「ーー!状況は!?」
『大丈夫、大丈夫だよ。君は?』
「問題ない。帝都は既にダインスレイヴの隊が向かっている。いつものところで落ち合うぞ」
『…うん。すぐに向かうよ』
「怯える必要は無い。お前は俺が守ろう」
『怯えてなんかいないよ。でも、ありがとう。君に会いたいな』
「すぐに会える。…すまない、魔物だ。一旦切る。また後で」
『うん。……愛してるよ、スラーイン。じゃあね』
「ーー!ーー!あいつは、あいつはどこに行った!?」
「電報!ヘルヘイムより電報!ニヴルヘイムが陥落、周辺集落の被害は計り知れず!繰り返す、ニヴルヘイムが…」
「…ニヴルヘイム……?ニヴルヘイム、は…あいつが、」
「長官!?長官、どこへ行かれると言うのですか!」
「あいつの所に決まっている!お前たちは後退だ、炎の国方向に行け!」
「ーー!ーー!」
「…すら、ァ、ぃ、」
……………………………あ
■■■
僕の夢は、ここで醒めた。
燦燦と降り注ぐ太陽の下、僕はベッドに寝っ転がっており、醒めたと同時にパチッと目をあけた。そして呆然とした様子のまま辺りを見回し、見慣れた壁に、見慣れた扉、見慣れたラクガキを目に入れて小さく息を吐く。
そして、そろそろとゆっくり起き上がって、何度か目を瞬かせた。
すると。
「…え」
座った拍子に、僕の瞳からはぼたぼたと涙がこぼれ落ちていたのだ。それは眠っているうちに泣いていたというのもあるけど、今だって目から涙がぼとぼとと落ちてきて、酷く袖を濡らした。拭えど拭えどとめどなく落ちていく涙は一種の恐怖すら感じるもので、どこか冷静になっている頭でどう止めようか、だなんて考えているのだ。
手で押えてもダメ。目を何度も瞬かせてもダメ。ぎゅっと目を閉じてもダメ。
だめだ。止まらない。
どうしよう、どうしよう。
あたふたと戸惑っていると、玄関からノック音が聞こえてきた。いつもならはーい、と言って扉を開けるのだけれど、今日は如何せんそんな場合じゃない。扉を開ける余裕もないし、だからって勝手に入ってこられるのもそれはそれで困る。だって、この惨状を見て欲しくは無いから。
だがオロルンの願いは無情にも裏切られ、しっかりと外から声がしてきて、開けるという旨の声も聞こえてきた。扉に手をかけられる音と、ゆっくりと隙間の開く扉。その隙間と音を止めるには残念ながら距離があまりに多すぎて、手は届かないし足なんてもってのほかだった。
「ジゼンにくるって言ったって言うのにキミってコは……、オロルン…?どうして泣いてるの?」
そこに居たのは、ピンク色の髪の毛をして、いつもなら娯楽小説を読み耽っている少し遠く離れたところに住んでいるばあちゃん。今日は僕の魂の検査で、ちょうど魔除けも切れかかっていたところだからと珍しくこちらに出向いてくれる日だったのだ。
せっかくだからと美味しい料理も昨日作って、おもてなしの準備をしていたのに。
全部、あの夢のせいで台無しだ。
「…僕、隊長のお嫁さんなのか?」
■■■
失礼なことに、まず僕はイファではなく人間の、しかも頭専門の医者のところに連れていかれた。もちろん健康優良児である僕におかしな所がある訳もなく、何も異常はないとその日のうちに返されたのだけれど。何も異常はないと言われたばあちゃんの顔と言ったら形容し難いもので、とりあえず酷く困っている様子だったのはわかる。
帰路、ばあちゃんはもっといい医者に、スメールに、なんて言っていたけれど僕は本当にどこもおかしくない。確かに開口一番がアレは少し間違ったような気もしなくもないけれど、ちゃんと伝えておいた方がいいだろう。
「ばあちゃん」
「いえ、でもやっぱり璃月かしら…あそこには腕のいい蛇の医者が、」
「ばあちゃん」
「それがいいわ、きっとこのコも正気を取り戻して、」
「腕のいい医者ならばあちゃんの難聴も治ると思う」
「誰が難聴ですって!?聞こえてるわよ!」
「耳がキーンとする…聞こえてるなら返事をしてくれてもいいのに…」
耳をきゅっと手で優しく包み込み、キーンと耳鳴りのする耳をゆっくりと揉む。そんなわざとらしいオロルンの様子にシトラリは少し気を悪くしたのか、眉間に皺を寄せて僕にガンを飛ばしてくる
「なによ、頭の病院ならまだ目星があるわよ」
「僕の頭はおかしくない。ばあちゃん、僕前世を思い出したんだ」
1拍の沈黙。
「はあぁぁあ???」
またこの子は普通の顔してトンチンカンなことを。そんな感じのことを多分思われている。そうに違いない。
でも、これが事実なのだ。僕は完璧に全てという訳では無いけどなんとなくの前世を思い出して、僕の今朝の突拍子もない言葉は、前世での話をしようとしていた。ただ、今朝は寝起きで前世と今がごっちゃになってあんなことを言ってしまっただけなのである。
流水の如く流れ、溢れ出した記憶の整理はもうついたし、心と頭はそれらをすんなりと受け入れた。忘れていたことか不思議だと思えるほどに鮮明で鮮烈な記憶であり、今でもその情景はまるで現実かのように目の奥に映るのだ。
「む。本当だ。まず僕はカーンルイアの九大都市ニヴルヘイムで生まれてそれはもう健やかに育った。確か3歳くらいの時に両親の都合で集落に引越しして、家業…なんだったかは覚えていないけど、それを両親は継がせようとしていたらしい。でも、のびのび育ち、器の大きくなった僕でもそんなの嫌だったから、12くらいの時に帝都まで歩いて家出をした。正直言って足が折れるかと思ったけど、その時に、」
「あぁもう分かったわよ!つまり、ナニ!?君が行かなくちゃいけない病院は頭だけじゃナイってこと!?」
オロルンが話し始めると同時にぷるぷる身体を震わせ始めたシトラリはギャンッ!と言った様子で吠えてきて、いつもなら怯んでキュッと口を引き結ぶところだが、今回はそうもいかない。握られた手綱を引きちぎってこそ理解して貰えると信じているから。
「全然分かってないよばあちゃん。それならばあちゃんも一緒に病院に行って耳の検査を受けるのがいいかもしれない。それにここからがばあちゃんにとって面白いところなのに」
「誰が難聴ですって!?」
また吠えられた。僕はただアドバイスをしただけなのに。
解せぬ、といった様子で渋い顔をしていれば、シトラリからため息が吐かれる。このままではお互いが全く譲らず平行線を保ち、にっちもさっちもあかないということを分かっているのだろう。それに、前世を思い出したなんて突拍子もないこと、普段のオロルンが言い出すはずもない。冗談だったとしても、オロルンなんてシトラリが一睨みすればすぐにボロを出す。シトラリにとってはお見通しなのだ。だが、それがないということは…あぁ、考えたくもない。
シトラリはありえない芸当をして見せた目の前の存在に頭を抑えながら何度か首を振り、やはり依然として嘘の宿らない孫の瞳を見つめ返した。
「…少し、時間を置いてみましょう。何かあったらすぐにシラセるのよ!」
ビシッと指をさしてそう言えば、同意するようオロルンは頷き、ばあちゃん、と続けて話しかける。
「ご飯を用意してあったんだけど、一緒にどうかな?」
またオロルンが突拍子もないことを言うのではないかとシトラリは身を固くしていたが、その口から出されたのはただの食事の誘い。思わず気が抜けてしまって小さく息を吐く。そして空を見上げて太陽の位置を確認すると、ちょうど中天。朝に来たはずなのに、医者やらなんやらでこんな時間になってしまったらしい。
「話が180度変わったわね…でも、まあイイワ。ご相伴に預からせてもらおうかしら」
オロルンはその言葉ににこりと笑い、昨日張り切って仕込みをしておいたんだ、と言って、シトラリを普段はちょびっと怖がっているくせに楽しみなのか、気が急いで歩みが少しだけ早くなる。
「仕方の無いコね」
ヤレヤレだわ。口にはしないが、歩幅の差も考えられないほど楽しみにしているらしい孫の背中に、また少しだけ、でも今度は喜色の入った溜め息をこぼす。
いつまでも、そう。オロルンが変なことを言って、前世だかなんだか言っても、何も変わらない日常が続いて、また明日を言える日が続いて。
そう、この頃は、薄氷にも似た日常を信じて疑わなかったのだ。
■■■
“君の名前を教えてくれ。僕、いつかまたここに来るから。絶対絶対、君に会いに来るから”
“……本当か。俺に、逢いに来てくれるか”
“心配性だな、君は。僕は約束を破らないし、君ともっと話をしたい。そうだな…、10年後。もし、10年経っても僕が君の前に現れなかったら、僕を迎えに来てくれ。ニヴルヘイムにいるから、少し遠いけれどね”
■■■
「え、えぇ〜〜!?そ、そこでオワリ!?ナニよ、後ちょっとだったじゃない!」
ばんっ!と机が大きく叩かれて、酒の入ったコップがたたらを踏む。零れないようにオロルンがそれをそっと手で支えてやるも、泥酔して、ぴゅあぴゅあな恋バナに顔を赤くさせたシトラリがそんなこと気がつくはずもない。前世の思い出した内容が、あまりにもばあちゃんが好きそうな内容だから、と話してやっていたのだが、今はそれどころではない様子。
興奮を顔に滲ませたシトラリとは対照的に、少し呆れた表情をするオロルンは「こんなことになるなんて思いもしなかった」なんて呟いて何とかなだめようとしていた。
「今思い出せているのはこれだけなんだ。いわゆる、次回をお楽しみに、というやつだ。ばあちゃん」
万物を従えるサムズアップ。しかし、シトラリが何を血迷ったかその指をへし折ろうとするため慌てて指を庇った。
「キーッ!オロルン!いいこと、思い出したらすぐばあちゃんに聞かせなさい!ばあちゃんはね、いい所で終わったくせに新刊が全然でなくなった娯楽小説に何回も何回も出会って、その度に云々…」
座り直してウン十年前のあれはどうだったとかこれがどうだとか話し始める。この祖母にして孫あり、を体現するかの如く、不遜にもこれは長くなるぞと椅子の背もたれにもたれかかった。稲妻の娯楽小説の歴史の長さに感嘆する一方、オロルン自体別にその話には興味が無いので適当に相槌を打つことしかしなかったが。
これは何分、あるいは何時間ほどで終わるのだろうか。1時間?2時間?いやもっとかかるかもしれない。夜と朝に作られる朝露は今もゆっくりと溜まっていて、オロルンが水やりをする頃には小さな水溜まりが出来ているに違いない。キラキラしていて、朝日と同時に見るととても綺麗なんだ。
あぁそうだ。前に一度だけ朝露を飲んだことがあるんだった。特段おいしい水ではなかったけど、なんだか特別感があってその日は一日中ご機嫌で過ごせたような気がする。
「そもそもあの本は前からアヤシかったのよ!十年に一回しか出さないし、次はイツかと思ったら死んじゃってるし、ヒック…八重堂も八重堂よ!人間はすぐに死んじゃうんだから、あんなチョウキの連載はムリがあるでしょって…ヒック…」
しくったな。フォンテーヌに行った時街路に植えてある花々の朝露を啜ってみればよかった。あそこは水の国だから、きっといい味がするに違いない。そういえばあの国の人間はとても多い水分で出来ているようだった。でも形が変わらないように、とても強くて古い力を感じて…あ、思い出した。パレ・メルモニアで出会った、あの…えぇっと、ぬ、ヌィ、ヌヴレッ…あぁダメだ。あの国の名前は噛みそうになる。そう、その人からとても強い水元素を感じたんだった。あの人に聞いてみればフォンテーヌの朝露の味も分かるかもしれない。
「そえぇねぇ!ヒック…わ、わらしがいままっえるほんは…」
その瞬間、ガタンッという大きな音がオロルンの向かい側から聞こえてきた。あらぬ方向に思考を飛ばしていたオロルンは当然その音に耳を真上に尖らせて驚き、音が聞こえた方へとすぐさま視線をめぐらす。
「……ば、ばあちゃん?」
オロルンの向かい側、つまりシトラリの座っている席から聞こえてきたもので、そしてその音を鳴らしたのもシトラリであったのだ。酒は離していたから幸いだったが、突っ伏して寝て、まるで家の如くそのままぐうすかと気持ちよさそうに眠っていた。
大丈夫だろうか、と一応声をかけてみるものの、このモノの数秒で熟睡してしまったのかまるで返事は無い。これもいつもの事で、オロルンがベッドまで運ぶのももう手馴れたものだった。
仕方がない、今夜はお開きとしよう。
自分のコップの中に入っていた酒を一気に飲み干すと、ひとつ、致命的な間違いに気がついたのだ。
「…ばあちゃんが飲んでたの、星霧だったのか」
そりゃあぁやって潰れるはずだ。
コップとからになったツマミの皿を流し台まで持っていき、涎さえ垂らし始めたシトラリを持ち上げる。よっこらしょ、とシトラリがよく言う言葉を無意識のうちに発すると、ふと、こんなこと、ずっとずっと前にもしたような気がするという不思議な感覚に襲われた。
それがなんだったのかは分からない。分からないけれど、本当に、ずっと前。そんなことをしたの…だろうか。それとも、されたのだろうか。
「………前世、かぁ」
やっぱり、僕の頭がおかしくなったんだろうか。
■■■
『ねぇ』
彼は言う。
「……」
『ねぇってば』
あるいは彼女は言う。
「………」
『スラーイン!』
それともまた、ナニカは言う。
「…なんだ」
老獪な黒い騎士は、疲れきったような声色でようやく返事を返した。
『それでいいの?また見送ることになっても、いいの?』
彼、彼女、ナニカはその疲れきった声色に眉を下げ、そっとその脆くなった手に触れる。愛しさ、哀れみ、慈しみが混ざりあった、あまりに感情を称えた瞳で見つめて。
老獪な黒い騎士は、その瞳をしかと受け止め、だが小さく息を吐いた。そうして何かを迷うように何度か口を開けたと思うと、たったの一言をこぼす。
「……分からない」
彼、彼女、ナニカはやはりその言葉に肩を落とした。
『君に会えるのは後一度か二度だけなんだよ。あの日みたいに数年後の話かもしれないし、今みたいな数百年後になるかもしれない』
何度言われたか分からない言葉。数百年を共にし、こうして言葉を交わすのは何千何万度目か分からないほどに共に在り、騎士の切り開いた道を手を取り歩いてきた。
「…」
だが、騎士の歩く速度は少しづつ、着実に遅くなってきていた。そして、ただ在るだけの彼、彼女、ナニカも、それに準ずるしか道は無い。
『もう、まただんまり?…いいよ。でも、あのね。いつか、そう、いつかだ。“僕”は君に会い、そして君のために死ぬ』
取った手を離し、彼、彼女、ナニカは静かに溶け行く。
『結論を、愛しい人。再会の日は、もう間もなく訪れる』
■■■
一週間に一度、オロルンは険しい山を登る。登るといっても、クク竜に連れて行ってもらうのではあるけれど。狩猟用の罠に引っかかっていたあの子を助けてあげて以来、僕はあの子の背に乗る資格を得たらしい。
冷たい玉座、落ち着く空の色。運んできてくれたクク竜にお礼を言い、イファから貰ったクッキーを3枚ほど差し出す。これは行きの駄賃で、帰りはもう1枚増量だ。合計7枚なんて少し多いかもしれないけれど、険しく標高も高いここにまで連れて来るには体力をかなり消耗する。不足した分を、補ってやりたかったのだ。
帰りも頼んだ、と待っているよう言うとクク竜は大きく頷いて、階段を一段一段踏みしめて登るオロルンをひとしきり眺めたあと、片足立ちになって体に顔をうずめる。どうやら眠くなってきたらしい。
「こんにちは、隊長」
登り終えたオロルンは、眠り続ける隊長にそっと声をかける。その声色は酷く優しく、まるで真綿に包み込んだ大事なものに語りかけるようで、そして彼が眠るよりも前から変わらない。
「昨日、大きなトマトがとれたんだ。ツヤツヤで張りのあるいいトマトだった。でも、ちょうど遊びに来ていたカクークが飛びついてしまって、今じゃカクークの胃の中だ。あの子が喜んでくれたなら僕も育て甲斐があった」
話す内容は、別に重要なことではない。むしろ、くだらない事ばかりで、誰がどうしてどうなったとか、野菜の話とか、それこそこの前遊びに行ったフォンテーヌの話をしたりと他愛のないこと。
そんなくだらないことを話すために来たのか、なんて言われそうだけれど彼の傍はどうしてかすごく安心して、なんでも話してしまいそうになる。イファやばあちゃんにも安心さは感じるけれど、隊長の安心さはその2人とは少し毛色が違うように感じるのだ。駐屯地でも話すつもりのなかった取るに足らないことをついつい口にしていて、慌てて口を塞ぐのだけど、彼は「続けるといい」といつも言って、聞いてくれていた。
今までは、どうして彼にある種の安心感を感じるのだろうか、と甚だ疑問を感じていたのだけれど、今ならその理由がわかる。
「そうだ、僕前世を思い出している最中なんだ。君、意地悪だな。僕が君のお嫁さんだったってこと、教えてくれても良かったのに」
まあ、あの時いきなり言われたとしても僕は戸惑うばかりで君の思うような反応は返せなかったと思うけれど。
「500年前の僕が置いていってごめんね。寂しい思いをさせてしまった」
自惚れではない、はず。思い出した隊長…いや、あの頃の話をするならばスラーインと呼んだ方がいいだろうか。まあ、スラーインは、かつての僕をそれはもう深く愛していた。かつての僕も彼のことを深く愛していて、お互いのいない未来など考えたこともなかったのだ。でも、何らかが原因で僕が死んでしまったことで彼は一人になってしまった。500年間、ずっとずっと一人で歩いて、そして不憫にも、僕が全てを思い出したのは、全てが終わり彼が眠ってしまった後。
「僕の記憶は大体、2日か3日おきに戻ってくるんだ。こんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、あの頃の君、とっても若いね。あぁ、誤解はしないでくれ。今の君が悪いわけじゃない。君の熱血なところも、冷静なところも、僕は全部大好きだから」
今の隊長とは似ても似つかないほど、という訳では無いけれど、やはり若さというものは偉大で、エネルギーに満ち溢れている。今となっては顔から火を噴くようなセリフも勢いのまま言われたし、自分の感情を制御しきれずに言葉に詰まる様子は、まさに若さというものの力だった。
「…僕は、どうやっても君を好きになる運命らしい。君と協力していた時、僕はずっと君の隣に陣取っていただろう?思い返せば、あれは独占欲にも近い感情だったのかもしれない。君のことを誰にも渡したくなくて、僕だけを見つめていて欲しかった」
前世を思い出そうと思い出さまいが、オロルン個人の感情は一貫としていた。前世というものは恋をしているのだと気が付かせるきっかけになり、その愛おしさをさらに増大させる装置に近い。新しい出来事を思い出す度、オロルンの純真無垢な心はぽかぽかとして暖かくなって、これまで明確に感じたことのなかった愛おしさの形がはっきりして、さらに愛おしくなるのだ。
「酷いやつだな、君も。僕が君を好きになってることなんてとっくに勘づいてたろうに、なぁんにも言わないで寝てしまうんだから」
まぁ、きっと言ったところであの頃の僕には伝わらないから君はその選択をしたんだろうけれど。
「今更思い出すなんて、とんだ皮肉だ」
君はこの虚しさをずっと抱えて生きてきたというのか。愛おしさは確かに心の中に生きているのに、それを囁く相手はもういない。確かに愛おしかったという気持ちが遠い過去のように思えて、どうしてかは分からないが、振り返れど振り返れど、この想いを口にすることは出来ない。虚しさばかりの在りし日の遠い過去に愛を囁くことも憚られて、空いてしまった心がひりひりと痛む。過去というかつての幸福であった自分にズカズカと土足で心の内側に踏み入れられたとしても、虚しさというものは、それを止める理由にはならないのだ。
そんなどうしようも無い、何も出来ない雁字搦めの愛の中で、君はずっと僕を覚えてくれていたというのか。
「君の肉体はあるのに、僕の言葉には返してくれない。僕という存在がそもそも居なくなった君よりはマシだろうけど、これも結構堪えるものだね」
その手に触れた。
既に朽ちた体を隠すために、全身を黒で覆った愛する人の手。暖かかったはずなのに、今は冷たくて仕方がない。
愛する故郷を失い、仲間を失い、死を失い、終わりを失い、過去を失った。己の体が徐々に衰えていく初めの数十年、己の体が徐々に腐り落ちる数十年、己の体が徐々に体と呼べなくなる数百年。どれだけの恐怖を、憎悪を、悲しみを彼は背負ったのだろう。
「…ごめんね」
君一人に、全てを背負わせてしまって。