お前に呪いをくれてやる「明日は道侶殿の誕生日だろう? 道侶思いの貴殿のことだから、当日に祝いたいに違いないと思ったんだが。違うのか?」
色の白い肌がいつにも増して白くなっていく。江澄の目の前にいる男は、初対面の人間でも一目で顔色が悪いとわかるほどにみるみる青ざめていった。いつも余裕綽々な顔をしている人物のらしくない姿に、ほんの少し胸がスッとする。精々慌てふためいて、右往左往すればいい。道侶になったことに浮かれているからこんなことになるのだ。
これは八つ当たりだ。人の気も知らないで幸せな毎日を過ごしているくせに、肝心なところをひた隠しにしようとしている愚か者への、ほんのささやかな嫌がらせ。
(精々肩身の狭い思いをするんだな)
沢山の人に囲まれて、馬鹿だ愚かだと言われてしまえばいいのだ。
『誕生日はね、ありがとうを伝える日なの。生まれてきてくれてありがとう、私達と出会ってくれてありがとう。そういう気持ちをいっぱい伝える日。だから、隠してちゃダメなのよ。私達が阿羨にお礼を言えなくなっちゃうでしょう?』
驚きだと言わんばかりに目を見開いて、ポカンと口を開けていた姿を今でも覚えている。迷子の子どもがようやく親に見つけてもらえた時のような顔だった。
「あのさ叔父上、何か欲しいものはないか? それかしてほしいこととか・・・・・・」
急に雲深不知処へやってきたと思ったらそんなことを言い出した甥に、江澄は書類を片付けていた手を止めた。
「なんだ、藪から棒に。俺の機嫌を取って、何か欲しいものでもあるのか」
「そんなんじゃないよ! ただ、そろそろ叔父上の誕生日が近いから何かできないかと思って・・・・・・」
「・・・・・・まだ一ヶ月も先だろう」
「別にいいじゃん、準備だってあるんだしさ」
気の早い甥の発言に溜め息を吐く。金鱗台で多くのことが明るみに出てから、金凌なりに思うところがあって気を遣ってくれているのはわかっている。江澄の誕生日なんて祝おうとしたことがなかったのに、意識してくれているのもその一つだろう。金凌だって蘭陵金氏の宗主である以上、暇ではない。だからこそ前もって行動しようとしているのだろうが、いくらなんでも早すぎだ。おかげで毎年意識してしまう余計なことを今年は早々に思い出してしまった。
江澄の誕生日が近付いてくるということ。それはすなわち、かつて雲夢の大師兄だった魏無羨の誕生日が近付いてくることと同義だ。あの忌々しい男は江澄よりも数日だけ早く生まれてきた。だから己の誕生日を意識すると、どうしても思い出してしまう。
江澄は己の誕生日を忘れたことがない。まだ家族が健在だった頃は勿論、雲夢江氏を再建することや、姉の忘れ形見である金凌を守るのに必死だった頃も忘れることはなかった。毎日が怒濤すぎて気付けば春が終わり、夏が終わり、秋になろうとしているなんてことはざらだったけれど、弟子達がしっかりと覚えていたからだ。自分達の宗主の誕生日を盛大に祝わないでどうする。何もしないなんて、雲夢の面子を潰すようなものだ。そんな言い分の元、どれだけ江澄が不要だと言っても二週間も前から準備をして祭りや宴を催すものだから、忘れたくても忘れられなかった。
かつての自分達を知っている者なら誕生日が近いことも知っていたので気を遣ったかもしれないが、大師兄の誕生日を張り切って祝っていた師弟達は一人として残っていない。だから宗主の生まれた日を祝おうと張り切る師弟達を、かなり複雑な気持ちで眺めてきた。何が悲しくて憎い人物の生まれた日を意識しなければならないのだと、何度思ったことだろう。けれど忘れてしまうにはあまりにもあたたかな思い出が多すぎて、手放すことはできなかった。あの思い出の中にはもう決して会えない姉の姿がある。彼女との思い出は、減ることはあっても増えることは決してない。だからそこにどんな人物が映っていても、捨てることなんてできなかった。
真実を知った今、去年までのような忌々しい気持ちはさすがにない。それでも否応がなくあの男のことを思い出してしまうのは、どうしたって複雑である。
「・・・・・・そんなことよりも、合同夜狩の日程は決めたのか」
あからさまに話題を逸らした江澄の態度に金凌は一度顔を顰めたが、今はこれ以上言及しても無駄だと考えたのか素直に頷いた。仙門百家では不定期に合同で夜狩を行っている。その日程を決めるのは四大世家で持ち回りで行っていた。今回は蘭陵金氏の番だ。
「うん。――霜降から八日後にしようと思ってるんだけど」
出てきた日付に思わず耳を疑う。その日はつい今しがた考えていた男の生まれた日だ。意図してだろうかと金凌を見やるが、甥っ子は大きな瞳を瞬かせ首を傾げているだけで意味深な気配はない。
「叔父上? もしかして都合が悪い?」
「・・・・・・いや」
日程としては悪くない。この日はなぜか死霊達が騒ぎやすい。死んだ母親が現れた、凶屍に畑を荒らされた、なんて報告がいつも以上に上がってくる。仙門百家が集まって死霊を一掃する日としては最適だろう。
ただ一つの問題を除いては。
「俺はともかく、含光君は承認しないだろうな」
蟄居している兄に代わり姑蘇藍氏の代表としてあちこちに顔を出している藍忘機だが、魏無羨の生まれた日はそんな務めなど放棄するに違いない。四大世家の中で戦力として遜色ないのは姑蘇藍氏と雲夢江氏だけだ。清河聶氏は話にならないし、蘭陵金氏はまだまだ危うい。姑蘇藍氏が不在となると緊急事態の対処が心許ない。非常に不本意だが、藍忘機がいるといないのとでは江澄の負担がかなり変わるのだ。
そんな意味を込めての言葉だったのだが、金凌は「え」と意外そうな声を上げた。
「この間、文で含光君に聞いた時は問題ないって返ってきたけど……それ、本人が言ってたの?」
「何?」
驚きから話を聞いてみると、どうやら金凌も姑蘇藍氏と雲夢江氏のどちらかが欠けた場合の危険性は懸念していたようで、藍忘機へ霜降から八日後にしようと考えている旨を文で送ったらしい。それには問題ないとだけ返事が来たそうだ。
予想外の事実に江澄は眉を寄せる。合同の夜狩に魏無羨も参加させる気だろうか。可能性はあるが、せっかくの祝いの日にそんな予定を入れようとすることがそもそもおかしい。
不意に、一つの可能性が脳裏をよぎった。まさか、と思う。今更そんなことがあるだろうか。けれどこの考えが当たっていたら、藍忘機が問題ないと答えたのも頷ける。
「・・・・・・日程について通達するのは少し待て」
舌打ちをした。目の前には書類の山がある。蓮花塢を出るためにはこの山を倍の速度で片付けなければならない。考えるだけでうんざりして、なぜそこまでしなければならないのかと思えてくる。もう他人なのだし、気に留めなければいいのだろう。彼らが何を思い、何をしようと知ったことではない。けれど知らぬふりをしたらしたで気になって、執務の処理速度は落ちるだろう。夜狩の当日も喪服のような校服を見ては事実がチラつくに違いない。それはそれで煩わしい。
全ては己の心身のためだと言い聞かせて、江澄は書類を処理する速度を速めた。
剣を降り、雲深不知処の地に足を着けた江澄は、思わぬ空気の冷たさに身震いした。雲夢は朝晩こそ冷えるものの、日中はまだまだ暑い日が続いている。けれどここ、雲深不知処は日がまだ高いにもかかわらず冬の気配が滲み出ていた。山に囲まれ、夏でも茹だるような暑さとは無縁の地であることは座学を経験した身として知っている。それでも冬がこんなにも早く訪れる地であることは、少し考えればわかるけれど驚きだった。きっとあの男は寒い寒いと大袈裟に騒いで、恥ずかしげもなく己の道侶に引っ付いているに違いない。
「江宗主・……?」
門に近付くと、見覚えのある顔が立っていた。藍思追、だっただろうか。もう一人髪の短い少年と共に金凌と話している姿を何度か見たことがある。
藍思追は丁寧に拱手した。無駄のない仕草だが、突然やってきた江澄に戸惑っているのが窺える。
「含光君に何かご用事でしょうか? あの方は夕方まで留守なのですが、火急の用であれば信号弾を」
「いい、大した用ではない」
藍思追が更に困惑した表情を浮かべる。宗主が御剣して急に訪れたのだから緊急事態だと捉えても無理はない。ではなぜ、と素直に聞いてくる様子に舌打ちをする。本当に大したことはないのだ。それなのに倍の速度で書類を片付けてこんなところを訪れている。それがなんとなく後ろめたい。
「・・・・・・魏無羨に用がある」
何の嫌みもなく己の返事を待っている姿にどう取り繕えばいいのかわからなくて、ただ要件だけを伝える。警戒されるのを覚悟していたが、藍思追は僅かに目を見開いた後どこか嬉しそうな様子で江澄を入るように促した。
「次の合同夜狩のことは何か聞いているか?」
廊下を歩きながら、半ば答えがわかっていることを尋ねてみる。
「霜降から八日後に行うのですよね? 金宗主から聞いて心得ております」
藍思追の答えは江澄の予想通りで、期待外れなものだった。確信する。魏無羨は姑蘇の者達に己の誕生日を知らせていないのだ。思えば当然のことかもしれない。六芸に秀でていた、酒が好き、礼儀知らずである、といった個人に纏わる話は関わった者から伝わっていくが、誕生日なんて本人か近しい者が言わない限り知られることはない。
客間でしばらく待っていると、人の気配がした。気配は扉のすぐ向こうからするが、待てど暮らせど扉が開く素振りはない。バタバタと慌ただしく入ってくるだろうとばかり思っていたので、あまりにも間怠っこしい様子に苛立ちが募る。思えば夜狩の時にすれ違うことはあれど、まともに言葉を交わすのはあの事件以来だ。気まずいのはわかる。江澄だってどんな顔をすればいいのかわからない。でももう過ぎ去ったことだと言ったのは魏無羨だ。それが本心であれ強がりであれ、そう言って片付けたのだからそれに見合った態度を取ってくれないと困る。
とはいえ急に来たのはこっちだし覚悟もいるのだろうと、扉を開けて魏無羨が入ってくるのを辛抱強く待つ。待ちに待って、その気配が遠ざかろうとしていることに気が付いて――ブチリと何かが切れた。
「散々待たせておいて戻ろうとするな」
「うわぁぁ」
人の屋敷だったが、構わずスパンッと勢いよく扉を開ける。案の定そこには背中を丸めて頼りなく佇む魏無羨がいた。
「・・・・・・なんだお前、その格好は」
厚顔無恥を地でいく男が正反対の様子で立ち尽くしている。予想の範囲内だ。けれど魏無羨の姿には江澄の想定とは大きく異なるところがあった。
「あはは・・・・・・なんかみんなにこれでもかってくらい着せられて・・・・・・」
馴染みの黒い外衣の上から藍氏のものと思われる白い外衣を一枚、二枚、三枚・・・・・・もっとだろうか、これでもかと着せられた姿で、魏無羨は佇んでいた。体の輪郭がわからないほどの重苦しい姿に、背中を丸めているのは心理的な理由ではなく物理的な理由ではないかと思えてくる。衣に潰されても不思議ではない。
「いくら姑蘇が寒くても着込みすぎだろう。本格的に冬が来たわけじゃあるまいし」
「正直なところ俺もちょっと暑いんだけど、これくらい着てないとみんなが煩いんだよ。どうもこの間、風邪を引いたせいでビビっちゃったみたいで」
「……姑蘇藍氏は一々大袈裟だな」
身を翻し部屋の中へ戻る。魏無羨から目を逸らしたことを誤魔化せただろうか。
金丹がある者ならこのくらいの寒さで風邪を引くことなんてない。だからこそ藍氏の者達は魏無羨が風邪を引いたことに驚き、慌てふためいて着込ませたがるのだろう。そのことに触れる勇気は、まだない。
江澄が部屋に入ると魏無羨も自然な動作で足を踏み入れた。あれだけモタモタしていたというのに、いざとなると調子がいい。卓を挟んで向かい合わせに座ると、魏無羨は卓の上の菓子に手を伸ばしながら「で?」と声を上げた。
「一体どうしたんだよ、藍湛ならともかく俺に用なんて。緊急じゃないとは思追に聞いたけど」
「今、金凌が合同夜狩の日程を詰めている」
「あーなんかそうらしいな。もしかしてそれをいつにすればいいかの相談か?」
「日程の目星は付いている。霜降から八日後だ」
魏無羨の表情が一瞬強張った。それを注意深く観察しながら江澄は言葉を続ける。
「金凌が含光君に文を送ったら、その日で問題ないと返ってきたそうだ」
「……そうかそうか。まぁお前も藍湛も問題ないなら、その日でいいんじゃないか?」
「お前はそれでいいのか?」
僅かに驚きを滲ませて、魏無羨が江澄を見る。そうして困ったように微笑むと、一つ諦めたように溜め息を吐いた。
「まさか覚えてるとは思わなかったよ」
「自分の誕生日も近いんだ、忘れるわけがない」
「ハハッ、それもそうか」
「藍忘機に伝えない気か? どうせいずれ訊かれるのに?」
いつかは知らないがそのうち藍忘機の誕生日があるはずだ。藍氏の第二公子となれば、姑蘇の者達はこぞって祝うだろう。その時には当然、魏無羨の誕生日はいつかという疑問が生じるだろうし、魏無羨のことをなんでも知りたがるあの男は絶対口にする。隠す必要性がわからない。
江澄の問いかけに、魏無羨は卓に肘をついただらしのない姿勢でひどく曖昧な呻り声を上げた。わかっているけど、どうしたらいいかわからない。そんな様子だ。
「うーん、お前の言うとおりなんだけどさぁ……」
「なんだ、言いたいことがあるならはっきり言え」
魏無羨が江澄をチラリと見る。苛立たしいのをなんとか堪えて続きを待っていると、やがてポツリととんでもないことを口にした。
「俺って『おめでとう』って言われていいのかなぁ」
「は……?」
思わず出た声は震えていた。怒りなのか呆れなのか、もっと他の感情なのかは自分でもわからない。ただ、何を言っているんだこの男は、というのが率直な感想だ。
「あ、別に死ぬ前にしでかしたことを後悔してるからじゃないからな。そんなこと言ったら藍湛が悲しむし」
「・・・・・・だったら、なんだ」
荒れ狂う江澄の心中に気付かないまま、魏無羨はへらりと頼りなく笑う。
「誕生日が来るってことは歳を一つ重ねるってことだろ。子どもだったら一つ大きくなってめでたいけど、大人だったらただの老化だ。それって『おめでとう』なのかなぁって」
ここではないどこかを見つめながら魏無羨は言葉を続ける。
「あいつは俺に何かあるとすぐ駆けずり回るんだ。今日だってもう大丈夫なのに、滋養のあるものを作ろうとして自分の足で買い物に行ってる。この先、歳を重ねたらもっと色んなことが出てくるのにな。……『おめでとう』でいいのかなぁ」
「お前は……!」
思わず立ち上がっていた。足と卓がぶつかって湯呑みが倒れる。魏無羨は慌てたが、江澄はそんなのどうでもよかった。拳が震える。感情の高まりから紫電が音を立てた。
「お前、お前はっ・・・・・・!」
言いたいことが色々とあった。道侶を定めて尚そんなことを言うのかだとか、そいういう欲のない態度が相手を傷つけるのだとまだわからないのかだとか、色々と。特に脳裏を過ぎったのは姉の言葉だ。
魏無羨が蓮花塢に来てから初めて訪れた応鐘。江氏の跡取りの誕生日が近付いてきたことで街が賑わいを見せる中、江家にはちょっとした衝撃がはしった。最終日の当日になって魏無羨の誕生日が発覚したのだ。もう二十年以上前のことだが、今でもあの時の慌ただしさは覚えている。「そういえば阿羨の誕生日はいつ?」と何気なく尋ねた姉に、魏無羨はしばらくの間答えづらそうにした後、母に訊かれたことははっきり答えなさいと一括されて今日だと白状した。魏無羨の答えを聞くや否や父は慌てて料理人に祝いの料理を作らせ、母は一見下らないという態度を取りつつも「江氏は面倒見ている子どもの誕生日も祝わない家だと他家に思わせる気?」と皮肉交じりに憤慨した。そして姉は、本当に珍しく怒りを滲ませて魏無羨を睨み付けた。
贈り物は欲しくないから言わなくても同じかと思って。そう言い訳した魏無羨を抱きしめて、姉は優しく言い聞かせた。
『誕生日はね、ありがとうを伝える日なの。生まれてきてくれてありがとう、私達と出会ってくれてありがとう。そういう気持ちをいっぱい伝える日。贈り物はその気持ちを伝える手段でしかないの。だから、隠しちゃダメなのよ。私達が阿羨にお礼を言えなくなっちゃうでしょう?』
抱きしめられた魏無羨は、そんなこと考えもしなかったと言わんばかりの迷子のような顔をした。そうして、ごめんなさいと大泣きしたのだ。
魏無羨が今していることは、あの時と同じことに他ならない。姉の言葉を、擦った揉んだした自分達の姿を、全て忘れてしまったのかと言ってやりたい。
けれど、江澄はその言葉を紡げなかった。魏無羨の言葉に納得し、嫌だと感じている自分に気付いてしまったからだ。姉のように、誕生日は感謝を伝える日なのだと伝えたい。老いることなんて関係ないのだと。でもその言葉は半分偽りだ。かつて雲夢の大師兄だった男が弱っていく姿を見たくないと思っている自分がいる。あんなに忌々しいと、殺してやりたいと思っていたのに、今でも憎しみは消えていないのに、そう遠くない未来で置き去りにされるのだと考えると拒否感があった。
本人が自覚している以上に魏無羨は弱っている。金丹と老いの話を江澄にしたことがその証拠だ。普段の魏無羨なら、江澄にだけは絶対この手の話はしなかった。自分は誰よりも頑丈なのだと豪語していた魏無羨だから、冬が始まってもいないのに引いた風邪が堪えたのだろう。そんな弱った人間に中途半端な言葉が届くとは思えない。姉の言葉は心から魏無羨の幸いを喜んでいたからこそ響いたのだ。江澄は同じように振る舞えない。今姉のように気持ちを届けられる人間は、江澄じゃない。
本当に、ままならない。かつて何も知らずになぜと糾弾していた時とは違い今回は全てを知っているのに、成す術がないなんて。
「もういい」
魏無羨が引き留める声も無視して部屋を出た。そのまま礼もそこそこに御剣の術を使う。
一つ決めたことがある。その決意の元、剣に乗りながら金凌のところへ伝令蝶を出す。日付は問題ない、お前の好きなようにしろという言葉を込めて。蓮花塢に戻ってから文を出したってよかったのだが、一刻も早く行動に移したかった。
この行動が全て上手くいった時、きっとあの腹が立つくらいに動かない澄まし顔はいつになく慌てふためくことだろう。その姿を想像すると自然と頬が釣り上がる。あの男がらしくもない行動を取って雲深不知処が震撼するのなら、この悔しさも少しはスッとするものだ。こんなにも江澄が振り回されているのだから、あの男も精々周章狼狽すればいい。そうして魏無羨がいかに厄介な男かを身をもってしればいいのだ。
その後、合同夜狩は特に反対の声もなく霜降から八日後と決まった。
夜狩の前日、監督役である江澄と藍忘機は最終確認のため先に山へ入った。いつも通りの澄ました態度で辺りを見回す様子から、未だ彼が道侶の生まれた日を知らないのだと悟る。笑い出したいのを堪えながら、江澄はあくまでも宗主としての自然な態度で口を開いた。
「――含光君、明日の夜狩だが貴殿は参加するのを控えたらどうだ?」
「言っている意味がわからない。江宗主だけで仙門百家を束ねることができると?」
「貴殿がいなくてもその分うちの者を増やせばいいだけだ。そのための人員は呼んである」
「そこまでする必要性を感じない。今になってそんなことをする意味がわからない」
おや、と大袈裟に声を上げる。心底驚いたと言わんばかりに。皮肉を込めて。
「明日は道侶殿の誕生日だろう? 道侶思いの貴殿のことだから、当日祝いたいに違いないと思ったんだが。違うのか?」
藍忘機の表情が固まる。日頃から思っていることが顔に出ない男だが、この時だけは彼が思考停止していることが手に取るようにわかった。色の白い肌からザッと血の気が引いていく。
「江晩吟」
責めるように呼ばれてようやく、江澄は我慢するのを止めて頬を目一杯つり上げた。最高に気分がいい。
「俺を咎めるのは筋違いじゃないか? 言うべき相手が他にいるだろう。俺には寧ろ感謝してほしいくらいだな」
藍忘機がギリッと音がするくらいに強く拳を握る。きつく噛み締められた唇は今にも血が出そうだ。
藍忘機が身を翻す。断りの言葉は一切なく、飛塵に乗ってあっという間に姿を消してしまった。いくら何でも言うことがあるだろうと呆れたが、今日だけは大目に見てやろうと思う。これだけ愉快な思いをさせてくれたのだから多少の不愉快は目を瞑ってもいい。きっと雲深不知処は慌てふためく含光君に何事かと思うだろう。そうして全てが明るみに出る。
これは八つ当たりだ。人の気も知らないで幸せな毎日を過ごしているくせに、肝心なところをひた隠しにしようとしている愚か者への、ほんのささやかな嫌がらせ。もう江澄とは関係がないくせに、相も変わらず気苦労をかける男への報復だ。
(精々肩身の狭い思いをするんだな)
沢山の人に囲まれて、馬鹿だ愚かだと言われてしまえ。己の生まれた特別な日を、散々な一日にすればいい。周りに叱られて呆れられるくらいがあの男にはお似合いなのだから。