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    ふかひれ

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    ふかひれ

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    ドキッ!?夏のカピオロホラー祭り!!

    2つ目は前に夢を見る。
    僕はただ、暗い空の下に立ち尽くしていた。
    そして、僕を見つめる青い一等星と目を合わせる。不気味な程に冷たく、全てを見透かすその星と。
    『ーー、ーーーー。ーーー』
    星は言う。
    低く、唸り声にも似た愛おしい声で。


    ■■■


    「……ぅう…」
    雀のひっきりなしに鳴く声と、耳元で無情にもやかましく音を立てる目覚ましに意識が浮上させられる。まだ寝ていたい…それを体現しているのか耳はぺしゃりと下を向き、さらには布団の中に潜り込んで目覚ましの音から逃げようとする始末。だがそのような甘えを許してはくれない時計は、なかなか起きない所有者にジリジリと痺れを切らしたかのようにもう一段階やかましく叫び始めた。
    もぞもぞと数回繰り返したあと、ようやく起きようという意志を持つ事に成功したのか布団の中から手が伸びてきて、目覚ましを探し始める。何度か目覚ましに手を衝突させたあと、上のボタンを押して穏やかな眠りを苛んだ元凶は止まった。そしてゆっくりと布団の中からまだ眠くて仕方がないというふうに這い出て、しょぼしょぼとした目を擦り、青いコウモリの耳をピルピルと動かす。
    布団から這い出た次は、ベッドから降りて歩かなければならないのだが残念ながらオロルンにとってそれが一番の難関であった。ベッドの上に座り、うつらうつらと船を漕ぐのはいつもの光景で、起きてはいるのだけれど頭がまだ眠っているのだ。
    この時、寝ぼける頭で考えているのは取り留めのないこと。例えば、今日の夢はなんだったか、とか今何時だろう…なんてこと。シャキッとした頭では思い出すことの出来ない夢の内容を何度も反芻させ、今日見た夢を刻み込むのだ。
    「……青い、星…」
    そうだった。今日もこの夢を見たんだった。前までは月に一回とかだったのだが、いつしか週に一度見るようになった、不思議な夢。ただただ野原に突っ立って、青い星を見つめるだけの時間。夢の中の話だが、それは長いようにも短いようにも思える空間で、居心地が良く、酷く心が安らぐのだ。真っ暗な空の下で冷たい風を感じ、それに揺れる草の感触を感じながら、見下ろされる。言葉を理解することは出来ないけど、青い星はいつも僕に語りかけていて、僕もその言葉を心待ちにしている。その声色は、優しくて、聞いていて安心するのだ。
    この夢を見た日は毎回絶好調で、心做しか運も良くなっている。というのもこうして断言できるのは、もう何回もこの夢を見たから。保育園、それこそ物心着いた頃にはこの夢を見ていて、最初は半年に1回程度だったのだけれど、17歳である今となっては週に一度の頻度になってしまった。何度も同じ夢を見るんだ、そう親に相談しようかと思った時もあったが、なんだかそうしない方がいい気がして結局していない。
    事実、悪い影響は無いしさっき言ったように絶好調で運も良くなる。例えば電車から降りていつも通っている道から外れて遠回りで行ってみると、小学校低学年の時に引っ越してしまった友人とばったり会って、同じ高校に入学していたことが分かったり。こんな些細なことや、大きな事故に巻き込まれず済んだ日もあった。


    ■■■


    「なぁ、オロルン。一番様って知ってるか?」
    帰りのSHRが終わって、夕方だというのにまだまだ明るく暑い放課後。帰るものや部活に行くもので教室の過半数が居なくなり、当番を任せられてしまった生徒たちがうだうだと文句を言いながら掃除をしているこの教室。今週、オロルンが掃除の担当では無かったのだが今日の日直だったということもあって、早く部活に向かいたいところをぐっと抑えて黒板を黙々と消している中、声が掛けられた。
    横を向いてみれば、気安そうな白髪の生徒がよっ!と片手を上げながら教室に入ってきているところだった。
    「なんだイファか。ちょうどいい所に来た、君も手伝ってくれ」
    誰かと思えばそれは友人のイファで、その姿は今日は部活がないのかやけに身軽な格好だった。彼のトレードマークのような帽子は毎日違うものを被っているらしいのだがオロルンに取ってはさっぱり分からない。どれも同じだ、と前言ったら違う!と言われ一つ一つ説明されたのは記憶に新しい。
    「なんだってなんだよ。俺じゃ不満か?手伝ってやろうと思ったんだけどなぁ」
    拗ねたような口調でため息をついたかと思うと、行儀悪く教卓にひじをつき、わかりやすいその態度に小さく笑って、ならばこちらもとわかりやすいご機嫌取りをする。
    「僕は君のような素敵な友人を持てて幸せだよ」
    「は、調子のいいことだ。ほら、貸せ」
    ふたつある黒板消しの内一つを渡し、まだあまり綺麗にできていない右半分を頼む。左半分は今オロルンが着手しているところで、終わり次第残っているだろう右の方も手伝うつもりだ。この後に黒板の溝の掃除もやらなきゃいけないけど、それもイファに手伝ってもらおうなんて考えていると、黙々と掃除をするのはイファの性にはあっていないのかベラベラと勝手に話し出した。
    「で、オロルン。一番様って知ってるか?」
    そして、冒頭のセリフに戻るわけだ。
    「一番様?教師の新しいあだ名か?」
    教師に勝手にあだ名を付けるというのは学生あるあるだと思うのだが、その一番様とやらは生憎聞いた事ないし、誰かが話しているところに出くわしたこともない。最近新しく入ってきた非常勤の高慢ちきな気のある教師のことだろうか、そう首をかしげ聞いてみると笑い声混じりで違う違う、と否定される。
    「最近、ニュースで連続殺人がおこってるってよく聞くだろ?」
    「そうなのか?」
    残念ながら初めて聞きましたといわんばかりに目を瞬かせると、さすがのイファも顔をひきつらせた。
    「そこからかよ…いや、お前がそういうのに疎いのは前からか…。最近各地で連続殺人が起こっててな、その犯人の消息が犬使っても機械使っても全くわかんねぇだとよ。不思議だろ?……で、ここからが重要なんだが、遺体の死因がどうにも怪しいんだと」
    「どんな風に?腐乱してるとか?」
    「いいや、在り来りって言っちゃなんだが、そう単純なものじゃあない。……今は夏だろ?なのに、死因は凍死なんだ」
    変に神妙な顔で彼の言う衝撃の死因を聞き、確かに不思議だと頷く。だが、
    「夏場でも出来るんじゃないか?あまり現実的じゃないけど、港では魚を保管するための大きな冷凍庫があったりって聞くし。そういう所に放り込まれて、殺されたとかそういうのじゃないのか」
    オロルンがそう言うと、イファはお前がそう言うのは予想通りでしたと言わんばかりにニタリと笑ってチッチッチッ、とうざったらしく舌を鳴らしながら人差し指を左右に動かした。
    「甘いな、オロルン。俺がその可能性を加味してないわけないだろ。各遺体の死亡推定時刻と、発見時の時刻はそう離れてないらしいし、しかも発見された場所は街中で、周辺に大型の冷凍庫がある場所は無い。…な?おかしいだろ」
    思わず話に夢中になってか黒板を消す手が二人揃って止まっており、黒板消しはぎゅうぎゅうと黒板に押し付けられたまま。
    「……つまり、被害者はその場で何らかの方法で凍死し、間もなく発見されたって言いたいのか?」
    そういうとイファは満足そうに口端を吊り上げた。
    「わかってんじゃねぇか」
    正解!そう言わんばかりに黒板消しをバンっ!とある程度綺麗になっていた黒板に叩き付け、粉塵をあげる。せっかく綺麗になっていたのにと顔をしかめたが、イファはそんなオロルンの顔は目に入らないと言わんばかりに話を続けた。
    「おかしいと思うだろ、そんなの。冬ならまだしも夏の普通の街中で凍死って」
    掃除終了のチャイムが鳴る。でもオロルンはその存外大きいチャイムの音に気がつくことなく、ここだけ切り離された世界のように話に夢中で、黒板消しを離すことは無い。
    「それはそうだけど、それで付けられた犯人の名前?あだ名?が一番様なのか?一番って一体何だ?」
    「あぁ、合ってるぜ。…一番様が一体何でなんでそんな名前かって言われるとそりゃ俺も知らねぇけど…、さっき面白ぇ説見つけてな」
    「面白い説?」
    小首を傾げれば、イファが声を潜めてオロルンに耳を貸すようちょいちょい、と手招きをする。
    「一番様は………雪男なんじゃねえかって」
    小声になり、耳を近づけさせ、少しもったいぶって言った割にはあんまりにも陳腐で在り来りな説。イファはふふん、と満足気だったがそれとは対照的にオロルンは微妙な顔。あまりお気に召さなかったらしい。
    「……君はそんなことを共有するために来たのか」
    呆れた声を出し、構ってられないと言わんばかりに黒板の溝を箒で掃き始める。
    「なんでだよ、ロマンあるだろ、ロ…マ…ン」
    反応のよろしくなかったオロルンが心底分からないというように両手を大きく広げ、ロマンのないやつはこれだから、なんて抜かした。
    ぶつくさと文句を垂れるイファをしり目に、溝の掃除を始めるからと両手を広げるイファを教壇から追い出し、代わりに黒板消しをクリーナーにかけるよう頼む。仕方ないと言った様子のやる気のない返事が聞こえたあと、人の声が埋もれてしまうほどの大きな音でクリーナーは粉を吸い始め、会話は止まった。
    特に何を話す訳でもなく、ぼおっと粉を集め、溝の中央にある穴へと粉を入れていった。下に元々はチョークを入れるための容器が備えられているが、教師たちは自前のチョークを使うことが多く、専ら使われない。恐らく、その中にはすごい量の粉が入っていることだろう。
    この容器の掃除はあまりしたくないな、なんて思っているといつの間にかクリーナーの音は消えていて、適当な場所に黒板消しが置かれていた。
    「よし、まぁこんなもんだろ。帰ろーぜ」
    パンパンッと手に着いた粉を払い、口笛を吹きながら軽そうなリュックを背負ってオロルンの帰る準備が整うのを待とうとしているのか誰かの席に腰掛ける。
    「ごめんイファ、まだ日誌がかけてないんだ。提出もあるし先に帰っててくれ」
    昼休み、一気に日誌を書く暇はあったはずなのに眠くて眠くて寝ていたらいつの間にか終わっていて、授業の合間の休憩時間だけで全部かけるはずもなく、放課後までズルズルと先延ばしにしていた。リュックから筆箱を取りだし、一本のシャーペンを握ってほとんど白紙の日誌を書き始める。
    「手伝ってくれてありがとう、今度野菜を持っ……、」
    お礼をまだ言っていなかった、と顔を上げてそうイファの方を向いて言うのだが、思わず言葉を紡ぐ口が止まってしまう。
    酷い、顔をしていたのだ。
    その表現はいささか語弊を招くだろうが、本当にその通りだった。くしゃりとした泣きそうで、仄暗いナニカを持った顔。普段はそんな表情をするやつじゃなくて、もっと明るいから酷く驚いてしまったのだ。
    「………約束だ。必ず、持ってこいよ」
    「え、あ…うん、もちろん」
    鍋でもするか、なんて返事が返ってくるのかと思ったがやっぱりそうではなくて、なんだか重々しい感じ。戸惑ってしまって返事があやふやになるものの、もちろんと言った瞬間に何かが違ったのかイファは顔を上げた。そして、先程の片鱗を感じさせないいつもの明るい顔に戻ったかと思うと、口に弧を描いていつもの顔に戻った。
    「楽しみにしてるぜ、きょうだい!じゃあまたな!」
    じゃあ、と振り返すよりも前に、イファはそのまま席から立って手を振りながら教室の外へと出てしまい、その姿はあっと言う間に見えなくなってしまった。あんなしょうもない話をする為だけに掃除の時間を超えてまで残っていたイファに感嘆のため息を漏らしつつ、僕も早く帰ろう、だなんて呟いて日誌へと向き合った。


    ■■■


    イファと別れ、もう誰もいなくなってしまった教室の中で少しだけ掃除をしてグッと伸びをした。やっと家に帰れる、そう心を少しだけ弾ませて教壇の上に置いていたリュックを背負い、施錠をして帰ろうとする。
    その瞬間、キラリと眩い光が目に入って思わず目を閉じて、施錠しようとした手が止まる。そしてそれと同時に、酷く驚いた声も聞こえてきた。
    「わき、君!なんでこんな時間に」
    うっすらと目を開けてみると、それは教師ではなく学校の見回りをしている警備員の姿があった。きらりと光ったのは懐中電灯の光だったようで、目を開けた今も直視してしまったせいか視界が少しだけ陰る。
    ……懐中電灯?何故?
    完全下校までの時間はまだまだで、確かにクラスに人はいないけど教師も勿論まだ残っていて、部活も行われている時間帯。日直の当番が終わったからと今ようやく鍵を職員室に返しに行こうとしている最中という部活終了時刻とは程遠い時間なのに、随分見回りも懐中電灯を出すのも早いものだ。
    だってほら。空はまだ、こんなにも明るい。
    小首を傾げていると警備員は酷く焦ったようにこちらへずんずんと近寄ってきた。
    「こんな時間にどうやって学校に入ったんだい?!」
    どう、そんな事を言われてもいつも通り学校まで歩いてきて、校門から入って、それだけ。別に何も問われるようなことはしていないはずなのだけれど。
    「どうしてって……僕は今日日直だったから、これから先生に鍵を返しに行こうと………」
    「鍵は全部職員室にあるよ!だから聞いてるんだ、君が今教室から出たのを私は見た、どうやって入ったんだい?」
    ………あれ、おかしい。なんだか話が噛み合っていない気がする。
    「ある?それはおかしい、だって鍵は今僕が持ってる」
    どうやって入るも、朝普通に来て、放課後まで残っていた。それだけだ。
    ほら、そう言って鍵を握りしめていたはずの左手をパッと広げてみせる。教卓の上に忘れないようにと置いておいた鍵を、先程たしかに握って声をかけられるまでまさに施錠しようとしていたのだから、あるに違いない。
    ……しかし、そこには何も無かった。
    「なんで…、」
    「埒が明かないね君は!大方針金でも使ったんだろう?」
    呆然とするオロルンを後目に、警備員は少しイライラとした様子でオロルンが先程までいた教室へ歩いていき、まだ施錠されていたいはずの扉の様子を確かめようと取っ手へと手をかけ、警備員曰くどうやって開けたのかを調べるために扉を開けようと横に腕を動かそうとした。
    ………だが、扉は開かない。鍵が掛かっているようだ。何度横にスライドしようとしてもガタガタと言うし、少しの隙間も開けることもない。完全に、施錠されていた。
    しかも鍵穴には針金などを使った痕跡もみられないし、傷がついていたとしても昨日今日着いたものでは無い、いつかの先輩たちが着けた傷跡だけ。
    「…………」
    静寂の時間。
    警備員は振り返る。酷く、あおい顔をして。
    「……君、どうやっていまこの教室からでたんだい?」
    気づかなかった、掃除終了のチャイム。長話をした、黒板掃除。施錠された教室。職員室にある教室の鍵。警備員の巡回。手に持つ懐中電灯。
    そして、この目に映る、黄金色のまだ明るい空。
    「………今、何時ですか」
    声が震える。だって、おかしい。何もかもが今、おかしい。
    「もう深夜だよ、丑三つ時も少しすぎたところだ」
    その瞬間だった。
    夕日に照らされ、まだまだ明るかったはずの視界が、まるでコードを抜かれたかのようにプツンと切れて、真っ暗になってしまった。今までははっきりと見えていた警備員のおじさんの顔も、壁にかかっている美術部員の書いた油絵も、何もかもが暗闇に溶けて上手く見えない。
    「な、んで……」
    暗い。見えない、何も、見えない。
    日誌を書いていた数分前までの明るさは、どこかで捻じ曲がってしまって、こんな暗さじゃ日誌なんて書けやしない。
    それにおじさんは丑三つ時と言った。僕が最後に時計を見たのは4時半で、今の時刻はそれから9時間半後。そんな長い間、僕はこの教室にいたとでも言うのか。たかが、数分で書き終わる日誌を書いていただけなのに?そもそも、どうして僕はこの教室の中から出ることが出来たのだろう。教室の鍵を閉めているということは、誰もいないか確認してから閉めるもの。僕はずっと席に座っていたし、リュックだって教壇の上に置いていた。見つからない理由がない。
    それに、鍵は僕が持っていたはずだ。
    僕以外の誰かが、持っているはずもないのに。
    誰がどうやって、鍵を閉めて。僕はどうやってこの教室から出たのか。
    イファが鍵を持ってでるなんてことは──────、
    そこで、はたと気づく。
    「………さ、さっき、人が通っていきませんでしたか。同じ制服の、男子生徒を……、」
    「……いや、見ていないね」
    ヒュッと喉の奥で、嫌な音が鳴った。
    そして頭が、やっと警鐘を鳴らし始める。お前は不味い状況に陥っているのだと、本能が唸り声を上げるのだ。その時のオロルンの顔色と言ったら酷いものだったのだろう。大丈夫かい、とおじさんが尋ねるほどで、それになんと返したのか、それとも返していないのか、それすらも分からなかった。
    「とりあえず、警察を呼ぶからね。一緒に下まで降りようか」
    ゆっくりと、階段をおりる。
    どうして、何故だろうか。そう考えれば考えるほど矛盾点が見つかって、現実ではありえないような事が今目の前では起こっているのだと再認識してしまう。
    「………」
    おじさんの懐中電灯が、目の前の段数と廊下を照らしていく。通り道にあった事務室も職員室も真っ暗で、誰もいない。
    毎日通っている道のはずなのに、なんだか全く知らない道のように思えて、先導するおじさんの背中無しではこの学校すらも抜け出せないような気がしてくる。
    多分3階ほど降りて、少し歩いたところに毎日通う下駄箱があった。そこで靴を履き替え、正門の方で警察車両が到着するのを待とうと言う話となっているらしいことを歩いている最中に聞いた。
    あまりに不可解すぎるが故に、警察からは何か言われるかもしれないがおじさんも着いて行って、しっかりと説明をしてくれるらしい。どちらにせよ、こんなことになってしまった原因はわかっていないけど。
    昇降口から足を進め、正門の方へと進んで行った。ほんの先程までは赤かったのにすっかりとあたりは真っ暗で、鳥の鳴く声や虫の音も一切聞こえない。聞こえるのは、風にざわめく黒い木々と、自分の歩く音だけ。
    あの話題を忌避するように、おじさんは最近はどんなことをして過ごしているんだいと当たり障りのない話題をふってきて、自分の近況を語り出す。学校の周りが森に囲まれている気味悪さをも感じてしまうこの夜に蓋をしようと画策している様子。
    おじさんが尋ねてくる内容に答えたり、おじさんのあんまり何を言ってるのか分からない語りを適当な相槌を打って聞き流す。
    そんなふうにしていると、ふと、一つだけ思ったことがあった。それにしても、いつ電話なんてかけていたのだろうか。僕がぼーっとしすぎて聞いていなかったのだろうか。
    「オロルン君」
    いつだっただろうかと考えをめぐらせていると、その思考を一刀両断するようにおじさんの声がいやに鋭く切り込んできた。思考の波から引っ張りあげられて顔を上げれば、怖くないよ、そう言わんばかりのにっこりとした顔が目の前には映る。
    なんだか、気味が悪い。
    どうして、この状況でそんなにも笑っていられるのだろうか。
    いつもなら、没頭している時は両親が何度声をかけても一切気が付かないはずなのに、どうしておじさんの声だけは、初対面だと言うのにこの声は、思考を簡単に突き破ることが出来たのだろうか。
    ………どうして、僕の名前を知っているんだろう。名乗ったつもりは、無いのに。
    警鐘が、また鳴り響く。漠然とした不安感が、濁流となって押し寄せる。1歩、また1歩と足を後ろへと退けさせたいというのに、どうにも何かに縫い付けられたかのようにピクリとも動かなかった。
    冷や汗が、背をなぞり囁く。
    『ここにいてはいけない』
    「あぁ、やっと来てくれたみたいだ」
    けれどまるで囁き声が分かっているかのように、おじさんは被せて言った。その声を、かき消すかの如く。
    いつの間にやらすぐ近くにパトカーがやって来ていて、その中から2人ほど警察官が出てきた。おじさんが応対してくれるらしく、僕は俯いて黙ったまま地蔵のように動かない。
    でも、酷い、耳鳴りと頭痛がした。
    思わずその痛みに頭を抑え、たたらを踏んでしまう。頭を締め付けるような痛みなのか、ガンガンと打ち付けるような痛みなのかも分からず、ただただ感じるのは、それが17年間生きてきて1番の痛みといえるだろうということ。
    突然苦しみ出したオロルンにおじさんや警察が何かを言っているような気もするが、それを気にしている状況ではなく、むしろ黙っていて欲しいとすら思う。目を開けることすら辛くて、ぐっと目を瞑ろうとすると、ほぼ閉じかけた薄い視界に手が差し出された。中に入れて休ませよう、そう話しているのが聞こえてそうさせてもらおうと手を取ろうとする。
    だが。
    これは、見間違えだろうか。それとも、頭がおかしくなってしまったのだろうか。
    肌色だった手が、瞬きをする度にぐらぐらと陽炎のように揺れて、その原型をゆっくりと崩していくのだ。ぐらぐら。ゆらゆら。
    ぼやける姿は鮮明に、靄を掻き消していく。
    見間違えだと、そう思いたかった。
    「ぁ、あ…」
    それは、最早人の手では無い。黒い鎧の、ガントレットに覆われた異形の手。ゴツゴツとした鉄は守るために、作られたのだろうか。それとも、今にもオロルンの手を握り潰してぐちゃぐちゃにするために、作られたのだろうか。オロルンの手よりも何倍も大きくて、頭くらいなら片手で掴めそうなほどの、この手は。
    痛みと、明確な恐怖と、猜疑心が三方向から頭を殴ってきて、今度は違う意味でたたらを踏んだ。
    もう、警鐘どころの話ではないのだ。警戒する段階は既に過ぎ去った。今強いられているのは、生か死かの二択。
    ───────逃げなければ。
    だが、そのまま俯いて走りさればよかったものを、顔を上げてしまったのが間違いなのだろう。
    足がまた、縫い付けられたように動かない。
    目が、目が合ってしまった。
    「……流石は、あの方が見込んだだけある感知力。この力を持ってしても見破られるか」
    差し出した手をおろし、星を飾る異形は見据える。
    顔は靄掛かったように見えない。しかし、顔を見ずともその巨体と明らかに人間では無い不自然な体付きは異形と断定する要素となり得るには充分だった。
    あの方、ってなんだ。感知力、ってなんだ。
    息が震えて、喉がひくつく。
    警察車両に見えたそれも、今や歪み始め、空間に不自然に開いた大きな穴となっていた。
    「さぁ、行くといい。さぁ、さぁ、さぁ」
    でも、そこに向かって背中を押される。警察の姿をしていた異形は2人居て、その2人共が今目の前にいるというのに。
    ならば、誰が。
    答えは簡単だった。ものすごい力で押されるのを懸命に抗いつつ、誰が押しているのか、あわよくば顔を殴れるだろうかと後ろを振り返ったのだ。その振り返るという行為が、正体を表しているのだと、そう頭の片隅でわかっていて。
    案の定、と言うべきだろうか。それとも、希望が消えたと言うべきだろうか。
    後ろにいたのは、おじさんただ1人。だが今、こうして後ろから押されているということは、
    「な、んで…」
    おじさんは、人ではないのだ。目の前にいる異形たちと、同じ。つまり、グルだったのだ。
    オロルンを今襲っているのは、痛みでも、猜疑心でもない。恐怖、ただ一つだけ。真っ暗な夜、誰もいない校舎、明らかな怪異、どこに向かうか分からない、深淵。その深淵からは冷たい風が吹いていて、オロルンの髪をふわりと揺らす。
    その時、唐突にイファの言葉を思い出した。
    これがもしや、一番様ではないかと。
    死ぬのだろうか。いいやまだ死ぬべきでないだろう。そう頭は叫び続ける。僕もそう思うと同意して、でも、この状況を打開できる方法なんてあるはずがないのだ。
    「ぼくを、殺すのか…?」
    連続殺人の、被害者のように冷たくして、この校舎の前に転がすのか?
    そう問いかけた瞬間、ピタリと異形たちの動きが止まった。ぐいぐいと押されて、あともう少しで真っ暗な空間に届いてしまうというところで、彼らは止まったのだ。
    「殺、す……?ころす、ころす、そう、ころす…?」
    そう、おじさん、いや、異形のひとりは呆然とした様子で呟いた。殺すという単語が彼らの何に引っかかったのかは分からない。
    わかったのはただ一つ。逃げるのなら、今しかないということ。
    縫い付けられたようだった足の糸をぶちぶちとちぎるように大きく歩幅を広げ、一切振り返ることなくその1歩を踏み出した。


    ■■■


    どこまで、走っただろうか。走っても走ってもあたりは真っ暗で、制服を着ている自分が、酷く浮いて見えた。火照った体を冷やすように深呼吸をして、忙しなく動かしていた足をゆっくりと遅めていく。後ろから追いかけていないのは走った直後からわかっていて、でもここまでずっと走ってきたのは一刻も早くあの空間から離れたかったから。
    カバンを背負い直し、本当の警察に見つからないようにこそこそと動き始める。補導されてしまったら、学校にも連絡が行くし両親に迷惑をかけてしまうだろう。
    だが、そんな心配をする必要も無いほどこの辺は平らで、田んぼしかなくて、チカチカと光を震わせる蛍光灯の光しか見えない。さすがに杞憂だったか、と一瞬にしてこそこそと動くのをやめて堂々と歩き始める。
    ここから家まではもう一本道で、夜で誰もいないから前を特に気にする必要も無いため、上を向いぼーっと歩き始める。
    今日は散々だった、とか。さっきのは一体なんだったんだ、とか。まだ全然震えが止まらないな、とか。
    空を見上げてそんなことを考えていると、ふと、ひとつの星が目に止まった。思わず足も止めてしまって、その美しい蒼い星に目は釘付けとなった。
    「……夢に出てくる星と、そっくりだ」
    月よりも、鮮烈な光を持ってしてオロルンの目に1番に飛び込んでくる夜の光。無性に愛おしく思えて、抱きしめたくて、その光に包まれたいと思うほど、あの夢と、そっくりなのだ。
    思わず手を伸ばす。
    取れないとわかっていても、でもなんだか今なら届くような気がして。

    ふらふら
    ゆらゆら

    視界が、ぶれる。
    ぐらぐらと揺れて、なんだか頭がチカチカして、足元が酷くおぼつかなくて、なんだか、上手く考えられなくて。
    まどろみの世界に迷い込んだかのように足がおぼつかなくて、たたらを踏む。

    ぐらぐら
    ゆらゆら

    こんな揺れてしまっては、蒼い星が、僕の光が、掴めない。どうして、どうしてこんなにも世界がぐらついて見えるのだろう。
    次の瞬間だった。

    カァ、カァ、カァ

    動物の声が、カラスが、真夜中に鳴いた。もう帰れと言わんばかりに三つ鳴いた。カラスと一緒に帰ろうか、そう言わんばかりに。
    「…ぇ、?」
    思わず声を上げた。目の前の世界があまりに信じられなくて、ぐらぐら揺れていた視界は、その事をまるで知らないかのように再び定まり、星を掴もうとする僕の手を確かに真正面に映し出している。
    だが、違うところといえば。目の前に広がるのは、夜空に浮かぶ星などではなかった。橙色の、太陽に燃え尽きる前の、空だった。
    「なん、で…」
    それは確かに夢のようで、だがいかにも逆説的だったのだ。夢のようで、これは現実であると。
    スマホの画面をつけると、そこに示されているのは17時ちょうど。7限が終わったのは16時15分、僕が日直の仕事をしていたのは、そのちょっとあと。イファと話していたのもそのぐらいの時間で、何も変なところなんてなかったはず。イファと一番様の話をして、それで教室を出たらあたりは真っ暗になっていて、僕は推定一番様に襲われそうになって、でも本当は夕方で、僕が一番様やその仲間と話していた時間はゆうに45分を超えているはずなのに、そんなに時間はたっていなくて…。
    …イファに聞こう。きっとあいつならまだ近くにいるはず。あいつは僕の親友だから、もしかしたら何か知ってるかもしれない。僕が変な行動をしていたとか、様子がおかしかったとか、ちょっとくらいは見てくれているかも。
    そうやって、またポケットの中から携帯を取り出す。あいつと連絡を取ろう。どうせ何もしていないし、メールを打つ時間の方が無駄だから、電話でいいだろうか。現代っ子らしく、スマホを扱うには慣れたもので、『いつも通り』にイファの連絡先を探そうとする。
    だが、ふと携帯を触る手が止まった。オロルンはイファと連絡を取ろうとして電話をかけるアプリを開いたのだが、生憎、オロルンの携帯に「い」から始まる人物は登録されていない。
    ………あれ。
    おかしいな、そう思った。イファの携帯番号が思い出せなくなったわけでも、イファの番号が登録されていないことに驚いた訳ではない。もっと根本的な、それこそその存在に、強い違和感を感じたのだ。

    イファって……、誰だっけ。
    そんな人、学校にいたっけ。

    そもそも僕の友人の中に、そんな名前の人いたっけ。
    手の中から、携帯が落ちていく。
    カバーガラスが落ちるその衝撃から画面を守ってくれたらしいが、オロルンにはそれに気がつく様子も、ましてやしゃがんで携帯を取ろうとする素振りも見せない。ただただ呆然とそこに突っ立って、酷く遠くを見ているのだ。

    なんで、あんなに知っていたんだろう。僕は、『いふぁ』という人を知らないというのに。

    さっきまで当たり前のように感じていた存在が、急に居なくなった。いや、今までいなかったのだから、確かにそこにいたのだとそう考える方がおかしいだろう。『いふぁ』という言葉を口にしたのは今日が初めてだと言うのに、いやに口に馴染みやすく、言葉にしやすい。ソレをそう呼ぶのが当たり前だというふうに頭のどこかで思ってしまっていて、懐かしさすらも覚えたのだ。
    酷い違和感を、感じた。
    そしてそれと同時に、言いようのない気持ち悪さがせり上ってくる。それに抗うことなく体を少し折り、口元に手を当てた。喉を走る熱い塊は、最後の抵抗として口を噤もうとする意志をものともせずに突破し、耳の奥に響くほどのびちゃびちゃ、という忘れようにも忘れられない音を記録させる。据えた匂いと、気持ちの悪い色。そのどちらかに嫌悪感を表してもいいと言うのに、オロルンには今更そのような余裕はなかった。
    「ぅ、…」
    これからどうしよう。それしか、考えられなかったのだ。


    □□□

    夢を見る。青い星が、ずっとみている。

    □□□


    ここのところ、夢の中で青い星は毎日のように出てくるようになった。前は青い星と会話まがいなこともしていたけれど、段々それもする気が失せていって、今日も気味の悪いことが起こるのだろうか、と思考をあらぬ方向に飛ばすのだ。
    青い星はずっと僕に語り掛ける。毎日毎日、飽きもせずに。それと同時に、僕の周りには毎日変なことが起きるようになっていった。ほんの少し前までの僕なら、運が良かった、程度で済ますのだろうけど、あんなことがあっては、変な事、と言わざるを得ない。この星が関係していないだなんて到底思えないし、僕の日常がだんだん侵食されている気がしていて、どこにも僕の安寧は無いのだ。
    そしてだんだん、僕は夢と現実の境界線が分からなくなってきた。
    僕が青い星に応えないと分かると、夢の内容はすぐに書き換えられてしまったのだ。夢の中の僕も、現実の僕も学校に行かなければならない学生で、親がいて、友達がいて、いつもと変わらない部屋で目覚めて。
    本当に、気味が悪い。
    それは現実の学校と本当に変わらなくて、教室でなにか特別なことがある訳でもなく、他愛ない日常を惰性のままに生きる僕が確かにいたのだ。今日も変わり映えしない日だったな、なんて思って、家に帰って、夕食をとって、風呂に入って、ベッドに入って。そうして現実の朝に鳴るアラームの音でそれが夢だったのだと気がつくくらいには僕の生活と寸分狂いなかったのだ。
    最初は、夢がどちらか分かった。起きた時にどっと冷や汗をかいているとそれは現実で、確かな、焦燥感と不安感のまじる現実感が胸の内に渦巻いていたから。
    でも、僕を侵食するナニカはそれすらも学習し、夢の中の僕も冷や汗をかいて起きることになった。一日のうちに僕は2度同じ日々を経験して、授業進度も、行事も、時間割も、何もかもが同じで。
    夢だったのか、それとも現実だったのかは分からないが、友人に話しかけられたことがある。
    『お前これ解けんの?マジ?』
    その時、僕は曖昧な答えを返すことしか出来なかった。現実でやった問題が出たのか、夢でやった問題が出たのか、どちらなのか分からないから。
    僕の頭の中は、常にこれは現実なのか夢なのかの境界線を見つけようとしていた。でもそんなの見つけられるはずもなくて、毎日代わり映えのない、永遠に続くような日々を送るしか無かったのだ。
    僕は今日もカバンを持つ。これは『今日』の一度目なのか二度目なのか分からない。
    俯きながら、どうにかして境界線を見つけようとするのにも億劫に感じて、ひたすらにとぼとぼと歩く。
    でもある時、どうしてか、見慣れない人が校門の前に立っていた。真っ黒な人で、姿が定まっていない泥のようにも思える。
    でもみんなそれに対して何かを言うこともなく素通りしているから、多分変なものではないし、それが受け入れられるべきなのだろう。
    僕もみんなと同じようにその泥の傍を通って素通りをしようとすると、
    『縺翫繧医≧』
    ソレは、何かを発した。
    何を言っているのかは分からなかったけれど、それが僕に発せられているのと、多分、おはよう、と言ってくれているのだろうと何となく察することが出来た。
    「おはよう」
    こんな変なものを見るなんて、これは夢かもしれない。そう淡い期待を抱いたけれど、こうなる前にも現実の学校で変な目にあったことを思い出す。これが現実であろうと、夢であろうと、気味の悪い事象はどう抗おうと起こるのだ。
    そのことを思い知り、またため息を吐く。
    虚空に小さく挨拶した僕を見咎める視線はどこにもなく、僕だけがその黒い影に未練たらしく通り過ぎたあと振り返ると、もうそこには何もいなかった。跡形もなく黒い影は霧散され、そこにいたという記憶すら危ぶまれるくらいに。
    夢だったのだろうか。…あぁ、違う。夢の夢だったのかもしれない。
    今度は、夢かも現実かも分からぬ帰り道だった。
    『縺薙s縺ォ縺。縺ッ』
    「…うん、こんにちは」
    なんて言っているのかは分からない。分からないけれど、頭ではこう言われているような気がして、また返事をした。今度は周りにいないからそれなりの声で返事をすれば、黒い影は少し驚いたかのように体らしきものを揺らすと、また消える。
    この前見たのは泥のようで、形が定まっていなかったというのに、今回は体らしきものと言えるほどにそれなりの形をしていた。その黒くて人のような形をしているのは、現実世界で出会った黒いナニカのよう。そう、確か…一番様、だったか。
    ……一番様のこと、誰が教えてくれたんだっけ。男の子で、僕と同年代で、それで…。そういえば、一番様のことをその子から以外に聞いたことがない。解決したのだろうか。いやでも、そんな学生が浮き足立つような事件、他の子から聞かないはずもないし、噂になっていないはずもない。
    ……あれは、本当だったのだろうか。
    また、夢かも現実かも分からない下校。フラフラと、どこか茫洋な面持ちで帰っていると、玄関の前にまた黒いナニカはいた。前よりも体の形が随分はっきりしているように見えて、人であるならば、多分とても背の高い男性なのだろう。
    『縺薙s縺ー繧薙』
    その黒い人は、また僕に話しかけてきた。やっぱりなんとなく何を言っているのかが分かってしまっていて、何も考えることなく返す。
    「……こんばんは」
    僕がそう答えれば満足だったのか、黒い人は目の前で掻き消える。前までならば、その現象に酷く狼狽えていただろうが、今やどうでもいい。これが夢の方の自分なのだとしたら、ありえない現象が起こっても仕方がないのだから。
    それに、例えどんどん近づいてきていると分かっていても、もう僕にはどうすることも出来ない。
    また、夢かも現実かも分からない帰宅。今度は玄関の中に、ナニカはいた。
    『縺翫▽縺九l縺輔∪』
    前見た時は体の線が出ているだけだったのに、今回は服もちゃんと形になっているらしい。まだまだ黒いシルエットのままだけれど。
    「君も、お疲れ様」
    そう返せば、黒いナニカはするりと僕の頭を撫でた。珍しいこともあるものだと、残り香に縋るように己の頭に手を触れさせる。すると、自分が撫でた時とあの黒い人が撫でた感覚は全然違うのだと知り、なぜかは分からないが、あの手は何故か酷く暖かくて、安心した。
    ふと上を見上げれば、まだ黒い人はオロルンの目の前に立っていた。
    ……彼は、仮面をしているのだろうか。顔周りが少しコツコツとしている。
    そっとその頬に触れようと手を伸ばしてみれば、黒だけだった色に、透き通るような美しい青が加えられた。そこはちょうど目のところにある位置で、その瞳───瞳と言って差し支えないだろう───には、星が浮かんでいた。
    「……星だ。僕の、あおいほし…」
    僕を狂わせた、元凶。
    ふっとまた黒い仮面の人は消え去り、玄関には僕ただひとりがそこに立ち尽くしていた。

    ■■■

    『蜈・繧後m』
    「…ううん、入っちゃダメだよ」
    青い星は、やっぱり僕の所までどんどん近づいてきていた。どうしても、僕の領域にその手を伸ばしたいらしい。
    僕は何も考えられず、ぼんやりした頭で、呂律の回らない舌を使い話す。憔悴しきった脳に作用する理性はもうあと数ミリで干からびるだろう。干からびる前にこの青い星を持つ男が去ってくれればいい、なんて思うのだけれど、多分きっと、それはありえない。ずっとずっと小さい頃から僕に目をつけ、やっと手に入れられそうな獲物をどうして逃せようか。
    ……ぼくはこの、黒いナニカ、黒い人、黒い男、青い星を持つ男…た□□ょうを、招き入れた暁には。
    ………どうなって、しまうのだろうか。


    ■■■


    『……未明、■県‪✕‬‪✕‬市に住む男子生徒の遺体が自宅にて発見されました。死因は凍死とされており、自殺ではなく第三者が関与していたと見られます。警察は犯人の足取りを追っているとのことです……』

    星は、見ていた。
    そしてやっと、夜空を手に入れたのだ。

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