冷蔵庫の中に立派なパイナップルが丸ごと一つ入っている。
スラーインが自分で買ったものではないので毎回存在を忘れていて、冷蔵庫を開けるたびにその姿に新鮮に驚いている。一番下の段に偉そうに鎮座しており、はみ出した硬い葉に手が掠めるとチクチクとして痛い。食べられもしない葉の部分が大きく茂って場所を塞いでいる。
スタイリッシュなつや消しの黒い冷蔵庫に何故こんな物が入っているのかというと、昨日の帰りにご近所のシロネンがわざわざスラーインを引き留めてまで寄越したからだ。オロルンと食べなよ、果物好きでしょ、としか言わなかったが、多分シロネンも貰ったものの切るのが面倒だから、それを苦と思わないであろうオロルンに横流ししたかったのだと思う。
ところがスラーインが家に帰ると肝心のオロルンはなんだかフラフラしていて顔が真っ赤だったので、それどころではなく慌ててベッドに押し込むことになった。風邪を拗らせたようだ。なのでパイナップルはそのまま冷蔵庫に居座っている。
オロルンが体調を崩したのは同居し始めて以来初めてのことだ。週末だったのは不幸中の幸いでスラーインが甲斐甲斐しく世話を焼いているのだが、風邪っぴきのためにしてやれることなどたかが知れている。食事と水分、薬を用意して、氷枕を取り替えて、汗を拭いて、あとは家事をやるくらいだ。
最初は何か辛くないかと頻繁に様子を見に行っていたのだが、「ありがとう。でも大丈夫だよ、感染るからリビングにいてくれ」と頭を撫でられて追い返されてしまった。子供か。
オロルンは昨日の夜からあまり食事を摂っていない。柔らかい白粥、うどん、野菜のポタージュ(全てレトルトだ。作れない)と色々試してはいるのだが、後で皿を回収に行くとどれも精々四分の一程度しか減っていなかった。薬を飲むためになんとか少し胃に入れた、という所だろう。
せめてと思い口当たりの良いゼリーやヨーグルトを食べさせているのだが、これらを取り出すたびにパイナップルに手をやられている。どこかへやりたいが、葉が大きすぎるので野菜室の隙間にも入らなかった。本当に憎たらしい植物である。
寝室からはオロルンの咳き込む音が聞こえてくる。スラーインは時計を見た。3時少し前だ。いつものオロルンならこのくらいの時間に間食をすることが多い。
パイナップルは炎症を抑える作用があり、風邪に効くと聞いたことがある。奴を切ることができればオロルンに食べさせることができるし、冷蔵庫の危険も減る。一石二鳥である。問題は、スラーインが普段、料理だけは同居人に頼りきりであるという一点のみだ。
スラーインは往生際悪くスマートフォンを取り出して、Googleで検索した。
『パイナップル 追熟🔍』
パイナップルは追熟しないらしい。買った時がベストで、その後は古くなっていくだけのようだ。Doleがそう言っているのだから間違い無い。カットフルーツを買いに行くという考えがチラついていたが、先延ばしにする理由も無くなった。観念するほかないだろう。
『パイナップル 切り方🔍』
出てきた動画をじっくりと見る。出演者は慣れた手つきでパイナップルを美しく解体して、思ったより簡単でしょう?と言った。全くそうは思わなかったが、まあなんとかならなくもないだろう。動画をもう一度繰り返した。
一応テキストで説明されているページも確認してみると、本当は冷蔵庫に入れる時点で邪魔な葉を落としてよかったらしい。なんということだ。
冷蔵庫から取り出したパイナップルをまな板に置いた。お前の命はこれまでだ。
スラーインはシンク下の収納に並んだ包丁たちを眺めて少し迷った後、ペティナイフを取り出した。これは正直良い選択とは言えないだろう。モサモサと茂ったパイナップルに対してもスラーインの手に対しても、このナイフは少し小さすぎる。わかっていながらこのナイフを選んだのは、オロルンが以前「鉄の包丁はすぐ錆びてしまうから濡らしたままにしないようにね」と言っていたのが記憶に残っていたからだ。どのくらい錆びやすいのかよくわからないが、スラーインが不用意に扱って錆びさせてしまえば元気になったオロルンは悲しむだろう。ナイフだけは錆びないステンレスなのがわかっている。
動画を思い返しながら、その手順を追っていく。まずは上下を2センチ程度ずつ切り落とす。底の方に甘みが集まるので切りすぎないように。案の定ナイフは扱いにくかったが、やってやれないことは無い。
上下を落としたら縦に半分に切って、それをまた縦に四等分。あとは芯と皮を落とすだけだ。
料理はあまり好きではないが不器用なわけではないので、八回も同じ作業を繰り返していれば徐々に綺麗に切れるようになっていく。皮の周りは硬いし種が残るので、分厚く削ぎ落としたほうがいいようだ。
あんなに気が重くても始めてしまえばあっという間で、本当に思ったより簡単だった。動画で見たよりは不恰好だが、ご愛嬌というものだろう。
行儀が悪いかとも思いつつ、一番色の鮮やかな底の方だけを集めて皿に盛った。少しは食べられると良いのだが。
◆
夕方になって、マスクをしたオロルンがリビングまで出てきた。顔色がかなりいい。熱もすっかり下がったらしい。オロルンは手に持った空の皿をスラーインに見せた。
「美味しかったよ。これ、昨日君が貰ってきたやつ?」
「ああ。食べられたならよかった。」
オロルンは目を細めた。頭の天辺では三角の耳が忙しなく動いている。嬉しいときにはああいう動きをするのだと、スラーインはよく知っている。
「すごく美味しかったから今度は僕が買ってこようかな。そしたらまた君が切ってくれる?」
「構わない。やり方はわかったからな。」
「……君と一緒に暮らしていてよかったなあ。」
こんなことで大袈裟なくらいに喜んでいるオロルンになんだか堪らなくなって抱き寄せようとしたのだが、感染るから離れてね、とするりと逃げられてしまった。