「その日のことはよく覚えてます。パパと姉貴とわたしの三人でママの誕生日プレゼントを買うために出掛けていたんです。姉貴は小学生、私は保育園に通っている頃で、パパが贔屓にしているアンティークショップに……え?名前?なんだったかなあ。随分前に倒産しちゃったから、もうありませんよ。……いえ、ママはドールハウスには全然興味なくて。アンティークショップのガラスの戸棚に飾られていたワイングラスをプレゼントすることにしたんです。それをお店のひとがラッピングしている間に、オーナーさんが『お嬢様たちにこちらはいかがですか?』と言って見せてくれたのが、そのドールハウスでした。本物の西洋のお屋敷を小さくしたみたいですごく素敵だったから、私も姉貴もすぐに気に入りました。ふたりでパパにおねだりして、買ってもらえることになったんですけど……パパがお会計している間、奥さんが、あ、オーナーの奥さんです、がこんなことを言ってたんです。『このドールハウスに人形は絶対に入れないで』って。私たちは不思議に思いましたが、奥さんがあまりに真剣な表情だったから「うん」と答えました。でも家に帰ってドールハウスを広げて、別に梱包してもらった家具を並べているうちに……人形を入れて遊びたくなったんです。ほら、子どもってダメって言われるとやりたくなるところあるじゃないですか。それに……人形がないほうが変な感じがしたんです。とても精巧にできていたから……ううん、そうじゃないな……人がいる気配がするのに誰もいない……そんな感じでした。でも、うちにあるのは着せ替え人形ばかりで、そのドールハウスのサイズにちょうどいい人形がなかったんです。そしたら姉貴が「紙のお人形を作ってドールハウスに入れよう」と言ったんです。「紙の人形なら約束を破ったことにはならないだろうから」って。私はすぐに部屋にあった画用紙に黒いマジックで女の子の絵を描いてソファに座らせました。その隣に姉貴が書いた猫の絵を置いたところで夕飯の時間になって、私たちはドールハウスをそのままにして部屋を出たんです。……あはは、大丈夫よ、真さん。子どもの頃の話だから。それに、もし何かあっても真さんが守ってくれるでしょう?……はい。そうなんです。夕飯を終えてドールハウスがある部屋に戻ってきたら、紙の人形が切られていたんです。バラバラに……。「やっぱり人形を入れたのがいけなかったのかしら」って姉貴は言ってましたけど、私は納得がいきませんでした。だって『ドールハウス』ですよ?人形のための家なのにどうして!?って思って、姉貴にこう言いました。「もっとたくさん人形を作ってパーティーをしよう!」と。姉貴は乗り気ではなかったけど、棒人間でいいからと言うと手伝ってくれました。ドールハウスにはたくさんの部屋があったけど、棒人間のいない部屋はなかったと思います。満足した私はドールハウスの壁を閉じました。翌朝……私たちがドールハウスを開けると……ドールハウスから紙吹雪が飛び出してきたんです。真赤な紙吹雪でした……白い画用紙だったのに……」
『安室さん!ビンゴです!』
新一くんから電話が掛かってきたのは、赤井とホテルに入ろうとしていた時だった。
先日のお詫びに、僕から赤井をデートに誘った。
昼であれば赤井と一緒にいても問題はない。むしろ、叶うことなら傍にいて欲しかった。
現金だと呆れられてしまうかもしれないが、空港でのことが勘違いだとわかってからは、僕の赤井への想いは膨れ上がるばかりだった。
『鈴木財閥なら怪しい品の一つや二つあるだろうと園子に聞いてみたんですよ!そうしたら案の定、烏の紋章が付いたいわくつきの品があることがわかりました!ドールハウスです!』
「そうか……」
ちらりと目くばせをすると、電話の向こうの新一くんの声が赤井にも聞こえていたようで、彼はあきらめ顔で肩を竦めている。
「これから伺っても大丈夫かな?僕としては日を改めても全然いいんだけど」
『逆に今日しかダメみたいです。それが仕舞われている倉庫の鍵は園子のお父さんが管理していて、そのお父さんが明日から一週間海外に行ってしまうみたいで……』
「全然」の部分を強調した僕に新一くんは申し訳なさそうに言ったが、新一くんに非はまるでなく、僕と赤井が間が悪いのは今に始まった話ではない。
ちなみに新一くんはこれからデートだそうで、園子さんの家には空手の達人で彼女の恋人の京極真くんが遊びに来ているらしい。
高校生にできていることが大の男二人にままならないのは縁がない証拠なのだろうか。
「聞こえてましたよね。仕事ができました。行きましょう」
「いいのか?」
「ええ……ホテルランチはまたの機会にお願いします」
誤解していたお詫びにちょっといいランチをご馳走すると言って赤井を呼び出していた。赤井ほどの男とランチするなら東都ホテルの展望レストランがいいと思っていたのだが、平日だというのに予想外に混んでいた。並んでいるうちにテスト最終日で半日で学校が終わったという新一電話がかかってきてしまい、僕たちは来た道を戻ることになった。
「工藤家に寄ってから鈴木家に向かいます」
「新一も行くのか?」
「いいえ。新一くんはデートです。あなたの顔を作るために寄るんですよ」
「また沖矢か」
赤井は不貞腐れた様子で背もたれに体を預けた。
「仕方ないでしょう?園子さんとは赤井よりも沖矢のほうが面識があるんですから」
気乗りしない赤井を有希子さんに預け、僕は科捜研に連絡を取った。
組織のデータに残っていた呪具のリストの中にドールハウスがあったのは記憶していたが、今回鈴木家で見つかったものと同一のものかを確認するために、ブツの詳細と追加調査の結果を送るよう依頼した。
赤井のメイクが終わる前に資料は送られて来た。
しかしその内容は悪趣味極まりなく、僕は自然と顔を顰めていた。
「どうかされましたか?」
沖矢の声で赤井が尋ねる。メイクを始めてまだ十五分だというのに完璧に別人の顔になっているのだからさすがは有希子さんだ。
「これから伺うお宅にあるかもしれない品物の詳細が送られて来たんですよ、沖矢さん。どうやら事故物件ドールハウスのようです」
「事故物件?」
僕が端末を渡すとそれを読み始めた沖矢の眉間にも皺がよった。
ドールハウスが作られたのは今から約百年前。英国の女王のためにドールハウスが作られたちょうどその頃だった。
女王のためのドールハウスは国を上げたプロジェクトで、赤井や新一くんを魅了した推理作家コナン・ドイルも参加したのは有名な話だ。
それを機にドールハウスに『実物の十二分の一に縮小する』という定義が誕生した。
リストに載っているドールハウスも同じインチ・スケールで作られているらしい。
「なるほど……一家惨殺事件が起きた貴族の邸宅をモデルに作ったドールハウスというわけですか」
「ええ。あの方……いえ、烏丸の年齢を考えると彼が直接職人に依頼して作らせたことも十分に考えられます」
工藤夫妻に礼を述べて庭先に停めていた車に乗り込む。来た時とは違う男を助手席に乗せて、アクセルを踏み込んだ。
新一くんから話を聞いていた園子さんは僕たちを歓迎してくれた。ドールハウスもすでに部屋のひとつに用意してくれているそうだが、まずはお茶をと言って応接間に通された。
「安室さん、お久しぶりです♡二カ月前にポアロでお会いして以来ですよね?沖矢さんはもっとお久しぶりですよね?♡大学院は卒業されたんですか?」
「ええ、まあ」
近況を尋ねられているだけなのにすごく落ち着かない。彼女の語尾に♡が付く度に隣に座っている京極実がその度にこめかみを震わせるからだ。
「それにしても安室さんが心霊探偵を始めたって本当だったんですねぇ」
「うん、まあ、ちょっと色々あってね。一時的にそういう事案を扱っているんだよ」
嘘の中に真実をほんの少し混ぜる。秘密主義の魔女から教わったことだ。
「そうなんですか……ポアロでもその話で持ちきりですよ?安室さんに恋人が出来たと思ったら、幽霊絡みの事件を追い始めたって」
「こ、恋人!?」
驚く僕とは対照的に京極さんは表情を緩めた。
「お二人は交際されていたんですか」
「えっ」
園子さんが♡を送る男二人がカップルだとわかり安堵したのだろう。
沖矢はというと黙ったまま笑みを浮かべている。
京極真の名前は格闘技に人並み以上に関心がある僕も赤井も知っていた。敵に回したくない男である。
その彼が僕たちが交際中なら殺気を収めてくれるというなら、これはもうそういう演技をするしかないだろう。
「あはは、そんな噂が流れていたんですか。恥ずかしいなあ。ねえ?」
話を合わせろと暗に言い含めると、隣に座っている男は「はい」と言いながら糸目を片目だけ開いて僕を睨んだ。
仕方ないだろ。例の家を見る前に「手合わせを」なんてことになったら厄介だ。
「えっと、じゃあ、早速ですが、ドールハウスを手に入れられた経緯を教えてください」
「はい……その日のことはよく覚えています」
園子さんがドールハウスに纏わる話をし始めると、さっきまで敵意丸出しだった京極さんは彼女を気遣わしげに見つめている。
まるで土佐犬がゴールデンレトリバーになったような変貌ぶりだ。
恋は蹴撃の貴公子をも変えるらしい。
「というわけなんです……」
「なるほど……では、さっそく見せていただけますか」
「あ、はい。隣の部屋に……」
園子さんは不安気に隣にいる京極さんを見た。ドールハウスに対面するのが嫌なのだろう。未就学年齢であんな体験をしたのだから無理もない。
「僕たち二人で大丈夫ですよ」
「そうですか……?」
「何か自分がお手伝いできることがあったらおっしゃって下さい」
敵に回したくないが味方であればこんなに心強い男はいないだろう。
しかし今回は相手が相手だ。
その存在を見ることができる沖矢が隣室のドアを開けた。
ドールハウスが置かれた部屋はゲストルームのようで、ベッドとデスクが置かれていた。デスクの前には大きな鏡があり、僕と僕の隣でスラックスのポケットに手を入れる沖矢を写していた。
「そんなにこの顔がお好きですか?」
鏡を見ていた僕を沖矢が覗き込む。
「……日本を代表する女優の自信作ですからね。大変よくできていると思いますよ?」
「俺はモナリザか」
面白くなさそうにそっぽを向く。温和な顔に似合わない赤井らしい仕草が見たかったと言ったら余計に機嫌を損ねるだろうか。
ドールハウスがオカルト研究室の呪具かどうかわからないが、本物だった場合には対処できるのは赤井だけだ。あのピカッと光るペンは僕にも扱える代物だそうだが、敵が見えなければ下手な鉄砲もいいところだ。
園子さんの話を聞く限り、ドールハウスが呪われている可能性は高い。誰も見ていない間に細工をするのは可能でも、幼い姉妹を怖がらせる理由がわからない。
テーブルの上に置かれたドールハウスは僕の胸の高さまであった。壁が蓋の役目をしていて、開けば室内を見渡すことができるのだろう。開ける前に小さな窓から家の中を覗いて見たが暗くてよくわからなかった。
「いるな」
「えっ」
隣で窓を覗いていた赤井がポツリと言った。腰を伸ばし、ドールハウスを見下ろす表情は忌々し気だ。
「もう一度資料を見せてくれ」
「はい」
端末に科捜研からの資料を表示させて手渡すと、フレームの中で緑の瞳が画面を睨んだ。
「子どもだ」
「えっ?」
「ドールハウスに憑いているのは子どもの霊だ。一家惨殺事件があったと聞いたから事件の被害者だろうと思ったが……どうやら違ったらしい。犯人だよ。自分の家族を手にかけた十代の子どもがこの家の主だ」
赤井が見ていた資料を覗き込む。そこに犯人の名前はない。七人の家族と五人の使用人が死体で見つかったと書かれていた。しかし発見された遺体の状況が犯人を指し示していた。三人いる息子のうち、次男だけが自らの手で胸に鋏を刺して死んでいた。
「……そういえば、日本のホラー映画だと被害者が化けて出る場合が多いですが、海外ホラーだと加害者がゴーストとして登場しますね」
「宗教観の違いだと聞くが、実際のところはわからん。俺がモルグで見た男の霊は俺が担当した殺人事件の被害者だった」
「そう……ですか」
百年前の事件を再捜査することはできない。
おぞましい事件が起きたのは間違いなく、それを利用して烏丸は呪われたドールハウスを作った。ドールハウスの屋根には万年筆に入っていたのと同じデザインの金の烏が風見鶏になって立っていた。
「次男の霊を閉じ込めるためにドールハウスを作ったのかもしれん」
「え?」
「見てごらん」
赤井が示したのは科捜研による追加調査の結果だった。
「精密なインチ・スケールが採用されていることを考えると王女のためのドールハウスより後に作られている。事件が起きてからドールハウスが作られるまでに少なくとも五年が経過している」
「確かに……五年の間に何かあった……?」
「センセーショナルな事件だ。現場は耳目を集めたことだろう」
「つまり幽霊騒動があったと?」
「騒動を起こしている霊を呪いとして利用するために、そっくりなドールハウスに移した……まあ、これは俺の推測だがね」
今はまだ何の証拠もない。僕は科捜研にモデルとなった家で幽霊絡みの事件があったかを調査するよう指示をした。
「始めますか」
「ああ」
赤井がニューラライザーを構える。僕は壁に付いているフックを外し、蓋を開けた……。
部屋の中に閃光が走る。あまりの光に目を閉じた僕のすぐ横で赤井が舌打ちをした。
「どうしたんですか!?」
「逃げられた」
「えっ!?」
「サイズがサイズだからな……わすかな物陰に隠れて光を避けていったようだ。光が届かなければ祓うことはできない」
ドールハウスサイズの霊ということは十数センチしかない。
そんな小さな存在なら家具の隙間に簡単に隠れられるだろう。
ただでさえ僕には霊を見る力はない。赤井がそばにいれば見えることもあるようだが、ドールハウスの中に人影は見つけられなかった。あまり役には立てないだろう。
赤井は難しい顔で部屋を見回している。自分の家族を惨殺した十代の少年の気配を探っているようだ。
「どうですか?」
「難しいな……作戦を変えたほうが良さそうだ」
「わかりました。その作戦というのは?」
「俺に身を任せてくれ……」
沖矢はニヤリと笑って僕の腰を抱き寄せた。
それと同時に、隣の部屋から京極さんと園子さんの楽しそうな笑い声が聞こえた。
「な、なに!?」
「シー……隣に気が付かれてしまうぞ?」
思わず大きな声を出してしまった僕の唇を長い人差し指が塞ぐ。赤井と同じ煙草の匂いがした。それなのに沖矢の顔が目の前にあって、頭が混乱してくる。
僕の混乱に気が付いた沖矢、いや、赤井か?とにかく目の前の男はにやりと笑った。いや、なんで幽霊を祓ってるのに、そんなぐいぐい迫ってくるんだ!?
ベッドのすぐ横に立っていた僕はわけがわからないまま、気が付くとベッドに押し倒されていた。
「ちょ、ちょっとっ」
「十代のガキが嫌がるものは何だと思う?」
「え?嫌がるもの?」
「そうだ……」
僕に答えを探させる気があるのだろうか。男は僕の唇が彼の吐息を感じるほど近くで話している。
「な、なに、わかんない……」
「フッ……これだよ……」
「えっ、キス?」
男が僕に行動で答えを示すと、窓がピシりと音を立てた。
「そうだ……映画の中で俳優たちがキスしているのを見て思わず目を背けた経験は君にもあるんじゃないか?」
確かに。子どもの頃、テレビを付けたら突然ラブシーンが映し出されて、慌ててチャンネルを変えたことがあった。見ちゃいけないものを見てしまったような、まだ知りたくない情報を無理矢理注ぎ込まれたような感じがした。おそらく思春期特有の感情だろう。
「た、確かに……まさか僕たちがこうやってイチャイチャしていれば霊がて出てくるって言うんですか?」
「ああ」
男はいつの間にか僕の着ていたシャツのボタンを外していて、直に肌に触れていた。その小指はあと五センチも動けば僕の小さな突起に届きそうな距離にある……。
「ま、待って、他にも方法はあるでしょう!?お経を唱えるとか聖水を撒くとか!」
「ふむ。では君がやってみてくれ」
「わ、わかりました……」
僕はたまたま記憶していた米花心経を唱えてみた。
部屋の中に変化はない。
僕の上に跨った男がもう一度キスをすると部屋の中にまたラップ音が響いた。
「……えっと、じゃあ、次は聖水を」
「必要ない。君が一声喘げば……」
「あっ、ちょ、ちょっとどこ触ってるんですかっ」
赤井の指が僕の乳首をかすめたので抗議すると、デスクがガタンと大きな音を立てた。
こんな状況で告白するのもどうかと思うが、僕と赤井は体の関係はまだない。
赤井が僕に告白して来たのは組織が壊滅したばかりでFBIの手も借りたぐらい忙しい時期で、その後一カ月で別れたからだ。
僕は赤井が好きだし、触られるのは嫌じゃない。
でも、よそ様の家で、別人に変装した赤井とエッチなことをするのは話が別だ。
「緊張してるのか?固くなってるぞ」
ビックリしてそこに手を当てたがまったくの平常状態だった。
「体が……固くなってると言ったんだよ……」
肩が震えるほど笑われて、とっくに赤くなっていた顔がさらにカッとなるのがわかった。
「帰る……!」
「仕事を投げ出すのか?それに俺たちがこの状態で帰ったら、鈴木家に何があるかわからんぞ?」
「そうですよ!?ここは鈴木家なんです!何をしているか気付かれたら……」
「誰も気が付かんよ。お互いに夢中だろ」
「夢中って……」
僕は自然と園子さんたちがいるほうに目を向けた。
あの壁の向こうでふたりは……。
「隣の部屋の恋人たちが何をしているか気にするなんて、案外君はスケベなんだな?」
「す、すけべ!?あっ、ちょっと……ん」
僕の抗議は男の唇によって行き場を失った。口の中を舌が入ってきて、僕の舌を舐めたり、上顎をなぞったりしている。
こんなキス、知らない……!
知らない感触に驚いて顔を逸らそうとしたが、煙草臭い手によって顎を掴まれて逃げることさえできなかった。
『君が瞳を閉じたらキスするよ』
初めて付き合った時、赤井は優しくそう言ってくれた。
恋愛経験が乏しい僕には赤井の関係を無理に進めようとしない紳士的な態度に安堵した。
この男になら委ねてもいい、そう思ったのに、今キスしている男は全然違う。
唇の端から唾液が溢れるぐらい口の中を貪られ、苦しさに生理的な涙が浮かぶ。
もしかして、まだ怒ってるのだろうか。
僕が赤井が浮気していると思い込んだことを。だからこんな場所でこんなことを……。
「よし、終わったよ」
「え……?」
「除霊完了だ」
本当にあんなことで幽霊をおびき出すことができたのかという驚きと、赤井の雄の本能のようなものを垣間見せられたことで呆然としている僕をよそに、赤井は園子さんを呼びに行った。
なぜか顔を赤くしている二人に、ドールハウスの中に幽霊がいたこと、除霊が成功したのでもう心配はいらないことを沖矢の声が淡々と説明していた。
「えっと、ありがとうございました!あのお礼はパパから……」
「探偵料なら結構ですよ。こちらから押しかけたようなものですから。ねえ、安室さん」
「え、ええ」
「でも……」
園子さんは隣にいる恋人の顔を見上げた。その途端に二人して顔を赤くするものだから、隣の部屋で何があったのかを想像するなというほうが無理な話だ。
「では、こうしましょう。お二人から私たちの仕事を宣伝していただけませんか?この烏のマークが入った『いわくつきの品』が他にもあるようなのです。お知り合いの家にもしあったらこちらにご連絡ください」
そう言って沖矢が渡した名刺は今回の調査のために作ったものだ。安室探偵事務所、助手という肩書とメールアドレスが書かれている。
「わかりました!パパやママの知り合いに聞いてみます!」
「私も実家が旅館なので、お客様からも話を伺えると思います」
「よろしくお願いします」
安室の助手は爽やかな笑みを浮かべて話を締めくくった。
鈴木家を出ると秋晴れのなか日が傾きかけていた。
さて、これからどうしよう?
好き勝手された腹立たしさはあるものの、一方的に別れを告げた僕だって赤井の目には勝手に映ったはずだ。
今日のデートだって僕のほうから誘ったけれど、昼さえ食べ損ねたままだった。
「沖矢さん」
「はい」
「遅くなってしまいましたがランチでもどうですか?この時間ならまだポアロのランチセットに間に合います」
僕の渾身の譲歩に沖矢は苦笑を浮かべた。
「せっかくのお誘いですが、予定がありますのでここで失礼します」
「えっ……」
沖矢は「またの機会に」と言って僕に背を向け、どこかへと歩き出した。
その背中をしばらく見てから車に乗り込んだ。
鈴木家のガレージから車を出し、自宅に向かってハンドルを切る。
カーラジオのボリュームをわずかに上げて、赤井のことは考えないようにした。
ポアロの前を通過すると、梓さんがランチの看板をしまおうとしていたところだった。今日の日替わりランチはミートボールとキャベツのミルクトマト煮だったようだ。モーニングで人気メニューだったからランチにも出すようになった。赤井にも気に入ってもらえると思うのにな。
「考えないんだろ……!」
どうして僕がこんな失恋したみたいな思いをしなくちゃいけない?
つい三十分前はキスされて体を弄られた。それなのに「予定があります」だと?
僕からデートに誘われて半日しか空けてなかったのかよ……!
自分の言い分が勝手だとわかっている。わかっているから沖矢の背中を黙って見送った。
久しぶりにデートに誘って、赤井とやり直したいと思っていたのは僕の勝手だ。
前回、僕に部屋から追いだされた赤井も同じ不満を感じただろう。
それでも、それだからこそ……今日こそはうまくやろうと思っていた。
僕は他の人の前ではできることもあいつの前だとできなくなってしまう。
自分の不甲斐なさを噛みしめながら、自宅近くの駐車場に車を止めた。
こんな気持ちのまま部屋に戻りたくなくてハンドルに額を乗せ、深く息を吸い込んだ。
助手席で端末が震える音がした。
急な仕事ならいいなと思う自分に苦笑して通知内容を確認すると、赤井からのメールが届いていた。
『今どこにいる?』
『自宅に帰ってるところですけど』
『俺は君の玄関の前にいる』
どうして!?そう突っ込みたくなるのを堪えて、車を降りてアパートの階段を駆け上がる。僕の繕えない足音を聞いた赤井がこちらを振り返った。
特殊メイクではなく素顔で。
「なんで……?」
「君の仕事が終わったと沖矢から聞いたんでな」
駆け寄った僕を赤井が抱き留める。
「デートの続きをしよう」
「……その設定やめましょうよ」
「ん?」
「沖矢とあなたを別の人間だとしたら僕が浮気したことになるじゃないか……」
「ホオ?そうなのか?」
「だから……」
「本命は俺?」
「あ、当たり前でしょう」
数センチ背が高い恋人を睨み上げる。
頬はいい歳した男にしてはみっともないぐらい赤くなって、瞳には安堵の色が浮かんでいることだろう。
そんな情けない僕を赤井は目尻にくしゃりと皺を寄せて笑った。
「ようやく認めたか」
「う……ああ、もう……うちでいいですか?どっと疲れたので」
「俺は君といられるならどこでもいいよ」
どうしてそういう言葉をさらっと言えてしまうんだ。
育ってきた環境が違うからか?
そんなのは人生の注釈にすぎないと別の歌手は歌っていたけど。
玄関を開けると赤井が僕の肩を掴んだ。
今度は何だと身構えると、赤井の指が僕の唇をなぞった。
女性物の化粧品の匂いがする。
そうか、有希子さんのところで化粧を落とすのが『予定』だったのか。
よかった、今度は間違えなかった。
「君が瞳を閉じたらキスするよ」
「……ん」
僕は赤井の背中に手を回し、音がするんじゃないかという勢いで目を閉じた……。