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滅多に目を合わせてくれないティルが珍しくイヴァンを呼ぶ
何かと思って近づくと紙束を渡される
よく見るとティルが書いた楽譜だった
どうして渡したのか問うと「お前にやる」と言われる
何故急に渡されたのか理解ができなかったイヴァンは没になった楽譜を自分に押し付けたのではないかと考えつきティルを揶揄う
するとティルは凄い勢いで怒る
どうして怒ってるのかと思っていると「お前用に作った曲」とティルに告げられる
困惑していると「要らねえなら返せ」と言われる
ティルからちゃんとした何かをもらえるとは思ってなかったので暫く固まっていたけれど、何も答えなければこの話もなくなると思い、やっとのことで「欲しい」と言う(イヴァンは素直じゃないからもっと遠回しに欲しいって言うと思うけど)
ティルが自分に曲を作ってくれたと言う事実に困惑してその日は何も手がつかない
脳がごちゃごちゃしてて思考がうまく回らない
同期の人間やセゲインに具合が悪いのかと心配される(そんなことないと上手くかわすイヴァン)
次の日やっと頭が落ち着いたので楽譜を持って人が来る心配のない倉庫まで行く
昨日はもらった衝撃が強すぎて内容を見ていなかったので今日こそちゃんと読もうと思う
改めてティルから贈り物という経験がないし、それがティルが得意とする作曲の品となるとやはり目を通すのにもドキドキして落ち着かない
普段字が乱雑で読めないティルにしては他人にあげるものだからなのか比較的綺麗に丁寧に音が割り振られているのに気づく
そしてそれが曲のみではなく歌詞もついてることに気づく
歌詞を読んでみると家族のような親しい誰かの幸せを願うような内容だった
ティルらしく歌詞は少し詩的でロマンチックな表現が多く、現実主義な自分には少々合わない言い回しだなとイヴァンは感じる
ただ珍しくミジへのラブソングではないことに驚くと同時にミジへの恋歌を渡された訳ではないことにほっとするイヴァン
ただ、音楽理論や考察系の授業に力を入れて勉強していてその方面には自信があるのだがティルが「イヴァンに」といった曲の歌詞はどのようなものであるのか理解が難しかった
ティルの交友関係を見てもミジ以外に特別な人間などいないし、ましてや進んで1人で居るようなティルに親しい人間が居るとは思えなかった
考えているうちにティルは人間ペットショップ出身だと言う事を思い出す
もしかしたらここにくる前にティルは家族と過ごしていた時期があるかもしれない…とイヴァンは思う
そうであるならこの歌詞はティルが会えない家族の幸せを願っている曲なのだろうと推察する
しかし、わざわざイヴァンにと渡されたのにイヴァンが知らないティルの家族の曲なのは意味不明だと首を傾げるイヴァン
ティルが生み出す曲の意味やティルについて知りたくて理論や考察の授業に力を入れていたはずなのにやはりこの曲についてはよく分からなかった
ティルが歌詞に書いてる親しい誰かがティルの本当の家族であるなら不可解な部分もあった
ティルの本当の家族なら会うことが難しいような記載があるのに、その親しい誰かは近くに居るような歌詞であるのだ
近くにいるティルの親しい誰かと言われてもやはりイヴァンが知る中では該当するものがいなかった
では、これはティルの本当の家族ではなくティルが空想する親しい誰かだろうか?と結論するイヴァン(ティルは1人で居るのに親しい存在を欲しているのか?となるイヴァン)
歌詞についてはこれ以上考えても何も分からない
イヴァンは考えるのを諦めてとりあえずティルが書いた通りに歌ってみることにした
楽譜を見た時にティルにしては随分低い音程で書いてあるなと思ったが、歌ってみると驚くほど歌いやすかった
ティルが「イヴァンに」と言っただけあってイヴァンにあった音程を選んで作ってくれた痕跡が感じられる
ティルの曲を歌えば歌うほどイヴァンの身体に馴染む……とても不思議な感覚だった
それと同時にティルは天才だと感じた
ただし曲の歌いやすさや馴染みやすさに反する自分宛ではない謎の歌詞の異質さが気になる
でも、ティルが自分に曲をくれたと言う事実がそれを上回るし歌ってると不思議と心があたたかくなった
暫くイヴァンは倉庫でひっそりとティルの歌を繰り返し口ずさんだりじっくりと楽譜を眺めたりした
後日、また珍しくティルがイヴァンに近づいてきた
近づいて来るわりに挙動不審で酷くドギマギした様子のティルに違和感を覚えるが、ティルに「お前、前にあげた楽譜どうした?」と言われて、ティルがあげた曲を歌って欲しがっているということを察する
ただすぐに答えられず沈黙してるとティルが慌てた様子で「別に何かあったとか気にしてるとかじゃねえから!」と早口で付け足す
ティルの慌てる様子がおかしくて思わず吹き出すとティルが「まさか捨てたとかじゃねえだろうな……」と疑いの目を向けてきた
するとイヴァンのティルに意地悪したい気持ちが急に湧き出てきて「ああ!あれか!だいぶ前に捨てちゃった!」などと口に出してしまう
勿論、ティルの楽譜は捨ててないしなんなら大事に保管している
真っ赤な嘘であるし、なんなら自分でもこれは照れ隠しも含むと自覚がある
そうするとティルの顔がみるみる赤くなりじわりと涙を浮かべながら「死ね!二度と曲なんて作ってやらねえ!」と叫んだ
そしてイヴァンが何か言う間も与えないまま走り去ってしまう
イヴァンがティルを楽譜のことで怒らせてしまった日から暫く経ったある日、ティルが珍しく神妙な顔つきで作曲に励んでる現場に遭遇する
作曲に行き詰まってると思いティルに声をかけるとティルに「お前にやる曲を作ってる」と言われる
ティルを泣かせたし怒らせたしなんなら「二度と作らない!」と告げられたのにまた作ると言い出すので困惑するイヴァン
「何で俺に?」と問うと「俺は天才なのに、俺の作った曲が気に入らねえってやつが居るなんて許せない」とティル
ごめんごめんとイヴァンが謝りかけると「だからお前を俺の曲で絶対ぎゃふんと言わせてやるんだ」と噛み付くのでは?という勢いで威嚇するティル
別に気に入らなかったわけでもないし、捨ててないし、なんならまだ手元に置いて大事にしてるんだけどもと思うイヴァン(ティルは捨てたと思ってるけど)
納得いってない様子で若干イラつきながら作曲をするティルを見ていると悪い事をしたような気分になる
そんなティルの様子を見ながらなんとなくあの時作ってくれた曲を口ずさんでみるイヴァン
ティルがハッとしてイヴァンを見ながら「それ…」と言う
「ティルがくれた曲だよ」とイヴァン
ただ小っ恥ずかしくなって「捨てる前に覚えたんだ」と付け足す
本当は捨ててない事を伝えるべきだったのに捨てたと言い放った事を上手く訂正することができない(素直になれない自分が心底嫌いだと心の中で思うイヴァン)
捨てる前に覚えたというのは嘘だし、なんなら見ないでティルの曲を完璧に歌うことができるのは穴が開くくらいティルの楽譜を読み込んで口ずさんで覚えたからなのに
イヴァンが歌ってくれたことに少し嬉しそうにしたティルだけど不機嫌そうな顔になって「でも捨てたんだろ?」と不貞腐れる
そして不満を隠さないまま「何が気に入らなかったんだ?」とイヴァンに問うティル
「え?」と声を上げると「気に入らねえ部分があるなら直すから」とティル
ほんの小さい声で「お前が喜ぶやつどうせなら作りたいだろ」と呟く
イヴァンは「気に入らないところなんて何にもないよ」と笑顔で言う
ただ気に入らないところはないというのは嘘だった
イヴァンはティルの曲を酷く気に入っていたが引っ掛かる部分があった
もちろん、あの曲の歌詞についてだった
イヴァンにとティルがくれたのに内容はイヴァンではなくイヴァンが知らない、そして関係のないティルの親しい人間についての曲だった
歌詞の人間はティルに気に入られていて幸せを願われていた
だけどもそれはイヴァンではなかったから、イヴァンは心底その親しい誰かに嫉妬した
だから、イヴァンが知らない第三者の曲ではなくイヴァンについての曲を書いて欲しかった
でも、そんな要望は口に出してはいけないと本能的に感じてぐっと喉の奥に隠した
ティルが気まぐれで自分に曲を作ってくれたのに自分に関する曲を作れと言うのは傲慢で浅ましい行為だと感じだからだ
だから、何も不満はなかったとイヴァンは答えた(嘘だけど)
「じゃあ何で捨てたんだ?」と言われるが「何でだろうね?」と笑顔で返す(まぁそもそも捨ててないが)
そうするとティルは目に涙をいっぱい溜めながら「絶対気にいる曲作ってやる!」と吠えた
「楽しみにしてる」と笑顔で返すイヴァン
イヴァンの答えを聞くや否や頭を抱えながらクソ!と口に出しつつ作曲に没頭し始めるティル
もう話しかけても没頭して答えないなと感じ、黙ってその様子を眺めるイヴァン
ティルの様子をみると捨てたなんて悪い事をしたなと強く自覚する
今度は捨てたなんて言わずにティルの前でちゃんと歌ってあげようと誓うイヴァン
後日、曲を完成させたティルに自信たっぷりな様子で曲を渡されるイヴァン
ティル宣言通り、前回渡された楽譜より洗練されたメロディラインが返ってきてティルは作曲の天才だと再確認させられるイヴァン
ただ歌詞に関しては相変わらずまたイヴァンの知らない親しい誰かに向けてのものだった
イヴァンは自分に関しての歌詞ではなかったことに落胆すると同時にやっぱり烏滸がましいなんて思わずにちゃんとティルに伝えるべきだったと後悔するのだった
イヴァンに向けた曲を作ったティルとそれが伝わらなくてモヤモヤするイヴァンの話