Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    numata

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🌿 🍓 🌸 🍑
    POIPOI 14

    numata

    ☆quiet follow

    前回(https://poipiku.com/1110212/7262438.html)の続き。日常的に音楽やってる人って楽器で喋ってんのかみたいな音出すので二人もそんな感じであってほしい

    【トル団】音色は針のように(後) そのパン屋は、休日も早くから開いていて、ちらほらと人が入っていた。並べられた物はどれも質が良く、今は穴場だがその内繁盛するだろう。
     団長が商品を選び、会計をする間、トルペは団長のコートの裾を握ってむっつりとしていた。怒っている訳ではなく、当然のように奢られているのを含め、今日は色々なことが情けなくて仕方なかったのだった。
     二人は公園のベンチに移動し、買ったパンを広げ、黙って食事を進めた。団長の一口は小さいので、彼がジャムパンを半分食べ進んだ頃、トルペはもうみっつめのパンに手を伸ばしていた。団長の見繕ったものは、どれもトルペの口に合って美味しかった。
    (名前って、難しいな……)
     デザートのつもりの菓子パンをむぐむぐと咀嚼しながら、トルペは考え込んだ。薔薇も、夜明けも、蝶も、落ち着いて考えると本当に彼を呼ぶ言葉として適切なのか、だんだん悩ましく思えてくる。
     試しに心の中でそれぞれの名前を呼んでみようとして、はたと思い止まった。花の名で団長を呼んでしまったら、彼はたちまち花そのものに変わってしまうような気がした。他の名前もきっと同じだ。夜明けの空の色には触れることができないし、蝶ならきっと天高く飛び立ってしまう。トルペは恐ろしくなった。団長はいつまでも自分の側に居てほしかった。
    (……じゃあ、この中なら花の名前を付けるしかないのかな。花はどこにも行かないし、僕の名前とお揃いみたいになるだろうから)
     トルペは、綴りは違えど春の鬱金香と同じ響きの名前を持っていた。薔薇と比べると見劣りするけれど、隣同士で咲く事ができたら、とても幸せだろう。心に決めて、それを伝えようとおずおず団長を窺うと、彼はようやくパンをひとつ食べ終えて、一緒に買った瓶入りのジュースを飲んでいる所だった。そしてトルペの視線に気がつくと、目を細めてふっと笑い、トルペよりも先に沈黙を破った。
    「それにしても、君は面白い名前を見つけるね。数ある薔薇の中でも、セレスティアルとは」
     トルペは今まさに話そうとしていた事を言われて、ぎょっとして声を引っ込めた。
    「セレスティアルは、『天上の』とか『天界の』という意味なんだ。君はいつも星を見ているけれど、やはり頭上に広がる世界に惹かれる性質なのかもしれないね」
     それを聞いた途端、トルペはかすかに青ざめて、食べかけのパンを持っていた手をぽとりと膝に落とした。天上の、なんて、そんな名前を付けてしまったら、本当に手が届かなくなってしまうじゃないか。全て振り出しに戻ってしまったどころか、次の名前を見つけた所で同じことを繰り返すばかりだと、そう言われてしまった気がした。
     みるみる内に元気をなくしてしまった彼を心配してか、団長が顔を覗き込んだ。
    「あまり美味しくなかったかい、それ」
     トルペは首を振って、持っていたパンに再びかぶりついた。パンが美味しいのは本当だった。悩み疲れた頭に、甘く香ばしいそれは有り難かった。
    「なら良かった。まだいくつかあるから、食べたければ残りは君にあげよう」
    「……団長さんは、もういいのですか」
    「十分さ。天気がいいからね」
     団長は飲み干してしまったジュースの瓶を弄びながら笑った。
     トルペの記憶では、いつか連れて行かれた音楽関係者の会食で、彼はフルコースの料理をあくまで上品に、ぺろりと平らげていた気がするのだが、どうも彼自身が大食という訳ではないらしい。添えられた理由が天気なのもよく分からない。団長の謎がまた一つ増えた。
    「名前の事だけれど、ずっとそれが無いまま過ごしていたものだから、私自身想像が付かなくてね。少し怯えていると言ってもいい」
     トルペが最後の一口を飲み込むまでの間、団長はひとりごちるように語った。
    「だからさっきみたいに、少し強引に名付けてくれるくらいでいいかもしれない。お前はこうなのだ、と決めつけてもらって構わない。次はちゃんと受け入れるから、これだと思う名前があれば、もう一度言ってほしい」
     全て分かっているのか、はたまた天然か。団長は時折、見透かしたような事を言ってまで相手を導こうとする事があった。自分自身を置き去りにしていると言ってもよかった。今回の場合は、自分から頼んでしまった事だから、悩むトルペに負い目があるのかもしれない。何にせよ、トルペは辛かった。
    「……あの、団長さん」
    「なんだい」
    「今日は、この後何か予定はありますか」
    「全休──と言えたら気楽で良かったのだが、昼に少しだけ仕事があるから、楽団の本部に行くことになるね。それ以外は、何もないよ」
    「なら、夜に」
     言いかけて、トルペは躊躇った。蝶の名前を諦めた矢先に、夜の蝶を思わせる誘いをかけなくたっていいだろうに。けれどトルペには良い言い回しも分からなかったし、彼のコートが闇に翻る様を思えば、その形容も不本意ながら似つかわしい気がしてしまった。
    「夜に……月の、昇る頃に……僕の所に来てもらえませんか。下宿の人には話を付けておきますから」
    「君の部屋に?」
    「はい。ご無理はしなくて結構です。でも、そこでならきっと伝えられます。だから……」
     団長は特に追求もせず、頷いた。トルペはその眼差しの温かさを、よくよく心に刻んで忘れないようにするのだった。



     外が暗くなると、締め切った雨戸の隙間から、昇り初めの月光が金色に細く漏れ出してくる。すると間もなく、扉が控えめにノックされた。
     トルペが部屋に唯一ある小さなランプを持って扉を開くと、見慣れた下宿の廊下に団長が立っていた。自分で呼んだのに、なんだか夢みたいに現実感がない。挨拶を交わして中へ招くと、彼の長身が夜を告げる精霊のように、するりと部屋へ入ってきた。
     団長を部屋に招き入れるのは、初めてだった。下宿の入り口でもう脱いできたらしいコートと帽子を受け取り、ちょっと立派な背もたれ付きの椅子を薦めると、彼は優雅に笑ってそこに座った。すると仄かなランプに照らされて、あたかもそこに大輪の花が咲いたようになった。この椅子は、団長が来る直前に下宿のおかみさんに頼んで貸してもらったものだったが、その手間は無駄ではなかったようだ。
    「あの、お茶を、淹れてあるのですが……」
    「いただこうかな」
     トルペは頷くと、小綺麗な小さいテーブルを彼の椅子に寄せ、そこに普段大事に飲んでいる紅茶を、大事にしているティーカップに淹れてそっと乗せた。大事にしすぎたせいで茶葉の香りは少し落ちているのだが、団長は構わず微笑んで一口飲んだ。優しいフレーバーの、アールグレイだった。
    「君はご一緒してくれないのかい」
    「えっ?」
    「お茶を。折角美味しく淹れてあるのに」
    「……いいんですか」
    「勿論。その方が嬉しいよ」
     トルペは、いそいそと棚から同じデザインのカップとソーサーを出して紅茶を淹れると、普段使いの無骨なテーブルに置き、団長と向き合うように古ぼけた椅子に座った。
    「あの……このカップ、僕の両親が残した物なんです」
    「そうなのかい。シンプルでいいデザインだね。欠けのひとつも無いし、大事にされていたのが分かるよ」
    「はい。あの、二つ一緒に使うの、初めてなんです。ここ、滅多に人を入れませんから……ん、なんか、言い方が変なんですけど……そうじゃなくて……」
     しどろもどろな様子に団長はくすくすと笑い、青年は頬を赤らめて声はますます小さくなった。彼がこんなに緊張しているのは、もしかするとまだ心許されていないからかと思ったが、どうやら単に珍しい事に対応しきれていないからのようだ。その事にひとまず、団長は安心したのだった。
     トルペは両手で持ったカップに口を付けながら、ちらりと団長を見た。彼は手に持ったソーサーにカップを置き、長い足をゆったりと組んでいた。思わず見惚れるほど様になっているが、自分の部屋の粗雑さと比べてしまうと、それこそ朝に見たセレスティアルが、うっかりじゃがいも畑に咲いてしまったような、そんな風になってしまっている。
    (これは、ちょっと申し訳ない……)
     トルペはなるべく静かに立ち上がると、棚からいくつかの花を挿れた、両手に収まるくらいの花瓶を持ってきた。挿れてあるのは小さな菫と、赤い雛菊と、名前は分からないが白く細かい花のいっぱいついた何かだった。それを団長のテーブルに置くと、ようやく周りがちょっとは華やかになった気がして、トルペは満足して自分の席に戻った。ちなみにこの花は、リスの姉妹がたまにお土産としてトルペの元に持ってくるものだ。ティーカップに引き続き初めて有効活用された代物だが、今は動物達が覗かないよう雨戸を閉めてあるので、それを姉妹が見ることはないのだった。
    「君は、時々不思議な事をするね」
    「そうですか?」
    「うん。見ていておもしろいよ」
     団長は、トルペが置いた花をひとつひとつ指で撫でて笑った。彼の隣に咲いて、あまつさえ触れてもらえるなんて花も冥利に尽きるだろう。トルペはそれを少し羨ましそうに見ているのだった。
     それから、少し静かになった。トルペと団長は、二人きりの時の沈黙を悪いものだと思っていなかった。むしろ、どちらも耳が良い分、静寂を好む傾向にあった。言葉を交わさずとも、互いの立てるかすかな音──たとえば団長が静かにカップを上げ下ろしする音や、トルペが紅茶の香りをすんすんと嗅ぐ気配、それから再び二人の視線が交わって、ぱちりと小さな火花を立てる音など──が、心地よいのだった。
    「……あの、団長さん」
     トルペが、ようやく口を開いた。
    「あなたをここに呼んだのは、聞いてほしいものがあるからです」
    「ピアノかい」
    「はい。……あの、聞いてくれますか」
     団長は紅茶をもう一口飲むと、それをソーサーに収め、音もなくテーブルに置いた。
    「そのために来たんだよ」
     それを聞くと、トルペはさっそく窓辺のピアノ椅子へと移動し、目の前の蓋を開けた。現れた鍵盤に軽く指を滑らせて音を確認すると、団長の方を窺う。団長は足を組みかえて、背もたれに寄りかかり、軽く目を閉じていた。彼が、音楽を聞く時にいつもする姿勢だった。
     沈黙。音楽が始まる直前の一瞬は、何より静穏だ。団長はその中で、青年の深い呼吸とまばたきの音だけを、かすかに聞き取った。
     トルペの手が動いた。そして奏でられたのは、十秒にも満たない短い旋律だった。特別盛り上がるでもなく、平坦すぎもしない、閃くようなひと纏まりのメロディだ。その音は部屋に広がり、隅々まで満ちたと思ったら、もう終わっていた。
     弾き終わったトルペは、おそるおそる団長の方を見た。彼は、短い曲ながら、その余韻まで味わうように未だ目を閉じていた。テーブルに置かれたランプが音に揺らいで、端正な顔に深い陰影を添えていた。
     やがて夜の静けさがすっかり戻ってしまうと、トルペは未だ動かない団長に不安になって、鍵盤に再び手を置いた。高く小さな、問いかけるような音が鳴った。それに呼応して、団長の膝の上で組まれていた指が一瞬、ひくりと動いた。彼は愛用のフルートを携えてこなかった事を、内心口惜しく思っているのだった。
    「トルペ君」
     目は閉じられたまま、囁くような呼びかけが彼の唇からこぼれた。
    「もう一度、呼んでくれるかい」
     トルペの指先から、ぽろん、と喜びに満ちた音が弾けた。

     トルペは、彼の呼び名がどうしても欲しかったが、それを言葉にするのは難しかった。運良く、求める言葉はいくつかの形を持って、青年の前に現れてくれた。それは薔薇になり、夜明けになり、蝶になった。けれど、結局それでは駄目だった。駄目ならもう、音にするしかないのだ。音は飛び立ってしまうことも、触れられないということもなく、この身に寄り添い、心に染み渡り、共に歩んでくれるものだった。トルペにとって、音楽とはそういう物だった。
     公園で団長と別れた後、部屋に戻ったトルペは、雨戸を閉め切って、暗い中でピアノと向かい合った。難しい作業ではなかった。なるだけ短いフレーズに、花びらの柔らかさと、翅の軽やかさと、空の輝かしさを編み込んで、星のようなきらめきで彩るだけだ。
     トルペは、団長のことをほとんど知らない。一体どんな過去が、あの仄暗く美しい人を形作ったのか分からない。だから、ただ感じたまま、自らの繊細のままに、あなたは確かにこうなのだ、と、それを音にした。
     これが、彼の名前だった。
     今、トルペは彼に促されて、再びその名を呼んだ。指が動き、音が流れ、部屋を満たして、そしてやがて静かになってしまう。もう一度──彼の、最早言葉にもならない願いを受け、トルペはそれから何度も彼に呼びかけた。尊敬を込め、恋慕を宿し、その音は彼に届き続けた。
     団長は、名前を付けられてしまった事を、ほんの少しだけ後悔した。長い間、名を呼ばれるという事のなかった彼は、青年の奏でるそれが自身を縫い留めてしまう事に、かすかな痛みを感じていた。音は彼が幾重にも纏う秘密の隙間を縫い、謎を掻い潜り、その魂を穿った。名前とは、そういうものなのだ。団長は右手でそっと胸を押さえて、小さな痛みに耐えた。
     どのくらい経ったのか、トルペの指が低い音を出し、同時に深く息を吐いて、ランプの灯に瞳を揺らしながら団長を見た。呼びかけすぎたかもしれず、息切れと、少しの申し訳なさを覚えていた。
    「あの、……」
     団長さん、と呼ぶのも今は野暮に思われて、トルペはしばらく口をもごつかせていた。
    「……あの、これが、あなたの名前です。これの高い音から低い音まで、全部あなたのものです。この名前は、きっとどこにも行きません。誰にも取られません。僕、これにあなたの綺麗な所も、優しい所も全部詰めたんです。あの、どうですか……」
     団長の、薄く開かれた目蓋から、金星のような瞳が覗いてトルペを見つめた。
    「ありがとう、トルペ君。その名前、大事にするよ」
     何より欲しかった言葉をやっと言われて、トルペはパッと目を輝かせて頬を紅潮させた。途端に両の手をうずうずさせて、でもこんなに呼びまくるのも気安い気がして、けれど結局、我慢できずに再び鍵盤に指を滑らせた。嬉しさに跳ねる指が、饒舌に感情を乗せて彼の名前を呼び続ける。団長はくすぐったそうに笑って、拍手でそれに応えた。
    (でも、ちょっと技巧が複雑だから、こんなに上手く呼んでくれるのは、きっと君くらいなものだろう)
     団長は思ったが、それはまた一つの秘密として、胸の内に留めておく事にしたのだった。



     どこかで聞いたことのあるメロディなのに、その起源が何かと言われると分からない。そんな旋律が、世の音楽の中にはたびたび現れる。
     結果として、彼の名前は、それが名前と知られることもなく、そんな不可思議な音として後々まで伝わった。というのも、かの青年は、あれから事あるごとに彼の名前を呼びたがったのだ。二人きりの時、或いはコンサートの熱烈な喝采の中で、また青年自身の独奏会の合間に──彼に呼びかけたい時、青年の指は迷わずその名を奏でた。観客や動物たちの聞いたそれが、物語を超え、時代を経て、人々の記憶の中にいつまでも残った。
     その事に、彼はただ苦笑した。その名は本当の意味で、誰も取ることができなくなってしまったのだから。

     一つ、言えることがあるとすれば。
     現代の大都会、ガラスのビルに囲まれた雑踏の中で、ふと誰かの耳が懐かしいメロディを拾い、思わず立ち止まったとする。その後ろで、人混みに紛れて黒いコートの紳士が面映ゆそうに微笑んでいるのを見たならば、それは全く不思議なことではないのだ。
     名前とは、そういうものなのである。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    ❤💖💞💘👏👏👍😚💯💴👏👏💖👏💯😭😍💜❤😭😭👏👍💖
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    numata

    DOODLE楽団のモブ視点のトル団。トが楽団に入るまでの両片思い話。モブは見守り系ではなく、がっつり二人に関わってきます。序盤の感じが最後まで続きます。団長がちょっとやんちゃかもしれない
    (モブの要素→楽団のベテラン/既婚者子持ち/ノリが適当/世話焼き/団長の友人)
    【トル団】ある弦奏家の言うことには 俺はしがないバイオリン弾きだ。ある町の楽団でそれなりに活躍して、それなりに楽しく、またそれなりにつまらない生活を送っている。
     ところが、平凡な人生の中にも、流れ星みたいにきらっとして、でもちょっとやっかいな出来事というのは降ってくるものだ。
     これから話すものが面白いかどうかは人によると思うが、例のピアノ弾きにまつわる話だと言ったなら、少しは興味もそそられてくれようか。



    (人形みたいな奴だ)
     オーディション会場にあいつが入ってきた時、俺が最初に思ったのがこうだった。ちょっと癖のある金髪、不安そうに伏せた睫毛も金色。ガチガチに緊張した表情は、その柔らかそうな童顔をむしろ無機物っぽく見せている。
     長机に着いている団員らの方も見ずに部屋の真ん中まで進み出たそいつは、ぺこん、とぎこちなく一礼をした。粗末なシャツから、痩せた鎖骨が覗いている。果たして音楽をやる余裕があるほど食えてるのか? 思わず隣に座る団員と顔を見合わせた。
    14675

    recommended works