猫は大好きの匂いでまるくなるピピピッ
昨日の夜に閉めたカーテンの僅かな隙間から朝を告げる光が差し込む。そんな僅かな光でも眠りの浅い青年の目覚めを施すには充分だった。
「ん…いま、何時…?」
そう問いかけても答えてくれる人なんてものはおらず、青年は手探りで枕元にあるスマートフォン探す。時刻は朝8時半、そろそろ支度しないと副課長からまたお叱りの電話が来てしまう時間帯だった。
仕方なく身体を起こし、サイドテーブルにあるチョーカーを手に取る。 起きてまず己の首にこれをかけることは毎朝の習慣で自然と身体は鏡へと向いた。
ベッドから足を下ろすと、同じく起きてきた猫がご飯をよこせと尻尾で床を叩きながら催促してくる。
「はいはい、ちょっと待ってね〜」
鏡の前につくといつも通り首元にチョーカーをはめる。するとそこでひとつの違和感に気づいた。
寝癖の間から見えるぴくぴくと動く黒い耳に、腰から生えたふわふわとした尻尾。見たことしかない物体の正体に流石の悠真も驚きの声を抑えることは出来なかった。
「な、なんだこれぇぇぇぇ!!!」
足元にいた猫はくわぁと欠伸をひとつ、うるさいと言うように短く、にゃんと鳴いた。
…………
「それで仕事休んでここに来たんだ〜!あんまり柳さん困らせちゃだめだよ!」
「まぁそーなんだけどさ!だってこんな機会滅多にないよ〜!猫好きのアキラくんをメロメロにするまたとないチャンス!」
そう、どうゆうわけか朝起きた悠真の頭と腰には猫のシリオンのように耳としっぽが生えてしまっていたのだ。パッと見た感じは何処ぞのバカ真面目な後輩を思い出させる。
一応しっかり検査はした所、何も問題ないということなのでそのうち元に戻るだろう。そう言っても慣れない身体。仕事にもならないので、意気揚々と猫好きである大好きな恋人に沢山甘やかし貰おうとここへ来たのだが……。
「でも残念!お兄ちゃんはビデオの仕入れ中だよ!」
「そーなんだよねー…はぁ」
悠真はカウンターを肘をつき、むすと拗ねる。その頭にある耳とふよふよと揺れるしっぽのせいであの悠真が可愛く見えてしまうのは、アキラの妹であるリンも猫好きに変わりないからだろうか。
「ねぇねぇ、悠真〜」
「なぁに……うわ!その顔なんか変なこと考えてるでしょ〜嫌だからね…!」
「え〜別に変なことじゃないよ〜!耳触ってもいい〜?」
「ほら〜!だめだよ!最初に触らせてあげるのはアキラくんなんだから」
「え〜悠真のけち〜」
2人でケラケラ笑いながらお話してるとお店の入口が開き、お客さんがやってくる。どうやらここにいたら邪魔みたいだ。
「リンちゃん、お店の邪魔みたいだからまた出直すよ。アキラくんによろしくね〜」
「えー、いいよ帰らなくて!お兄ちゃんの部屋で待ってなよ!」
「そう?じゃあ遠慮なく…何かあったらいつでも呼んで〜」
そう言い残すと、何度も通ったことのある階段を上がり、アキラの部屋の扉を開ける。部屋の主は居ないが悠真のことを暖かく迎え入れてくれた。
「とはいえ、どうしようかな〜」
とりあえずソファーに座り、そこら辺にあったビデオを回してはみるが、1人で見たってなんも面白くなんてなかった。
ビデオを見ることは諦め、アキラのベッドへと飛び込む。きっとこの場にアキラが居たら埃が舞って悠真の身体に悪いと小言を言われる所だ。枕に顔を埋めると嗅ぎなれた大好きな人の匂いにとてつもない安心感を覚えた。これも今は猫のシリオンだからだろうか。
「ん〜…ふぁ…」
寝転がるだけのつもりが穏やかな眠気が悠真を誘う。思わず欠伸が零れるが装備を付けたままでは少し寝苦しかった。人に見られていないのをいいことに寝ながらモゾモゾと装備を外し、適当にベッドの下に放る。
「……まさ…!……ヒーでも…むー??」
下からリンちゃんの僕を呼ぶ声が聞こえる。…がゆっくりと襲いくる眠気と下がってくる瞼には逆らえなかった。
………………
(随分と遅くなってしまった……)
本当はすぐ帰る予定だったのだが、思ったより長引いてしまった。店をリンに任せたままだがそっちは大丈夫だろうか。
ピリリリ……
「噂はなんとやら、かな…」
アキラのスマホからなる呼出音の正体はちょうど今考えていたリンだった。
「リン、どうしたんだ?」
「あ、お兄ちゃん?今どこにいるの!?」
「今かい?今さっきビデオの仕入れが終わったからこれからそっちに戻るつもりだ」
「そうなんだ!それより、早く帰ってきて!」
リンは少し興奮した様子で口早に要件を言う。一体どうしたというのだろう。
「どうしたんだ?何かトラブルでも…」
「あ〜、そうゆう訳じゃないんだけど…!とにかく早く、急がないとお兄ちゃん後悔するからね!」
「ちょ…!リン!」
それだけ言うと一方的に通話を切られる。
結局なにもわからないままだったが、トラブルではないにしろ妹がそこまで言うので寄り道もせず、急いで帰る事にした。
車で数十分、アキラはあっという間に六分街へと着く。車のキーを抜いて仕入れたビデオを手に、裏口から店へと入る。すると帰ってきた僕の姿を見たリンが満面の笑みをこちらに向ける。とってもご機嫌な妹の様子に思わず首を傾げる。本当に一体どうしたというのだろう。
「ただいまリン、それで?一体どうしたというんだい?」
「そうそう!ほら、早く来て!」
「ちょ、ちょっと待ってせめてビデオを置かせてくれ」
リンは早く早くというようにグイグイと腕を引っ張るが、せっかく仕入れてきたビデオを落として傷がついてしまったらいけない。
ビデオをカウンターに置いたあと腕を引っ張るにリンのされるがまま、2階へと上がっていく。自分の部屋の前に着くと、リンは急に振り返り口元に指を当て、「静かに」とジェスチャーをしてきた。何があるのか分からない僕は言われるがまま口元に手を当てこくこくと頷く。リンが静かに扉をあけ、ゆっくりとベッドに近づく。その後について自分も近づくとそこにはとても可愛い生物がくるりと丸まって寝ているではないか。
「すぅすぅ……ん…」
その可愛さに思わず我を忘れ叫び出しそうになったが、急いでもう一度口を押さえることで愛し子を起こしてしまうことにならずに済んだ。
あまりの可愛いさとこの状況に混乱してきたアキラは隣にいるリンに小声で状況説明を求めた。
「り、リン?ここ、これは、どうゆう??どうして悠真が?」
「お、落ち着いて、お兄ちゃん…!」
あまりの動揺で上手く喋れないアキラに、リンも小声で何があったかを説明してくれた。
「なんか朝起きたら猫のシリオンになっちゃったんだって…!それで仕事が休みになったからお兄ちゃんに会いに来たんだけど…。ほら!お兄ちゃん仕入れにいってたから。それでお客さん来てたし、とりあえずお兄ちゃんの部屋に通したんだけど…いつの間にか寝ちゃってたみたいで…」
「な、なるほど…?」
いや何もなるほどじゃない、このどうしようもない気持ちを何処にぶつければいいと言うのだ。ホントだったら今すぐ店の外に飛び出して悠真の可愛さを叫び回りたいとこだがビデオ屋の店長が気でも狂ったかと思われては流石のアキラ苦しいので必死に我慢するので手いっぱいだ。
「かわ、かわいい…」
「だよねぇ〜…!私もお兄ちゃんが来るまで写真撮るの必死に我慢したんだよ…!」
「そうか…!写真…」
アキラがスマホを取り出すためにポケットに手を入れると、
「すいませーん!誰かいませんかー!」
どうやらなんとタイミングの悪いことかお客さんが来てしまったみたいだ。下に降りようとするとリンから手を掴まれる。
「いいよ、お兄ちゃん!私が行ってくる!悠真みてて、あ!写真撮っておいてね!」
そう言い残すと妹が下に急いで向かう。全くほんとによく出来た妹である。
改めてすやすやと眠っている悠真に向き直り、持っていたスマホで撮ろうとするが、ふと思いついて机に置いてあったカメラを構える。
カシャリ…
「うん、完璧だ…」
我ながらの出来に笑みが止まらない。きっとバレたら消されてしまうので後でこっそりパソコンの方にデータを移しておこう。
「ん…」
「ぁ……悠真…?」
カメラの音で起こしてしまったかと身体が強ばる。だがどうやらただ声が漏れただけのようだ。
「ふぅ…良かった……」
ベッドの淵に腰掛け、その可愛さを眺めて堪能していると、頭にある黒いくてふわふわの耳がたまにぴくっと動いて触れたい気持ちでむずむずとする。これは、猫好きとしては当たり前の感情ではないだろうか。
起こしてしまわないようにそっと手を耳に近づける。すると何か近づく気配を察知したのかビビッと耳が動いた。それに一瞬びっくりしたもののそのままゆっくり触れる。何度か往復していると眠っている悠真からごろごろと喉を鳴らす声が聞こえた。ふわふわとした耳にさらさらの悠真の髪が大変触り心地が良く、離すことを躊躇う。
「んふ…アキラく……」
「ふふ……」
それに自分の愛しい人と自分の好きな物が合わさったのだ。そんなの贅沢すぎて困ってしまう。だが、このまま撫で続けていたらせっかく気持ちよく眠っているのに起こしてしまうだろう。ただでえ普段の悠真はこう見えて忙しい身分であるのでアキラは少しでも寝かせてあげたかった。
重い腰をあげ、悠真にかけるブランケットを取りに行こうとした。だが、突然やってきたふわりとしたくすぐったい感覚に思わず目を向ける。すると先程まで時折パタパタと動くだけだったしっぽが立ち上がろうとしたアキラを引き止めるように腰にまわっているではないか…。悠真本人は眠っているにも関わらず、しっぽにアキラがどこかに行くのが嫌だと言われてるようであげかけていた腰を元に戻してしまう。
「ず、ずるい……」
するともう一度沈んだベッドの感触に意識が引き上げられたのか悠真の目がゆっくりと開く。
「ん……アキラく…?」
その動きはなんと緩慢で黄金の瞳はとろんと溶けており、まだ眠たそうなのがみてとれた。
「すまない、起こしてしまったね…。」
「んーん……大丈夫…」
悠真の腕がしっぽと同じように座っているアキラの腰に周り、ぎゅっと緩く引き寄せられる。すると悠真はまるで自分のだとマーキングするようにぐりぐりと頭を押し付けてきた。いつも以上に甘えたでまだ眠そうな悠真の頭をもう一度撫でる。その手に頬を擦り寄せ、まるで本物の猫のようにチロっと指先を舐めた。その舌は少しざらついていてくすぐったい。そのまま二度寝を促すように撫で続けていると……
「んぅ……ん!」
「え、ちょ……!」
頭を撫でる手が捕まり、ぐいっと引っ張られる。急に引っ張られたせいで体幹が弱いアキラはベッドに倒れ込んでしまった。何が起こったか分からないアキラの胸元に悠真のふわふわとした頭が擦り寄る。
「ん…アキラくんの…におい……すき…」
それだけ言うとやはり眠たさの限界が来たのかまたすぅすぅと寝息をたてる。すると悠真のしっぽがご機嫌そうにゆらゆらと揺れた。
「どうしたものか…」
しばらくはどうにか抜け出そうと頑張ってはみるアキラだが、ぎゅっと離れることを許さないように捕らえられてしまい早々に諦めた。
「ふぅ……」
やはり猫だからだろうか胸の中にあるとても暖かい熱にアキラまでうとうとと眠気がやってくる。店をリンに任せっきりではいけないと抗おうとするものの、程よい疲れに、大好きな人の暖かさ。どうやら抵抗は無駄なようだった。
(少し、だけなら……)
優しい誘惑にまんまと負けたアキラは悠真の頭を抱え、顔をうずめる。柔らかな感触をめいいっぱいに感じながらゆっくりと瞼を閉じた。
…………………………
「お兄ちゃーん!悠真の写真撮ってくれたー!?……ってあれ?」
お客さんの対応も落ち着き、放ったらかしにしておいた兄の元へ向かう。ちゃんとかわいい家族の写真は収めてくれたのだろうか急いだのだが…。
「え…?ふふ」
ベッドの上には丸まる影が2つに増えていた。
「も〜お兄ちゃんだけずるいんだから〜」
少し羨ましいとは思いつつも、仲良く昼寝する2人の兄が風邪を引いてしまわないようにブランケットをかける。そしてスマホを取り出し……。
カシャリ……
「えへへ…ひとつ貸しだからね、お兄ちゃん!」