よるはこわがり基本的には、冬弥の生活リズムは規則正しい。
もちろん例外もあって、何かに集中していたりすると周りが見えないのか、時間を忘れてしまうこともある。たとえば、読書に夢中になっているときなんかがそれだ。けれど、その例外を除けば規則正しい生活を送っているから、大抵の場合夜分遅くにはうとうととしてしまうし、布団に入ろうものならすぐに寝落ちてしまう。
けれど、今日はどうやらいつもとは違うらしかった。
「彰人、明日はバイトだったか」
「ん、そうだけど……それがどうした?」
「……仕事は、どうだ?」
「どうって何が」
「え、それは……その、大変とか、楽しいとか、いろいろ……」
「は? 色々? ったく、急にどうしたんだよ……今は入れ替えの時期だから、特に新作が色々見れて楽しいけど」
「そうか、楽しいのか」
というか、いくらなんでも挙動が不審すぎる。
冬弥があれこれと知りたがる性格をしているのはまあ、そうなのだが、その話は今すべきことだろうか? 明日でも明後日でもできる話をわざわざ今から寝ようとしている時に、そんな一生懸命に、無理に話す必要性がない。
そもそも、今の冬弥のしゃべり方は、なんというか、そう、ない話題を必死に絞り出そうとしているそれに近い。
「それで、その……」
「お前なぁ……もう寝ろよ、さっき眠そうにしてたろ。オレも眠ぃし」
「そ、そうだな……すまない……」
「……それとも、なんかあったのか?」
暗くした室内ではよく見えないが、明らかにしゅんと落ち込んだ声が聞こえてきて、なんだかこちらが悪いことでもした気分になる。それにしても、夜も遅いのにそんなに会話を続けたがるということは、もしかして。
「寝れねーの?」
そう尋ねれば、少し考えるような間の後、ああ、と小さく肯定する返事が返ってきた。
ちょっぴり、期待してしまう。眠れない、の内訳が緊張して、とかだったら、だなんて。だってそうだ、同じベッドで寝るという行為に緊張しているとしたら、つまりはそういうことだろう。
とはいえ、冬弥はあまり緊張というものを知らないので、望み薄ではあるのだけれど。
「……目を瞑ると、さっきの怪物の猟奇シーンが、瞼の裏に浮かんでくる」
「……は?」
「だから、目を瞑ると、さっきの怪物が襲ってきそうな気がしてしまうんだ」
そして、そんな淡い期待は、ものの見事に打ち砕かれた。残念ながら、予想通りに。しかし、代わりに得られた返答はといえば、それはそれで。
実は今日、全くの偶然ではあるが、彰人の手元にはとある映画のディスクがあった。雪山のロッジに訪れた大学生グループが、謎の怪物(よく知らないが、冬弥曰くメジャーな怪物らしい)に襲われる、という鉄板の内容だ。ただ、その襲われる過程がとにかく陰惨で残虐、グロテスクな要素を含むもので、結末も後味が悪いものだった。正直、これでR-15と書かれているのだから、基準というのはよくわからない。もしも、審査がもう少し厳しくて、R-18と書かれているのなら、自分の年齢を理由に見なくて済んだのに。
本当なら、彰人にせよ冬弥にせよ、その手の作品を好むわけではないが、手元に渡ってしまったので仕方なく見ることにした。なにせ、以前世話になった知人におすすめされて押し付けられた上に、見たら感想を聞かせてくれ、とまでいわれてしまったのだから仕方がない。
あとは、こういった刺激の強いものを見た冬弥の反応が気にならないわけではなかった、というのもあるのだが。
話を戻そう。とにかく、今日はそんな内容の映画をふたりで見た。映画を見ている時の冬弥は、僅かに眉を顰めたり、推理物が好きな性分のためか、犯人探しめいたことをしばしば口にしたりはしたものの、結局怖がる様子がなかった。それどころか、ほぼいつもの仏頂面で、どっきりさせるためのシーンに至ってはノーリアクションだ。怖がらせることが主目的の映画でこれでは、きっと監督の方が泣きだすに違いない。
むしろ、怖がっていたのは自分だった。特に、怪物がリックを襲い、その遺体を恋人のジェシーが発見するシーンはひどかった。そのジェシーも間もなく拷問めいた目に遭い殺されるわけだが、監督は若い幼馴染カップルになにか恨みでもあるのかと思ったほどだ。当然驚かせる描写も多く、思わず、うわ、と声が漏れては、冬弥に気が付かれていないかと様子を伺った箇所が、たったの2時間で4、5箇所はある。
しかし、そんな風に怖がってはいないように見えていたが、実際は表情がついていっていなかったものの、どうやら冬弥も相当。
「……それって、お前怖かったんじゃねーの?」
確信を持ってそう尋ねると、冬弥はしばし考え込んだ。
それから、そうか、と納得したように一言。
「こわい……そう、か、俺は怖かったのか……」
「自覚なしかよ。まあ今に始まったことじゃねーか」
冬弥には時々、そういったところがある。狭い世界で生きることを余儀なくされてきた経緯からか、世界に対してはおろか、どうにも自分に対しても真っ白な新雪のように、踏み荒らされた跡がない。だから、知らない。自分の感情を知らないことは、誰かに言われなければ自分の感情に自覚的になれないということ、知覚に時間がかかるというわけだ。
つまるところ、今回のような映画を見て、怖い思いをしたと感じたことも、それを思い出してしまい眠れなくなる、といった経験も未知のもので、今しがたそれを理解した、ということ。
それがわかると、なんだかおかしくなってきた。
ちゃんと怖がっていたなんて、随分と可愛いじゃないか。そんなことを、自分も怖がっていたことも棚に上げて考えてしまう。誰だって、誰も踏み締めていない雪に足を踏み入れるのはわくわくしてしまうだろう。そういうことだ。ましてや、彰人は冬弥が新しく知るいろんなことに、その『初めて』の風景に自分の姿があることがたまらなく好きだったから、尚更のこと。言ってみれば、それは子供じみた独占欲というやつなのだが。
「……ふはっ、くく、それにしても、なんだよお前、ちゃんと怖かったのか、ははっ、あー可笑しい」
「笑い事じゃない、俺は真剣に……っ」
かばりと勢いよく起き上がった冬弥か彰人に抗議しようとする。暗がりに慣れた目で見えたその表情は、本人の弁通り真剣そのもの。馬鹿真面目な冬弥らしい、冗談なんて一切通じませんといった表情で。
「はいはい、怖かったな」
「~~~っ、彰人!」
彰人も起き上がり、子供をあやすように冬弥を引き寄せて背中をとんとんと叩いてやる。くつくつと笑いながらからかえば、困ったような、焦ったような、そんな真剣な声の抗議はわずかに語気を強めた。そんな顔で睨まれたって可愛いだけだというのに、そこはやっぱり無自覚なんだろうな、だなんて考えながら。
もう少しだけ、夜は続きそうだ。