思いつくままの雑利 ④ 「組頭。戻りました」
「うん」
今日も今日とて有休をとって忍術学園の土井半助へ挑みに行っていた諸泉尊奈門がタソガレドキ忍軍詰め所に戻ってきたのは、申の刻に差し掛かる頃。
この時刻に帰ってきたということは、土井の仕事が忙しく果たし状を受け取ってもらえなかったパターンであろう。水筒に刺したストローで甘い水を飲みながら、組頭と呼ばれた雑渡昆奈門はぼんやりと身支度をほどき始めた彼の後頭部を眺める。
尊奈門の頭巾の結び目のあたりに蝶のような黄みがかった紙がひらひらと揺れている。
「ねえ尊」
「はい、なんでしょう」
「頭のそれ、だれから?」
「……?あ!」
忍者であるからくっつき虫などはつけていなかったが、尊奈門は何故か頭巾の後ろの結び目に小さく折りたたんだ文を携えていた。ご丁寧に落ちないように針で刺してある。もがいて取れなかった尊奈門を落ち着かせ、そっと抜き取る。文を開いて検めるとここ最近見慣れてきた文字がつづられていた。
「利吉君かあ。ありがとう。尊」
「あ、はい……って!あいついつの間に!」
「ん~~いつだろね。うん、片付けしておいで」
「……はい」
尊奈門はまだ少し言いつのりたいことがあったが、手紙を見る雑渡の眼付きを見てすっと引き上げた。彼はいろいろなところからその未熟さを指摘されてはいるが、雑渡のことに関しては抜きんでていた。尊奈門は雑渡が今は静かにしてほしいのだと察し引き上げる。
いつの間にか託されていた手紙のことも忘れるように努めようとした。
……山田利吉はつい最近まではよく訪れていて、任務に深くかかわらない雑務の手伝いなどをしてもらうことが増えていた。だが、ある一時を境にもうふた月ほど姿を見ていない。
彼はフリーの忍者であるから長期任務に出たのだと解することもできたが、街で数回姿を見かけることがあったのでそうでもないようで。
彼がここを訪れては組頭である雑渡の客として彼の部屋でもてなされていて、雑渡が利吉をやたらとかまう様子を見せていたので尊奈門は雑渡と利吉は情を交わし合うようになったのかまさか念弟にか、と思っていたのだが。
先ほどの雑渡の表情。包帯で隠れていない目がほんのわずか細められた。
疑問の眼だった。なにやら、自分にはうかがい知れぬところで雑渡と利吉とで何かが起こっているらしい。
「……(山本さんに相談してみようか)……」
そう考えてはみたが、山田利吉は今のところは部外者であり、組頭が招き入れているからという身分でしかない。さすがに人のことでそこまで首を突っ込むのは、あまりよろしくない。
何か手伝うことがあれば、自分にも声がかかるだろう。尊奈門はとりあえずそう結論付けて詰め所の自分の部屋へ向かうこととした。夕餉まではまだ時間があるので、鍛錬の時間を取れそうだった。
『雑渡昆奈門殿
ご無沙汰をしております』
と書き始められた手紙には、最近訪問がないのは土井から忠告を受けたからであること、自分の立場を見直し、仕事に集中するため訪問を控えること、これまでの恩に感謝しますとあたりさわりのない内容が書かれていた。
そして、最後に。「またいずれ手合わせ願います」と彼らしいきれいな筆でしたためられていた。
「ふうん……」
これでおしまいか。と雑渡はまた甘い水をすする。
自分から彼に伝えたことだが、雑渡は特に一人に入れあげる、ということはしない。
かつて、彼と枕をなべて話した会話がよみがえる。
「君が私に恋慕を抱いたとて、私は変わらないよ」
「そうですか……ねんごろの人がいるとおっしゃってましたしね」
「そういうひとも一人じゃないしねえ」
「……え」
「わたしの情の返し方はこうなんだ。唯一人を愛し愛されることはしないし、できない。だから君の父上は素晴らしい人だよ」
「ええ……」
勿論それ以外でも山田伝蔵殿は尊敬に値する人物だ。それでも、父を褒める言葉に対してむすくれている息子の顔を見ると、家族に見せる顔はやはり人の親なんだなとさらに親愛さえわいてくる。
「利吉が私を好いてくれればとても嬉しいよ。わたしも好きを返してあげられる。でもね、ただ一つにはしないし、してあげられない。これが残酷だと思うなら離れなさい。私は変わんないから」
「……ああ、そう、ですか」
「うん。いつでも来ていいし、離れてもいい」
「そんな都合の良い……」
「便利でしょう。情はそんなふうに使ってもいいんだよ。三禁とは言うけれど忍びならばよく考えなさいね」
「……はい」
「必要とあらば自分の心も道具に過ぎないよ」
「さすが、タソガレドキ忍軍忍び組頭」
「尊奈門は貴方にとっては……」
「無二だね。とても大事だよ」
「その割には手厳しいところもありますね」
「尊奈門は私達の末っ子みたいなものだしね〜……」
そのあとは尊奈門がどんなにかわいいものかを語ってやったが何とも表現しがたい猫のような表情になってしまったので早々に別の話題に移っていったなと思い出してゆく。
そうだ。
雑渡自身が言ったことがすべてなのだ。
自分には情を交わす相手が複数いる。利吉との関係はたわむれに始めたことだ。加減はしたがくらいついてきて、私に最後の手を下させなかったあ゙の意地の強い目が眩しかった。
あの行いは、利吉からしたら人として忍びとしてあるまじき行いなのだという。幼い子供の命よりも自分の大切なものの命を選んだのだと。
雑渡にはまばゆい火花のごとしの感情が眩しかった。あまりにも青い。結果として子どもたちも大事な人も救えたのだからそれで良しとすればよいのに。未来のことなど神仏にもわからぬのだから。
雑渡としてはあのとき土井が記憶を取り戻して良かったと思う。たまごの可能性を潰さずにすんだ。一人の青年の命を奪わずにすんだ。多くの国の命運を奪わずにすんだ。恨みを買わずに済んだ。……利吉とこうなるきっかけができた。ただ、良かった。
もし記憶が戻らず彼を殺していたら、失ったものは多いが救えたものもある。うらみをかうのは私だけで。ただ、かわいい卵たちから恨みを買うのは少し辛い。彼も、こうして生きているか定かではないだろう。自分を引き止めるべく命をかけたまばゆい青年は大切なものを殺した自分に飛びかかり殺そうとし。そして殺せずに打倒される。死ねれば幸いだが生き残れば……死んだほうがましな生を生きていく。
眼の前の利吉は眠たげに目をこすりながら腕の中でまどろんでいる。温かい。サラサラとした髪が指の間をすり抜けて心地が良い。彼を腕に抱けるのはかけがえのない偶然の産物。いとおしいなあ。
思いをそのままに利吉を抱きしめれば彼は何すんですかと憎まれ口をきいた。ああいとおしい。
口づけを送りたいなと思いながらもこらえる。彼から好意は伝えられていないから。
「……君は強くなってね」
「はぁ?」
変わりに思いの丈を言葉にすれば何いってんだこの人はとばかりに顔をしかめられた。弱いって言ってんのかと怒ってくるからそうじゃないのにぃと茶化して空気を軽いものにする。
(君の体も心も、大事なものを、山田利吉として生きるために大事なものを守れるよう強くなりなさい)
それが望み。
雑渡は利吉からの愛情をもらうなどとは考えていなかったのだ。
だのに、利吉の手紙を読んだ心は晴れない。
彼は選んだだけだ。自分から離れると。
ただ、あまりにも急だった。
手紙通り土井が利吉へなにがしか忠告したか、灸をすえたのだろう。おそらくは後者。あの先生は自分の気持ちを押し殺すことに慣れている。利吉くんに対して爆発しちゃったのかなあと思う。
それならば、それでいい、そのはずだ。
だのに、なぜ、このように面白くはない気持ちがわいてくるのか。ただ、離れていこうとしているだけだ。かわいいなあと思った猫が離れていくのと同じことだ。
「触るな曲者」
「……あっ……や、やめろって……ばあ!」
「やめろ!!」
遠慮なく私に対して爪を向いてくる利吉の姿が次々とわいてくる。また見たいなあ、と漠然とした思いを抱える。鍛錬をつけてやって、動きがよくなった。いい子だとほめてやるとやめてくださいっと手をはたきながらほんの少し頬を染めた。
気づけば利吉のことを考えている。
まるで恋するをとめ。
「ふーん、これは困っちゃった」
どうやら先の自分が言うほどには簡単に手放せてやれないようで、ふむと顎に手を当てて考える。どうしたら、またあの子を構えるようになるのか。こっそりいくか?いや、あの子はあれで真面目だからそんなことをしたらあの子から離れてしまうだろう。無理矢理ここに連れ去ってしまおうか、いやそれは鬼の軍団を相手取ることになりそうだ。
「あれれ、結構厄介かな」
まあ、ここでこうして一人悶々としていても良い考えが湧いてくることもない。ずっ、と水筒に残った水を飲み干して信頼できる仲間に相談することとした。
そして食堂。夕餉の時間で賑わっている。ちょうど雑渡が話しかけたかった側近がいたのでラッキーだった。
「……ていうわけなんだけど、どうやって落としに行けばいいと思う~?」
「……組頭……恋バナですか……」
「私が山本さんに相談するのをやめたのに、組頭ご自身でしている……」
尊奈門がひとりごち、向かいに座っていた高坂はやや面白くなさそうにしていたが雑渡がこのようなことになっているのは珍しく、興味が勝ったのかとどまっている。
組頭の恋バナなんて食堂ですることですかと山本はため息を付くがしおらしそうにしゅんとする大男を見て、またはぁとため息を付いた。なんだかんだで彼に甘いところのある小頭である。
「ハァ。まあ、利吉君がうちに来てくれるのは楽しいですよ。土地土地の美味しいものをたくさん知ってますから、興味深いですし」
と山本。
「そうですね。利吉さんから山歩きのコツを聞きましたが、参考になりました」
と高坂。
「そうなんだ。お前たち結構仲良しになってるんだね」
「組頭にはツンですからねえ。利吉さん」
「私たちには結構愛想よくしてくれますよ。ご飯もおいしそうに食べてくれます」
「……私は馬鹿にされていますが」
と尊奈門が口を挟む。
「お前はしょうがない。片言になるのをまずやめろ」
「土井の話をされると、つい……」
その後、いかに利吉がタソガレにきて楽しいか、何をしているかをぺちゃくちゃと喋りみんなこんな楽しそうにしてるんだなぁと雑渡は思う。が。
「で、私が相談したことってどうなったの」
もともとは利吉をどう落とすかを相談に来たことを、雑渡は忘れていなかった。しかし。
「応援してます」
「以下同じです」
「頑張ってください!」
「……えー」
部下たちの反応はつれないものだった。雑渡はそれなりに浮き名を流してきた人物で、山本は妻一筋、高坂は雑渡に手ほどきされたものであり、尊奈門はまだ守られるほど。雑渡に何かアドバイスができるとは三人とも思っていなかった。
「成功したら、美味しいお菓子ふるまいますから。みんなでお茶して祝いましょう」
「じゃあ、頑張るかあー」
美味しいお菓子がたくさん載ったちゃぶ台を、利吉君とみんなで囲むところを考えるとなんだかやる気が出てきた気がした。とりあえずは、忍術学園に向かってみるかと結論付けて、山本へ向かって「じゃあ私は忍術学園に行ってくるから。明日と明後日、有休にしといてね」とのたまって姿を消した。
「へ、あ?組頭!?クソッ!逃げた!」
折しも月がのぼり始めた頃合いで、彼が敵だという月を見上げる。きらめく月光が道を照らしている。たまには助けになるものだと月に礼をしながら雑渡は道を急いだ。