if②今居る詰所から別の拠点へと移ると聞かされたのが二刻程前のこと。
闇に紛れて移動した方が良いものであろうに、やたら大きな頭の首領は朝方こっそりと出ていくのだと言う。
何でもすぐ行動に移せば却って目立つやら周囲には前日出立したと言えば良いなどと理由を述べていたが。
同じ忍者隊である筈なのに何処か感じる違和感。考え方が違う。何かがずれている。
前はどうだったのだろうかと過去を想起しようとしても、脳裏によぎるのは暗闇に燃え盛る炎、人々の叫び、そして真っ赤な――
頭を殴られるような頭痛と目眩を感じて目を伏せる。
自分を拾ってくれたあの男が言うのであれば従おう。それが間違いないのだ。
思考を停止させ、息を吐いた。
ふと、階下で人が動き始める気配を感じた。
そろそろ出立かとまだ重い頭を振り立ち上がって、何気なく外に視線をやった。
「…?」
陽の光が辺りを照らし始めてはいるが奥がまだ暗い竹林。僅か、ほんの僅かだがその奥で何かが動いた、ような気がした。
何者かが侵入したのか。神経を研ぎ澄ますと落ち葉を踏み締め何者かが駆けてくる音を拾った。
まさか昨日の今日で再び忍術学園の者が来たというのか。再起不能にはできなかったが手負いにはした。そのような状況ですぐに攻め込んでくるなど無いだろう。
それに、昨日の者たちは何か気負っていたからか気配を隠せなかっただけで、未熟な者では気付くことができないだけの実力は持っていた。(実際、傍にいた忍らは気付くことは無かった。)
今、竹林に居る者は音を立て見つけてくれと言わんばかりだ。続けざまに強襲をかけるなら、このような未熟な者のあるはずでない。ともすれば、詰所を襲いに来たわけではないだろう。
捨て置くか。
あるいは室内の者に見に行かせるか。
自分が動く必要は無いはずだが、行かないという選択に心が波立つ。なぜか行くべきだと本能が告げていた。
――様子を見に行くだけだ。すぐ戻る。
そう結論を出せば部屋の外に居る者たちに悟られぬよう部屋を抜け出した。
―――――――――――――
部屋を抜け、竹林へと向かう。音のする方の竹へと次々飛び移り奥へと進んでいたが、程なくして足音が止んだ。歩みを止めたのか、はたまた引き返したのか。気配も感じ取れず一度手頃な一本に掴まり動きを止めた。
昨日の者たちのようにわかりやすい気を出してくれれば良かったのに。そうすれば迷わずそちらへ向かえている。
あまり長居をしてしまうと忍者隊の者たちがまた追ってくるだろう。それはそれで面倒なことになりそうだ。
戻るか。
何も問題無いと結論づけるには早いかもしれないが、身動きが取れにくいこの場に何人も来て戦闘になるよりも一度戻り警戒を強化させた方が良いだろう。そう判断しかけた時だった。
「先生…」
か細い子どもの声。聞いたことは無いはずなのに馴染みのある声だった。
吐き出されるような声音がした方へ弾かれたように顔を向ける。
目を凝らし、先を見据えれば、三町ほど先に子どもが蹲っていた。
気付かなかったのはその子どもが生気を失ったかのようだからか。気力を感じられず結果気配が辿れなかったのだろう。
朝方に、このような場所で子ども一人いるなど尋常ではない。
先生と聞こえた。迷い子か。あるいは迷い子と見せかけた間者か。何かの罠かと周囲を改めて探るが他に人気は無かった。
ならば、確かめてみるかと掴んでいた竹に力をかけしならせ、その反動で飛び移る。まさに一足飛びでその子どもの元へと音もなく降り立った。
蹲る子どもの顔は見えない。だが、その姿になぜか胸の奥が締め付けられた。このような感覚となる理由に覚えが無い。胸に手を宛て要因を探るが見当もつかず、このことに時間をかけるより先に状況を整理することにした。
子どもは変わらず蹲ったままである。自分が傍に立っても反応を示さない。気付いていないのだろうか。
「お前は、何だ」
ただ情報を引き出す為の問いを投げ掛けた。そこに感情は無い。まずは反応を窺う。
子どもはゆっくりと顔を上げてきた。徐々に顔が見えてくる。どこかで見たことがあるようなその顔は自分のことを認識すると幾分か生気を取り戻し大きな目を更に見開かせた。
「せん、せ…」
「私はお前の先生ではない」
「どいせんせい…」
「誰のことだ」
子どもが震えるような声で呼び掛けてくる。昨日の者たちも自分のことをそう呼んでいた。あろうことか自分が敵陣の教師だと。
違う。自分はドクタケ忍者隊の軍師だ。決してそのような存在では無い。淡々と否定する事実だけを述べたが、それがショックなのかみるみる内に子どもから生気が失われていく。
絶望と言っても過言ではない反応を見せられ先程締め付けられた胸が更に痛みを増し、さすがに困惑する。それに、力無く項垂れてしまった子どもからは何も聞き出すことはできない。
「…お前は、何だ?ここに何をしに来た。」
何か情報を得なければならないと再び問い掛ける。
「先生に、会いに…会い、たかったんです…」
掠れ掠れに返された言葉に今度はこちらが目を開いた。無論、悟られぬよう面には出さないくらいではあるが。
この子どもは、自分に会いに来たと言う。なぜ?自分はお前の先生ではないのに。
「先生、ぼくを、ひとりにしないで…」
「もう、ひとりになるのは…やだよ…せんせぇ…」
立て続けに吐露される言葉と同時に子どもの頬を大粒の涙が伝っては落ちる。
刹那、頭を殴られたような衝撃が走った。子どもが泣いたから動揺しているとかそのような単純なものではない。子どもは自分から目を逸らさず、じっと見つめながら縋るように涙を零している。その姿に憐憫とは異なる遣る瀬無い、得も知れぬ感情が支配する。
この子どもには会ったことが無いはずだ。だが、先程から幾度となく襲う胸を締め付ける感覚、そして何より奥底から湧き出す愛おしさが間違いなくあった。
泣き止ませなくては。自分がこの子を守らなければ。衝動にも似た思いに駆られる。
膝をついて目線をあわせる。
「…ついてくるか?」
気付けば情報を引き出すことも忘れ、自分でも想定しなかった言葉を口にしていた。
忍であれば情をかけるなどすべきことではない。だが、どうしてもこのままにしておきたくなかった。この子と共にありたいとすら思ってしまったのだ。
唐突な話だ。子どもも困惑するのではないかと反応を窺ってはいたが、予想外にすぐに頷いてきた。
「承知した。」
子どもからの回答を得るとなぜか安堵し嬉しくなる。それを悟られぬよう短く返事をして立ち上がった。
連れて行くならまずは詰所だろう。自分を先生と呼んでいたことから、この子どもも忍術学園の関係者である可能性が高い。隠しておくべきか。それよりも今からの移動にどのように連れ出すかも考えなくてはならない。
思考を巡らせながら、子どもに背を向け歩き始めようとしたが、背後からは想定していた落ち葉を踏み締める足音でなくくしゃりとした崩れ落ちる音がした。
「あ、れ?はは…あれ…?」
振り返ると子どもが膝が笑って立ち上がれず、必死に立とうとしている姿があった。やせ我慢なのか泣きだしそうなのに笑おうと取り繕っている。
再び、胸が抉られるような痛みが走り、思わず手を伸ばし子どもを抱き上げた。
抱き上げられた子どもは何が起こったのかわからないと目を瞬かせている。自分でも意図してする行動ではないだけに混乱していたが子どもにそれを気取られたくはなく、一息つく。
「走るぞ。掴まれ。」
さすがにそろそろ戻らなくては騒ぎになるだろう。まずは戻ることを優先することにした。これからのことは戻ってから考えようと声をかけ走り始める。
腕の中の子どもを落とさないにと位置を変えようとしたがそれよりも先に子どもが自分の装束をしっかりと掴み、胸元へと顔を埋めた。
まるで、離れまいとするかのように。
それがなぜか懐かしく、そしてひどく愛しさを募らせるのだった。