FLOWER GIFT「妹子って名前覚えやすいな」
「いい事といえばそれくらいですよ」
「……でも聖徳太子の方が覚えやすいよね?」
これは太子との単なる何気ない会話の中のいちフレーズだが、この一言で、僕は最近自分の名前に感じるネガティブなイメージを忘れていたことに気が付いた。
久々に思い出したけど、物心ついた時から、僕は自分の名前が好きではなかったんだった。
*
僕、小野妹子は近江国の小野村で二流の豪族の息子として生まれた。
当時、一族の男児が生まれてはすぐに死んでしまう事が多かったらしく、父が魔除けのため、女の子のような名前をつけたのだそうだ。そのおかげだかは分からないが、僕は毎日腕立て伏せと腹筋を三十回づつ行っても筋肉痛の起こらない健康な体を手にいれた。とはいえ、今のように太子にまとわりつかれている現状を思えば、魔除けは完全に失敗していると思う。
そもそも、僕がなぜ自分の名前が気に入らなかったのかというと、この名前が女の子みたいだから…というわけではない。いや、少しはある。あるけど……まぁ、女のような男の名、男のような女の名は、意外と世の中に多いものだ。だから、「子」がつくのはまだいい。ポジティブに考えれば最先端のユニセックスネームでもあるのだ。
本当の問題は「妹」という文字だった。妹という言葉は、飛鳥時代では皆が恋人を指す言葉である。この時代に存在しない事実は敢えて無視して、妹子という名前のニュアンスを英語で例えるなら、小野スイートベイビー子みたいな感じだろうか。小野マシュマロ子、小野ラブリン子、小野スペシャルハニーダァ子……とも言える。チクショウ、なんだってんだこの名前は!?
どちらかというと僕は合理的な人間で、この情人に当てる「妹」という文字に含まれた愛だとか恋だとか、なんだかそういう甘ったるい感情が妙にこっぱずかしくてたまらないのだ。思春期の頃には耐えられず大嫌いになったりしたものだが、大人になってからは諦めにも似た感情で「まぁいいか」に落ち着いた。それでも、自分の名前は好きかと言われれば、うーん、と答えに窮してしまうだろう。
*
「なぁなぁ、妹子。今度のナントカいうやつで、頭にアレを挿すんだって。めちゃくちゃオシャレらしいんだけど。知ってる?」
ある晴れた日、半分土に埋まった太子が、いつものように主語をすべてすっぽ抜かした天才なのかアホなんだかよく分からないムカつく調子で話しかけてきた。
「太子の頭に槍が刺さるんですか? 面白そうではありますけど…」
「違わい!花だよ花」
情緒がないな…と半ば呆れて、男はこちらを憐れんだように見ると、深いため息をついた。なんだか偉そうでムカつく。
僕は小さな頃に女の子のような名前と顔でバカにされた事があったので、こなくそ、とスポーツや漢詩ばっかりに熱中して、綺麗だとか可愛いだとかいうものにあまり興味を持つ事なく育ってしまった。大人になってからも、それこそビジネスライクに上司の人の庭の花を褒める事はあったとして(上司の可愛くないガキを可愛いと褒めるのと一緒のやつ)、自分から綺麗だなぁとか可愛いなぁとか、思えた事がなかったのだ。
花を愛でるなら、腹筋を20回している方が好きですね、そういったような事をそれとなしに伝えると、「菊を采る東籬の下悠然として南山を見る……だろ!」と急にインテリぶって漢詩を引用してきたので、そういえばこの人にも学があるんだったと久々に思い出し、僕はまた何だかひどくムカついた。そういった時の太子は、特に得意げにするでもなく、嫌味な感じもなく、さらっとそれをやってのけてしまうのだ。
このオッサンは、いつもは上司にケツを蹴り上げられていたり、デカいおにぎりを汚らしく食べたりしているような男なので、突然かしこい姿を見せられると妙に動揺してしまう。実際、腐っても鯛、臭くても聖徳太子、なのだ。僕は時々忘れてしまうけれど、この人は倭国ができて以来の大天才である。ワンちゃんかわいい、とかカップルに呪詛を吐いているのと同じテンションで、十七条の憲法を考えついてしまうような人間だ。いつもダラダラして人の邪魔をしている割に、人が仕事で悩んでいるところに何の気なしにやってきては、太子のかけた一言ですべてが打開された所を何度も見た。
僕は努力型なので本当に悔しいけれど、太子は生まれつきの天才なのだ。血筋も申し分もなし、仕事も実際めちゃくちゃ出来る、誰にでもそこそこ平等に接する……と要素だけ抜き出してみると本当の聖人のようだけれど、そのすべては本人のアホなふるまいで滅茶苦茶になっている。だからこそ、あれほどの地位の人であれば血なまぐさい事もありそうなものなのに、みんなから適度にウザがられているので放置されているのだ。太子のあの振る舞いが、彼の天然なのか、それとも身を守るための術なのか……彼と一緒に寝食を共にして隋まで行ったものの、実際のところ僕にもよくわからない。僕は普段、こういった太子への疑問をすっかり忘れてしまっている。
でもこんなふとした瞬間、僕の知らない太子が突然現れる。漢詩をすらすら暗誦したり、突然政治の核心を突くような事を言い出して、僕を困惑させる。真面目に仕事をしてください、といつも口すっぱく言っているのは僕なのに、突然大人みたいな事を言い出されると、本当に困るのは僕自身なのだ。だって、僕はアホな太子しか知らない。この賢そうな、目の前に居る人は誰だろう。これは、正月に親戚が集まった時、毎年仲良く遊んでいた従兄弟の女の子と、ある年齢を境に突然一言も話せなってしまった時と似ている。別にその子が嫌いになったわけでもないし、僕が嫌われたわけでもない。僕のプライドが、子供だと思って相手をしていた相手は本当は大人で、逆に僕が子供扱いされていたんだと気付いた時の羞恥心に耐えきれないだけなのだ。
そして、さらにムカつくのは、僕が余計な事を色々考えている間にも、太子はそんな僕には気づきもせずに足元のカエルに気を取られ飛び跳ねている事だった。一瞬の間にいろんな事が頭を通り過ぎたけど、やっぱり考えすぎだったと思い直す。こいつはバカだ。ただの稀代のアホだ。
「何でそんな事するんですか?」
「え? カエルが…」
「アンタが飛び跳ねてる理由はどうでもいいし興味もないよ! なんで花なんて挿すのかって聞いてんですよ」
「あぁ、そっちか。セクシーさに妹子があてられちゃったのかと思った……」
「なんでそんな勘違いを……」
「推古さんがやりたいって言いだしたんだよ。インスタ映えを気にしたのかな?」
「飛鳥時代にインスタないよ! へぇ、でも太子の発案じゃないのなら素直に受け止めます」
「こちとら摂政だっての!ちょっとした事で蹴るな!君のその不遜さは一体どこから来るんだ……ったく。まぁ、ともかくそんなわけで、えげつなく賢い私が考えた冠位十二階と同じ色の花を皆で冠に挿すという事になったという訳だ。でも、それなら違う犬種の犬をみんなで持ち寄った方がいいと思わない?そう思って、ワン位十二階を提案したんだけど…みんなに却下されて……」
「太子も挿すんですか?」
「え?犬を?」
「いや花ですよ。食虫植物とか挿してたら食べられそうで面白いなと思っただけです」
「式典中に摂政が食べられてたらグロいだろうが…食べられてたまるか!そもそも、私は花に負けず劣らず魅力に溢れた紳士だからな……飛鳥では一番の歯並びの持ち主だと自負しているし」
「歯並びは関係ないですが、太子は挿さないんですね」
「挿さないんだよ。ちょっとつまんないけど。そもそも、私は冠位のさらに上の位だから指定した色がないし…私が偉いからしょうがない事ではあるんだが。私が偉いから……」
適当に話を合わせていたら太子がイキがりだしたので、僕は思わずチッと舌打ちをする。そして、思った通り、太子が今私に舌打ちしただろ!?と大騒ぎしだしたので、僕はなぜか安心した。
「もう仕事なんで戻りますよ」
太子が逃がすか!と手汗を飛ばして攻撃してきたので、それを右ストレートでやっつけて仕事に戻る。それでも、午後の仕事の間、なぜか僕はちょっと気落ちしていた。太子は規格外だから、やっぱり僕とはあらゆる意味で違う人間なのだ。
*
「ほれ、小野のぶん」
「ありがとう」
同僚から赤いツツジを受け取る。僕は普段つけていない冠にそれを挿して体裁を整えると、鏡の前へ行って身なりを整える。同じように、赤い冠に赤いツツジを1つ、2つ付けた男たちが、慌ただしく式典の準備をしている。
今日は、太子の言っていた年中行事の日だ。
「何だかんだいって、華やかだね」
「準備は少し面倒だったけどな。こんな係にならなきゃ」
「しょうがない、くじ運の悪さをうらんでくれ」
僕の冠位は大礼なので、同じ位の仕事仲間たちと相談して、赤いヤマツツジを着用しようという事になった。ヤマツツジならば、たくさん生えているので用意しやすい。仕事が詰まっていない者でクジ引きをして、負けたやつが業務時間外に式典用のツツジを用意する事になったのだ。僕はからくも係りからは外れたので、ホッと胸をなでおろした。
予備のためにもう一つ花弁を手にとって、いつもは自分から関心を持つ事のない花をじっくりと見つめる。
(ツツジか、懐かしいな……)
故郷の小野村では毎年、田植えの時期に女たちが頭にいっぱいの山のツツジを挿して豊作を祈るという習慣があった。山で生まれたものには、山の神が宿っている。普段は質素な姿をしている若い生娘たちも、赤や白のツツジを身にまとって、溢れんばかりに美しかった。それは着飾った美しさではなくて、素直な自然の美しさだった。あの時ばかりは、その女たちがどんな豪華な礼服を着た都会の采女よりも輝いて見えたものだ。
自分が幼い頃は、直接田に降りる女たちだけではなく、明るい性格だった母も頭をツツジでいっぱいにして、その様子を楽しんで見ていた。まだ己の名前が男とも女ともわかっていなかった、幼い頃の僕も、頭にたくさんのツツジを挿した。単純にみんなが楽しそうだったので、真似をしたかったのだ。父親の肩という特等席で、稲を植える前の田のさざ波が、はるか向こうから自分に向かってきた時の少し怖くてワクワクした気持ちを今でも覚えている。中央よりは栄えていないかもしれない。だけど、美しい村だ。
でもそれを捨てて、僕は役人になった。
ツツジは、故郷の懐かしさと、少しの罪悪感を思い出させる。
*
「あっ、小野小町!」
「子孫だよ!!!」
つつがなく式典が終わった後、帰路につこうとしているところで厄介な事に太子とはちあわせしてしまった。今日は珍しく、ジャージを着用していない。カレーも食べられていないのか、カレーの匂いもしない。太子がちゃんとしている。時々襲ってくる、従兄弟の女の子現象に見舞われながら、僕は何となく落ち着かない気分で彼と並んで歩いた。
「チェ、妹子はもう挿してないのか。面白がってやろうと思ったのに……つまらん」
「ツツジを挿してたんですが、適当にしてたのでどっかで落ちちゃったみたいですね」
「いや、花じゃなくて斧だってば。妹子だけに」
「……いや、小野だけにだろそこは…」
ボソボソといつもよりも小さい声でツッコミを入れていると、太子がキョトンとした顔でこちらを見つめてきた。何だかムカつく。いつものジャージ姿の時もムカつくが、今日のよくわからない太子にやられるとさらにムカつく。
早いところエロ漫画家みたいなジャージに戻ってくれないかな。いつも太子の調子は狂っているが、このままでは僕の調子まで狂ってしまう。
「なぁ、使ったのってあれか?」
「え?」
そこには、朝準備に使った山盛りのツツジが置いてあった。念のため多めに用意していたので、かなり余ってしまったのだろう。籠に入れられたまま、縁側に放置されている。太子が嬉しそうに駆け寄った。
「いいな〜私も男ぶりを上げたかったなぁ」
「最初からない数値は上がりませんよ」
「ねー、ちょっと私にも挿してみて。命令」
「ゲッ…何でですか…」
僕は口ではいやがりながら、籠の中のツツジを1つ彼のこめかみに挿した。
「似合ってる?」
「知りませんよそんなの……」
「いや忖度しろよ!」
イケメンすぎてギャルが寄ってきて困りそうですねとか言えっての!とオッサンらしい文句を言いつつ頭から湯気を出すて怒り出したので、何だこの人…と思いながら、籠の中のツツジを太子の頭にどんどん挿していく。太子は綺麗でもないが、花は確かに綺麗なので、僕は不本意ながら田植え女たちの輝いた姿を思い出した。
「ちょっと……これ挿しすぎじゃない?」
「僕の故郷では、田植えの時期にこういうふうにしていたんですよ」
「妹子もやってたの?」
「野の女たちのすることでした。でも、小さい頃は僕も挿して遊ぶ事はあったかもしれません」
「ふーん」
またへそでも曲げ出すと思ったが、太子はおとなしくそのまま縁側へ腰を下ろした。僕は理由のわからない浮き足立った気持ちが腑に落ちなくて、そのまま彼の正面に立った。
「そんなの見た事ない」
「綺麗ですよ」
「だろうな」
彼はまだ余っているツツジを剥いて、花びらを地面に放りながら何を考えているのかわからない調子で答える。その様子に何となくいやな気持ちになった僕は、じゃあこれは知ってますか?とツツジをくわえて見せた。
「こうやって吸うと甘いんですよ」
付け根のあたりをチュウと吸ってみると、口の中に懐かしい甘い味が広がる。小さい頃からよく、ツツジの蜜を吸っておやつ替わりにしたものだった。僕ですら少し行儀が悪いと怒られたので、きっと太子はこんなことさせてもらえなかったのではないだろうかと思う。籠の中のひとつを取って差し出した。
「ほら、たくさんありますし」
「そんなに甘いの?」
「吸ってみればわかりますよ」
「…じゃあそっちをくれ。妹子が吸った方」
毒が塗ってあったら怖いし、と太子が言ってこちらをじっと見た。太陽は僕の後ろにあったので、影で太子の顔はよく見えない。いや、見る事ができなかっただけだ。一筋の変な汗が背中を落ちていったのを感じて、僕は何かをごまかすように目を泳がせた。
「毒なんてないですって」
「ダメ?」
「別にダメではないですけど……僕が吸っちゃったんでもうあんまり残ってないと思うし……」
「妹子が嫌ならいいけど」
いつものように駄々をこねるとか、命令だとか言ってくれればいいのに。太子は、時々彼自身に僕が戸惑っているのを見抜くように、こうして逃げ道を作ってみせた。やり方が卑怯で腹がたつ。でも一番腹がたつのは、それを堂々と突っぱねられない僕自身にだ。
僕が逡巡しているのを見かねて、太子は僕が差し出したのではないツツジを籠の中から取って、チュウと音を立てて吸った。
「ほんとだ甘い!モンブランよりあま〜い」
「いやモンブランよりは甘くないと思いますけど……」
「毎日吸いたいな〜これ!そうだ、毎日私に持ってこい妹子!」
「なんでですか!自分で野山を駆け巡って勝手に摘んできてくださいよ」
「えー…おねがい。頼むよ」
「何で僕がそんな事しないといけないんですか……」
「お前が部下で私が摂政だからだ、エッヘン」
「クソ上司が……」
僕は、いつもの調子を取り戻して毒づいた。目の前のオッサンは、地面に靴で何か模様を書いている。情けない、普段の様子に戻った僕たちの間の空気は、全部、太子のお膳立てによるものだ。
「あっちょっと太子!こんなところに居らしたんですね!馬子さんがお呼びですよ」
紫の冠を被った2名組が、こちらにかけ寄ってきた。本当はまた会議か何かだったんだろう。コイツ、仕事をほっぽり出して何やってんだよまったく。
「かったるいよ〜」
「また仕事抜け出してきてたんですか?いい加減にしてください」
「私がいなくてもどうにかなる仕事だし…なんだっけ?河原で拾った石にあだ名つけるんだっけ。キャシー、ベン、飯田……」
「違いますよ!都の北側の治水についてです!まったくもー……妹子さん、あなたもいつも大変ですね」
本当に同情したように、彼の腕を羽交い締めにした右側の人が言った。暴れた拍子に、太子の頭からさっき挿した花がボトボト落ちる。
「クソッ離せ!自分で歩けるわい!……じゃあな妹子、明日からちゃんと持ってこいよ!」
「えっ本当にやるんですか?」
「そうだよ、もちろん」
やらないとクビだからな、と太子がひきずられながら叫んだので、ポーズとして僕は肩を落とした。
*
「太子……持ってきましたよ」
「本当に来てくれたのか」
無視してもよかったのかも、と思いながら、僕は翌日にもツツジを太子に献上しにやってきた。今日はいつものように青いくたびれたジャージ姿で少し安心する。目を丸くして本当に驚いているのだという態度に少しイラつきながら、そのへんにある竹の入れ物に枝ごとつっこんできたそれを、つっけんどんに手渡した。
「じゃあ、僕行きますね」
「えー行っちゃうの。一緒に吸おうよ」
「いやだって、仕事が……」
チラッと太子を見ると、思いの外素直に喜んでいる。何だかもっと、僕を大変にさせて困らせる事が目的かと思っていたのに。思わず、ちょっとした疑問が口をついて出た。
「そんなに嬉しいんですか?」
「うん、嬉しい。正式じゃない場で、花なんてもらった事ないもん」
彼は率直に答えて、ツツジを1つ摘んで昨日のように吸った。
「妹子」
やっぱり甘いね、と口に花びらを挟んだまま、太子はどこかに歩いて行ってしまった。
僕は呆然とその場所に突っ立ったままで、彼に呼ばれた僕の名前の持った温度について考えていた。
*
あの日から、僕は毎日太子のために花を摘んでいる。正直面倒くさい。それでも、素直に喜ばれてしまうと、なかなかやめどきが見つからない。自分でも大概お人よしなのだと思う。
毎日、同じような容れ物にツツジを挿して持っていくのだが、だんだん、そこにふと目に付いたいろいろな他の花や、枝や、葉っぱをつけ足してみるようになった。少しの変化なのに、何だか毎回違う贈り物に見えるのが不思議で、僕は前よりも草花が好きになった。
花を持って行くと、普段の変な調子とは違い、太子はいつも素直に喜んで嬉しいと言ってくれた。僕は居心地の悪い思いをして、適当な事を言ってその部屋を出てから、足早にその場を後にする事で、自分自身の速い鼓動の理由をごまかしていた。これは競歩並みの歩く速度からくるものであって、決してアレにアレしているからではない。そして、気がつけばこれが毎日の2人の習慣になった。あいつに悪態を吐かれるとイライラするけれど、素直な時の太子はそこまで嫌いじゃない。本当のところを言ってしまうと、僕はあのオッサンの喜ぶ顔は結構気に入っている。
なんやかんやしているうちに、気がついてみると、ツツジの季節が終わっても、僕は意地になって太子に花を届け続けていた。その時間だけはお互い、何を言い合うわけでもなく、罵り合ったり激しい言葉のやりとりなんてしなくて済むから、気が楽だったのもある。
いつか、太子が「もういいよ」と言った事があったけど、僕はすぐさま「何の事ですか」と返してしまった。今思い出しても、バカなんだよなぁ。あれはこのおかしな習慣を止めるのにちょうどいいチャンスだったのに。それを切り出した時の太子の顔が、あんまりにも哀れっぽかったんだ。すぐに切り返した僕の声も、少しかすれてしまった気がするけど。
僕は今日も毎日、聖徳太子に花を贈っている。
*
「妹子の名前って便利だよな」
「そうですか?」
「うん」
これは太子との単なる何気ない会話の中のいちフレーズだ。これ以上会話も続かなかったので、彼がどういった意味でこの言葉を発したのかも、僕には知ることができない。久々に思い出したけど、物心ついた時から、僕は自分の名前が好きではなかったんだった。
僕は、僕が自分の名前の甘ったるい部分がとてつもなく苦手だった頃、僕はまだ幼くて、この文字が持っている大事な意味を理解しきれないでいた事を、今では懐かしく思う。何と言っても、妹という言葉は、飛鳥時代で大事な人を指す言葉なのだ。
「おい妹子……」
「なんですか太子」
「ちょっと暴発してこい」
「はあ?!イヤですよ。アンタが暴発しろ」
僕たちの関係は最初から最後まで変わらないだろう。僕が太子をどう思っていようと、太子が僕をどう思っていようと、このまま平行線で2人の人生は過ぎていくのだろうなと思う。
「そんな事より、はい……これ」
「わぁ」
贈った花を受け取って、嬉しそうな顔の太子が素直に僕の名前を呼ぶ。
僕はこの名前でよかった、と思いながら、今渡したばかりの赤いツツジを抜いて何の気なしに彼のこめかみに挿した。
おわり
*次ページあとがき
*当時のあとがき
お疲れ様でした。
太子が亡くなった後、妹子が毎日お花を供えていたのが華道の元祖という言い伝えを聞いて
その真偽はともかくとしてそういう言い伝えがる事がいいなぁ、と思って書きました。
史実と日和ワールドはまた別だとも思うのですが。
漫画でギャグなので、小説はちょっと真面目にやろうと思いテンションがおかしくなってしまいましたが、
少しでも楽しんでいただければ幸いです。