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    chihanamr

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    chihanamr

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    序 🦁🐍

    うたえ、あいがあるなら 西に傾く恒星を中心に、白い光が放射する。繁茂する肉厚の草花は青々として、こがねにふちどられた艶を帯びてきらめいている。小ぶりの花実は研磨した宝石のようだが、大ぶりのものは挟割する前の鉱物が枝葉に重たげにぶら下がって見える。それらに遮られずに地面に落ちる陽光、その筋の中で、ちらちらと光の粒が揺れている。舞っている土埃と花粉が、そばを横切った何者かの気配を匂わせていた。
     透明な天井の先は、雲ひとつもない快晴らしい。球を半分に割ったかたちの内側から見上げれば、広がる花弁に上から覆われているようである。つくりものの花の中は温かく、その表面は硬質で、さまざまな空の色に変遷する。このまま陽気が落ち込まなければ、次に訪れるのは薄暮との狭間だが、それまではまだ数刻の猶予があった。
     花言葉でも諳んじてみるか。あるわけがないし、万一あっても覚えるほどの興味もないが。——そもそもただの花にさえ、たいした関心もないのだが。
     硝子や金属の触れ合う音に、ふと意識を戻された。鼓膜にぶつかる軽やかな硬さで、立てていた自身の耳が小刻みに動く。
     頭上にずらしていた視線を下ろす。眼下の土草に並ぶ虹色と、それを挟んで向こう側に座る男が再び目に映った。
     男の顔はこちらを逸れて下に向いている。制服とパーカーを着込んだ腕は、手元の鉄製の箱から部品を順々に取り出しており、その所作にはわずかの淀みもない。
    「新手の嫌がらせかと思ったが」
     地に這うように尾を垂らし、かいた胡座に頬杖をつきながら声をかける。最初のご挨拶から、暫しの沈黙を挟んでの第一声だ。
     一瞬手が止まり、黒絹の前髪の隙間から、ちらと炭色の眼差しがこちらを見やった。
    「わざわざレオナ先輩への嫌がらせのために、こんな道具を持ち込むと思いますか」
     平坦な返答が返る。此方の言いたいことがわかっているだろう、そのうえで、無感情ながら煽るような言い回し。まあ、予想しないでもなかったが、と鼻の根元に皺を寄せる。
     まとわりつく、瑞々しく色とりどりに香る匂い。
     放課後の植物園の一角で、目の前には色彩豊かな花々が用意されていた。生真面目にも、一本一本、茎の切り口には湿った綿を吸わせている。種類にはとりとめがなく、園内には植わっていないものも数本あるようだ。
     花を狂わす此処には影響しないことだが、外は肌を焼く冷気もようやく抜け、多くの花が蕾をひらく時分である。季節に見合い、しかしこの学内では、……少なくとも相手や自身の重立った生活圏ではおよそ見かけないお上品な品種もあるあたり、道端やその辺の花壇から適当に摘んできたものではないとわかる。
     この後輩が、手間がかからないならともかく、わざわざ物や時間を費やして尾を踏みにくる質でもないのは知っている。なのでそれなりの目的なり動機なりはあるのだろうが、レオナを不機嫌にさせるだけの要素があるのも事実だ。
    「ジャミル」
     噛みついてやろうかという苛立ちを堪え、常よりも低めた声で男を呼ぶ。
     豪胆にも今度は手を止めず、しかしようやく、ジャミルは抑揚の薄いいつもの調子のまま説明を始めた。二年の魔法薬学の授業は現在、花を生薬とした魔法薬を教わっているところで、今日はAからCまでのクラスを前半とした合同実験の日であったらしい。聞きながら、薫る仕切の向こうで部品が組み上がり、蒸留器を模した簡易の魔法器具が出来上がっていくのを流し目に見る。隣には電磁コンロと空のフラスコ、水入りのペットボトルとビーカー……ややあって、確かに昨年の今時期もこれらを目にしたな、と思い出す。花言葉なんてものが頭に過ったのも、それが記憶の棚裏にでも落ちていたからだろう。
     並ぶ花をじっとりと睥睨したのち、気まぐれにジャスミンへ手を伸ばす。だが触れる手前で、なんとはなしに向きを変え、隣で目についたまろい黄色を摘まんだ。蕾のような姿で咲く、ユリ科の花だ。
     放課前から取り残していたささやかな疑問にも、ついでに得心がいく。あいにくダンデライオンはここにはないが。
    「ラギーが水の抜けたパプリカみてえになってたわけだ」
    「……水の抜けた、パプリカ……? いえ、まあ、萎びた顔はしていましたね、ラギー。獣人属の嗅覚を考えれば、気持ちは察するに余りありますが」
     一瞬不可解そうに表情が歪んだが、とりあえずと言った感じでジャミルは同意を示した。
     昼刻、レオナは実験着を抱えたラギーの耳が珍しく垂れているのを見たのだ。あのハイエナが白衣を片手に、目に見えて気分の落ち込んだ姿を見せるのに、レオナは妙な物珍しさを感じていた。
     午后に魔法薬学があるとは聞いていた。黄金や宝石が出来るわけでもなし、やる気は錬金術には到底及ばないだろうが、製薬の知識となれば将来役立つものも多い。それに薬草やら何やらの匂いを得意とは言わずとも、それ一つで萎びるほどラギーもひ弱ではない。獣人属といえど、そこらから香ってくるものにもいちいち反応するのはよほど繊細な手合いである。特に細やかさというものに欠ける者の多いサバナクロー生だ。周囲はおろか自分たちの汗臭さすら気にならない者もいるなか──流石にそいつらとは一緒にされたくないだろうが──、あの男もまた相応に粗雑なところがある。──ちなみにレオナも決してそいつらとは一緒にされたくない。
     それがどうして、随分と弱気なものだと思っていたが、単純に薬草やら何やらだとか、汗臭いだとかいう次元のものではなかったということらしい。
     花を手慰みに弄ぶレオナを横目に、ジャミルは着々と準備を進めながら、経緯の説明へと話を戻す。
    「まあ、においがすさまじいという話は事前に聞いていたので。専用の覆布も普段なら配られるか持参するかしているんですが、今回は特に香りの変化も結果も重要だからと」
    「代わりに配られんのは酔い止めだろ。死んでも飲むやつ居ねえだろ、あんなクソ不味いモン」
    「それ、飲んだあとのセリフですよね。……ああ、そうか。先輩も受講してますよね。ちなみに何年前の話ですか? 何回受けたんですか?」
    「余計な煽りを挟むんじゃねえよ」
     花の匂いというものは多様性に富み、組み合わせや合わせ方によって殊更重たい匂いを作りやすい。それだけならまだしも、件の実験はそれぞれの組で選んだ花単体、または数種を使い、その匂いも抽出するものだったはずだ。しかもそれを、鼻を塞ぐどころかしっかり嗅げという。彼方此方からさまざまな激臭が立ちのぼる密閉空間で小一時間箱詰めなど、考えるだけで萎びたくもなる。当然、何度も受講したいわけがないので、最初の年に終わらせている。つまりは純粋な二年次の一度限りで今から三……そんな話はいい。
     レオナが思考を切り捨てたのと同時に、ラチェットの空転する音が鼓膜に跳ねた。指で締めた部品を手回しで固定しつつ、ジャミルが器用に肩をすくめる。
    「全員、薬自体は効いたんですが。……一部は効果が芳しくなかったみたいですが、それはともかく」
     部品を取り付け終え、小ぶりのレンチを箱に戻しながら、淡々と言葉が続く。
     ここまでの話の筋は大体予想通りだ。毎年耐えられない生徒は何人か出てくる。
    「実験を始めて少しして、どこかの組がフラスコをひとつ爆発させて……硝子の欠片やらとんでもない臭いのする肥大した中身やらが飛び散って酷いことになりまして。あれじゃ今日明日どころか数日は実験室が使えないでしょうね」
     頬が支える手からずるりと落ちかけた。予想していたより大惨事、というより馬鹿げた内容だった。
     しかし、まあ怪我人が出なかったのは幸いですね、などと付け加えるジャミルの言い様は完全に世間話だ。この男も他人の不始末に巻き込まれればそれなりに感情的になるのは知っているので、恐らく被害を受けなかったか、上手く回避したのだろう。その爆発とやらを。
    「……あの実験で、何をどう間違えたらそうなるんだよ。混ぜるもんも大してねえだろ。詠唱中に欠伸でもしたか?」
    「知りませんけど……ふむ、確かに。どう間違えたら、そこだけ絞って見れば興味深くはあるか?」
    「そこに興味を持ってどうするつもりだお前は」
    「単なる好奇心です」
    「どうだか……」
     胡乱げな目を向けつつ、知ってどうなることでもないと追及は取りやめた。屈めたからだを起こして腕を組み、半ばに伏せた目でジャミルの貌を見る。それと同時にジャミルがレオナを振り向いた。準備は終わったらしい。
    「今年はやけに爆発が多くねえか? 例年の件数が二ヶ月かそこらのペースで起きてんだろ」
    「それはほとんど一年生です。有名な面子ですよ、予想はつくでしょう」
    「ああ、なるほどな。あの草食動物どもか」
     近頃有名な一年生となれば、つかないわけがない。レオナもたいへんよくお世話になった面々である。もとより結構な問題児だとは思っていたが、結構では言い表せぬ問題児なのだろうと認識を改める。人間爆弾でも目指しているのだろうか。暴走するヌーさえも逃げ出さんばかりである。今回に関しては彼らは全くの無関係だが。
    「爆発させた組を叱りつける前に『お前達までどうしたんだ?』とクルーウェル先生に言われました。こういうときはクルーウェル先生も困惑するんですね」
    「怒りを通り越してんじゃねえかそのクルーウェル。よっぽど手を焼いてるみたいだなァ。……撮ったか?」
    「撮るわけないですし、撮れる状況じゃありませんよ。見たければ今度からラギーにでも頼んでおいてください」
     今頃は医務室で伸びてるでしょうけど、と灰色の眼差しが虚空を見つめる。つまらないと鼻を鳴らしつつその視線を追えば、日差しの中で花粉がきらきらと煌めいていた。なるほど、鼻のきく同輩を、流石に哀れには思っているらしい。
     ともかく、ことのあらましは把握した。そうなれば目的も予想のつかないことはない。レオナは呆れた溜息を吐きながら腕組みを解く。
    「で? 中止した実験の代わりに、上級生を捕まえて補習しろって?」
    「成果物と報告書をまとめて、意見と署名を貰ってきたら良しとするそうです」
    「は、恒例行事だな」
    「恒例? 例年は爆発しているわけじゃないんでしょう」
    「花を爆弾に変える天才が年一でいてたまるかよ。なんともなさそうなツラのやつまでコレを持ってきたのは初めてだ」
    「ああ……」
     通常であれば、嗅覚と正気が臭気に負けた生徒だけが課されているものだ。クルーウェルもさぞかし想定外であったことだろう。いや、今年の異様な爆発頻度からして、事態への対応については今まで以上に想定されていたかもしれないが、まさか二年生が暴投するとは思うまい。あの男が頭をおさえて唸る様を想像すると、なかなか面白い気分になった。やはり見逃したのが悔やまれる。
     なんにせよ、今日の実験に参加した二年生は全員、実験道具を抱えて上級生を探し回っているということらしい。
     大方のことに得心はいったが、それでもレオナは内心片眉を上げていた。目を細め、すました表情をじっとり眺める。
     僅かな逡巡を済ませ、片膝を立てて腰を落ち着けた。鬱金香を手に取ったままの腕を乗せる。
    「それで? お前はこんなに手間のかかる嫌がらせの為に、俺のところに来たわけだ」
    「ですから、わざわざそんなことしません」
    「そうだよなァ」
     革の指で茎を弄びながら、すげなく返る返答に唇を歪めた。
     的外れだ、と言いたげに寄せられていた眉が、手のひらを返すように肯定されて少しかたちを変えた。あくどい笑みの浮かぶレオナを前にして、怪訝そうな面持ちのまま、少しばかりひらいた瞳孔が警戒をあらわしている。ますますレオナは笑みを深めた。
    「それなら、それ以外にさぞ大事な目的があるんだろうな?」
     眉がぱっと開く。丸くした目を、ジャミルはぱちんと瞬かせた。まるで、問われることを予想していなかったか、問われた内容を理解できなかったかのような仕草だ。
     何故そんな貌をするのか、レオナの方が不思議なくらいだ。変わらぬ表情の一枚下で考える。レオナの投げかけは当然の問いだろう。
     こちらとて、まさかジャミルが事前の説明すらもなく道具を広げ始めるとは思わなかったのだ。間抜けにも、花を並べ終わるところまで暫しその様子を眺めてしまった程度には。
     そもそも、組み立て前だったとはいえ、毎年目にしていたはずの実験道具を前にしながらも記憶と結びつかなかったのは、普段の男を見ていれば予想だにしないその振る舞いのせいである。この図太い優等生が実験をリタイアするなど考えもしなかった、というのもあるが。
    「まさかお前が、課題達成のために、わざわざ俺を、選んでくださったって?」
     一つ一つを嫌味のように区切ってやれば、また眉が寄っていく。ぶつかっていた視線が耐えきれないとばかりにそばめられた。問いの意図は理解したのか、苦虫を噛み潰したように唇を歪め、伏せた瞳は言葉を探して地面をなぞる。
    「一番都合が、……つきやすいのがレオナ先輩だったので」
    「そこまで言ったらいっそ言い切れよ」
     そんな状況でもこの態度なのだから流石と言うべきか。深謀遠慮をかなぐり捨てている気さえする。見ようによっては侮られている、とも取れるが、果たしてどうだろうか。
    「……だが、なァ。なるほど、熟慮の結果がそれで、此処か」
     含むような呟きとともに、地面を指差し、とん、と突く。ジャミルの視線が指先を追い、寄せられたままの眉間の皺が深くなった。
    「『そういうこと』なら、そうだな──可愛い後輩に、手を、貸してやるよ」
     了承の言葉をあえて強調して告げる。あまりにも言葉を濁すものだからと、此方からもわざとらしく逃げ道を作ってやったが、それに果たして気が付いたのか、普段なら良く回る口はそれらしい反論を寄越さない。
     鈍い反応に目を細め、レオナは手中の花をころりと転がした。暫しそれを見下ろし、静かに息を吸う。
     唇は動かさずに、口のなかで幾つか言葉を唱う。それらが連結し、意味ある文言を形成すると同時に、体内に流動する魔法力が呼応して指向性を持ちはじめた。
     全身から手元へと集まり、指先から花へと伝う力が、目視できる輝きとなって花の輪郭を辿り始める。僅かな煌めきを残して光が緩まったのを合図に、黄色の花弁の根本から、臙脂の濃色がじわりと滲んだ。
    「──え」
     間抜けな声がそばで零れる。盗み見ると、逸らされていた杢灰が見開かれて、レオナの手元へ注がれていた。淡い光を受けて、ふたつの曹灰長石と艶のある黒絹が赤く色めく。
     花がゆっくりと変色していく。境目で色素が混じり、夕焼けの濃淡がつくられた。次第に境界はずれていき、侵蝕され、やがて一つの色へと纏めあげられていく。
     境目が天辺まで達し、塗料じみた鮮やかさがすべて絹を織り込んだような赤に呑み込まれた。終点である花弁のふちで、発動の時と同じ煌めきがちらついて、魔法の終わりを示す。光の粒が小さく弾けて消える。
     黄の花が、赤い花へと完全に変貌した。
     十秒にも満たない、しかし一瞬ではないこの変化は、一口に言うなら見た目どおりの色替えの魔法だ。ハーツラビュル生が薔薇を染める魔法や、その他マジカルペンの一振りで行うそれとは、機構も勝手も違うものだが、一目でそうとわかる者は多くない。
     聡い男は、魔法の気配が消えるまでを瞬きを忘れたように見届けていた。思わずといった風に、吐息ほどの音が驚嘆の言葉をかたどるのを聞き、レオナはひっそりと細い息を吐いて笑みを殺す。
     手首をくるりと廻し、すべての花弁を確かめる。不備なく魔法が行使されたのを一瞥して、レオナはそれを、おもむろにジャミルへと差し出した。
    「──、は、」
     目を見開き、ジャミルが固まった。押し出されるように零れた息が無理解と困惑を示す。揺れる瞳が、どうにか眼前の腕の意図を読み取ろうとしているのが見てとれた。だがすぐに、隙を見せすぎていると思ったか、戸惑いを残しながらも咄嗟に表情は取り繕われる。
     誤魔化しようのない間ではあったが、レオナは笑いも指摘もしなかった。レオナの行動は、ジャミルからすればまったく脈絡のないものだろう。けれど、何か言い添えるつもりもない。問うか否か、受け取るか否か。伸ばした腕をそのままに、膝の上で握られたままの手をちらと見下ろす。
     やがて、躊躇いがちにゆっくりと、その手が動いた。
    「……………………勝手に、花を弄らないでください」
    「は。そりゃあ悪かったな」
     胸に寄せられるでも端に放られるでもなく、ジャミルの指先で茎を摘ままれ、曖昧な位置で赤い花が陽を浴びる。
     鬱陶しい匂いの中で絞り出された悪態を聴きながら、レオナは尾をなめらかにくねらせた。
     
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