愛になる日をゆめみて.
「真白くんのことが好きだよ。もしよければ、僕の恋人というものになってほしい。」
ーー頭が真っ白になる、ということはこういった状況のことを言うのだろう。
自分へと放たれたその言葉を理解しようとするのに、これほど時間を要するとは思いもしなかった。それでも、噛み砕いたはずの言葉たちは、頭に染み込んでいく前にほろほろとほどけていって、やっぱり意味を理解することは少しも叶わなかった。
「…ごめん天城、ちょっと言ってる意味が分からない。」
くらくらと眩暈にも似た感覚に思わず瞳を閉じた。狼狽えながらも、必死に平静を取り戻すためにひと呼吸置いてから再び戻した目線の先には、先ほどと全く表情を変えずにこちらを真っ直ぐに見つめる一彩の眼差しがあった。
その瞳があまりにも綺麗だったから、つい目が離せなくなってしまった。
「意味が分からない?…フム、それなら何がどう分からないのか教えてもらえるかな?」
いかにも悩ましげに眉を顰めた一彩はうんうんと首を傾げてから友也からの言葉にそう返した。少し素っ頓狂な一彩の言葉に、更に友也は困惑してしどろもどろになる。
一体何が分からないかって?そんなの一彩から発せられる言葉全てだというのに。
ーーーー
事務所の垣根を越えて、ALKALOIDとRa*bitsの二ユニットでの合同ライブが二ヶ月後に開催することが決定したことを敬人の口から告げられた。これまでもフュージョンライブやシーズンイベントで他のユニットと合同でライブをする機会は多々あった。今回こうして合同でのライブをすることで、ユニットの枠を超えてアイドル同士が親しい姿を見せることで、ESのアイドル事務所間の親交をより一層世間に知らしめ、新たなターゲットを獲得しようという思惑が練られていた。それぞれの事務所を代表して次の合同ライブでは、ALKALOIDとRa*bitsが選定された。
ライブに向けて振り付けや立ち位置、フォーメーションやパフォーマンスなどを話し合うこととなり、本日そのミーティングの第一回目が開かれることとなった。
話し合いは思いの外スムーズに進み、さっそく軽めのウォーミングアップをしながら振り入れをして、大まかにだがライブのイメージが付いてきた。友也がリーダーを務めるRa*bitsも、こうして他ユニットとの合同練習に足並みを揃えて、同等に引き合うことが出来るくらいの実力と経験が付き始めていることを実感して、少し誇らしくなる。ましてやその相手ユニットがALKALOIDであることも、友也の気分を昂らせるには十分であった。
ある程度話し込んでイメージを形にしていくと、もう早いもので三時間ほど時間が経過していた。ダンスルームは防音のため窓はないものの、時計の針を見てみればもう外は真っ暗であることは誰しも想像ができるくらいの時刻となっていた。そろそろ今日のところはお開きにしようかと声をかけたなずなに続くようにして、タオルで汗を拭く者や水分補給をして着替えを始める者が現れ始める。友也もそれに続いて自分の荷物の元へと歩みを進めようとした時、少し時間はあるか、となんの脈絡もなく一彩に声をかけられて、ダンスルームの隣にある給湯室に誘導された。
何かこちらのユニットで不手際があったのだろうか。はたまた何か演出において加えたい提案があるのだろうか。ただもし仮にそうだとしても、わざわざ場所を変えてまで話さなければならないような内容なのか。一彩にこうして呼ばれた理由が咄嗟に思い付かない。それもそうだ、一彩とは確かに学生時代に同じクラスになったことはあるのだが、それでもずっと一緒に過ごしていたわけでもなければ、俗に言う親友と言うものでもない。強いて言えばオムライスを一緒に作ったことがあることくらいだろうか。
一彩のことを深く理解していないことは自負しているが、天城一彩という人間がアイドルというものに対してはさることながら、常に向上心のある人物だということは、今まで彼を遠くから眺めていてもなんとなく理解できる。生まれ持って兼ね備えているカリスマ性や、絶え間ない直向きな努力。自分よりも後にアイドルの土俵へと足を踏み入れたと言うのに、もうESにとってこんなに大きな存在になっているというのは、羨望の眼差しを向けざるを得ないくらい素晴らしいことだと友也は思っている。
呼び出した一彩の背中をぼんやりと眺めながら歩みを進め、その中でユニットのリーダー同士で話しておきたい事があるのだろうと心構えしていた友也にかけられた言葉は、まるで思いもよらない単語が連なっており、時が止まったかのようにだんまりとしてしまった。そんか友也に一彩は優しく笑みを浮かべるだけであった。
“好きだよ”、だなんて、そんな柔らかく笑って言われたことなんて初めてだから、どうしていいのかわからなかった。
戸惑いを見せる友也は、きらきらと光るビー玉のような大きな瞳を更に開いて一彩を見つめ返すも、その返事となる言葉が喉を通ってむせ上がることは無く、唇を結んで気不味そうに視線をあちらこちらへと泳がせた。それを見た一彩は友也の手を掬い上げるように優しく包み込んで、指先をきゅっと握った。その細くて長い指が迷わず流れるようにして包み込んだ手のひらの暖かさに、友也の強張った表情はほんの少しだけ緩んだような気がしたのを、一彩は見逃さなかった。
「もしも嫌になったら、遠慮しないで教えて欲しい。…でも、僕は真白くんの事が好きだよ。だから、真白くんも同じ気持ちになってくれたら嬉しいなと僕は思う。」
一彩はもとから肌の色が他よりも白いほうだと思う。それは生まれの地域柄によるものかとは思うのだが、まるで血色のない青白いくらいの一彩の頬が、うっすらと桃色に薄づいてあまりにも嬉しそうに笑うものだから、そんな一彩の想いを友也は真っ向から否定する事が出来なかった。半ば押し切られるようにして気持ちを当てがわれた友也は、首をゆっくり縦に振り、「よ、よろしくお願いします…?」と疑問符で返したが、そんな友也のことを見て一彩は温かい陽だまりみたいにふわっと笑みを浮かべてはにかんで見せた。
“お付き合い”というものをするにあたり、友也はこの関係はまだ公にはしないことを条件とした。まわりに知れ渡ることで有る事無い事を囁かれることへの戸惑いもあれば、自分のこの宙ぶらりんで着地点の目印が無い気持ちを、どう落ち着かせればいいかわからないことも理由のひとつだった。その提案に快諾して、嬉しそうに目を細めながら頷いた一彩にほっと心を撫で下ろし、二人で給湯室を出た。先ほどから一彩に繋がれたまま、優しく引かれる手にどう握り返そうか、いやこれはそのままの方がいいのか、頭の中でぐるぐるといろんなことを巡らせながら歩みを進めて、すぐにダンスルームへと戻る。部屋にはリーダー以外のメンバーたちが何やらわいわいと話に花を咲かせていた様子で、二人が戻ったことには全く気付いていなかった。繋いでいた手が自然と離され、自分の手の行き場に困った友也は誤魔化すかのように後ろに手を組んだ。
それからそう時間はかからずに、合同練習は終了してお開きとなった。メンバーは星奏館のそれぞれの自室へと戻っていき、友也はそわそわする気持ちのまま同じように自室へ向かったが、何となく視界の端に映した一彩の姿は、普段と何ら変わることもなかった。藍良と共におそらくブックルームにでも行くのだろうか、皆とは違う方面へと歩いていくのが見える。何やら楽しそうに談笑している二人の姿が見えなくなるまで、何故か友也はその背中から目が離せなかった。
自室の扉を開き、暗い部屋の電気をつける。しんと静まり返ってほんの少し冷たい空気を頬に感じ、当たり前に誰も居ない部屋を見渡して一息吐く。先ほどまで同じ空間にいた同室のマヨイは、今晩もおそらくここには帰らないだろう。気まぐれなのだ。友也は同室者が眠っているところを未だに見たことがない。自分が眠りについている間に戻ってきて休み、目を覚ます前にはもうどこかへ行っている。あまり気配を残さない人だから、友也が気付いた頃にはもぬけの殻なのだ。だからと言って全く顔を合わせないという訳ではなく、時々ふらっと帰ってきては他愛のないことを話して二人でくすくすと笑うこともある。ESの皆んなは彼の物言いや態度などで変わり者のように扱うこともあるのだが、何度か会話を交わしてその印象とはまるで違う雰囲気に、この人はこんなふうに柔らかく笑うのか、と初めは少し拍子抜けしたものだ。
だが、今日に限っては一人で良かったと心底安堵する。今この自分の状況で、うまくマヨイと会話できる自信がないのだ。マヨイと同じユニットの、そのリーダーでもある一彩と自分がつい先ほど“お付き合い”という形で関係が始まったことをマヨイに隠し通せる自信がなかった。
どうしてあの時自分は、頷いてしまったのだろうか。友也は自分のベッドに腰を下ろして肩の力を抜く。頭の中で、先ほど見た景色を巻き戻すように想起して一彩の表情を再度思い浮かべるも、どうも一彩の表情がぼんやりとしている。緊張と驚愕で、しっかりと覚えているわけではないのだと気付いたが、それでもまっすぐに友也を見る一彩の直向きな気持ちに、今更ながら気恥ずかしくなった。
「好きとかそういう感情、そもそも俺はよくわからないんだよな〜。」
恋だとか愛だとか、今まで自分にはほとんど無縁に過ごしてきたから、こうしてまじまじと考える機会はなかった。好きとは何なのだろうか。恋愛としての好きとは?はたまた友達としての好き?その線引きがあまりにも曖昧で、全く納得のいく答えが出てこない。
「…はぁ、考えれば考えるほどわかんないなあ。」
一彩の存在に決して消極的な考えは抱いていない。むしろ同じESのアイドルとして、リーダー同士として意識していた部分は多々あった。自分達よりもだいぶ後から新ユニットとして加入してきたというのに、目まぐるしく人気を博していく姿に少し嫉妬することもあったし、気付けば自分も引き込まれていることも自覚している。あまりにも目映くて、ステージで視線を奪われるのだ。それだけ魅力的なユニットであり、恵まれた才能の持ち主であることは友也も分かっていた。だからこそ、今回合同ライブで同じ舞台に立てることに密かに嬉しさも感じていた。ただ正直な話、まだそこまで一彩とは親密な関係ではないのだ。どんなものが好きで何が嫌いか。嫌いな食べ物は?休みの日には何をしている?あまりにも薄い情報しか知らない自分が浅はかだと思った。
こうして考えてみれば、なぜ自分があの時一彩の気持ちに頷いたのか。時間を置いて今、ほんの少しだけあの言葉に頷いてしまったことを後悔する気持ちが芽生える。だが、その生まれたての青くさい気持ちとは他に、好きだと言葉をかけられた友也の心の奥で何かがときめいて、心臓がじんわりと熱を帯びる部分が少しだけでもあったような気がする。いくら考えて悩んだところで自分を納得させられる答えは得られない。
半分諦めてしまった友也は、もうシャワーを済ませて休むことにした。お風呂は心のお洗濯だとよく言ったものだ。確かにシャワーで頭が冴えて、なんだか冷静になれたような気がする。その後ベッドに潜り込んで微睡む頭の中には、再び一彩が自分へと笑みを向けて手を差し伸べてくる姿が脳裏にぼんやりと浮かび上がる。実感があまり湧かないのだが、友也はそれでも照れ臭くなりながら重たい瞼を閉じて意識を夢の中へと沈めた。
お付き合いというものをして、初めて分かったことがある。一彩は案外自分が思っていた以上に優しい。そして驚くほどの観察力があり、細かなところまで気を配る。友也のひとつひとつの行動を見ており、先回りをするかのように振る舞ってくるのだ。例えば出掛けた先で店の扉を開けてくれるだとか、さりげなく人混みを避けた道を選んでくれたりだとか。悩み事で飲まれてしまい眠れなかった次の日、出会い頭に体調を心配されてそのまま部屋に帰されたこともある。友也が喉が渇いたと口に出す前にミネラルウォーターを差し出された時には、驚愕して思わず少しうわずった声が出てしまった友也を、一彩は小さく笑った。
「な、なんで俺が喉渇いてるってわかったんだよ。」
「ウム、なんとなくかな。真白くんが少し疲れたように見えたから、休憩をしようと思ってね。必要なかったかな?」
「…ありがとう、折角だし貰うよ。」
今日は二人とも夜に予定があるため、昼間の時間帯にアンサンブルスクエアから少しだけ離れた商業施設に足を運んでいた。昨日急に一彩から予定が空いていれば一緒に買い物に出掛けようと声をかけられ、友也は明確に目的があるわけではないのだが、これといって何も予定がなかったので二つ返事で了承した。その後に、これはデートの誘いだったのかと気づいた時には、もう少し色めきだった返事をすればよかったのだろうかと頭を抱えた。
“お付き合い”という関係を持ってから思いの外順調に一緒に過ごす時間が増えたと思う。ただしあくまで周りには悟られないくらいの時間で、だ。まだ二人は“お付き合い”をしていることは他の誰にも口外していない。しっかりとその約束を守ってくれている一彩に申し訳ないなと思いながらも感心する。本当に一彩が自分のことを好いていたのだとしたら、きっと自分ならば他の誰かに悩んだことや嬉しかったことなどいろいろなことを話して共感を得ようとしていただろう。こんなにも自分の好きな人は魅力的なんだぞと声を大にして世界中に教えてやりたい気持ちになるだろう。だが、一彩はそれを全くしないし、ただ友也のことを見つめては、まるで自分の事のように嬉しそうに笑う。
今日だってそうだ。こうして一緒に出掛けた先でもほんの些細な事で一彩は満足そうにして笑ってくれる。他の人の目があるから、もちろん手を繋いだりはしないし、必要以上に距離を詰めることもしない。側から見れば健全なただのお友達に見えることだろう。それなのにこんなに嬉しそうにされてしまうと、なんだか調子がおかしくなるし、思ったことや考えたことを素直に言葉にして一彩に言い返すことが出来なくなる。
自分の事を気遣ってくれたんだ、ありがとうの言葉一つくらい容易だろうに。なんだか照れくさくなってしまって、そんな簡単な言葉でさえ口にするのが憚られてしまい、返事をしてから今の自分はだいぶ無愛想な言い様になってしまっていたなと後悔する。
ーーー
「久しぶりに真白くんが作ったオムライスが食べたいな!でも真白くんにばかりお願いしていたら申し訳ないから僕も一緒に作りたいんだけれど、どうかな?」
どうかな?なんてこちらに会話の主導権を委ねているはずなのに、気が付けばもうキッチンの使用予約は取られていたし、生鮮食品が取り揃う近所のスーパーマーケットまで二人で足を運んでいる。行動のプランニングが早いのもそうだが、なによりもフットワークが軽くて、人を引っ張っていくのが上手い。だから一彩にはリーダーシップがあるし、人を惹きつける魅力があるのだろうなと友也は思った。ついて行きたくなるような、説得力のある背中に引き込まれてしまいそうになる。
必要な材料なんて、よほど手の込んだものを作ろうとしなければこれといって大それたものは必要ない。あっという間に買い物も終わり、ESビルへ戻ってキッチンでさっそくオムライス作りに取り掛かる。炒めるためにみじん切りにした玉ねぎが目に染みて、思わず瞳をぎゅっと閉じる。じんわりと滲み出るようにして溢れた涙を袖で雑に拭うと、それを見た一彩はハッとしたように少しだけ驚きで目を丸くして、自分が取り掛かっていた作業の手を一旦止めて、友也へと向き合う。
「目が染みるのかい?…大丈夫?」
「あ、いや、別にどうってことないって。玉ねぎだから切ってたら目が染みるのは当たり前なんだよ。」
初めて玉ねぎを扱ったというわけでもないのに、どうしてこうも反応の一つ一つが大袈裟なのだろう。涙ぐむ友也の両側の頬を一彩の手が包み込む。一彩の方が背丈が高いため、必然的に友也の顔を救い上げるような形となって、少しだけ上向きになる。
まっすぐ自分を見つめる一彩の瞳の中で、鏡みたいに自分の姿が映し出されてしまうのではないかと思うほど近いところで目線が交わる。一彩に見つめられると、自分の心の裏側まで見透かされてしまいそうな不思議な感覚に陥る。そして純粋に照れくさくなってしまい、狼狽えてしまうのだ。それを隠すようにして目線を外して必死に平常心を保つために、頬に添えられた一彩の手をやんわりとした力で引き剥がそうとする。振り解けそうになったと思えば、再び一彩の指先が友也の瞼をなぞるようにして手のひらが頬を包み込んだ。一彩の滑らかな指の感触が、冷たさが、じんわりと染み込んでいくみたいに自分の中に溶けていくような気がして、心地よさに微睡みかけた。そしてそのまま、友也が一彩へと視線を戻した時には、友也の唇には今まで感じたことのない柔らかな感覚がした。
一彩が自分へとキスをしたのだと気付いた瞬間に、友也は反射的にものすごい力で一彩の手を振り払ってしまっていた。いきなりのことで驚きを隠せずにいる友也に、一彩の方も戸惑った様子で瞳を見開く。
「ご、ごめん…その…ちょっと俺、びっくりして…」
「…僕の方こそ、真白くんのことを驚かせてしまったみたいで、…ごめんね。」
肌にべったりとまとわり付くような心地の悪い空気。それでも友也の心臓はものすごい速さで早鐘を打つ。一彩も不安げに眉尻を垂れ下げて、友也の表情を読み取ろうとまっすぐ見つめる。そんな一彩が一歩こちらに近付いたのを見て、友也も一歩後ずさる。
ーー待って、これ以上俺に近づかないで。
変なんだ、この気持ちが。
自分が一彩にとってそういう行為の対象に見られていたということに、どうしても心が着いてきてくれなくて、違和感だけがやたらと目立つようにざわざわと心に波を立てて渦を巻き飲み込もうとしてくる。
“信じていた”というのもおかしな話だが、一彩は友也へ必要以上に距離を詰めたり手を繋いだりと身体的な接触をはかってこなかったから、不思議とそういうことに関して安心しきっていたところがあったのかも知れない。でもいざこうして唇を重ねて思ったのは、好きとか嬉しいとかそんな抑揚する感情ではなくて、まるで嵌まらないパズルのピースみたいに不愉快なほどの違和感のみだった。
ーーこのままでは、一彩の顔すら見たくないとさえ思ってしまいそうだ。
一緒に過ごす時間が増えて、楽しいと思う瞬間や美味しかったもの、その日あった面白い出来事などをできるだけたくさん共有したいなと思うことが増えてきた。顔を合わせて、一彩がこちらを見て笑うことに嬉しさを感じていたと思った。さよならと手を振り合った後に静かな部屋へ帰ってくると、不思議と喪失感みたいな淋しさに苛まれて、お別れしたばかりなのにもう会いたいなあと気持ちを燻らせてしまった。
それなのに今はなんだか一彩が自分に触れることが、一彩の欲望を一心に浴びているような気持ちになってしまって、やはり違和感ばかりが心を占領してしまう。
「…ごめん、いきなりでちょっとびっくりしただけだから…」
あたふたと泡を食ったようにして青ざめる友也を見て、一彩はこれ以上友也へと近づく事が出来ずにいた。きっとまた一歩と近付いたら、離れて拒まれてしまう。なんとなくわかるのだ、生き物が拒絶反応を起こしたり、他のものへ恐怖心を抱いている時の空気が。今の友也からはその両方がひしひしと痛いくらいに感じられて、一彩と友也との間で空いているこの一メートル程の物理的な距離が、まるで二人を隔てる心の溝のように感じられて、深く深く一彩の心の中を突き刺していく。だからこそ、あちらこちらへとぐるぐると泳ぎ回る友也の目線を一彩は掴まえることが出来なかった。
その後作ったオムライスは決して失敗したというわけではない。好物となって作り慣れた今、調理工程もプロに比べればそれは当たり前に劣ってはいるものの、スムーズであった自信がある。それなのに、こんなにも味気なくて口に入れてもまるで味がしない鉛みたいに感じられた原因は一目瞭然である。気まずさと居た堪れなさに、コップの中の冷たい水を口に含んでは、一気に押し流すようにして飲み込んで最後まで食べ進める。
穏やかな昼下がり。壁に掛かった時計の針を何度見返しても一向に進んでいかない針と焦る気持ちに後押しされるようにして、急いでスプーンを口へと運んだ。
さっき起こった出来事もこうして喉の奥へと飲み込んで、跡形もなかったことになってしまえばどれほどよかったことだろうか。
あの日、あの瞬間を境に一彩と二人きりで会うことはなくなった。あの日のキッチンから自室への帰り道、会話という会話をしたのかすら曖昧で、もちろん次の予定を決めるわけでもなく、不自然な他人行儀みたいに見送られて、手を振られた時の一彩の顔すらしっかりと見る事ができないままに扉を閉めた。そのため、一彩がどんな表情で友也の事を最後まで見ていたのかすらわからない。そして今に至るまで、友也の個人の携帯電話には一彩からの着信を知らせる通知は鳴ることはなかった。
あれから駆け足で時間は過ぎ去り、あっという間に合同ライブの当日となった。目まぐるしくレッスンやら衣装のフィッティングをこなして、見事なまでに形となったこの合同ライブ。友也は忙しなくスタッフが走り回る中で周りを見渡せば、すっかり衣装を着こなしているRa*bitsのメンバーが少しだけ緊張したように表情を強張らせながらも、これからのライブに高揚感を抑えられないでいる様子でお互いの衣装チェックをしているのを見つけた。
「なんだか、緊張しちゃいますね。でも無事に今日を迎えられてよかったです。」
「緊張よりも何よりもステージでダッシュできるのが楽しみなんだぜ!ダッシュダ〜ッシュなんだぜ!」
「こら光ちん、そんなに走り回るとせっかくの衣装が着崩れちゃうだろ〜。ほら、もうリボンが解けてる。直してやるからこっちにおいで。」
リハーサルは思いの外円滑に執り行われ、特に目立った問題点はなかった。目の前のメンバー達はこれからのライブに高まる緊張と興奮で湧き立っている。この日のために特別に衣装も準備され、Ra*bitsは少しだけ甘めなテイストの衣装で、細かな装飾がとても可愛らしい。一方のALKALOIDは少しスタイリッシュでどちらかといえばシックな衣装となっており、この二つのユニットが対になっているような、そんなイメージを思い起こす雰囲気となっている。
ステージの向こう袖には、ALKALOIDのメンバーが最終チェックで何やら話し合っているのが見えた。真剣そうな面持ちではありながらも、笑顔も見えることから、彼らがどれほどこのライブを楽しみにしていたかがよく分かる。なんと言ったって今日まで一緒にたくさん練習してきたのだから。
そこには一際目立つ赤い髪が目につく。一彩はALKALOIDのリーダーなので、必然的に存在感が強く出るのは当たり前のことなのだが、友也にとっては尚更どうも気にしてしまう存在である。そんな一彩がALKALOIDの士気を高めるために、メンバーのみんなで円陣を組むことを提案し、隣に立つ藍良の肩へと手を回した。その反対側には巽の姿もある。藍良との身長差で、勢い余って藍良の頭へ一彩の頭が軽くぶつかり、それを驚きながらも鬱陶しいというように揶揄って藍良が笑う。
そっか、天城ってあんなふうに優しく笑ってたんだ。それは今まで幾度となく自分に向けられていたのに、どうして俺はそれにちゃんと気付いてあげられなかったんだろう。
ーーどうしてこんなに、胸が締め付けられるような気持ちになるんだろう。
最後に顔を合わせてから、二、三週間であろうか。あれから一度も二人きりにならなければ、あの眼差しを一心に浴びるくらい視線も交わることはなかった。連絡も来ないし、ライブに関することはあっても、個人的な用事で声をかけられることも無かった。
全てはあの日の一彩のキスが、友也の気持ちをおかしいくらいに掻き乱してしまったのが原因である。戸惑う友也に一彩はそっと身を引いて、その後は接触をはかってこなかった。
あの時はぐるぐると頭の中が乱雑に掻き回されるような気持ちになって、自分が自分では無くなるような気持ちになった。そして、一彩のことを好意的に見ていることにも何故だか嫌悪感を感じて、自分のことすら心底嫌いになりそうになっていた。
戸惑うのだ、どうしても。だって、今まで生きてきてあんなふうに自分へ好きだと言って触れてくる人が初めてだったから。あの柔らかい陽だまりみたいな眼差しが自分をふわっと包み込んで、きっとこれが幸せというものなのだろうと認めてしまって、その幸せにぶくぶくと溺れてしまうような気持ちになってしまったのだ。
「ーー…友也くん!」
声をかけられた。何度か自分を呼んでいたらしく遂には肩をトントンと叩かれて意識をそちらへと持っていかれる。
「何か気になる事でもありましたか?なんだかずっと考え込んでいたみたいですけど…。体調が優れないとか…?」
友也のことを創が心配げな様子で覗き込んでいる。
いけない、ぼんやりしていたみたいだ。どうもあの日からいろんなことに対して身が入らなくてボーッとしてしまう。これからライブだというのに、こんなことでは絶対に良くない。そして何よりも他のメンバーへ心配をかけてしまっては元も子もない。みんなで楽しくライブを成功させて笑顔で終わらせるんだ。そして今回ライブを通して来てくれたお客さんやファンへ、Ra*bitsはこんなに凄いんだぞとアピールして自信満々にESへ帰るんだ。
友也は自分へ喝を入れるかのように両頬を自分の手で挟むようにして叩く。低く乾いた音が耳に入る。
「ごめんごめん、ちょっとボーッとしてたけど大丈夫。ありがとな創、もうすぐライブが始まる時間だから、一旦向こうに捌けよう。」
ピリッと冴えたような目付きへ変わった友也に創はほっと安心したように肩を撫で下ろして頷いた。そして二人はそのまま他のメンバーと共に一旦楽屋へと戻っていった。
ライブが始まる。友也自身も緊張していないと言ったら嘘になる。楽しみでわくわくする気持ちと同じくらいに迫り上がってくる緊張感。最後に水分補給を済ませておこうと、友也は楽屋の隣にあるケータリングでスポーツドリンクをコップ一杯一気に飲み干す。そのまま小走りにメンバーの元へ向かって駆け出して、廊下の曲がり角に差し掛かった際に、向こう側からも誰かが同じように走ってきた。姿を認知したのだが、反射的に身体を避けることが出来ないまま軽く肩がぶつかってよろけてしまう。
「わっ…ごめんなさい!」
「っ、…あれ、真白くん?怪我はないかい?」
ぶつかった拍子によろけた友也を、ぶつかった相手の一彩が咄嗟に腕を掴んで引き寄せて転倒するのを防いだ。
聞き馴染んだ声を耳にして、唖然とする友也は驚いて目を丸くしながら見上げると、やはりそこには今あまり会いたくなかった人物が自分と同じように驚いた様子で立っていた。
「あ、天城…ごめん、ちゃんと前見てなくて。」
「僕の方こそしっかり前を向いていなかったから、ぶつかってしまってごめんね。」
久しぶりにこんなに近くで一彩の存在を感じて、心臓の音が向こうへ聞こえてしまうのではないかと思うくらいにうるさい。掴まれたままの腕がじんじんと熱を帯びているかのように熱くて、そこからドロドロと身体が溶け出してしまうのではないかとさえ思えた。このままではどうにかなってしまいそう。心の中に留めている気持ちが一杯になって溢れ出してしまいそうで、思わず一歩後ずさってしまった。
友也が転んでしまわないようにと反射的に掴んでいた腕のことを思い出したのか、一彩が再度小さく謝りながらそっと手を離した。友也はそのまま俯きがちになってしまって、よく顔が見えない。
あの時からやっぱり変わらない。友也はやはりまだ自分のことを許していないのだろう。あの後から友也はずっと自分に謝ってばかりだ、何も悪いことはしていないというのに。それがなんだか友也を無意識に追い詰めてしまっているような気持ちになってしまって、こちらも心苦しくて息が詰まりそうになる。
こんなに目の前にいるのに、触れることが許されないのがあまりにも悲しくて、一彩もそっと一歩足を後ろへ下げて距離を取る。
「…この後のライブ、お互い全力で挑もう。最後まで頑張ろうね、真白くん。」
優しく激励して、一彩は友也の隣を通り過ぎて行った。ふわっと香ったあの馴染みのある一彩の匂いと、真新しい布の香り。
違う、今はもう怖いのではない。嫌悪感も感じなかった。ただただ自分へ向けた一彩の表情が、先程まで舞台袖から眺めていたあの陽だまりみたいな表情とはまるでかけ離れたものであることに心が酷く動揺して、まっすぐ一彩のことを見ることが出来なかったのだ。
ーー悲しい、そう思った。
小走りで少しずつ遠くなっていく一彩の背中がどんどん小さくなっていき、遂にはもう薄暗い廊下の奥へと消えて見えなくなってしまった。
どれほどの時間を一人でぼんやりと過ごしていたのだろうか。何十分と経過したように思われたその時間は、たった数十秒であることが分かった。何故ならば遠くからALKALOIDのあの人気の曲が聞こえてきたからだ。ライブが始まった、俺も戻らないと。
「やっぱりALKALOIDってすごいな〜。俺たちも負けずに精一杯頑張ろうな。」
次はRa*bitsの出番のため、舞台袖で再びALKALOIDのパフォーマンスを眺めていた。称賛しながらもメンバーを落ち着かせるように微笑んだなずなに、肩を寄せ合いながら他のメンバーも笑って見せた。
友也はやはり、一彩の姿ばかり目で追ってしまって仕方ない。
舞台上での一彩の姿しか知らなければ、普段の彼の少し抜けていて突拍子のない物言いや、案外マイペースなところもあって子供みたいに無邪気な姿なんて誰も想像すら出来ないだろう。
一彩の寒色の瞳から向けられる眼差しは、陽だまりみたいに暖かいというのに。
歌って踊って、一彩の表情は真剣そのものだが、とても恍惚としていて見ているこちらまで気分が昂まってしまう。惹きつけられて、視線を釘付けにされて一彩から目を離せない。これは、一彩が友也へ向けて好きだと伝えてくれたあの時と感覚が似ている。あの時も確かに一彩の綺麗な瞳が、友也を掴んで離さなかった。
そしてなによりも、そんな一彩がパフォーマンスとはいえ他のメンバーとアイコンタクトを取ったり腕を組み交わしたりしているのを見て、その相手が自分ではないことに対してショックを受けていることに気付いた。
ーーそうだ、俺は今悲しいんだ。
この胸のつっかえるような変な心地の悪さや、ざわざわと吹き荒れる風のように落ち着かない気持ち、他のことなんて何も考えられなくなるみたいに頭の中を乱雑にかき乱されるのも、全部ぜんぶ。一彩に自分が他人と同じように扱われて、同じように思われることが寂しいのだ。
自分が一彩にとって特別な存在なのだと驕っていた。今の状況は一彩の気持ちや想いを蔑ろにした自分の傲慢さが招いた結果であろう。それなのに未だにこうして自分に自信を持てないまま、自分の心の中にある気持ちに固く蓋をして閉じ込めておくことしか出来ない。
一彩はいつだって友也のことを大切に思ってくれていた。それは友也自身もしっかり分かっていた筈なのに、上手くそれを一彩へ返せないままだったのは、自分の気持ちに正直になれずにいた自分の弱さ故のことであったと今、ようやく気付いた。
大丈夫、もう怖くない。
ありがとう、天城。こんな俺を好きだと言ってくれて。
ごめんな、素直に気持ちを返せなくって。
俺も好きだよ。
今なら自信を持って胸を張って、この気持ちをきっと伝えられる。
湧き上がる歓声が会場の中で鳴り響いて、ALKALOIDのパフォーマンスに観客が歓喜している。次は俺たちRa*bitsの出番だ。先程までのALKALOIDの熱気にペースを飲まれないように、一歩一歩スキップで跳ねる気持ちを全てここに表現しよう。そしてきっと、舞台袖で見ているであろう一彩が自分へ向けてくれた気持ちと同じように、俺の中にあるこのあたたかな気持ちが真っ直ぐ一彩へと届いてくれたらいいなと思った。
「疲れてるところ、わざわざ呼び出してごめんな。」
「それは真白くんも同じじゃないかな?僕は全然大丈夫だから心配しないでほしいよ。それよりもライブが大成功で安心したよ、真白くんのおかげだね。」
合同ライブは大盛況で幕を下ろした。とめどなく降り注ぐ拍手の波が会場を飲み込んでしまうのではないかと思うくらい、なかなか鳴り止むことはなかった。途中二つのユニットが一緒に歌唱する場面もあって、リーダー同士である友也と一彩がユニゾンするところでは本日で一番の歓声が上がった。
ライブが終わり、友也は興奮で沸き立つ気持ちのままに一彩のことを衣装室へと呼び出していた。なんだか前にもこれに似たような光景を見た気がする、とデジャヴのようだとぼんやりと思った。一彩は汗で少し湿った前髪をそのままに、ライブ後の余韻に浸っているのか表情は柔らかいものであった。
「俺の方こそ、今回一緒にライブが出来て凄い良い経験になったよ。ありがとな。…俺も最後の方はなんか楽しくなって、自信持って歌えてた気がする。天城のおかげだよ、ほんとうに。」
「それは真白くんの力があっての事だよ。僕はただやるべきことをやりながら歌っていただけで、全て真白くんやRa*bitsのみんなで達成できたものだからね。それにライブが成功したのならば、今回の蓮巳先輩の企画も上手く行ったという事だし、きっと事務所のみんなも喜んでくれるね。」
互いに謙遜しあって、でもそれは決して綺麗なお世辞で塗り固められたものではなく、一緒に努力して積み上げてきた結果だからこそ、認め合えて称え合える。今回身をもってそれを感じて、尚更かけがえのない思い出になったのだと実感した。憧れのような気持ちがある一彩に褒められて嬉しくないはずがない。少しだけ頬を赤らめた友也は照れ臭そうにしながら小さく笑みを溢した。その些細な表情の変化に一彩は釘付けになってしまう。
「…ウム、なんだか今日の真白くんはとても優しい顔をしてる。…やっぱり僕は真白くんのことが好きだよ。例え真白くんが僕のことを嫌いだと思っていても、このまま君のことを思い続けることを許して欲しい。もう恋人の関係は終わりになってしまったけれど、それでもこれからも僕らは一緒にアイドルとして尊重しあえる関係で居られたらいいなと思うよ。」
切なそうに眉を歪めながらも、友也が驚いてしまわないように精一杯優しく笑って見せた一彩の表情は、まるで憑き物が取れたみたいに柔らかくて、これで全て終わりかのように友也へそう告げた。その言葉に友也は少し驚愕したように目を丸くして、そのまま一彩のことをまっすぐ見つめかえす。
「…俺が天城を呼び出したのはこういう話をするつもりじゃなくて、その…」
先程までの自分の威勢の良さは何だったのかと思うくらいに言葉に詰まる。それでも今伝えないと、ちゃんとした俺の心の中の気持ちを。一彩が自分に直向きに気持ちを伝えようとしてくれていたみたいに。
「…俺、あの日からいろんなことをずっと考えてたんだけど、今日天城と一緒に歌って分かったんだ。アイドルとして、仲間としてじゃなくてもっと天城のことが知りたいし、もっともっと仲良くなっていきたいって…俺も天城のことが、好きなんだって思った。だから、俺も天城と同じ気持ちなんだよ。」
好きだと言った。そしていつか、同じ気持ちになってくれたらなと願った。
この地球上に何億といる人の中で出会えた運命で、自分と同じ気持ちになってくれるという奇跡。その奇跡に縋る気持ちで小さく願った一彩の気持ちに、今の友也は寄り添えることが出来そうだと微笑んだ。
そうやって優しく自分に微笑んでくれる友也を見て、一彩はやはり友也は自分を救ってくれる大切な存在なのだと改めて実感した。嬉しいという気持ちがじんわりと伝わって、心のすみっこまで熱が染み渡る感覚。そしてその嬉しいと思う気持ちで心がいっぱいになって溢れかえってしまって、思い切り飛びつくかのような勢いで緋色は友也を抱き締めていた。
「ありがとう真白くん、僕も君のことが大好きだよ!」
思いのままに腕の力を込める一彩に、苦しそうにしながらもされるがままの友也も、どこか満更でもなさそうにして小さく笑う。ちょっぴり汗の匂いと、嗅ぎ慣れた一彩の匂い。どこか心を落ち着かせてくれるそれは、友也の肩の荷を下ろしてくれるには十分なものであった。
「そんなに力一杯抱き締められると苦しいよ天城。…それに、俺も抱き締め返してあげられない。」
「…ウム、もう僕だけの気持ちじゃ無いってことだね。嬉しいよ、真白くん。」
そっと力を抜いて友也を解放した一彩は、やっぱり泣いてしまいそうなくらいに切なそうに、でも嬉しそうにそう言った。まるで自分に言い聞かせるかのように。
お互いに向き合ったと思ったら、友也の方から一彩へと飛び込んだ。それに応えるようにして一彩も再度腕の力を強く強く込めた。友也の肩に顔を埋めて、すりすりと頬擦りをするかのようにして抱きしめる。
「嬉しい、こんな気持ちは初めてだよ。真白くんはいつも僕にいろんな感情を教えてくれるね。やっぱり君は僕の恩人だよ。これからもずっと、よろしくお願いするよ!」
「なんだよそれ、別に俺は何もしてないからそんなふうに言われても困るんだけど…。でも、その…改めてまたよろしくな。」
まだライブの熱気が冷めずにいるからか、二人の頬はその熱でうっすらとほおずき色に赤らんでいた。
やはり一彩の眼差しは陽だまりみたいだと友也は思った。陽だまりみたいにあったかくて、心地良くて。日向ぼっこをしているみたいに優しい気持ちになる。そんな友也は心なしか、以前に比べて素直に笑えているような気がした。
向こうで二人を探す声が聞こえた。きっとこの後ミーティングが終わったら、みんなで打ち上げにでも行くのだろうか。ガヤガヤと騒がしい中でも楽しげな声がこちらまで届いた。
「そろそろ行かなきゃ、みんな俺たちのこと探してるみたいだ。」
「そうみたいだね。名残惜しいけれど、でもこれからもずっと真白くんと一緒に過ごせるなら、僕はどこまでも頑張れるよ。」
行こう、と友也の手を取った一彩はぐいっと力を込めて友也のことを引っ張って歩き出した。あの時後ろから眺めた背中も、こんなふうに優しくて頼もしかったんだっけ。
履き慣れたブーツの音色がスタッカートみたいに軽やかに弾んで響き渡る。喜びに浸った様子の一彩の横顔は見惚れてしまうくらいに綺麗で、滑らかな曲線を描く睫毛さえも上を向いて上機嫌だ。
明日はどんなことを話そうか。急がなくったって、これからもたくさん時間はあるんだから。
手を引かれて歩き出した友也は、少しだけ歩幅を広げて一彩の隣へと駆け寄る。寄り添わせた肩が何度か触れ合って、それに気付いた一彩は友也を見てにっこりと笑った。
多分きっと、これが幸せというのだろうと友也は思った。