせいか」
     神殿中央の壁面前に置かれた水盆に映るはずの神像が失われ、壁の内部がむき出しになっている。フィガロは水盆へと歩み寄ると、小さく指を鳴らし、乾涸びたそれを青く澄んだ水で満たしていった。波紋の広がる水盆は、澄んだ空のように何処までも透明な青を湛えている。
    「おまえたちの神像は作ってやれないけど、この水は枯れないよ。ここで好きに戯れるといい」
     フィガロに絡みついていた精霊たちは、嬉しそうにその身を震わせ、水盆の上でくるくると舞い踊る。精霊たちの放つ星屑のように煌めく光が青い水に反射して、辺りを不思議の力で満たしていった。
    「しかし、亡霊の気配はないな。街から探知した時も、強い魔力は感じられなかったけれど。……てっきりどこかのそそっかしい魔女が、呪具か何かを置いていったとか、そんなオチだと思っていたんだけどな」
     どうやら見当違いだったらしい、そう言って口端を上げると、踵を返し神殿の裏手に佇む泉へと向かう。この泉に住む精霊の王を祀ったのが、恐らくはこのニンファエウムの遺構だったのだろう。泉の周りを囲むテラスの円柱が、神殿の円柱と同じ古代文字で埋め尽くされている。
    「……どの時代も、人間は神に縋るのが好きだな」
     翠に輝く瞳孔を細めながら、フィガロは泉の水へと視線を向ける。しん、と静まり返った泉は、ただその透明な輝きを湛え、静かに森の樹々を映し出していた。澄み渡った水底には、青い花をつけた植物がその身を妖しげに揺らめかせている。
    「……あれはまさか、」
     深い青や水色、薄紫の花びらを水の中で咲かせ、まるで水中を泳ぐイルカのようにゆらゆらと花びらを踊らせている。フィガロは泉のそばにそっとしゃがみ込むと、顎に手を当て瞬きを二、三度繰り返し、ふわり、眉尻を下げた。
    「デルフィニウムの花……これが人間に亡霊を見せたのか」
     水中の美しい花は、ただ、華やかで涼やかな彩を広げ、その香りを地上に届けることなく咲き誇っている。木漏れ日にも満たない淡い光が泉の水面に光の影を落とし、きらきらと燦めきを映し出す。光を映した青の花は、氷のように冷たく凛々しい美しさを湛えていた。
    「……大方、喉の渇きを潤すのにこの泉を飲んだ人間が、この花の持つ幻覚作用で亡霊を視たんだろう。……この手の話はどこへ行っても、いつの時代も、つまらないオチばかりだな。まあ、でも、」
     フィガロは膝についた汚れをはらいながら立ち上がると、目の前に広がる泉の花畑を見下ろし、ふ、と目元を和らげた。
    「この眺めは悪くない」
     フィガロが穏やかな笑みをこぼすと、辺りを漂っていた光の靄が踊るようにふわふわと纏わり付いていく。フィガロは、おいで、と小さく囁きながら泉の脇の円柱のそばに腰掛け脚を組むと、気怠げに頬杖をつき泉の煌めきに視線を落とした。
    「……呪いまがいの祝福の石よりも、その美しさと馨りで人を惑わす花の方が、余程いい。ただそこに在るだけで万人を惑わすなんて、そんなの、まるで、」
     そこで言葉を切り、フィガロは微かに唇だけを動かし、眉を下げ頼りなく笑う。光を追って目線の高さに伸ばされた細い人差し指に、ふわり、蝶の姿を象った精霊が淡い光を煌めかせながら、ひらひらひらひら舞い踊り、戯れるように降り立った。

     どれくらいの時間が経っただろうか。泉に落ちる淡い光が、徐々にあたたかな色をつけ始める。フィガロは泉のそばで摘んだ満月草を手の中で弄びながら、古い譜を口ずさむ。ふわり、肩に乗る鳥の姿の精霊に目を向けくすりと笑みをこぼし、漂う光に誘われるままに、足元に傅く精霊たちを翠緑の瞳孔がゆっくりと見下ろしていく。
    「そろそろ、頃合いかな」
     淡く夕闇を映し始めた泉に向け、フィガロは絹糸のような小さな声音でその音を紡いだ。

     ──《ポッシデオ》

     フィガロが呪文を唱えると、ゆらりと震えた水面に、徐々に淡い光が集まっていく。ゆっくりと走っていく水面の精霊の閃きが、瞬きをするかのようにふるりと水中の花影を揺らす。刹那、水晶のような透明の水面が光を反射する鏡のように煌めき、そして、ゆっくりとまた、穏やかであたたかな彩を取り戻していった。
    「これでもう、亡霊は現れないよ。……過分な施しに感謝するんだな」
     そう誰にともなく呟いたフィガロは、気の向くままに枝を伸ばした樹々に覆われた空を、ふわりと見上げた。滴るように白を纏った樹々は、天を飾る大海のように広がっている。手を額の上に翳し、葉と葉の隙間に微かに見える夕闇の薄紫の光に向け、フィガロは空を切るように、その細く長い指で鮮やかな魔法陣を描いた。
    「……さあ、始めようか」
     耳を聾するほどの炸裂音とともに、空へと泳ぐ樹々の梢を掻き分け、フィガロの放った眩い光が飛び立っていく。天を覆う枝葉の向こうに、夢のように儚い華が、咲き誇る。刹那の輝きに彩を乗せ、空いっぱいに星の雫の煌めきが広がっていく。
     ──大輪の雫が、空を舞う。
     こぼれ落ちた雫がはらはらと泉に舞い落ちて、やがて、しんと静まり返り、透明で静謐な空気が広がっていく。
     ざり、と地面を踏む音を響かせて立ち上がると、フィガロはニンファエウムを振り返り、周りに漂う鱗粉のような淡い煌めきに小さく囁いた。
    「ほら、おまえたちもいつまでもそんなところに傅いてないでお帰り。……用が済んだから、俺はもう行くよ」
     誘われるようにやわらかな風が辺りを吹き抜け、フィガロの周りを淡い光が包み込む。人差し指をそっと曲げ、まるで止まり木のように目線の高さに差し出すと、淡い光の靄がフィガロの手の上でゆらり揺らめき、舞い踊る。
     精霊たちの煌めく光はふるりとその身を揺らし、連なるようにして朽ちたニンファエウムへと誘われていく。はらはらと舞う光の影が、空に咲いた華の名残のように、白く染まる道に彩を零していく。
    「……おやすみ、いい夢を」
     フィガロは、ふ、と目元を和らげると、夜空を映した闇色のローブを翻し、夕闇の空へと消えていった。







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    まほfes開催おめでとうございます…!
    そしてここまでお読みくださりありがとうございました。

    フィガロの生きる2000年の刻に魂ごと掴まれています。
    彼の生きた日々を想像しては、苦しくなって、切なくなって、だからこそ、なんでもない穏やかな日常があってほしいといつも夢を見ています。

    どんな暮らしをして、どんなものを食べて、なにをして、なにを考えて、どこへ行って、誰と関わって、何を感じて、人間とどう関わって、どんな美しいものを見て、何に心を寄せて、心を隠して、彼の時を刻んでいたのか、ほんの少しだけ想像して、覗いてみたおはなしでした。
    わたしだけが楽しいおはなしでしたが、お付き合いいただきありがとうございました。

    どうか彼の望む日々が、未来が、これからもずっと、続いていきますように。

    せら
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    ce_ss111

    DONE『氷華、祈りて捧ぐ』
    世界征服時代オズフィガ
    *2021.9.21発行『泡沫、徒花、みちとせ』、2022.7.24発行『散花の調べ』と同じ時間軸、一部再録あり
    *フィガロの口調が公式情報(spoon.2Di vol.80)と異なります。前述の作品内容との整合性から修正をしていません、ご容赦下さい
    *メインスト2部・4周年ストの内容を一部含みます
    *メリクリじゃないいつものでごめんなさい…
    氷華、祈りて捧ぐ 白の空気は寥々として澄み渡り、ちぎれた雲からはらはらと落ちるように雪花が舞う。風に煽られた羽織りがひらりと翻った拍子に、ひとつにまとめられた冬の海の色を映した癖毛がふわりと揺れる。紗をかけたように白く塞がれた空に映えるその色は、毛先が淡く透けて空の色を映している。
     空は雪音を吸い込むような白に染まり、薄っすらとその白に淡紫色の朝の光を滲ませて、吐息を集めるように風が雪を踊らせていた。微睡を残したままの空の端には、きらり、夜の名残の煌めきがその光を湛えていた。
    「……意味なんてなくても、いつか終わるその日まで、」
     バルコニーの手摺りに凭れ掛かり空を見上げていたフィガロは、そっと手を伸ばし、広げた手のひらに落ちる星屑のような雪の欠片を見つめていた。防寒魔法の掛けられた白くあたたかい手のひらの上で、雪の結晶がはらりと咲いて、咲いて、じわり、溶けていく。
    6647

    ce_ss111

    DONEフィガロと精霊と北の国のおはなし
    フィガロ中心  小説


    *双子の屋敷を出たあと世界征服時代よりずっと昔
    *北に居を構えたフィガロのなんでもない朝のひとときをほんの少しだけ覗いてみました
    *CPなしで名前のあるキャラの登場があります


    *フィガロが森を散策したり、箒で空を飛んだり、森や泉を訪れるなんでもない日常のひとときを覗いてみました





     北の国の雪深い森に、目覚めの光が密やかに語りかける。宵闇の空の縁が仄かに白く色付く時、ゆっくりと光をその身に馴染ませるように、夜明けが闇を溶かし始めた。森の木々は真白な衣を纏い、時折吹き荒ぶ冷たい風に、その身をゆらゆらと燻らせている。
     屋根を滑る雪の音色が、静かな朝に歌うように響き渡る。まもなく聞こえたどさりという雪の落下音に、んぅ、と掠れた声を漏らしながら、フィガロはふんわりと膨らんだ羽根布団の中で身を捩った。
    「……、」
     この氷風吹き渡る季節には、この地を燦々と照らすあたたかな太陽が登るわけではない。厚く重たい雲が覆う空の向こう側に、音もなく静かで冷たく濡れた朝がゆっくりと登ってくる。じっくりと白んでいく空は、やがて、世界を乳白色に染め上げていく。
    15816

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