「お兄ちゃんお慕いしております。房中術の指南だと思って思い出をくださいませんか」
そう想いを告げられ恩人の息子である利吉を抱いたのが四年前。
大切な子であるから、自分なりにそれはそれは大切に丁寧に抱いた。
その後も変わらず利吉は半助を想い続けていることはわかるのだが、互いに話題に出すことはなかった。
恩人の息子で彼自身にも恩がありとても大切に思っている、弟のような存在だ。
とてもそういう目で見ることはできない。
そんなことはあってはならない。
「お兄ちゃん、ありがとう…大好き」
だが、艶かしく乱れ善がる声の合間に好きだと言い己に縋り付く彼の姿を忘れられないでいる。
時たま、二度と来ないあの日のことを思い返してしまう。
「半助、利吉には好い人がいるか知っているか?」
よい子たちのテストの採点に胃を痛めていると、唐突に伝蔵から問われる。
「いないと思いますが…何故私に?」
「年頃だし親には言い辛いこともあるだろう。半助なら利吉のプライベートも聞いているかと思ってな」
あいつは変にいじっぱりなところがあるからなと顎をさする伝蔵。
真面目な利吉のことだ、誰かいれば律儀に報告に来るだろう。
伝蔵が知らなければよっぽどいないと思うが。
それに利吉の想い人は自分であるからいないはずだ。
「なるほど。でも突然どうしたんです?」
「いやな、古くからの知り合いの娘さんが独り身だってんで利吉さえ良ければお見合いでも組もうかと思ってな」
お見合いという聞き馴染みのない言葉にどきっと強く心臓が鳴る。
「利吉くんに、お見合い?」
「…あんたにも良い人を紹介するからそんな怪訝そうな顔しなさんな」
相当顔に出ていたらしい。
やれやれと言った風な顔で伝蔵がフォローを入れる。
「いやいやいや、私は今でいっぱいいっぱいなので…きり丸もいますし」
「ふーんそうかね?」
「こんにちはー」
伝蔵が片眉を上げながら半助を訝しげに見ていると戸が開き、利吉が入室してきた。
「おお、利吉。ちょうどいいところに」
「?なんです?」
「実はかくかくしかじかでな」
「ふむ、お見合いですか」
利吉は顎と腰に手をやり考えるそぶりをする。
「いいですね、お会いしてみましょうか」
「え!!?」
まさか利吉が承諾するとは思わず半助は大きな声を出してしまった。
「なんだ半助大きい声を出しおって」
「だって利吉くん、前お見合いから全力で逃げてたじゃない!」
「まあそうなんですけど。お会いするくらいならいいかなと思い直しまして。そのくらいフラットなスタンスでもいいですよね?父上」
「ああ構わんよ」
軽いノリの利吉に思わず半助は固まる。
その横で、山田親子はいつもの調子だ。
「そうしたら文を出しておこう」
「わかりました。では母上には父上からお伝えくださいね」
「いやいや儂は忙しくて帰れんぞ」
「はあ?息子のお見合いですよ!?父上から母上にお伝えするのが筋でしょう!忙しなら私だって負けてませんよ!!早く家に帰ってくださいっっ」
伝蔵と利吉は顔を突き合わせ睨み合った末に利吉が身を翻して戸の方へ向かった。
「とにかく!今日はもう出ます!父上はちゃんと母上に相談した上で話を進めてくださいねっ」
と、戸を勢いよく閉めてさっさと出て行ってしまった。
伝蔵はふんと鼻を鳴らしてしかめっ面をしている。
「あいつは一体何をしに来たんだか」
「山田先生、利吉くんには好いた相手がいると聞いたことがあります。本当にお見合いを進めてしまうんですか?」
「しかし利吉はそんなこと一言も言わなかったぞ。もうその相手のことはどうでもよくなったんじゃないのか?というか半助、儂が利吉のことを聞いた時そんなこと一言も言わんかったじゃないか」
(私のことはどうでもよくなったのか、利吉くん)
脳裏に四年前の情事がありありと思い浮かぶ。
『お兄ちゃん』
『ずっと好きです』
『生涯貴方だけを想います』
息も絶え絶えに好意を伝えてくれた利吉。
唸る半助に呆れたように伝蔵が問う。
「そもそもお前さん、なんでそんなに利吉のお見合いに難色を示すんだ」
「そりゃ弟のように大事に思ってる子の大事な選択ですから」
「その娘は器量も容姿も良いと評判の子だからまず心配することはないと思うがね」
「でも利吉くんは会ったことがないじゃないですか」
「だからそれを見るためのお見合いなんじゃないの。半助…他に渋る理由があるんじゃないのか?」
「私にとっても利吉くんは大切ですから選択を誤ってほしくないと…」
要領を得ない半助に伝蔵は一つため息を吐き
「半助が何をそんなに渋っているかわかりませんけどね、あたしはあんたたち二人の幸せを願ってますよ。親ですから」
と言って半助の肩を叩くと、さあ授業授業と職員室を出て行った。
自身も採点の途中だったと思い机に向き直るが、一人になると利吉のお見合いのことがぐるぐると頭の中を駆け巡る。
たまらず畳の上へ寝転がった。
私への気持ちはもう失せてしまったのか。
どうしてお見合いなんて承諾するんだ。
どうしてなんてことない顔をしていたんだ。
どうして私はこんなにも利吉くんのお見合いが嫌なんだ。
私も好きなんだ、彼のことが。
「はあ〜〜〜…」
顔を両手で覆い大きなため息を吐く。
好意を自覚してしまえば自己分析がするする進む。
恩人の息子、弟のような存在だから好意を持ってはならないと無意識に自縛し、利吉からずっと好意を持たれていることに安心していたのだと思う。
自分勝手ではあるが、お見合いの前に想いを伝えたい。
あわよくばそのままお見合いなんてなくなってしまえばいい。
次利吉が来るのはいつだろう。
彼が来ることはできてもこちらから追うことはできない。
なんてもどかしいんだ。
「私を置いて見合いなんぞするなよ、利吉くん」
「土井先生もお見合いされたいんですか?」
「うわあああ!?」
一人ごちると、上から利吉の声が降ってくる。
慌てて起き上がって見上げれば先ほど帰ったはずの利吉の姿があった。
「やっぱり土井先生からお見合いした方が良いですよね。父上に言っておきます」
「な、なんで利吉くん、帰ったはずじゃ」
「いや〜怒りに任せて出てしまいましたが、父上の洗濯物の回収を忘れていたので戻ってきたんです」
「そ、そう……じゃなくて!」
突如大きい声で否定の声を上げ立ち上がる。
そんな半助に面食らった利吉の肩をがっちりと掴んで訴えた。
「私は君のことが好きだからお見合いなんてしないし君もお見合いなんかしないでくれ!!」
大きく目を見開き固まってしまった利吉に畳み掛ける。
「もう私のことは好きではない?私は今頃君への恋慕に気付いたんだ。お見合いを受けるということはもう好きではないのかもしれないけど…君のことが好きだと言うことは伝えたくて、ああもう言葉がまとまらない」
がくっと項垂れる半助。
「すまない、みっともないよね」
「びっくりしただけでみっともないなんて思っていないです。嬉しいです、すごく…」
「でも君、私のことなんて元中にないかのようにあっさりお見合いなんて受けちゃって」
不満げに唇を突き出す半助に苦笑する利吉。
「あはは…四年前に思い出をいただいたので身の振り方はなんでもいいかと最近思ったんです」
今度は半助が目を見開き肩を更に強く掴む。
「ええと、自暴自棄になっていたわけではありませんよ。貴方にもらった思い出のおかげで未練も後悔もなかったのでこの生業ですし基本は独り身でいようと思っていて…とはいえ、人付き合いだったり仕事からの縁だったり得になることもあるでしょう。それならきっかけさえあれば身を固めてしまうのもいいかなと思って」
四年前のことは利吉にとってそれだけ心に残る経験であり、その経験一つで利吉は吹っ切れていたのだ。
「よっぽど私の方があの時に囚われているな…あの時既に君のことが好きだったんだと思う。君が精一杯好意を伝えくれたことを何度も何度も思い出していた。今思えば、嬉しくて反芻してたんだ」
「そう…だったんですね」
「私も君から思い出をもらっていたんだね」
これからどれだけ伝えても伝えきれないだろうがたくさん好意を伝えたい。
「利吉くん好きだ。心の底から」
「…はい…」
改めて好意を伝えるがどうも利吉の反応が良くない。
「…もしかして本気だと伝わっていない?」
「いや、すみません。全く実感が湧かなくて」
あははと笑いながら照れ臭そうに頬を赤く染める利吉とは反対に、土井はさーっと顔を青ざめさせ利吉の肩を強く掴んでがくがくと前後に揺さぶる。
「本気だよ、利吉くん!本当に好きなんだよ〜!!」
「わ、わかってます!わかってますから!どれだけ貴方のこと見てきたと思ってるんですか」
「…うん」
半助はそのまま勢いで利吉に口付けをしようとする。
「え、うわ、ちょっとここ職員室ですよ!」
いつ誰が来るかわからないのに!と利吉は口吸いをしようと迫る土井の顔を押し退けた。
不満げな顔の土井だったが、手を伸ばして閉じ込めるように利吉をぎゅうっと抱きしめる。
「もう離さないから、どこへ行っても必ず私の元に帰ってきてね」
「ふふ…ええ、私は今までもこれからも貴方の利吉です」
その日の夜、利吉から了承を得た上で伝蔵に利吉と添い遂げたことを報告した。
「利吉くんは長年私のことを想ってくれていましたが私がずっと己の想いから目を背けていました…ご子息には辛い思いをさせてしまった」
「あれは気にしてないと思うがね。半助こそ、自分の気持ちに気付けてよかったじゃないの」
てっきり反対されるものだと思っていたが、あっさりお許しが出てしまった。
半助の表情から何を考えているのか伝わったのだろう、伝蔵はにやりと笑った。
「お前さんもまだまだだね」
「だって恩人の大事な息子さんじゃないですかあ…そう易々と手出そうなんて思えませんよ。いいんですか本当に」
なおも不安そうな顔をする半助に、伝蔵はやれやれと眉根を下げて笑うと半助の肩にぽんと手を置いた。
「あんたたち二人の幸せを願っていると言ったでしょう。利吉のこと、頼みましたよ」