五くくVSろじくく(仮)① まさか五年生にもなって川で溺れるとは思っていなかった。
それは雨上がりの夜に裏山の川で行われた、水練の学年合同訓練での事故だった。まず俺、竹谷八左ヱ門と尾浜勘右衛門が深みに足を取られ、「どうしたどうした」と追いかけてきた不破雷蔵と鉢屋三郎も気づかず落ちてしまった。馴染みのある川だった。しかし夜の水流は黒くつめたく、朝方降った雨のせいでかさも濁りも増していた。忍びたる者、いかなる状況にも対応する訓練は欠かせない。だが豹変した自然を前に、パニックを起こしたたまごはあまりにも無力だった。こうして俺たち四人は川面に落ちた葉っぱ同然に流されてしまったのである。
気がつくと全員、学園の医務室に寝かされていた。
「八左ヱ門、大丈夫か!?」
俺以外の連中はすでに起きていたようだった。障子を光らせている日差しは、二限目の授業の頃合いだろうか。しかしみんな、ひとしきり心配してくれたあとは「全員助かったのはいいけれど……」「一体何日寝ていたのか」などと黙り込んでしまった。最悪の失態、恥ずかしさに情けなさ、かけた迷惑、先生方の叱責、成績への影響……それぞれの肩にのしかかるものは裏裏山にかかる雨雲のように暗く、重かった。
けれども俺はまだ夢うつつにいたらしい。目覚めて最初に浮かんで、霞のようにただよっていた思いが、そのまま口をついていた。
「兵助が、こんな目に遭わなくてよかった」
三人は顔を見合わせ、そして、そうだな、と笑顔になった。
俺たちは全員、久々知兵助のことが好きだった。友達とか仲間とか飛び越えて、もうそういう意味で大好きだった。だだ洩れる恋心は苛烈を極めた諜報戦と攻防戦と非公開決闘の果てに秘密裏に分かち合われ、結果互いの最低限の安全と学園秩序を乱さないための様々な取り決めが交わされた。「抜けがけ厳禁」「告白するなら全員で」「選ばれたやつは恨みっこなし」「邪魔者は排除一択」「兵助には決して気づかれないように」等々――。
恋敵同士のはずの俺たちは、いつしか姫をお守りする親衛隊の如く謎に強固な関係で結ばれていたのだ。
「兵助は山育ちだしね」
「水練を本格的に始めたのは入学してからと言ってたな」
「いや、あいつの水練は私から見てもずいぶん上達したぞ」
……。
けれども俺には三人がまるで水の中で会話しているように聞こえる。俺は今、過ぎ去ったはずのあの出来事の中で、もう一度溺れかけている。
水が掴めない。足がどこにもつかない。押し流される。そしてようやく水面から頭だけが出せた、そのとき。
兵助の小さな姿が、岸を走っている。
その顔は、絶望で、真っ暗だ。
俺たちの名前が、冷えた星空を裂く。
――八左ヱ門!!
しかし俺の体は有無を言わせぬ力で引きずり込まれて――。
「……俺はもう、あんな兵助を見たくないよ」
俺は布団から身を起こし、ぼさぼさの髪をうち振った。
その後の記憶は、ない。
俺の言葉に、みんなも視線を落とす。ああ、俺だけじゃなかったんだな、あの兵助を見たのは。あの声を聴いたのは。
目鼻の奥を、涙が刺した。
すぐそばにいる大切な人の笑顔も守れなくて、何が忍者か。不甲斐ない。こんなことではあの優秀な久々知兵助のとなりに立つこともできやしないじゃないか……。
すると、
「何なら俺たちの兵助に元気な姿を見せに行ってやろうぜ、八左ヱ門!」
「いでっ!」
俺の背中が勢いよく叩かれた。勘右衛門だった。
「あの兵助のことだよ。今ごろ僕たちの快気祝いの豆腐料理を準備してるって」
「そうだぞ、八左ヱ門。腹が減ってないか? 私は今なら兵助の豆腐地獄を完食できそうだぞ」
「おっ、言ったな三郎。俺はさすがに完食は無理だ。よろしく頼む!」
「僕のもねっ」
「ちょっ、雷蔵! 勘右衛門! 今のは言葉の綾というやつで」
「痛い痛い! お前ら、俺を巻き込むなよ!」
いつのまにか俺は三人の真ん中で揉みくちゃだ。まるで普段と同じように。ひょっとして俺を気遣ってくれているのかな……。蠅のようにたかる髪やら腕やらを払いのけながら、俺は詰まりかけていた息がふたたび腹の底へ落ちるようになったのを感じる。
不破雷蔵、鉢屋三郎、尾浜勘右衛門。俺たちはライバルで、恋敵で、そして何より、唯一無二の親友なのだ。
「……そうだな。みんなで行こうか。兵助のところに」
やっと言えた。俺の顔を見た三人も、布団の上で得たりとばかりにうなずいた。
そうだ。しっかり叱られて、骨身に染みるまで反省しよう。それから兵助の豆腐料理をたくさん食べて、力をつけなくちゃ。いじけている暇はない。俺たちは今日からより厳しい鍛錬と勉強に励むのだ。
好きな人を二度と悲しませないように。ずっととなりで笑っていてもらうために。
ところで――。
「なあ。俺たちを助けてくれたのは、本当に誰なんだろうな」
「うん、八左ヱ門。そのことなんだけどね……」
雷蔵が何か言おうとするのと、医務室の障子が開いたのは、ほぼ同時だった。
「あっ、兵す」
しかし俺の口から想い人の名前は続かなかった。
刃のような緊張が走った。なぜなら障子の框にかけられた指は、久々知兵助はおろか、校医の新野先生、善法寺伊作保健委員長、訓練を引率していた木下先生――俺たちの思いつく限り、誰のものでもなかったからだ。
障子が、音もなく、拳三つ分ほど開かれる。
自分の固唾を飲む音が響く。後ろの三郎が、何かを手に掴む気配がする。
そうして障子の隙間から顔を出したのは――。
「ああ、何だ。三郎次じゃないか……」
俺は呆けたようにつぶやいた。
それは三つ年下の後輩、二年い組の池田三郎次だった。実家が漁師で、特技は水遁の術。所属は火薬委員会。委員長代理である兵助の、直属の後輩にあたるやつだ。
ちなみに成績は優秀。性格は生意気で、先輩相手にも物怖じしない。しかしそれは人知れず努力を積み重ねている自信の顕れだということを俺は知っていた。こいつは存外周りを見るタイプだし、火薬委員会では天然な兵助を何かとサポートしてくれてもいる。
面構えがいい。二年生の中でも、何かと目立つ。
俺はけっこう三郎次を買っていた。何だかんだいい意味で自分を曲げない、真面目なやつなのだ。
ところが、
「何だ、じゃないだろうが、竹谷。全然起きてこないから様子を見にきてやったのによ」
俺たち四人の目が全部、点になった。
点より縮まって、ほぼ消滅した。
――た、竹谷ぁ!? おい三郎次! 先輩に向かって何だ、その言いぐさは!
だが俺はすんでのところで言葉と感情を飲み込んだ。三郎次は水練の学園トップクラス、加えてこの性格だ。もしかしたら五年にもなって溺れた俺たちに幻滅して、見下してしまったのかもしれない。
というか、俺にはさっきからずっと気になっていることがある。
三郎次の顔の位置、何だか妙に高い気がするんだけど……。
「お前たちのおかげで昨夜の訓練は中止だ。川では急に消えたやつを追ってはいけないのは座学以前の常識だろうが。入学前から人生やり直すか?」
ためいきをつきながら三郎次が医務室に入ってきた瞬間、三郎が「キャアァァァ……!」と風前の灯火のような悲鳴を上げて雷蔵に縋りついた。
「あ……、あぁ……!」
俺は全く身動きできなかった。勘右衛門と雷蔵も、口をあんぐりと開けて後輩を見上げている。
三郎次は、デカくなっていた。
それは「ちょっと見ない間に大きくなったねえ」などというかわいらしいものでは決してなかった。少なくとも障子の格子三つか四つ分、三郎次の頭は確実に上にあった。俺たちの身長など優に超えているし、あるいは現忍たまで一番背が高い、六年生の中在家長次先輩にも匹敵する可能性すらある。
そして、極めつき。
二年生であるはずの三郎次が、俺たちと同じ、五年生の制服を着ている!
「さ、三郎次……」
「おおおお前、何で、一晩で、五年生に……」
「あぁ? 何だよお前たち、揃いも揃って訳のわからないことを言いやがって。まさか溺れた後遺症でも残っちまったんじゃないだろうな」
三郎次が、俺たち全員を心底めんどくさそうにねめつける。
凛々しい太眉、鷹のように鋭い眼差し。高く通った鼻筋。
広々とした胸と肩に、長い脚。現役の水軍のように逞しく鍛え抜かれた体。
俺は愕然とした。この三郎次「らしきもの」は、とても同学年とは思えないほどの男ぶりなのだ。
すると今度は、障子の後ろから、長くつややかな黒髪が躍り出た。
「八左ヱ門! 勘右衛門! 三郎! 雷蔵! よかった、みんな元気になったんだね!」
「へ、兵助ぇ!!」
ああ! 俺の! 俺たちの兵助!
まるで無間地獄で観音様に御手を差し伸べられたような気分だった。このいとしい人に会いたくて俺は死地を耐えていたのだ。俺は思わず縋りつこうとして、しかしふたたび観音様に地獄の底まで蹴り落とされる。
「三郎次。どうしたんだい、そんなに難しい顔をして」
「いや、兵助。どうやらこいつら、溺れたショックで記憶がおかしくなっているみたいでな」
ああもうだめだ! 確定だ! 俺は頭を抱えた。
兵助が三郎次を「見上げて」いる!
しかもこの二人が見つめ合うさまは、まるで武将と天人だ。帝に献上される屏風絵のように美しいのだ。
「何だって、それは心配だ……。八左ヱ門、頭が痛むのかい」
兵助がうずくまる俺のもとへかがみ込む。その懐に抱えられた桶の中では、やはり兵助お手製の豆腐たちが気持ちよさそうに泳いでいる。ああ! ここは愛すべき日常なのに! あの三郎次っぽいやつ以外!
「違う! なあ兵助、これは一体どういうことなんだ? 何で二年生の池田三郎次が五年生になっているんだ?」
「ああ、いけない。三郎次、早く新野先生に相談しよう」
「仕方ねえなあ」
「いやいやいやいや!」
俺たち四人は一斉に首を振った。
「おかしいのは君たちの方だ! 特に三郎次!」
「あの小さかった三郎次が一晩でこんなに大きくなるなんて、兵助も何も思わないの!?」
「そうだぞ! 大体先輩相手に、ずいぶんな口のきき方だなあ!」
しかし当の本人はわめく俺たちなど一顧だにせず、
「兵助、こいつらこんなに元気なら別にほっといてもいいんじゃないか? どうせ記憶がぶっ飛んでるだけだろう」
「でも……」
兵助が困ったように俺たちを振り返る。しかし三郎次は傲然と言い放った。
「おい、俺はお前たちの見舞いなんかより大事な用事でここに来たんだ。これから臨時の学級委員長委員会が開催されることになった。学園長先生の突然の思いつきでな。体調に問題ないなら早く向かえ。その汗臭い寝着を着替えてからな」
「チッ……」
「しょうがないな……」
意外に行儀のいい三郎がめずらしく舌を打ち、先に廊下に出ていった。勘右衛門も立ち上がり、三郎の後から医務室を出ようとする。
すると三郎次が、にわかに勘右衛門の肩を掴んだ。
「待て、尾浜。何でお前まで行こうとするんだ」
「尾浜って……。いやだから、学級委員長委員会があるんだろう。俺だって五年い組の学級委員長だからさ」
「は?」
「え?」
何だかとても聞きたくないことを聞いてしまう気がする。俺はとっさに心の耳を塞いだ。
「兵助、すまない。お前の言う通りだった。これは早急に新野先生に診てもらった方がいいかもな……」
そして三郎次は、勘右衛門を見下ろした。
黒く、底のない眼だけは、二年生のときと何も変わっていなかった。
「いいか尾浜、忘れているならよく聞け。五年い組の学級委員長はこの俺、池田三郎次だ。お前は四年までは学級委員長だったが、新学期の選挙で負けたんだよ。初出馬の俺に」
「ええええっ!?」
「疑うなら、当選したときに学園長先生からいただいた任命証があるから見せてやろう。兵助、悪いが後で尾浜を俺たちの部屋に連れていってくれるか」
「わかった。あの二段目の行李の中だよね」
「エエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!?」
自分が学級委員長ではないと言われたときより明らかに勘右衛門の顔色がおかしくなった。本体よりも本体を語る勘右衛門のうどん髪が一束残らず石灰化している。勘右衛門の狼狽ぶりに、三郎次も察するものがあったらしい。俺は恋敵ながら勘右衛門がいたたまれなくなって、雷蔵と震える手を握り合いながら最悪の瞬間を見守ることしかできなかった。
三郎次(仮)は、初めて勘右衛門に憐みの眼差しを向けた。そして諭し聞かせるように、こう続けた。
「尾浜……兵助の同室は、俺だ。お前じゃない。入学してからずっと、な。
お前は、俺たちの隣の、一人部屋だよ」
勘右衛門は、後ろに倒れた。
「か、勘右衛門―!」
「ああ! 八左ヱ門、兵助! どうしようどうしよう、こういうときはえーとえーと」
「雷蔵、迷ってるバヤイじゃないよ! でも三郎次、これはどういう……」
「さあ、知らねえ」
三郎次は肩をすくめた。
「じゃあ俺、学級委員長委員会の準備があるから行くわ。兵助、用事がないなら尾浜のことは頼んでいいか」
「う、うん。じゃあ俺、新野先生を呼んでくるね……」
兵助は一瞬、後ろ髪を引かれるようにして勘右衛門を見つめたが、すぐに踵を返して障子の向こうがわへ消えてしまった。
それを見届けた三郎次は、事務的に医務室の障子を閉じた。そして兵助の反対方向へと歩いていった。
後には、目を回した勘右衛門と、あるじに置き去りにされた豆腐桶。
そして、あらゆる言葉を失って座り込む、俺と雷蔵が残された。
*
「どういうことだ! これは本当にどういうことなんだ!?」
「三郎、落ち着いて! 僕だって訳がわからないよ!」
その日の深夜、俺たち四人は三郎と雷蔵の部屋に集まり、喧喧囂囂の文句をわめき散らかしていた。
勘右衛門はあれから校医の新野先生に手当てしていただいて、息を吹き返した。その後委員会から戻ってきた三郎も含め(勘右衛門のことを聞いた三郎もひっくり返りそうになったが、雷蔵に即ぶん殴られることで事なきを得た)、全員体調に問題はなく、療養終了となった。ただ「溺れた四人だけが五年生の池田三郎次を二年生と誤認するようになった」原因については、新野先生をもってしてもわからなかった。
『言葉を選ばずに言えば、君たちの中に池田君に対する何か否定的な感情があったのでしょうか。昨夜の水難事故は池田君主導で救助活動が行われたと聞いています。池田君に助けられたことを認めたくないとか……。しかし君たちは、池田君とよく一緒にいたように見えましたけど』
『いや、三郎次を嫌いなどと思ったことは……。というか私たち、三郎次に助けられたんですか……』
『普通に友人だったんだね……』
『ねえ八左ヱ門。本当にみんな、三郎次のことだけ記憶がおかしくなってしまったのかい? 俺たち六人であんなに仲良くやっていたのに』
『六人で……。うん……ごめんな、兵助』
兵助と別れた俺たちは、歩く屍となって先生方への報告と謝罪に出向いた。殺される寸前まで怒られることは覚悟していたがさすが忍術学園、情報はすでに回っており、あの鬼の木下先生から監督不行届を謝られた上「今日の授業はいいから部屋で休め」と恐ろしい配慮までいただいてしまった。このツケはいつ利息上乗せで取り立てられるのだろう。
「俺の万力鎖……兵助の寸鉄の弱点を補いたくて、俺が選んだ……。こっちの分銅は俺、こっちのは兵助、鎖につながれた同室の絆の証……だったんだよ……」
しかし一番被害を被ったのはやはり勘右衛門だろう。まるで人が変わったように部屋の隅で鎖をチャラチャラさせながら呪詛をつぶやいている。思えば兵助親衛隊のうち勘右衛門だけが「同室」という絶対的アドバンテージを誇っていた。この学園における「同室」とはほぼ「家族」なのだ。朝は兵助の「おはよう」で目覚め、夜は兵助と「おやすみ」を交わして眠る六年間――恋する人を同じくする俺たちはこんな桃源郷があるものかと口惜しがったものだが、今の勘右衛門にとってそれは薄壁一枚隔てた別世界である。
さて思いがけず半日休養を言い渡された俺たちは、もちろん休養などせずこっそりと情報収集に動いた。繰り返すようだがここは忍術学園、もちろん情報は完全に回っており、六年生の立花先輩などは稀に見る素晴らしい笑顔で三郎と雷蔵の質問に答えてくれたという。影の宿敵・立花先輩にプライドをすり身にされている三郎の姿が目に浮かんだ。
こうして得られた情報は、以下の通りである。
・年齢や見た目が変わった(と俺たちには見える)者は、三郎次だけである。
・三郎次と兵助は、双子のように仲が良い。
・俺たちと兵助を含めた五人は、一年生の頃から三郎次とつるんでいる。いわゆる六人組。
・しかし俺たち四人と三郎次の関係は、六年生の潮江文次郎先輩と食満留三郎先輩のようなものらしい。つまり顔を合わせれば喧嘩する仲。
・三郎次の成績は兵助とほぼ同じ。つまり五年生でトップクラス。
・三郎次と同室だった二年い組の川西左近・能勢久作は、二人で同室。
・三郎次が抜けた二年い組・火薬委員会の後は、誰も入っていない。
・勘右衛門は委員会が定まらず宙ぶらりん。
「見事に僕たちと三郎次周辺だけ情報が変わってるんだね」
メモ紙を何度も読み返しながら、雷蔵はいっそ興味深そうにつぶやいた。
「俺は兵助の豆腐地獄のことも聞いたぞ」俺も紙を繰りながら報告を追加する。「兵助が豆腐地獄をふるまうのは基本的に俺たちだけで変わりないんだが、一番食わされているのはやはり、同室の三郎次らしい」
「八左ヱ門、そんなこと、今の俺の前で言うなよぉ……」
「あ、ごめん」
勘右衛門はいよいよ陸に揚げられた蛸のように萎びてしまった。そりゃそうだ。豆腐を手にした兵助から学園中を逃げ回る勘右衛門といったら忍術学園の名物のひとつだったのだ。兵助が豆腐サイドワインダーと化すのはほぼ自分だけだということを、勘右衛門はまんざらでもなく思っていた。その特権が突然、元後輩に独占されるまでは。
「大体双子って何だよ。似非双子なんてこの世にお前らだけで十分だ。ああ、これであの三郎次が得意武器を万力鎖にしてたらどうしよう、俺暗殺しに行っていいかな」
「この状況で変なことしない方がいいと思うなあ、僕は」
「私は『勘右衛門が返り討ちに遭う』に一票」
「お前ら誰の味方なんだよ……」
ぎゃあぎゃあ騒ぐ友人を横目にみんなのメモを集めながら、俺はひとりごちた。
「そういえば七松小平太先輩にも言われちゃったよ、あの大声で」
「何て」と三郎が言う。
「『何だお前ら、今さら三郎次に兵助を取られた気になってるのか! あの文武両道の偉丈夫が恋敵というのも大変なものだな! まあ私には至極どうでもいいことだが!』って。確かに兵助を取られたってのは当たってるよ。でも三郎次は別に恋敵ってわけじゃないし。なあ?」
「え?」
「え?」
「え?」
「えっ?」
たちまち全員の視線が、俺に一点集中した。
「八左ヱ門……」
「やっぱりなあ……」
三郎と勘右衛門が力なくかぶりを振る。
「え、これ、まさか『またしても俺だけ何も知りませんでした』ってやつ?」
「そのまさか、だよ」
「エエエエエエエエエエエエエエッ!?」
俺は冗談抜きに肝を潰した。えっ! ええっ!? さ、三郎次って、兵助に? え、そ、そうだったの?
エッ! エエエエエエエーッ!?
「お前にこういうこと言うと全部顔に出るから黙ってたんだよ。どうせ気づいてなかったし」
「勘右衛門、ひどい……。えっ、みんないつから知ってたんだ」
「そんなの、三郎次が火薬委員会に入ったその日からだろう。委員会を終えたあいつは地面から一寸くらい浮いた歩き方をしていたからな」
「学級委員長委員会を史上最速で終わらせてまで見張りに行った甲斐があったよなあ、あの日は」
学級委員長と元学級委員長が神妙にうなずき合っている。この狐と狸が秘密裏に兵助周辺の行動を監視していたという事実も怖いが、言われてみれば思い当たる節がなくもない。
――久々知先輩、豆腐パーティ楽しみなのはわかりますけど、委員会があることも忘れないでください!
――久々知先輩、新人の歓迎会を開くのは委員長の責任ですよ!
三郎次は二年生ながら、火薬委員会の副委員長みたいなポジションに収まっていた。兵助には過集中の傾向があって、煙硝蔵から出ると「抜けてしまい」がちになる。三郎次は兵助のそういうところフォローをしてくれているものとばかり思っていたけれど、確かに兵助以外にいただろうか。三郎次があそこまで世話を焼く相手が。
「そのくせ兵助が遠くから三郎次に声かけると無愛想になったり逃げちゃったりするんだよねえ。僕一度、兵助から真剣に相談されたことがあるよ。『俺、三郎次から嫌われてるのかなあ』って。まああのときはどれだけ兵助に三郎次の恋心を気づかせず、かといって三郎次を上げも下げもせず、兵助の中での存在感をこれ以上高めずできれば薄め、最終的に兵助を「あれ? 俺雷蔵に何相談しに来たんだっけ? まあいいや」って方向性に曲げて笑顔で帰してやることしか考えてなかったよね、ははっ」
迷いのない雷蔵が、困り顔で頭をかいている。全員の裏の顔が怖い。さすが忍びのたまごだ。
しかし、もし本当に、三郎次が恋敵のひとりだったとすると……。
「なあ。これって、かなりまずくないか」
「やっと気づいたか」
三郎からの軽い睨みに、俺は床をのたうち回ることしかできなかった。
何ということだ、真の敵がこんな近くに潜んでいたなんて!
俺は、三郎次が三歳下であることに完全に甘えきっていたのである!
「三郎次が五年生になるとあそこまで化けるとはなあ。忍者っていうより若様だよな。しかも自分から戦の先陣切るタイプの」
勘右衛門が完全に他人事のような口ぶりで言う。俺も、確かに面構えがいいとは言ったけど、そういう意味で言ったんじゃない。
「あれは完全に水練を生業にする者の骨格と筋肉だからな。私たちが一朝一夕で手に入れられるものではないよ」
どちらかというと細身な三郎がすでに遠い目をしている。俺は体格には自信がある方だけど、明日起きたら一尺くらい伸びていないものだろうか。身長が。主に脚が。
「兵助って、海への憧れがものすごいよね。実家が山守だからほとんど山から離れられなくて、忍術学園に入るまで海を見たことがなかったって言ってたし。それであの三郎次が入学して、火薬委員会に入ったから、ちょっと危ないなあって思ってたんだけど」
思い出した。去年の入学式が終わった後、たまたま俺と兵助の前で三郎次が「実家は漁師で、家も海のそばで」という自己紹介をしたときの、あいつの食いつきようはすごかった。「えっ三郎次泳げるの!?」「素潜りで貝や海藻が採れるのか!」「俺の水練は未熟なんだ。今度ぜひ教えてくれ!」……。海を知らなかったのが兵助なら、都でもなかなかお目にかかれない美人に入学初日から無自覚全力総攻撃を食らったのが三郎次だ。あれから一年以上経ってようやく気づいた。三郎次の恋は火薬委員会初日ではなく、すでにこの瞬間から始まっていたかもしれないのだ。
それをみんなに白状したらやはり死に装束のように真っ白い目で見られたが、最終的には、
「三郎次が三歳年下に生まれたことをもっと感謝すべきだったな……」
ここに落ち着いて、後はそれぞれ石のように硬いためいきを吐き続けた。
ちなみにこの日の夜は鉢屋・不破部屋で全員寝た。俺は一人部屋ではとても眠れそうになかったし、池田・久々知部屋の隣だという勘右衛門は「二人の声が漏れ聞こえただけで俺はあの薄壁を破壊しかねない」とのことで、それはそうだった。