【BL】ぎんづら ぬるく温んだ布団の中に、ひやりとした気配が滑り込んできた。背中越しに感じる柔らかい布の擦れる音。
「……おい、ヅラ。どさくさに紛れて何してんだ」
「潜入の基本は偽装だ。今夜は“同衾”と洒落込むことにした」
小声で返すその声はやけに平然としている。銀時はわずかに眉を寄せたまま、天井を睨むように目を細める。布団は二つ並べて敷いてある。わざわざひとつに潜り込む必要はないはずだ。
が、すぐに思い至る。――こいつなりの合図だ。
「……気づいてるな?」
「気づいてないと思ってんのか?」
低く呟く。少しだけ身を起こしたその視線は、障子の向こうに意識を張っている。
微かな風の動きに紛れ込んだ、異物の気配――屋根、軒先、庭、複数の足音。
「何人いる?」
「三。外で待機が一、屋根に一、縁側に……もう一。報告役、狙撃、突入といったところか」
「……で?」
銀時は目を閉じたまま問う。眠るふりを崩さず、だが背中は微かに緊張していた。
障子の向こうに滲む、わずかな影。夜気に紛れた複数の足音が、屋根と縁側に展開していた。
だが、襖一枚を隔てているにもかかわらず、その気配は異様に薄く、それでいて濃い。殺気ではなく、訓練された“待機”の気配だ。
敵がこちらの様子を窺っているのは明らかだった。
「……おい、ヅラ」
隣の布団から、銀時の低い声が響いた。怒気も焦りもない、ただ面倒ごとを察知した時の、それ。
「刀どこやった やるなら――」
「お前の左だ。……上に乗るから、左側に俺を押し倒せ」
桂の返事は端的だった。身を滑り込ませてきた桂が、布団の中で銀時に重なるように身体を移す。
銀時が、わずかに目を見開く。
「……お前」
「まだ動くな」
囁きながら、桂の手が銀時の頬を撫でた。熱のこもった手ではない。冷静で、明確な意図を持った触れ方だった。
唇が触れる。
乾いたキス。深くも、長くもない。だが、“気を抜いているように見せる”には十分なものだった。
銀時の手が僅かに反射で動いたが、それより先に桂の指がその胸を押さえ、ぐっと体重をかける。
「……は?」
「演技だと言ったはずだ。合わせろ」
こちらから手は出すなってことかよ。
キスを終えた桂は、顔を銀時の喉元に落としながら、もう片方の手で彼の肩口に触れた。微かに力を込めて爪先を立て、あえて銀時の反応を引き出す。
「…っ」
――不意打ちで動けない、もしくは“何かしている”と見せかけるために。
障子越しに視線を感じた。刺客はまだ仕掛けてこない。こちらの様子を伺っている。
「……まるで夜這いだな」
「黙れ」
「まずいんじゃないの? 大将がそんな趣味だって言いふらされちまうぞ」
「よく言われてる。問題ない」
「は?」
「銀時」
名を呼ばれる声が、それまでとまるで違っていた。じゃれ合いはもう終わりだ、とでも言うように、張り詰めた低音が落ちる。
すぐにわかる。遊びの余白は、もう一切残されていない。
銀時の目がわずかに鋭さを増した。さっきの“よく言われてる”って何だよ、と言い返しかけたが、もうそんな間も惜しい。
「はいはい、」
同時に、銀時は桂の身体を体重ごとぐっと押し返す。強引ではない。だが、抗いようのない力加減で、桂の体は転がされた。
視線は合わせず、ただ外の気配に集中しながら、必要な“猥雑さ”を演出するために、背中をわずかに反らし、布団越しに動きを与える。
――この数秒、敵の目がこちらに釘付けになる。
狙いはそこだった。
銀時は何も言わない。ただ眉間に皺を寄せたまま、桂の左手が布団の下で柄に触れたことを感じ取った。
そして――。
障子が、滑る。
気配は沈黙の中に溶け込みながら、素早く上に乗った銀時の背後に迫っていた。
振り下ろされる切先、
桂は肘で体を支え起こしただ一点、侵入者を見据え
その喉元に向けて左腕を振り上げた――
ズンッ
鈍く重い音と共に、刀の柄が相手の喉笛を突いた。
「ぐっ……!」
しかし、寸前で体を引いたのか、刺客は一瞬苦悶の声を漏らしただけで間合いを取って後退し、庭の闇の中へと飛び出していく。
「逃すか!!」
桂はそのまま刀を抜き、足音も立てずに追いかけるが、外に出た時にはもう敵の姿は消えていた。
「……仕留め損ねちまってんの」
「黙れ」
桂が睨む。
一方で銀時は布団の中から欠伸をひとつ。
「ふぁあ……俺、眠いんだけど。もう寝ていい?」
「この家はまずい。囮用で、ガラ空きだ」
「お前なんつーとこに呼んでんだよ。警備スッカスカじゃねーか」
「お前が勝手についてきたんだろうが……来い」
桂は腕をつかむと銀時が文句を言う前に、強引に屋敷を出て裏手へと向かう。
そのまま建物の裏口にある隠し階段を抜け、二人は人気のない石畳の通路を進む。やがて、分厚い鉄扉の向こう、何重もの防壁に守られた地下の空間へと潜り込んでいった。
――そこで、ようやく桂は息を吐いた。
「ここなら、大丈夫だ」
ひんやりとした地下通路に、足音が二つ、静かに反響する。石造りの壁にはところどころ苔が浮いて、灯りの届かない奥にはまだ冷たい闇が残っていた。
銀時は口をへの字に曲げたまま、隣を歩く桂に視線を寄越す。
「ったく……どんな寝床だよ。屋敷って呼ぶには穴蔵じゃねーか」
「潜伏先というのは、こういうものだ あとまだ潜伏先にはついていない。」
もうすこし先にー、そう返す言葉を遮った。
「なぁ、さっきの“ちゅっ”っての……あれは?」
足音が一瞬、重なるように止まる。
桂は銀時の横顔を見もせずに答える。
「……別に、初めてでもなかろう。犬に噛まれたとでも思え」
「ふーん?」
銀時はわずかに口角を上げる。軽く笑ったような、皮肉めいたような声。
「……なにが言いたい」
「いや? お前のキス顔、案外マジだったなーと思って」
ぴしり、と桂のこめかみが跳ねた。
「貴様……!」
静かな通路に、声だけが鋭く響いた。怒りとも照れともつかぬ桂の一喝に、銀時は「はいはい」と手をひらひらさせながら、先に進んでいった。