ミカンとコタツと浮かれ方「ひまだねえ……」
ミカンの白いすじを取りながら伊月がふと呟いた。一房ずつ丁寧にすじを取り切っては口へ運び、そうしてまた口へ運ぶ。いつの間にかミカンが一つなくなる。そうして彼はまたコタツの上に積まれた山から一つミカンを取る。それを彼は今朝起きてコタツに入ってからずっと繰り返している。
「あ、〇〇大学が一位になりそう」
「おー、ホントだ」
よく食う奴だなあと思って眺めてると、今度はテレビで流れている駅伝中継について話題を振られた。
「こんな寒いなかよくやるよねえ。僕は絶対無理だよ」
伊月はそう言うとコタツ布団に顔を埋める。部屋の中は充分暖かいが、布団の柔らかさが心地いいのだろう。子供のようなその姿が可愛らしく思えて、オレはコタツを設置して正解だったと心のなかで頷いた。
「伊月、そとそろ朝メシ食おうぜ」
雑煮でいいよな、と立ち上がると「もちろん」と返事が返ってくる。
「僕、おもち三個ね」
あの細身でまだ食えるのかと毎度のことながら不思議に思うが、食わないよりはマシだと勝手に結論づけて、オレはキッチンへ向かう。
キッチンへ入ると、そこには巨大な段ボールが一つ鎮座している。
なかには大量のミカン、それからそれと同じくらいの餅。
圧倒的な存在感を放つそれに、苦笑いしながら、この段ボールが運ばれた先日のことを思い出していた。
◇◇
呼び鈴が鳴り、玄関を開けば巨大な段ボールを抱えた伊月が立っていた。
「なんだよ、それ」
伊月の顔は段ボールに隠れて全く見えない。その存在感に圧倒され、歓迎の言葉を発する前に、口からは疑問がこぼれていた。
「ああ、これ?二人で食べようと思ったんだよ」
よいしょ、と伊月は箱の上部をこちらへ向ける。どうやら、開けてみろということらしかった。
言葉のままになかを覗いてみると、そこにはミカンと角餅が目いっぱい詰められていた。
「人気のある商品だから注文できるかギリギリだったんだ」
驚いた顔で伊月を見れば、彼は「ふふん」と得意げな顔でそう答えた。
「お前……何週間休む気なんだ?」
「いや、お前と同じだけど?」
「そうだよな。……じゃあこの量はなんだ?」
え?と不思議そうに首を傾げる伊月に対し、オレは大きく深呼吸をしてから一気にまくし立てた。
「だから!オレもお前もそこまで休める訳じゃないのに、こんなに食えるわけねぇだろ!いったいどういうつもりでこんなに買ったんだよ⁉」
「何言ってるんだよガッちゃん。これくらいないともたないだろ?一週間以上あるんだから」
俺の怒声に気圧されもせず、伊月は段ボールを抱えたままよろよろと歩き出した。見かねてオレは段ボールをひったくる。
途端、ずしりとした重みが腕にかかった。オレからしても、長時間持つのは少し厳しいと感じる重さだった。
「お前これよく持ってこれたな」
「そりゃ車できたもの」
「重いんならウチに送り付ければよかっただろ」
車移動だったとしても、彼の細腕では運び込むのもきつかっただろう。
「それも考えたんだけれど、ガッちゃん家にいないことが多いだろ?生ものだから置き配も難しいかと思って」
「……そうか、ありがとな」
大したことではないように言われたが、その気遣いがオレは嬉しくてたまらない。
「余ったらジャムにでもしてくれよ、これ」
「もちろん。でも多分余らないと思うよ?」
本気で言っているのか?と思いながらオレは伊月を家のなかへ招き入れた。
リビングへ入ると、伊月が一点を見たまま立ち尽くしていた。
どうした?と問いかければ部屋の隅をゆっくりと指さして言った。
「あれ、どうしたの?」
「アレか?少し前に依頼して、こないだやっと改築が終わったんだ。思い付きで設置したんだけど、悪くねえだろ」
そこには先日しつらえたばかりの中和室があった。フローリングから一段上がったところに畳を設置し、中央には掘りコタツも付いている。急ぎの改装だったため、細かな部分は業者に任せたのだが、なかなか悪くない出来に仕上がったと思う。
「……なんで、あんなの作ったのさ」
「いいだろ別に。思い付きだよ」
「思い付きだけでお前は自宅の改装をするのか?いったなにがあったのさ」
「なに、って……。そりゃあお前と一緒に過ごすのに、コタツがあったほうが良いなって思ったんだよ」
「……それだけ?」
「それだけだけど?」
伊月は額に手を当てて天井を仰いだ。
「あのなあ、ガッちゃん。いくら何でも無駄遣いが過ぎるよ。」
「あ?別にいいだろ!オレの金で勝手にやってるんだから」
「そういうことじゃない。仮にも僕たち、こないだ負けたんだよ?無駄遣いはしないほうが良い」
「あんな場所の金、使う訳ねえだろ。普通に自分で稼いだ金でやってるわ」
「ならなおさら、たった数日のためにここまでする必要はなかったんじゃないか」
「あのなあ!じゃあ、こんな大量のミカンと餅持ち込んだお前はどうなんだよ?」
お前には言われたくない、とオレは眉を引き上げて大声を上げた。
「僕のは大したことないだろう!消えものだし、休暇中に食べきれなくても問題ない。でも家の改装はいくらなんでもやりすぎだよ!」
「なんだと⁉改装だって今後使うんだから問題ねえだろ!それともアレか?お前はもう金輪際ウチにこないつもりだってのか?」
「そんなこと言ってないよ!金額の桁が違うって話だよ!こないなんていってない!僕はいつだってお前の側にいたいと思ってるんだから!」
「な……!」
突然の告白にオレは硬直し、伊月のことを真っすぐ見つめた。最初は何故オレが黙って見つめているのか気づかなかった伊月も、だんだんと自分が何を言ったのか気づいたようで、みるみる顔が赤くなっていった。
「ち、ちがくて!べ、別に変な意味はないから!ただ、ガッちゃんちに来たくないなんてことはなくて、いつでも遊びにきたいと思っているし、なんだったら一緒に住みたいとも……!って、ちがうちがう!そうじゃなくて……」
こんなんで弁護士が勤まるのか?と思うほどに、目の前の男は混乱しているようだった。
普段であれば決して他人にこんな姿をさらすことはないだろう。これはオレの前だけで見せてくれる姿だ。
「……ふふっ」
そう思わざるを得ない状況に、オレは嬉しくなって小さく笑う。
「あ!なんだよー!笑うなんてひどいじゃないか!」
真っ赤な顔のまま大声で文句を言う伊月が余計に可愛くて、更にオレは声を出して笑う。
「もう!ガッちゃんひどいよ!笑いすぎだ!」
「ははははっ!わりぃわりぃ、あまりにもお前がかわいくてさ」
“かわいい”という言葉に反応して、伊月の顔は更に真っ赤になる。
「なんだよそれ⁉嬉しくないよ!」
そう言って突っかかってくる伊月を見つめながら「オレはこいつのことが好き」という感情を再度強く認識する
「……おい!なにぼーっとしてるのさ!」
数秒、ぼうっとしていたらしい。伊月に肩を叩かれてオレはハッと我に返った。
「ガッちゃん、急にぼうっとして何考えてたのさ?」
「いや、二人揃って浮かれてるなって思ってな」
「は?どういう意味だよ」
「たった数日の休暇で、互いに思った以上に準備しちまった。これを浮かれてる以外になんて言うんだよ」
「!」
確かに、と伊月も思ったのだろう。「確かにね」と声を出して笑い始めた。
「本当だ、僕たち、まるで遠足前の子供みたいだね」
「だよな。楽しみすぎて、おやつ買いすぎるヤツ、いたよな」
「いたいた!それで先生に怒られてるの。馬鹿だなあって思ってたよ」
いつのまにか先ほどまでの険悪な雰囲気はどこかへ消えてしまっていた。
そうしてくだらない話でしばらく笑い合いながら、オレたちは最高の休暇にするための準備にいそしんだ。
◇◇
二人揃って浮かれていたとか、本当にガキみてえだったな。
雑煮の汁を温めなおしながら、先日のことを思い出して、オレは呆れ混じりにため息をついた。
オーブントースターを除けば、ぷっくりと膨らんだ餅が赤々と照らされている。よし、と餅を取り出して、二つの器にそれぞれ三つずつ入れる。そこへさっき温めた汁を注げばあっという間に雑煮は完成した。
「おい伊月!雑煮できたぞー!」
はーい、と言いながらも伊月がこっちへくる気配はない。おそらくまたミカンを食っているのだろう。
「配膳くらい手伝えよ」
「えー、こっから出たら寒いじゃないか」
他のヤツがそんなことを言ったなら殴り飛ばしているだろう。だが愛しい恋人のワガママであればどんな言動でも可愛く思えてしまうものだ。
しょうがねえな、とオレは両手で器と箸をそれぞれ持って中和室へと運ぶ。
「ほらよ」
「わあ、いい匂いだね。ありがとう、ガッちゃん」
運んできた雑煮と箸を、伊月の前に置けば、彼はこっちをむいて嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、ふとオレは言葉にできない感情が胸の中で広がるのを感じた。
昨年、賭場で負けるまで、オレたちは苦しいままで生き続けるしかないと思い込んでいた。オレはただ伊月に笑ってほしかったのに、ガラクタを集めてみせることしかできなかった。
それで彼が笑う訳がないのに。
分かりきっていたはずなのに、オレはそれしかできなかった。
できないと、思い込んでいた。
けれどあの日、あのイカれた自称神の神父たちにボコされたことで、ようやく互いに大切なものが何なのかを思い出せた。
アイツらが何を考えていたのか、今でも分からない。だが、彼らのおかげでオレたちは最高の形で、もう一度やりなおせるチャンスを手に入れることができたのだ。
「ガッちゃん、どうかしたか?」
雑煮の餅を口で引っ張りながら伊月が首を傾げてくる。
「ん?ああ、こないだのこと考えてた」
「また?大量に持ってきたことは謝ったじゃないか、こうやってちゃんと食べてるし……」
「ちげーよそのことじゃねえよ。賭場のやつだ」
「ああ、あれか……そういえばあれも去年だったね……。もう遠い昔の話みたいだ……」
思い出したくもないという顔で伊月は雑煮の汁をすすった。
「ホントだよな……。去年はアイツらのおかげでめちゃくちゃになっちまった」
本当だね、と伊月は大きく頷いた。
「けれどさ、ガッちゃん」
「ん?」
「僕たち、生きててよかったね」
急に真面目な顔でそんなことを言うものだから、オレも同じ顔をして目を合わせる。
けれどすぐに二人とも笑い出してしまった。
本当に、伊月が生きていて、二人で生き残れて、良かった。
これから先、順風満帆、なんてことはないだろうが、オレには伊月がいる。その事実だけでこの先は光り輝いている。
「伊月、飯食い終わったら初詣行こうぜ」
「えー、行きたくない。寒いし混んでるだろうし嫌だ」
「そんなこと言うなよ、ガキのころ以来行ってねえし、たまにはいいだろ。このためにお前の着物も用意したんだぜ?」
「えっまだ無駄遣いしてたの」
他愛もない会話はまだまだ続く。
きっとこの休暇が終わっても、オレたちの日々に笑いは絶えない。
そんなことを思いながらコタツから伊月を引きずり出した。