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    MDZS交流会6展示物です。後日pixivにもUPします。
    原作後、江澄がひょんなことから魏嬰と共闘する話。

    #魔道祖師
    GrandmasterOfDemonicCultivation
    #雲夢双傑
    cloudDream

    変わったもの 変わらないもの いつ来ても変わらない清廉な空気を肌で感じながら、江澄は周囲の景色を見回した。
     いつ来ても静かで、動植物の気配しか感じられない場所だ。それこそ、若い時の記憶から一寸も変わっていないように見える。一度焼けてしまったものを建て直したはずだが変化のない並びはとてもその様に見えない。
     宗主として江澄は雲深不知処を訪れていた。いつもは苛々しながら用事を終えるのだが、今日は比較的穏やかな心持ちでいる。苛立ちの原因である含光君と顔を合わせていないためだ。忙しいのか不在なのか、どちらかは知らないが好都合である。あの男に関わると不愉快な思いしかしないのだから。
     一方で、ひょっとしたら顔を合わせた方が良かったのかもしれないとも思う。気持ちに余裕があったらあったで、要らぬことを考える。それだけここは因縁の場所だ。
     まだ責任とは無縁だった頃。兄貴分に振り回されていた日々のこと。家規が厳しいこの場所で、彼に流される体を取りながらこっそり好き勝手していたこと。やってくると信じて疑わなかった未来が今ここにないこと。
     ここで過ごした時間は人生の極一部だというのに胸を過る想いは様々で、己の中では二番目に気が重くなる場所だ。何もかも変わってしまった今と、時が止まっているようにも感じられる雲深不知処。目の前に広がる思い出の中と同じ景色に、言い掛りに等しい理不尽さすら覚えてしまう。人が住んでいるにも関わらず自然の気配ばかりするのもいけない。これが雲夢なら人々の喧騒が雑音となり、思考が沈み込むのを多少は阻んでくれるのだけれど。
     そう考えたところで、江澄の願いを叶えるかのようにばたばたと慌ただしい足音が遠くで聞こえた。それから「魏先輩、廊下は走っちゃ駄目だってば!」という叫びに声も。雲深不知処は走るのも大声も禁止されている場所である。ここでその決まりを破る人間なんて一人しか知らない。たった今まで江澄の脳裏に浮かんでいた人物、魏無羨。複雑な想いの根源。
     しかしながら今の音と声は彼一人のように聞こえなかった。なんなんだと思いながら振り返った江澄の視界に、何かがもの凄い速度で飛び込んでくる。
    「うぉ」
     思わず胸を反らして避けようとするのと、それが直角に曲がって上昇するのはほぼ同時だった。「何か」が上昇し、向きを変えて空を平行に駆けていく。そのまま彼方へ去って行くのかと思いきや、ばちりという音と共に結界に阻まれてまた向きを変えた。
    「鳥? いや、蝙蝠か……?」
     どちらもあり得ない。鳥や蝙蝠であの速度は異常だ。ならば自ずと答えは限られてくるものの、ここが雲深不知処であることを踏まえると確信が持てず困惑する。
     立ち尽くしているうちに、いよいよ足音が近付いてきた。
    「げ、江宗主」
    「江澄、こっちに何か来ただろ どっちに行った」
    「お前は挨拶もないのか」
     本来ならいるはずのない己に対し、藍氏の門弟――藍景儀と藍思追だったか――は慌てて拱手する一方で、魏無羨は驚くでもなく訊きたいことだけを訊ねてくる。相変わらずの傍若無人な態度に不機嫌を隠さず顔を顰めたが、そんな江澄の態度なんてどこ吹く風といった様子で魏無羨は辺りをきょろきょろと見回した。同じように辺りを探っていた藍景儀が上空を指さす。
    「いました、あそこです!」
    「あんなところまで昇っていったのか! 結界があるとはいえ、あれはさすがに厄介だな……よし江澄、ちょっと手伝え」
    「えっ」
    「はぁ」
    「今はとにかく人手が欲しいんだよ」
     魏無羨は唖然としている景儀と思追に向こうへ行くよう指示する。
    「俺と江澄は地上で待機する。お前らはあいつを俺達のとこまで誘導しろ。その後はなんとかするから」
    「魏先輩、その、大丈夫ですか……?」
    「心配無用! ここにいるのは雲夢江氏の宗主だぞ? あんな雑魚にやられると思うか?」
    「いやそういうことじゃなくて。江宗主、明らかに状況理解してませんし、あんたら仲悪いんじゃ」
    「だーいじょうぶだって、いざという時の減り張りは効く奴だからさ!」
    「そういう問題ですか……?」
    「私達のどちらかと一緒の方が良いのでは?」
    「お前らは江澄に気遣うだけだろ。ほら、さっさと持ち場についたついた」
     思追と景儀が渋々指示された方角へ向かっていく。そのまま江澄を連れてどこかへ行こうとする魏無羨の首根っこを、江澄は容赦なく掴んだ。
    「人を巻き込むなら説明くらいしろ!」
    「やっぱり、訊いてくるわな」
    「当たり前だ! なんなんだ『あれ』は」
    「邪祟だよ。ものすっごく弱い邪祟」
     半ば予想していた答えに、けれど納得できなくて眉を寄せる。
    「あれが? 全く陰気を感じないぞ」
    「それだけ雑魚なんだよ。すばしっこいけど」
    「すばしっこい域を超えている。大体、邪祟だというなら、なんで雲深不知処にそんなものがいるんだ」
     鳥や蝙蝠ではないと見破った時、邪祟である可能性は江澄も考えた。人以外の形を持ち、動物以外のものとなると、邪祟くらいしか心当たりがない。それに確信を持てず、魏無羨の口から説明されても納得できないのは、ここが結界によって守られている場所だからだ。雲深不知処を守る結界は強固である。魏無羨の言う「ものすっごく弱い邪祟」が入り込める余地なんてどこにもないはずだ。万が一、本当に万が一だが結界をくぐり抜けたとしても、その時点で感知されて討伐されるだろう。魏無羨や藍氏の門弟達が、慌てふためいて追いかけ回しているのはおかしい。
    「あー……それはだな……」
     魏無羨が気まずそうに目を逸らす。それだけで江澄はぴんときた。
    「お前、何かやらかしたな」
    「違う、あれがここにいるのは俺のせいじゃない! ……半分は」
    「半分?」
     曖昧なものいいに胡散臭げな眼差しを向ける。魏無羨は渋々と話し始めた。
     いわく、あれは藍氏の門弟によって持ち込まれたものなのだという。意外かつ理解できない事実に江澄はますます顔を険しくした。何を考えたらそうしようと思うのか、ちっとも想像できない。
    「強力な邪祟が雲深不知処を襲った、となったら真っ先に疑われるのは俺だろ? 俺を追い出したい奴が馬鹿なことを考えたんだよ。夷陵老祖に疑惑を向けるために強力な邪祟を呼び込みたい、でも結界があるからそれはできない。だったら結界も感知しないくらい弱いやつを引き込んで中で強化すればいい、ってね」
    「そんなものが上手くいくのか?」
    「いったんだなぁ、これが。どうも雲深不知処の結界は無理に突破しようとするものには敏感に作用するが、誰かに招き入れられたものにはそれほど厳しくないらしい。一回通り抜ければ、その後は何もないしな」
    「…………」
     なんだその緩い造りはと言いたくなったのをなんとか堪える。強固な結界だと思いきや、内部の人間が持ち込む分には問題ないなんて、とんだ杜撰な造りだ。自分だったら今すぐ造りを見直す。しかしこれはあくまでも他家のもの、江澄が口を出すべきではない。
    「……それでできたのが、さっきの『あれ』だと? 全く脅威には感じなかったが」
    「その辺が惜しいんだよなぁ」
     男は考えた。邪祟を強化するとして、一朝一夕にはできない。己の知識と実力では長い時間をかける必要がある。しかし時間をかければ人に見つかる可能性も高くなる。まずは見つからないようにする対策、あるいは見つかっても捕まらないようにする対策が必要だ。前者を施すのはこれまた実力の面で難しい。後者なら自分でもできなくはない。
    「だから邪祟の動きをめちゃめちゃ速くする改造を施したんだと」
    「速くするにも程がある。その実力を他で生かせばいいものを……」
     邪祟とはいえ入門したばかりであれだけの強化を施せるなら、それなりに才能があるか熱心な勉強家であるはずだ。余計なことにかまけず、それを修練で発揮すれば実力のある仙士になるのも夢じゃないはず。実に勿体ない。
     それに、そもそも。
    「そんなことをしたら最早鬼道だろ」
     邪祟に術を施す。どう考えても正道とは呼べず、鬼道の類だ。魏無羨がやれやれと肩を竦める。
    「悪逆非道の夷陵老祖を追い出すためだから自分のやってることは正道なんだと」
    「実にご立派な屁理屈だな」
    「本当にな。あれ、最初はあそこまでじゃなかったんだ。少しずつ邪祟を強化する術もかけてたみたいで、追い掛け回してるうちに羽が生えてだんだん速くなってってさ。本人が望んだ強力な邪祟にはならなかったけど、複数の術をこれだけ上手く組み合わせてるんだから才能はあるんだよなぁ」
     発想、才能、どちらも伸び代はあるのに思考だけが稚拙で矯正しようがない。その辺りも含めて「惜しい」のだろう。本人と対面していない江澄でも想像がつく。
    「で? お前が言う『半分』はどこのことだ」
     今の話に魏無羨の非は見当らない。自分がここにいるせいでこんな騒動が起きた、なんて殊勝なこと魏無羨は考えないだろう。この男が「半分は」と言ったのなら、何か明確に後ろめたいところがあるはずだ。
    「まさかわざと捕まえず追いかけ回したんじゃないだろうな」
     魏無羨がぎくりとした。
    「……わざとじゃない。若い奴らの鍛錬に丁度いいと思って任せたら、思った以上に誰も捕まえられなかったんだよ」
     やり方なんていくらでもあるのに、今時の奴は頭が固いよな。
     視線を逸らして嘆く男に呆れるしかない。監督するなら引き際を見誤るなと言いたくなる。あんな素早いだけのものを捕まえられない若者達への憤りもあるにはあるが、こちらを勝手に巻き込んだ魏無羨に対する憤りの方が強い。
    「そんなものに俺を巻き込むな。もっと喜んで巻き込まれに来る男がいるだろう」
    「藍湛は長老達の使いで数日いないんだ」
     なるほど、雲深不知処に来ると否応なく関わらなければならない男が今日は出てこなかったのはそのせいだったらしい。藍曦臣は、と言いかけてそれが愚問であることを思い出す。彼は未だ閉関していて表に出られるような状態ではない。魏無羨が一人雲深不知処に残っているのは、その辺りの事情があるのだと思い至る。
    「……藍先生は」
    「むしろ関わらないよう若い奴らに足止めさせてるよ。あんな素早い奴に対処できると思うか? 本人は平気だって言うだろうけど、絶対腰にくるぞ」
     いくら修練を積んだ身であっても歳は歳である。見た目にも老いが滲んできている藍啓仁に、あれの対処は酷だろう。不本意ながら賢明な判断だ。
    「…………」
     認めたくないが、魏無羨が江澄を巻き込んだのは致し方のないことなのだろう。相手は邪祟と呼ぶのも烏滸がましいほどに弱い。しかし時節が悪かった。
    「……一つ貸しだぞ」
    「おう!」
     話が早いと言わんばかりの返事が腹立たしく、しかし文句を言ったところで仕方がないのも事実でただ苛立つしかない。
     忌々しい根源がいる空を睨み付けて、無意識に紫電を撫でた。



     仙剣に乗った景儀と思追が、小さな邪祟を少しずつ追い詰めていく。それを眺めて、魏無羨が感嘆の声を上げる。
    「さすが小双璧、ありゃもうじきこっちに来るな」
     二人の動きは江澄が見ても連携が取れていて小気味良い。まだ粗はあるが、互いの至らないところを補って良い動きができている。結界すれすれを飛び回っていた邪祟だが、二人の動きに翻弄されて少しずつ高度を落としていた。魏無羨の言うとおり、もうじき自分達の射程圏内に入るだろう。
    「網は用意した。この陣にあいつを誘導してくれれば勝手に発動するようにしてる」
     魏無羨の指さす先には地面に描かれた陣がある。捕縛を目的としたものだが、一般的な描き方とは異なるので何か加工がされているのだろう。ふん、と鼻を鳴らす。
    「粗末なものだな」
     相手は縦横無尽に飛び回っているというのに、用意したのは対象を誘導しないと発動しない陣。陣自体は立派なものだが、相手に見合ってない。魏無羨もそれは解っているようで「突貫なんだから仕方ないだろ」と反論しつつもばつが悪そうにしている。溜め息を吐いた。言いたいことは全てが終わってからだ。
    「やるぞ」
     三毒に乗る。打ち合わせは必要ない。やるべきことは分かっている。
     最初に仕掛けるのは江澄の役割だ。逃げ回る邪祟を紫電で更に地上へ誘導する。高度が下がったら、魏無羨が呪符を用いて陣の有効範囲まで追い詰める。至って簡単、作戦らしい作戦ではない。素早いだけの非力な邪祟なので、これで十分である。相手の速さに対応できるよう連携さえ取れていればいい。
     連携。自分で考えたくせに、複雑な気分になる。
     今若い二人が担っている宙で追い詰める役割と、自分達がこれからやろうとしている地上で追い込む役割。前者は御剣ができればいいので、江澄が二人のどちらかと組んだって問題ない。魏無羨がそうしなかったのは、気心知れた者と組んだ方がとっさの時に動けるからだ。相手は素早い。味方の動きを考えていたら逃がしてしまう。宗主と一門弟では遠慮も出るだろう。それらを踏まえて若手二人はばらさず空中戦を任せた。
     江澄も魏無羨と一緒の方が動きやすい。藍氏の型はそこまで知らないし、景儀と思追がどれだけ立ち回れるのかも把握していない。非常に腹立たしいが、魏無羨ならどんな時にどのような動きをするのかある程度予想できる。――もっとも、それはかつての体が前提であり献舎された今も同じ動きができるのかまでは分からないのだけれど。
    (……あいつが対処できなかった時のことも考えておくべきなのか?)
     素早いだけのものに魏無羨一人で対処できなかったのは、呪符では届かないほど上空へ行ってしまったせいだろう。上空に行かれてしまったら、御剣ができなくては太刀打ちできない。
     頭を振る。頼ってきたのは魏無羨だ、あちらの事情なんて気にしてやる義理はない。修行し始めたばかりの幼い門弟ではないのだし、己の力不足くらい自力で補うべきである。蝙蝠のように忙しなく羽を動かしている邪祟に向かって紫電を振るう。案の定、難なく避けられたが構わず何度も振るった。角度を変え、向きを変え、少しずつ高いところを飛べないように仕向けていく。鞭の如く撓る紫電は広い範囲を捕捉しやすい。おそらくはこれも魏無羨が江澄を頼った理由だろう。たまたま居合わせただけなのに、まんまと便利に使われている。腹立たしい。
     炎を纏った呪符が飛んできて、邪祟の行く先を遮った。ようやく魏無羨の攻撃範囲に届いたのだ。呪符が次々と宙を舞い相手を追い詰めていく。陣こそ急拵えだったが、呪符の方はそれなりに数を用意していたらしい。それだけは及第点だと思いながら、江澄も手を動かす。
     あと一歩で陣へ追い込める。そう思った時、邪祟が分裂した。
    「げ」
    「はぁっ」
     ただでさえ小さな邪祟が、無数の小さな邪祟になって江澄達の周りを飛び回る。
    「そうきたかぁ」
    「面白がってる場合か! なんなんだこれは!」
    「分散したら俺達から逃げられると思ったんじゃないか? 賢いな」
    「感心するな!」
     攻撃のつもりだろうか、邪祟達は服に張り付いてくる。鋭い牙でも持っているようで服越しであるにもかかわらずちくちくと地味に痛い。邪祟の中には毒を持つものもいる。持っていたとしても大したことはないだろうが、数が数だ。悠長に構えている場合ではない。
    「あの陣はこれだけ数が増えても通用するのか」
    「そこは問題ない。一気に叩くぞ!」
     景儀と思追も加わり、分裂した邪祟――もはや弱すぎてただの蝙蝠のような気がしてくる――をなぎ払う。相変わらずすばしっこいが、数が増えれば適当に狙っても何匹かには当てられる。逃げようとせずこちらを襲ってくる分、先ほどまでより寧ろやりやすい。三毒と紫電を振るって纏わり付いてくる邪祟をはたき落としながら、少しずつ陣の方へ後退していく。
     魏無羨へ目を向けると呪符と陳情で同じようにしていた。ただ、江澄と違い若干戦いづらそうである。凶屍のいない雲深不知処で陳情を使っても意味がなく、今の場合はただの棒きれでしかない。懐に潜り込まれては呪符も投げづらいだろう。仕方なく紫電で魏無羨の間近にいた邪祟を払ってやる。魏無羨が目を瞬かせながら江澄を見た。
    「腕が鈍ったんじゃないか?」
     魏無羨の眉がぴくりと動く。無表情のまま呪符を江澄に向かって投げてきた。耳元でじゅっと邪祟の焼かれる音がする。
    「そっちこそ、背後が疎かすぎないか?」
    「ほう?」
    「ちょっと、二人ともこんな時に言い争わないでくださいよ!」
    「いっそ数でも競うか」
    「面白い」
     紫電へ更に霊力を込める。ほどばしる閃光を思い切り振るって魏無羨の周りにいる邪祟を一層した。
    「お前、俺に当たったらどうするんだ!」
    「こんなものも避けられないのか?」
    「んだと」
     魏無羨が呪符を上空へ投げる。大きな爆発音と共に爆ぜて、火花が紫電からすり抜けた邪祟を焼いた。
    「おい、建物を燃やす気か!」
    「俺がそんなへまするわけないだろ!」
     こんなにも無駄口を叩いているにも関わらず、戦いに集中できている感触があった。目配せをせずとも江澄の至らないところに援護が入り、また江澄もどの時分で何をすればいいのかが明確に判るので戦いやすい。江氏の門弟と共闘する時は彼らの様子を見てどう立ち回ったら動きやすいか配慮しているが、魏無羨にそんな気遣いは不要だ。姿を見なくても、声を掛けなくても、どうしてほしいのか全部予測できる。十三年ぶりの感覚に血が沸き立つ。ここまで自由に動き回るのはいつ以来だろう。
     魏無羨が江澄の肩を踏み台にして飛び上がる。仕方なく、弾みを付けて宙へ持ち上げてやった。
    「江澄、肩借りるな!」
    「借りる前に言え」
     宙を舞いながら、魏無羨が呪符を掲げる。先ほどと同じように派手な火花が散った。どういう仕組みなのか、本当に建物へ火は移らないらしい。魏無羨が着地するであろう場所の邪祟を紫電で片付ける。
    「すごい……」
    「これもう陣なくても倒しきれるんじゃないか?」
    「無理だな」
     自分達に圧倒されて攻撃が疎かになっている若手達を仕方なく助けてやる。なぜ、と言わんばかりに二対の瞳から視線を受けて、江澄は今しがた邪祟の群れへ突っ込んでいった男の方を見た。
    「あいつはもう札切れだ」
    「えっ」
    「今、群れの中に突っ込んで行ったのに」
     江澄の肩を踏み台にして飛び上がった魏無羨は、無数の邪祟に貼り付かれている。随便で払い避ける仕草もない。無防備なのを好機と取ったのか、彼の周りにはほぼ全ての邪祟が集まっていた。思追が慌てて駆けつけようとしたので肩を掴む。
    「江宗主、手を離してください!」
    「だったら大人しく見ていろ。――これで片が付く」
    「え……?」
     二回りほど輪郭が太くなっても、魏無羨はよろめきもせず足を動かしていく。そうして何歩目かを歩いた時、地面から赤い光の柱が立った。
    「陣の発動条件はあいつの血。全員である程度の数を片付けて、攻撃性が増して逃げる気がなくなったところを陣でまとめて片付ける。そういう手はずだ」
    「そんなの、打合せしてましたか……?」
    「少し考えれば分かる」
     圧倒的に少ない戦力、それも一人は金丹のない只人。魏無羨がいつも己の血を使うこと。最も効率的な陣の使い方。魏無羨の出す答えなんて自ずと見えてくる。
     溜め息を吐いた。あの男の考えは絶対に理解できないと何度も思ったのに、そうではないと見せ付けられている。
    「ご苦労さん」
     軽い足取りで魏無羨が歩いてくる。
    「景儀、思追、よくやったな」
    「いえ、まだまだ力不足だと思い知りました」
    「あの素早いのをここまで追い詰めたんだから、上々だ。江澄も、突然巻き込んで悪かったな」
    「……」
    「でさ、どうせ乗り掛かった船だから頼まれてほしいんだけど」
     魏無羨の体がぐらりと傾く。
    「後始末、よろしく……」
    「魏先輩」
    「ちょっと」
     邪祟はやはり毒を持っていたのだろう。ひ弱な莫玄羽の体が、いくら弱いとはいえ積もり積もった毒に耐えられるわけがない。江澄がどうにかすると信じきっている笑顔のままばたりと倒れた魏無羨に、二度目の溜め息を吐くしかなかった。


     +++


    「雲深不知処の警備は甘すぎる! そんなんだから内部からの侵入に擦った揉んだするんだ」
     へらへらと笑っている魏無羨と、そんな彼を膝の上で横抱きにして、こちらには目もくれない藍忘機。彼らを睨み付けながら、江澄はずっと我慢していた思いの丈を容赦なくぶつける。藍忘機がこちらには一瞥もくれないくせに苛立っているものの、それしきのことで怯む江澄ではない。図星を指されて気が立っている男なんて知ったものか、こちらには文句を言う権利があるはずだ。
     巻き込まれた時から口を挟みたい気持ちはあった。関係者がいれば簡単にすり抜けられる上、一度入り込んでしまえば弾かれない結界、些細な異常を自力で解決できない門弟達、藍曦臣と藍忘機が不在だと一気に弱体化する構造。江澄からするとあまりにも、あまりにもお粗末すぎる。かつて温氏の暴走により。雲深不知処は多大な被害を受けたはずだ。にも拘わらず十三年前から何一つ改善していない。同じ温氏からの襲撃を受けた者として、物申したくなったって仕方がないだろう。何せ江澄はその怠慢のせいで巻き込まれたのだから。
     邪祟騒ぎが終わってから知ったことだが、あの邪祟は雲深不知処中を跳び回っており、魏無羨達はそれを追い掛けて敷地中を全力疾走していたらしい。ところ構わず跳び回る邪祟に驚きひっくり返ったり転んだりした者、その拍子に壊れた物はかなり多く、後始末は多岐に渡ったようだ。実に情けない。これが雲夢で起きたら全員鍛え直している。
    「今すぐ結界を見直して、門弟達を鍛え直せ」
    「……江宗主、他家に干渉するのは控えて頂きたい」
    「まーまーそうかりかりするなよ、藍湛。今回は江澄に一理あると思うぞ。ここの守りは確かに甘い」
    「魏嬰……」
    「お前だって理解はしてるだろ? この機会に色々見直すのも一つじゃないか? 俺も手伝うからさ」
    「……君が、そう言うなら」
     江澄は何も言わずに立ち上がった。吐き出したいものは全てぶつけた。これ以上ここで下らないやり取りを眺めているほど暇ではない。魏無羨が回復するまで雲深不知処に居座っていたせいで、執務が山積みになっている。
    「江澄」
     魏無羨の呼びかけに足を止める。
    「色々面倒かけたけど、久々にお前に背中を預けられて楽しかったよ」
    「……迷惑をかけた自覚があるなら、さっさと門弟達を強化するんだな」
    「そうする。気が向いたらお前も見てやってくれよな」
    「ふざけるな、余所の弟子の面倒なんて誰が見るか」
     今度こそ部屋を後にする。廊下から並び立つ山々を見た。とても静かである。当たり前だ、ここには江澄しかいない。
     ――魏無羨の言葉に「俺もだ」と返さなかったのは、江澄の意地だ。そうしないとどんなみっともない面を晒すか分からなかった。
     魏無羨は昔のままだった。とっくに袂を分かったはずなのに、考え方も戦い方も雲夢にいた頃のまま。江澄の知っているものだった。何もかもが同じわけではない。かつての彼ならあんな邪祟の毒、どれだけ受けても倒れなかっただろう。今の魏無羨では江澄と並び立つことはできず、かつて想い描いた雲夢双傑はやはり二度と叶わない夢である。それに苦い気持ちはあるものの、今はそれよりも昔と同じように戦えた事実に胸がいっぱいだった。何もかもが変わってしまったと思っていたのに、そうではないのだと気付いたことが、とても、どうしようもなく。
     
     視界に移る景色は数日前と何も変わらず、静かで清廉な空気に包まれている。この変化のなさが苦手だった。芋づる式に厭忌している思い出を引っ張り出されてしまうから、なるべく早めに立ち去るようにしていた。けれど、今はそんな気分にならない。雲深不知処の景色以外にも、変わらないものがあると気づけたから。
     剣に乗る。江澄の隣には誰も並んでいないが、そのことに寂寥感は覚えなかった。


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