ホストと高校生0.はじめて、初めまして
自分でも、好奇心は強いほうだと思う。
たとえそれが危険なことでも、知識欲には抗えなくて、立ち入ってはいけないと言われた場所に足を踏み入れたのも一度や二度では済まない。時間が許せば電車を乗り継いでいろいろな土地に繰り出した。昔懐かしい町、ごみごみした街。けれどそれはいずれも日の昇っている時間帯の話であり、今のように、日の落ちてぎらぎらしたネオンの明かりが活発な街は見たことがなかった。たった数時間でここまで街の顔も香りも様変わりするものなのだ。またひとつ知識と経験が増えたと、私は嬉しく思った。
ここまで来たのだ、おそらく帰ればこっぴどく叱られて、門限もきびしくなるだろう。だったら今のうちにもっと経験を積んでみたい。つまりは──どこかのお店に入ってみたい。私はそもそも、このきらびやかな通りが『何』を売っているのかすら、知らなかった。
どこでもよかったから、声をかけられるまま近くのお店に入った。あまり料理の匂いはしないけれど、何を売っているのだろう? 促されてふかふかしたソファに座る。いろいろなテーブルでいろいろな女性たちが座っていて、とても楽しそう。もしかしてここは、女性向けの店──だったのかな。自分が男であることにすこし心苦しくも感じたけれど、これも経験。思い直して、受け取ったタブレットを見た。
どうやら何人か選ばなくてはならないらしい。よくわからなかったから、上から順番に選んだ。すぐに写真どおりの男性が何人か来て、となりに座った。私を見て皆すこし驚いていたけれど、男が来たのははじめてだったのかな。
男性たちは皆、チャイナ服というのか、特徴的な服を着ていた。聞くとどうやら今はイベントをやっているらしく、普段はこうではなくスーツを着ているのだと教えてくれた。それから、こういう店では『楽しい時間』を売っているのだということも。
「どれ飲む〜?」
「……あ、えっと、ソフトドリンクってありますか」
「え〜!? ダメダメ! 酒飲もうよ! ここから選んで!」
「……」
私は至極困ってしまった。私はお酒を飲んだことがない。そもそも、飲めない。──なぜならまだ、未成年だから。まさかお酒を提供するお店だとは思っていなかった。入った以上、何か頼まないと失礼にあたるだろうか? 結局私は、押しに負けて目の前にあるボトルのとなりの炭酸水を選んだ。
そのあと、お酒が出来るまでいろいろとお話をした。学校に居るような人たちとはタイプが違って、とても興味深い話をたくさんしてくれた。
やがて、お酒が手渡される。どうしよう、お酒を飲んだことがないから自分がお酒に強いのか弱いのかもわからないし、私からお酒の匂いがしたらきっと家族はとても怒るだろう。周りのテーブルを見てみたけれど、みんなお客さんの相手で忙しそうでこれ以上負担はかけられない。──このグラスは小さくて、そんなに量が多くない。きっと大丈夫──私は覚悟を決めてグラスにくちをつけた。
「ちょっと待って」
お酒にくちびるがつく前に。聞き覚えのない声がして、私は思わず顔を上げた。そこには呼んだ覚えのない男性が居た。そのひとが近づいてきて、私からお酒を取り上げる。私のとなりにいた男性が口汚くそのひとをののしった。でも、そのきれいな金髪のひとは全くひるみもせずに言う。
「その子、未成年でしょ。子どもに酒飲ませるの?」
「……え」
ほかの男性たちも驚いたみたいだった。未成年なのかと確認されたから、うなずく。でも……なんでこのひとは私が未成年だとわかったのだろう?
私のとなりにいた男性は立ち上がってそのひとに詰め寄って行った。これは俺の客だ、口出すな、とか、いろいろと。こんなに悪意のある物言いを聞いたのがはじめてで、私は一歩も動くことができなかった。ほんとうは、逃げるべきだったのかもしれない、だけど──こわい。純粋に、そう思った。
「未成年飲酒でこの店が検挙されたら困るのはそっちでしょ? 『常習犯』くん。身の振り方考えなよ」
胸ぐらを掴まれたそのひとがそれを軽くいなして、私の手を引いてくれる。それでやっと動けるようになった私は、荷物を持って助けてくれたひとについていった。
お店の入り口。会計はされなかった。私はお金を出そうとしたのだけど、目の前の優しそうなひと、助けてくれたひとは「何も飲んでないでしょ。怖い思いもさせちゃったし、お金はいらないよ」と、言ってくれた。
「ここはね、大人が来る場所なの。わかった?」
「……ごめんなさい」
「わかってくれればいいよ。さ、遅くならないうちに帰ろうね」
色のついたサングラスを外してにっこり微笑まれて、そのまま帰されそうになった。でも、だけど、帰る前に私は聞きたいことがある。
「……あの、お名前、教えてください。お礼がしたい、ので」
「お礼?」
目の前のひとはすごく驚いているように見えた。どうしてそんなに驚くのだろう? 助けてくれたのだから、お礼をしたいと思うのは当然のことだと思う。それからそのひとはうーんと悩むそぶりを見せてから、ふところから名刺を差し出してくれた。
「じゃあ……一応これ、俺の連絡先」
「……『つばさ』さん」
「そう。さ、帰る帰る。まっすぐ帰ってね」
今度こそ、私は店を出た。少し歩いて、振り返る。それでもまだつばささんはそこにいて、にこやかに手を振ってくれている。きゅうと心臓が痛くなった。
名前を聞いた理由がお礼をしたいから、だけではないことは。私の心の中に、秘めておこうと思った。そうしてその日──生まれて初めて、私はひとに、恋をした。
1.ともだちになろう
『お礼がしたいので、お茶しませんか』
たった一文、そのメッセージを送るのにすごく時間をかけた。
大冒険のあの日、帰ったら案の定すごく怒られた。どこで何を、とまでは聞かれなかったけれど、門限はきびしくなった。たぶんもう成人するまであのお店には行けない。だから、昼間に会うことにした。それなら家族にも何も言われない、とおもう。おともだちと会うって言えばいいんだもの。
忙しいのか、すぐには返事が返ってこなかった。よく考えれば、あのお店は夜に営業しているお店だから今はお仕事中なのかも。返事を待つのを一旦やめて、宿題、予習復習まですべてこなして、お風呂に入った。今日は寒かったから、いつもより少しだけ長風呂をしてしまったかな──そんな考えは、部屋に戻って見たスマートフォンの画面に浮かぶつばささんからの返事でぜんぶふっ飛んでしまった。
『いいよ。パンケーキが美味しい穴場のカフェを知ってるから、そこでお茶しよっか』
また、会える。それがすごくうれしくて。これの次の予定を立てられなければもう会えないのは変わりないけれど、今は、いまだけは、目の前のことしか見えなくなっても仕方がないと思う。
とんとん拍子に話は進んで、明後日の日曜日に会うことになった。前日は楽しみすぎてあまりねむれなかった。それでもつばささんに会えると思ったら日中もねむくない。前、日和くんにとっても似合うと言われた服を着て、駅前へ。一時間とまではいかないけれどそれでも、ずいぶん早くついてしまった。さすがにまだいないだろうと待ち合わせ場所、時計台へ向かう。だけど、驚いたことに──。
「……つばささん!」
「あ、おはよう。早かったね」
そこには、つばささんがいて。つばささん、やっぱりかっこいい。
早かったね、というけれど。つばささんの方が早かったわけだし、待たせてしまったのかな、と不安になった。いつから待っていたんですかと問えば、ついさっき来たばかりだから大丈夫と言われて。ついさっき、なら、いいのかな。
「ごめん、なんて呼べばいい?」
「あ……凪砂です。乱 凪砂」
「凪砂くんか。可愛い名前だね。……俺ね、羽風 薫っていうの」
はかぜ、かおる? あれ?
「……『つばさ』さん、じゃ……?」
「あぁ、あれは偽名。ホストクラブでは、源氏名って言うんだけど」
「……? 名前……教えちゃってよかったんですか?」
「うん。凪砂くんだけ、特別」
とくべつ。頬が熱くなる。うれしくて、はずかしくて俯く。いま絶対、みっともない顔、してる。
「じゃあ、行こっか。こっちだよ」
頷いてつばささん──いや、薫さんの隣をついていく。そういえば、どうして薫さんは私の最寄り駅を知っていたんだろう? あのお店──ホストクラブというらしい──は、いくつか電車を乗り継いだ先の駅だったのに、待ち合わせ場所に指定されたのは私の家の最寄り駅。私が未成年であることも見抜かれていたけれど、でもきっとどちらも偶然に違いない。カフェがこの駅の近辺にあるのだろう。きっとそうだ。
思った通りカフェは駅からすこし遠い、入り組んだ道を進んだ先にあった。私は色んな街を冒険してはいたけれど、地元のお店をすみずみまで把握していたわけではない。こぢんまりとしていて誰かが住んでいるおうちと言われてもあまり違和感のない外観だけれど、穴場だと言っていたからあまりお客さんが入らないのかもしれない。薫さんが言うほど美味しいのに、すこしもったいない気もした。
からん、からん。入口ドアのベルが鳴る。その音を聞きつけてキッチンから出てきたのは、銀髪の長い髪を無造作にくくった男のひと。
「羽風くん! また来てくれたんすか?」
「うん。椎名くんの作るパンケーキ、おいしいから。食べさせてあげたい子が居て」
「なはは、それは嬉しいっす! 後ろに居る子が、その子っすか?」
「……あ……こ、こんにちは」
挨拶がすこし遅すぎたかもしれない。でもそのひと──椎名さんは、にこにこ笑って「こんにちは!」と言ってから席に案内してくれた。
確かに穴場と言うように、お客さんがぜんぜん居ない。きょろきょろしているのがばれてしまったのか、荷物を置いた薫さんがこそっと耳打ちしてくる。
「椎名くん、いろいろシェフを掛け持ちしてるせいでここ不定期営業なんだ」
つまり、常連になろうとしても難しいということ? それは確かに、美味しくてもお客さんはあまり根付かないのかも。そうなんですね、と頷いてメニューを見た。
パンケーキ、ナポリタン、サンドウィッチ、オムライス。パフェとかもある。いろいろ目移りしてしまうけれどここは、初志貫徹。
「……パンケーキにします」
「オッケー。俺どうしようかな、いつもパンケーキ食べてるしたまには別のもの食べようかな〜」
そうして水を運んできた椎名さんに、注文をした。私はパンケーキ、クリームソーダ。薫さんはナポリタン、あとカフェラテも頼んだ。
料理を待っているあいだ、そわそわして落ち着かなかった。たくさん薫さんが話しかけてくれるのに、相づちばっかり、目も合わせられない。クリームソーダが来てからは、溶けていくアイスクリームを見ていることしか出来なかった。
「……あ、いい匂い」
「そうだね。椎名くんの料理、ほんとうにおいしいから楽しみにしてて」
「……はい」
「……」
そろそろ、薫さんが不審に思っても仕方がないと思う。お礼がしたいと呼んだのに、なんにもその気配がないから。もたもたと荷物置き場に置いた紙袋を持ち上げようとすれば、薫さんが、ひとこと。
「……全然目、合わないね。もしかして緊張してる?」
「〜……っ」
緊張なんか、しないはずない。お菓子の紙袋を、ずいと薫さんに差し出した。
「……これ……お菓子、お礼、です」
「えっ。そんな、気にしなくてよかったのに」
「……いえ」
薫さんは紙袋を受け取ってくれた。そのときぱちっと目が合って、薫さんが「ありがとう。大事に食べるね」と微笑んでくる。それがとってもかっこよくて、やっぱりもう目を合わせられる気はしなかった。
「お待たせしました〜! パンケーキっす!」
やがて、フルーツと生クリームに飾られたふわふわのパンケーキが運ばれてくる。パンケーキって、こんなにふわふわなの? 家族が出してくれるホットケーキもおいしいけれど、これもとってもおいしそう。
「……あ、えっと……」
「先食べてていいよ。冷めちゃうし」
「……はい」
ナポリタンを待っていてもよかったのだけれど。薫さんの言葉にうなずいて、ナイフとフォークを取り出してから別になっていたシロップをたっぷりかけた。ふわふわのパンケーキにナイフを差し込む。
雲みたいにふわふわで、やわらかくて。ひとくち、パンケーキのかけらを口にはこぶ。あまくてやわらかい生地が、口のなかで溶けていく気さえして──。
「……!」
「どう? 口に合ったかな」
おいしい。とってもおいしい。こくこくうなずいて、次のひとくちを口にした。
「お待たせしました〜! ナポリタンっす!」
「……あっ、あの!」
ナポリタンを運んできた椎名さんに私は思わず声をかけた。どうしても顔を見て「おいしいです」って言いたかった。
色んな冒険をしてきたけれど、私自身は『人見知り』だと思っていた。冒険をしていてもその目的は経験であって会話じゃない。友達作りじゃない。だからたとえおいしいものを食べたって、いつもならおいしいな、だけで済んでいたと思う。だけど、今日は。
「……あの、このパンケーキとてもおいしいです。えっと……また来たい、です」
「なはは、ありがとっす〜! あ、じゃあ連絡先でも交換します? 営業する日連絡するっすよ」
「……いいんですか?」
「もちろん!」
そしてまた、私のメッセージアプリには連絡先がひとつ増えた。今日は隣に薫さんがいた、から。すこしだけ、踏み出せた。
ごゆっくり〜、と、椎名さんがキッチンへ戻ってゆく。またパンケーキに向き直って、今度はちりばめられたベリーを口にした。これ、ラズベリーかな? 甘いパンケーキに合うように少し酸っぱくて、これもおいしい。
……ナポリタンはどんな味なんだろう、って、すこし気になった。
「こっちもひとくち食べてみる?」
「え、」
「ふふ。ちらちらこっち見てるから。食べたいのかなと思って」
「い、いえ……大丈夫です」
「そう?」
はずかしい。いやしい子って思われてないかな? だれかの、それも好きなひとのごはんを欲しがるなんて。
「……。椎名くん! 取り皿もらえるかな」
「えっ」
「お腹が大丈夫なら、こっちも食べてみてよ。せっかくなら、おいしいの一緒に共有したいな」
「……はい」
薫さんのその言葉で、私の自己嫌悪は消えてゆく。薫さんって、ほんとうに優しい。またさらに、好きになってしまった。
「……あ、あの。パンケーキも、取り分けますね」
「え、いいの?」
「……はい。おすそ分け、です」
ありがとう、と優しい顔で笑う薫さん。すぐに取り皿を持ってきた椎名さんから取り皿を受け取って、パンケーキを取り分けた。薫さんのナポリタンと交換こをするかたちでパンケーキの取り皿を差し出す。ナポリタンをもらって新たにフォークを出した。
「……ナポリタン、いただきます」
「うん、食べてみて。さすが椎名くん、これもすごくおいしいから」
フォークをくるくる回してひとくち分を取り、くちに運ぶ。ケチャップの風味が少し香ばしい。火を通してこうなっているのか、それともケチャップ以外のソースが入っているのか。料理をしたことがない私にはわからなかった。パスタは硬すぎず柔らかすぎず、ピーマンと玉ねぎはしゃきしゃきでごろごろ入っているウインナーもジューシーでとってもおいしい。
薫さんは私の顔を見て私が感動に打ち震えているのがわかったみたいで。「もっと食べる?」と訊かれたけれど、これ以上薫さんの取り分を減らすわけにはいかない。首を横に振った。
私はパンケーキを、薫さんはナポリタンを、それぞれ食べ終わって一息つく。好きなひとと「おいしかったね」って笑い合うのって、しあわせだ。日和くんとお弁当を分け合うときにも感じるしあわせ。でも、日和くんとのときには感じない、どきどき。
「お皿下げますねえ〜。んで、これ! デザートっす」
「えっ」
ことりと目の前に置かれたのは、おいしそうなチョコアイス。でも、私はこのデザートを頼んでいない。薫さんが頼んでいたわけでもない。頼んでいない旨を告げれば、椎名さんはにっこり笑った。
「僕の料理すっごくおいしそうに食べてくれたお礼っすよ」
「……でも、」
「おなかいっぱいだったら食べてくれるおにーさんもいるんすから、気負わないで食べてほしいっす♪」
椎名さんと薫さんの顔を交互に見て。二人とも、あたたかい笑顔をしていたから、頷いてチョコアイスをくちにした。
「……おいしい」
濃厚で、でもくどくなくて。スプーンが進む。すぐにガラスのカップが空になって、少し寂しい思いがした。
ごはんを食べたあとは、なぜだかなんだか気持ちが軽くなって、すこしだけ顔を上に向けられた、気がした。たまに目があって、どきどきして、しあわせなきもちになった。今日の思い出は、ずっと──私のこの恋が終わるまで、忘れない。
「さて、そろそろ出る?」
「……そうですね。えっと、お手洗い、行ってきます」
私のクリームソーダも薫さんのカフェラテも飲み終わって、あとはもう帰るだけになって。一応、とお手洗いに寄った。待たせているし、すぐにすませて出たつもりだった。手を拭いて、席に戻ると薫さんはお財布をしまっているところ、で。
「……あ、お会計……いくらですか?」
かばんからお財布を出す。だけど薫さんは、にこっと笑うばかりで値段を教えてくれない。
「もう払ったから、大丈夫」
「え……?」
お財布しまって、と言われて、困ってしまった。こういうの、おごってもらうって言うんだよね? 助けてもらってその上おごってもらうだなんて、私、薫さんに迷惑をかけてばかり。私は払うと何度も言うのに、薫さんは決してゆずらなかった。
「いいの。凪砂くんとお茶するの楽しかったから、払わせて」
「……」
そう言う薫さんの顔にみとれている間に、コートを着させられて荷物を持たされて、カフェを出ることになってしまった。薫さんは楽しかったって言うけれど、私だってとっても楽しかった。だったらやっぱり私も出すべきなのに……。
「ね、まだお話したいな。この辺に公園あったよね」
「……え、え? あ……そう、ですね。小さな公園が……」
「そこでもう少し話そうよ。時間は大丈夫?」
こくんとうなずく。なんで、この辺りのことを知っているんだろう? 来たことがあるのかな。
近くの公園に寄って、ベンチに座って、寒いからと薫さんはあたたかい缶のココアを買ってきてくれた。……私、薫さんによくしてもらってばっかり。お金もほんとうは払うべき、カフェの代金と、それと。
「……あの。……えっと……いくら払えばいいですか?」
「ん? カフェ代? それなら気にしなくて大丈夫だよ」
「……そ、そうじゃなくて」
「うん……?」
「……『楽しい時間』代、を……知りたくて」
薫さんのホストクラブで教わったことば。ホストクラブは、『楽しい時間』を提供する代わりに料金をいただく。カフェ代も払ってもらって、たくさん話をして楽しませてもらって、それでは薫さんがホストクラブでいつもしている仕事と変わりないのではないかって。だったらやっぱりお金を払うべきなのかも、というのが私の結論。だけど私の言葉で薫さんは──薫さんのととのった顔が曇って、思わず息を呑んだ。私、間違った? 意味のない、あ、とか、え、とか、そんな声しか出せなくて。ぎゅう、と心臓が痛んだ。
「……凪砂くんは最初から、ホストクラブの真似事をしたくて俺を呼んだの?」
「……あ、」
「たまには息抜きできるかもって、俺も楽しみにしてたんだけどな──」
私が言葉を、ひいては認識すら間違えたのだと気づくのに大して時間はかからなかった。ちがう、ちがいます、って震えた声で言うのに、薫さんは。曇った顔をぱっと明るくして微笑んで、言った。
「──うん。これからも人恋しいときはいつでも呼んでいいよ。君がお望みなら、恋人みたいな経験もさせてあげる」
知り合って間もない、けれど。それでも薫さんのその言葉が、その顔が、『仕事』で使っているものなのだって、直感でわかった。
私、薫さんにそんな顔、してほしくない。本音じゃないかもしれない言葉、無理をしている顔、してほしくない。でもどうしたらいいのか分からなくて。私の身体は咄嗟にココアを置いて、薫さんの手を握っていた。
「薫さん……! そうじゃないんです、聞いてください、」
「……」
「……私……薫さんにお礼がしたいんです。菓子折りなんかじゃ足りない、もっと喜んでほしくて、それで……お金なら、大体のひとは、喜ぶ……から……」
だから、その、と私が回る思考についていけないままに言葉にしていれば。薫さんの表情が、少しだけ、変化した。そのまま手を握り返してくれて。信じてくれた……? 私はほっとした。
「凪砂くんは、お礼がしたいの?」
「……はい」
こくり、頷く。薫さんは繋がれたままの手に少しだけ手に力を込めた。手、あたたかい……。
「……じゃあ、敬語やめよっか。それが、お礼」
「え……」
「それで、またお茶に誘って。待ってるから」
私には、それがどうしてお礼になるのか、わからなかった。ね、と微笑まれたけれど、納得できない私は慌てて首を横に振る。
嬉しい。これからも薫さんと会って色んなお話ができる、それはすごく嬉しいのだけれど──。
「できない?」
「で、できない……じゃなくて……」
「うん」
「……そ、そんなの、私だけが……」
得をしてしまっている、って。きっとお茶をするたびに薫さんがお金を払う。私は薫さんになにも返せないまま、薫さんと会って、お話をして、しあわせになる。薫さんにはなんの得にもならない。だから、頷くわけには、
「かわいいね、凪砂くんって」
「えっ、」
「ふふ」
……かわいい? 私が? どういう思考でそれに至ったのかもわからないし、薫さんの言うこと、なにもわからない。薫さんって、ふしぎなひと。
「今は、分からなくていいよ。でも、俺は凪砂くんと『ホスト』として付き合うつもりはないんだ」
「……え、と」
「俺、凪砂くんとなんでも話しあえる友達みたいな関係になりたいな。だから敬語もなくていいし、お金も気にしないで。ね?」
ともだち。友達になりたいから、またお茶をしよう、ってこと? 以前、日和くんに、友達にも色んなかたちがあると聞いたことがある。同い年だから友達、とかではないって。なら、薫さんも友達になり得るということで。
すこし悩んでから。『友達になりましょう』という申し出に対して悩むというのはとても失礼なのではないかって、思った。友達になるのは良い。でも薫さんばかりが損をするなら申し訳ないし、でも、と──それでも──もとより、願ってもない申し出だった。だから、私は、「……わか、った」と頷いた。ここで拒んで薫さんとの縁がなくなるのはいや。だったらまだ納得してなくても、頷いた方がいいと思った。
「うん。ありがとう、凪砂くん。これからよろしくね」
「……ぁ、」
あたたかい手が離れてゆく。思わず、名残惜しげな声が漏れて、薫さんが驚いたみたいな顔をした。はずかしい。
「手、温かかった?」
「えと……あの、」
「ふふ。じゃあ温かいの、もうちょっとおすそ分け、ね」
……ふつうの、できたばかりの友達は、こんなことしない。きっと。だけど今だけは、指摘したくなかった。こいびとみたいだと言ったら、この関係すら、壊れてしまいそうだった、から。