イノセント彼は無表情な子供だった。彼の中には 硬く凍りついた スイッチがあった。それをどうやって入れるのか彼には全く分からなかった。 彼が認識している世界はいつも モノクロで色がなかった。 彼にはの心は凍りついたまま死んでいくかのように思えた。 ただ一人彼の世界には母親というものだけが認識されていた。母親はジャズピアニストで、いつも夕方からバーで働いていた。
彼の通う学校にはいくつかのクラスがあり、アラスターのクラスのには「のろま」 と呼ばれて いる 生徒が一人いた。 ロッカーに泥をぶちまけられたり、ドアから入った瞬間に足を引っ掛けて転ばされたり、そんなことをしてクラスメート達は彼を笑っていた。
ある夏の日、アラスターが水道で手を洗っていると、突然隣から鼻をつくような 腐った匂いが して 、何か ドロドロしたものを頭からかぶった その生徒がいた。 彼はアラスターを見るなり恥ずかしそうにへらりと笑って 目をそらした。
あー、 その、ちょっと ヘマしちゃってね
生徒をターゲットに決めたのは、町中で幅をきかせている悪を兄に持つ弟だった。その弟は 兄の権威を傘に来てクラスではやりたい放題だった 。そして度々 アラスターに絡んでくる。
ほとんどの人はアラスターと話しかけることを恐れた。アラスターの顔の表情筋はまるで死んだように動かなく、目は光がなく、どこを見ているのかわからなかった。 アラスターの前にいると、何かとんでもないものの前に引きずり出されたような奇妙な感覚に陥り、足がすくんで、どうしようなく奮えだし去ってしまうのだ。
しかしその弟はどうにかして アラスターの反応を引き出そうと、よくちょっかいをかけてきていた。
日の傾きかけた頃、その弟は木の幹に背をあずけたアラスターに言い寄っていた。辺りに人気はなく、ざわざわと背後の森が風に揺れる。アラスターの柔らかい髪がひとすじ頬にかかるのを、弟は食い入るように見下ろした。
お前、フランス語喋るんだって? ちょっと喋ってみろよ
アラスターを小突こうとした弟の手をさり気なく首を逸らしてよけながら、アラスターはぐっと顔を近づけた。触れはしなかったが、互いの体温が伝わりそうなほどの鼻先に二人はいた。弟は急に真っ赤になって押し黙る。
顔の皮膚の血管が拡張して血流量が増加していく様をアラスターはつぶさに眺めた。そしてその頭を掴んでキスしようとした手をナイフで貫いた。つんざく悲鳴はなかなか悪くない。そう、昨日聞いたラジオから流れるジャズに合いそうな音だった。弾けるようなそれは、不思議と世界を鮮やかに染めていく。色。色彩。モノクロを悲鳴が塗り替えていく。母が弾いていたピアノが流れだし、アラスターのスイッチがバチンと音を立てた。通された血が一気に脳を駆け巡る。指の感覚から、ナイフの薄い重みと深々と刺さる肉の感触。生きている。軽いブルーススケールを挟んでアラスターはリズミカルに手を振り下ろした。吹き出した血が顔にかかった。世界は息を吹き込まれた。金切り声は悪くなかった。
やがて喉が嗄れてきた弟は、なにかわめきながら足から血を垂れ流して森へ命からがら逃げ出した。アラスターはゆっくりと血の跡をたどって、狼に囲まれて行く様を鑑賞した。
やがてすべてが終わると、アラスターは底なし沼へ弟の体とナイフを沈めた。泥の中に飲み込まれていくその顔は、少しだけブードゥー人形に似た色をしていた。目と口を太い糸で縫えば、もう少しそれらしく見えたかもしれない。
アラスターは体を綺麗に洗おうと川辺に向かった。そこには、あの生徒がいた。
やあ、またあったね
すると彼はほんのり頬を染めて、うん、とはにかんだ。
アラスターの頬の筋肉は持ち上がり、彼は自然と微笑んでいた。