「モテる女のさしすせそ」という言葉があるらしい。カピターノは今まで知らなかったが、部下たちが夕食を取りながら雑談しているのを聞いていたら、そんな話題が出てきた。「さすが」「知らなかった」「すごい」「センスある」「そうなんだ」の5つで、女性が意中の男性を立てて気分を良くさせるテクニックとして広まったものだそうだ。
「モテテク」というものの是非はともかく、相手の懐に入る手段としては普段からなかなか使える場面は多いのではないか、と部下たちは話している。異性であっても同性であっても、誰かに尊敬されて褒められるというのは嬉しいものだ。
「確かに、性別関係なく年下にこんなふうに慕われたら悪い気はしないかもな。俺、今日から隊長様と全部さしすせそで会話して出世しようかな」
一人のお調子者の言葉にどっと笑いがおこった。カピターノも小さく笑った。笑ったが、頭の片隅に何かが引っ掛かっている。
部下たちが違う話題に移っても、カピターノは一人だけ、「さしすせそ」のことをまだ考えていた。
これはかなりオロルンじゃないか?と。
「さすがだな、隊長。」
「知らなかった。こんな使い方もできたのか。」
「すごい!僕にも教えてくれないか?」
「センスがあるな。僕も真似してみようかな。」
「そうだったのか。物知りだな。」
全部この一週間以内に聞いた。よく覚えている。何故よく覚えているのか、聞くのは野暮というものだ。
カピターノは少し離れた所に座っているオロルンの方をチラリと見た。雑談にはあまり興味が無いようで、会話には参加せずさっきからずっとぼんやり遠くを眺めている。もぐもぐと口が忙しなく動いている割には手元の携帯食が減っていない。飲み込めないから喋れないだけかもしれなかった。オロルンはあれが苦手なのだ。
流石にオロルンがカピターノを懐柔しようと意図的にそんなテクニックを使っているとは思っていない。あの褒めがお世辞だったら結構嫌だ、という個人的な気持ちにはこの際目を瞑ったとしてもだ。しかし、確かにオロルンは年上の懐に入るのが妙に上手い。最初は警戒していたカピターノの部下たちにも、なんだかんだいつの間にか受け入れられている。
思うに、子供の頃から謎煙の主の老人たちに面倒を見られてきたため、年長者に喜ばれる素直すぎるくらいの振る舞いというものが無意識的に身についているのではないだろうか。モテテクではなく福祉テクである。
魂の見えるオロルンは旅人のことを初対面で「じいちゃん」呼ばわりしていたそうだし、カピターノのことも内心では老人に分類しているのかもしれない。決して間違いではないが。
オロルンは最後の一口を無理矢理水で流し込んで飲み下したところだ。カピターノが自分の方を見ているのに気がつくと少し恥ずかしそうに微笑んで、そのまま近くまでにじり寄ってきた。
「今日の試練が終わった。散歩に行かないか?」
二人はしばしばこうして短い散歩をする。毎回オロルンからの提案だ。最初にオロルンが誘いに来たときにそれを承諾したのはたまたま気が向いたからだったが、今ではカピターノもこの時間を内心では楽しみにしている。
「オロルン。さっきの食事中の雑談を聞いていたか?」
「ん?聞いてない。何だろう。」
「相手に気に入られたいときの話術の話だ。お前の話し方と共通点がある。」
オロルンはピンと来なかったようで、首を傾げている。その表情に嘘が感じられなかったことにほんの僅か安堵した。
「考えたことがなかった。狙ってやっているわけじゃないよ。」
「ああ。別に悪く思ったわけではない。確かにお前は人に、特に年長者に好かれると思っただけだ。」
「そうか?まあ、君が不愉快じゃないんならよかった。」
二人の会話が盛り上がるということは殆ど無い。オロルンはこの散歩ではあえて地脈であるとかナタの未来であるとか、そういった重要な話はしないようにしているようだ。カピターノもそれに倣っている。建設的な話は何もしないので、昼間と違ってオロルンの「さしすせそ」も殆ど出てこない。どちらかが思いついたことを勝手に話して、もう一方がそれに熱の無い相槌を打つだけだ。相手によっては気まずい時間とも感じられるだろう。それでもこの時間はカピターノにとって心地良く、野営地が見えてくると終わりが惜しくすらなる。
「僕はあの木で寝ようかな。ぶら下りやすそうだ。また明日。」
「ああ。」
オロルンは今日はテントには戻らないらしい。簡単な挨拶と共にあっさりとカピターノに背を向けて五、六歩歩いてから、そういえばさっきの話だけど、と振り返った。
「僕が誰かの気を引きたいと思ったなら、言葉より行動に出ると思うな。例えば、ちょくちょく散歩に誘い出して二人っきりの時間を作るとかね。」
おやすみ。オロルンは今度こそ振り返らずに歩いて行った。夜魂の力で音もなく飛び上がったその姿は鬱蒼とした木々の中にあっという間に消え去る。
後には立ち尽くすカピターノが残るのみだった。