小雨の降っている朝。
アスファルトには小さな水たまりが、朝の日差しに反射してきらきらと光っていた。
「やばい、遅刻する…!」
高校への道を駆けていたルカは、曲がり角にチラッと覗いた小さな存在を見つけて、急ブレーキをかけた。
「うおっと……っ!?」
目の前には、自分より二回り小さい背中。
傘もささずに、ピンク色のカバンを背負ったまま、ちょこんとしゃがみこんでる。
「……え?」
近づくと、しゃくり上げる声が聞こえた。
「うぇ……ん、ぐす…っ、ままぁ…」
涙でぐちゃぐちゃの顔に膝に小さな擦り傷。そして僅かに赤くなった鼻先。
「……大丈夫っ!?」
ルカはしゃがみこみ、優しく声をかける。そして急いで自分が持っていた傘を女の子の頭上へと運んであげる。
女の子は突然の声にびくっと顔をあげて、目をまん丸にしてこちらを見ている。
「転んじゃったの?痛そうだな〜…、、大丈夫? 歩ける?」
ぶんぶんと首を横に振って、目を潤ませる。
ルカは突然何かを思い出したかのようにバッグを開け、バッグの中に入れていた絆創膏を取り出す。
「ほら、これ!アンパンマンつきのやつ!めっちゃ強いヒーローだから、これ貼ったらきっと痛くなくなるぞ〜〜っ!」
確かこれは、いつも擦り傷ばっか作ってくる俺を見かねて、シュウが買ってきてくれたものだった。特売だったからって、アンパンマンの柄のやつを。
「あんぱん、まん……?」
「そ!世界を救うヒーローだぞ〜!!」
ルカはにっこり笑って、擦りむいた膝にそっと絆創膏を貼ってあげた。
「よし、これで完璧!あとは……じゃーん!」
次に出してきたのは、制服のポケットに突っ込んであった飴玉。これも昨日シュウから貰ったやつだった。
「……ぴんくの。」
「いちご味だよ〜!おれといっしょ!」
「いちご…すき…」
「おっ、よかった!やった〜〜!!」
ルカはパァっと笑い、大きくガッツポーズ。
それに釣られて、女の子も小さく笑った。
「名前、なんていうの?」
「……はな」
「はなちゃんか〜〜!いい名前だね!俺はルカ!ル・カ!だよ!」
そうしてそのまま、笑顔を取り戻したはなちゃんの手を引いて、保育園の前まで送り届けた。
玄関先で先生に引き渡し、ぺこっと頭を下げて走り去ろうとした時、
「るかおにいちゃーーーん!!!」
はなちゃんの声が響いた。振り返ると、ぽてぽてと小さな手を大きく振っていた。
「ありがとうーーっ!!」
先程見た涙とは違って、雨あがりの空に架かる虹のように、笑顔がきらきらと眩しかった。
いいことしたな〜って考えていると、何か忘れている事に気づく。スマホの時計は9:30を指していた。
「やばい!!!遅刻!!」
ドタバタしながらルカは来た道を戻り、学校までの道のりを走った。
それが、ルカとはなちゃんの最初の出会い。
思えば彼女の初恋は、もうこの時、既に始まっていたのかもしれない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ルカは毎朝、通学途中に保育園の前を通る。
それからというものはなちゃんは毎日、学校帰りのるかおにいちゃんを待ち伏せするようになった。
「るかおにいちゃーんっ!!」
まだ小さな足で一生懸命走ってきたのは、あの日たまたま出会った近所の保育園に通う、5歳のはなちゃん。
今日もランドセルより一回り程小さいピンクのリュックを揺らして、笑顔で飛びついてきた。
「わ、はなちゃーん!今日も元気いっぱいだなーっ!」
ルカはにっこり笑って、その小さな体をひょいっと抱き上げる。
「高い高ーい!」って言うと、はなちゃんはキャッキャと笑った。
あの日以降はなちゃんは、この時間帯になると必ずルカの元へと行くようになった。あの日から2週間ほど経った今日、はなちゃんの口からとんでもない事が発せられた。
「ねぇねぇ、るかおにいちゃんは、けっこんしてないの?」
「え? けっこん? してないけど?」
「じゃあ……じゃあはなと、けっこんしてくれる!?」
「えっ!?」
大きな目をキラキラと潤ませて、子供なりの真剣な顔で見上げられて、ルカは一瞬固まった。
「ええええ!? それって、はなちゃん、俺のこと……好きなの!?」
「……だいすき!だいだいだいすきっ!」
予想外の展開にルカが困惑して思わず照れている。
「ま、まじかぁ……これって初恋とか……そういうのだったりするのかな……」
なんて汗をかきながら考えていると
「…………」
背後から冷たい視線。振り返れば、シュウが無言で佇んでいた。
「……なんで、ちいさな子まで口説いてるの?」
「ち、ちがう!ちがうって!!誤解!オレはただ優しくしてただけでっ……!」
はなちゃんは無邪気に笑っている。
「あ、しゅうおにいちゃん!こんにちは!」
「こんにちは、はなちゃん。でもごめんね、ルカは、はなちゃんと結婚できないの。」
「えっ!?なんで〜〜〜!!」
「それはね、ルカはもう“だいすきなひと”がいるから。ね?ルカ。」
「…………えぇぇぇぇ!!」
はなちゃん、人生初の失恋。ぽろぽろ涙をこぼしてルカの腕の中でしがみついた。
「ごめんねぇ……でも、ありがとうね。オレのこと好きって言ってくれて」
そして、2人ははなちゃんの涙が止まるまで、小さな恋の終わりに付き合ってあげた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
ルカの胸の中で、しばらく泣き続けたはなちゃんだったけれど、やがて涙が止まると、そっとルカの胸から顔を離した。
「もう、だいじょうぶ?」
ルカは優しく笑って、はなちゃんの頭を撫でる。その指先は、とてもあたたかかった。
「じゃあ、先生のところ行こうか」
「うん……」
保育園の門から2人を見送るはなちゃん。
ルカと、そして少し後ろを歩いてくるシュウ。
二人は少しだけ会話をして、それから並んで歩き出す。ルカが何かを言って、照れたように俯いたシュウの頬を、夏風がそっと撫でる。
シュウの手がルカのシャツの裾をそっと掴むと、ルカは笑いながらその手をぎゅっと握り返した。
その瞬間
はなちゃんの胸の奥が、ぽっと温かくなる。
(…るかおにいちゃん、しゅうおにいちゃんのこと、だいすきなんだ)
たぶん、るかおにいちゃんの“だいすき”も、
全部しゅうおにいちゃんのためなんだ。
そう思ったら、なんだか、ほんの少しだけ悔しくて、でもすっごくすっごーく嬉しかった!
二人の後ろ姿は、憧れた絵本の中の王子さまと王子さまみたいに、とってもとっても似合ってた。
はなちゃんは、静かに小さく笑った。
涙のかわりに、ほんの少しだけ大人になったような笑顔で。
そしてあの時と同じように大きく手を振った。
「ばいばーい!!るかおにいちゃーん!しゅうおにいちゃーん!」
2人はびっくりしたように振り返って、笑顔で手を振ってくれる。
ただ転んだ私を救ってくれた優しいるかおにいちゃん。
そんなるかおにいちゃんが、しゅうおにいちゃんといっしょにしあわせでいられますように!
そんな事を思いながら、はなちゃんは保育園の中へと戻っていった。