除霊と嘘 霊幻はひとり、電車に揺られていた。本日急遽霊とか相談所に持ち込まれた依頼のためである。
曰く、息子の様子がおかしいので除霊に来て欲しいとのこと。
(これはカウンセリングコースかなあ……。)
霊幻は車内でため息をつくと、いつも使っている駅から五駅ほど離れたところで電車を降りたのだった。
かつかつと革靴を鳴らし、目的の家まで歩を進める。今日はモブも芹沢も休みで、エクボもいない。もし本物だったら、と考えなくはなかったが、まあ適当に捲し立てて後日改めて、という形で進めれば良いだろうと楽観的に考えていた。
ぴんぽん、と子気味良い音を立てる呼び鈴を鳴らし、早速依頼者と顔合わせをする。
「あらあら、霊幻先生!わざわざすみませんねぇ!」
「はは、いいんですよ。早速お話を伺っても?」
「もちろんです!」
依頼者は霊幻を崇めるように出迎えると、気立て良くお茶やお菓子を並べながら話し始めた。
「去年くらいから、活発だった息子が引きこもるようになってしまって……。」
詳しく話を聞けば、溌剌だった息子がいきなり人が変わったようになり、呪詛のような言葉を呟きながら部屋に引きこもっているとのこと。息子に会って欲しいと言われたので、案内されるがまま部屋の前へ向かった。
こんこん。控えめにノックをして、「今よろしいでしょうか?」と声をかけた。
「……はい。」
「すみません、私こういうものなんですが。」
「……霊とか、相談所……。」
「貴方の親御さんから相談を受けまして。」
「僕に霊が着いているとでも?」
「そう言いたい訳ではありませんが、可能性があれば削減するのがウチの仕事でして。」
「はァ……。」
見たところ受け答えに問題がある訳ではなさそうだ。これは本物では無いかもしれない。
霊幻の勘が動くこともなく、普通の除霊だな、と結論付けた。
霊幻は依頼者家族に向けて社会復帰はそう難しくないこと、本人のペースに合わせること、と言った文言を伝え、あとは本人が頑張るだけです。とまとめた。
母親は大層有り難そうにお礼を述べながらBコースの料金と手土産に、とごま煎餅を霊幻に手渡し玄関先で別れることとなった。
去り際、先程まで部屋にいたはずの息子が玄関先の母親の後ろにいるのが見えた。
最後までお礼を伝え続ける母親の表情とは違い、暗くどんよりとした顔で、ぼそりと呟いた。
「嘘がお上手ですね。さすが詐欺師。」
「……え?」
「はい?」
「あ、いや、息子さんが……。」
「あら?……って、居ませんけど……。」
「ああいや、なんでもありません。今回はBコース料金を頂きましたが、もしまた何かあれば次回は割引料金でご案内致しますので是非。」
「ええ!なんなら除霊以外でも霊幻先生のお話を聞きたいくらいです!」
一瞬母親に目を向けた隙に、息子は居なくなっていた。見間違い、聞き間違いか?と霊幻は一瞬本物かと思ったが、違うか。と帰路を急ぐことにした。
依頼人の家から駅へ続く帰り道、ぽた、と頬に何かが当たった。何か、なんて分かりきっている。突然雨が降り始めた。
「クソ、今日傘持ってたかな……。」
慌てて鞄をまさぐるが、折りたたみ傘が入っている気配はしなかった。げんなりとした気分になりつつ小走りで駅へ向かうと、人身事故の影響で電車が遅延しているとの事だった。
「ツイてねえな……。歩いて帰るしかねえか。」
見つけたコンビニでビニール傘を買い、ばさりと広げて歩を進める。
雨の弾ける音を聞きながら、霊幻は先程の出来事を思い返していた。
(嘘がお上手、ね。)
ビニールの向こうの景色が滲む。滲んでは流れていく。水滴がビニールに作っていく地図を眺めながら考える。
(俺は何者なんだろうな。詐欺師だのなんだの、俺は何がしたいんだろう。嘘をついてばかりの自分は、何になれるんだろう。)
珍しくセンチメンタルになってしまったみたいだ。こんな気持ちになることはあまりない。とはいえ、何かに当てられた可能性もなくはないので、帰途を急ぐことにした。
がちゃり、相談所の扉を開くと電気が着いていた。おや、と思う間もなく、「よォ。」と声が振ってくる。
見慣れた耳の欠けた男に入ったエクボかそこに居た。
「ずぶ濡れじゃねえか、濡れ鼠かよ。あ、お前さんは鼠じゃなくて狐だったな。」
「……ッ。」
「あ?どうした。」
今しがた考えていた"嘘つきの自分"について言われたような気がして、一瞬息が詰まってしまう。
「なんでもねェよ。雨に降られたんだ。傘買ったけどそんなに意味なかったな。」
「なんかあったろ。気に障ったんなら謝る。」
「別に。」
「別にって顔じゃねえぞ。お前さんは嘘が下手だな。」
霊幻は瞠目する。今コイツはなんと言った?
「……嘘が、下手?俺が?」
「お前さんは嘘つくのド下手くそだろうがよ。」
そう言って、エクボはタオルを取りに施術室への扉を開けた。
そうか、そうなのか。エクボにとって、俺は嘘が下手らしい。
今はそれだけで、なんだか心が軽くなる気がした。
*
それから四日経ち金曜日。先日と同じ家からまた依頼が舞い降りた。
「あ?この間お前さんが一人で行ったとこじゃねえか。」
「あの時は何もなかったんだが……。」
「何も、ねぇ……。」
エクボは意味ありげに霊幻を認めると、わしゃ、と霊幻の頭を雑に撫でた。
「うわッ。何すんだ。」
「今回は俺様も行く。」
「は?だから何もなかったって。引きこもりの息子に不安になっただけだろ。一人で行ける。」
「どうしてそんなに一人に拘る。別に着いて行ったって良いじゃねえか。」
「……そこまで言うなら……。」
珍しく食い下がるエクボの熱に負け、霊幻はエクボが着いてくる事を許した。
二人連れ立って駅へと向かう。その間、エクボは何も話さなかった。程なくして、依頼人の家に着くこととなる。
「れ、霊幻先生……!あら、今日は……。」
「従業員です。」
「……オイ。」
しれっと従業員の枠組みに入れられたエクボが不満を言っているのかと思ったが、エクボは霊幻に顔を寄せ言った。
「マジモンじゃねえか。」
「この間来た時はそんな感じしなかったんだが。」
「先生、この間除霊しなくてもいいって……嘘ついたんですか……?」
しまった。聞こえていたらしい。"嘘つき"というキーワードに、心臓がつきりと傷んだ。いつもはどんなことを言われても何も感じないはずなのに。
「いえ、それは。」
「この間は隠れてただけだろうな。かなりの上物だ。霊幻先生も上級の霊能者だが、掻い潜られたんだろうよ。」
「……エクボ。」
「そうなんですね!ではさっそくお願いします!」
「ああ。」
「かしこまりました。じゃあエクボ、頼む。」
エクボは適当にここか、と当たりを付け、真っ直ぐと息子の部屋に向かう。部屋を開けずとも、霊の方から出てきたようだった。
「オイオイまた来たのか、無能詐欺師さんよォ。」
「ハン、三下が霊幻の事を語るんじゃねェよ。」
「お前も悪霊か?人間と連むなんて悪霊らしくねェヤツだな。」
「俺様の事まで値踏みすんな。消えろ。」
エクボが喰うまでもなく悪霊は消えた。
あまりにも呆気ない終わりに、霊幻は少しぽかんとしたあと、慌てて依頼人へ料金の説明を始めた。
そうして帰り道、あの日とは違いからんと晴れた夕方を二人で歩いた。
「……なんで言わなかった。」
ぽつりとエクボは言った。
「なにがだよ。」
「前も来てたんだろ、あの雨の日。」
「そうだけど……てかアレ上物じゃなかったのか。すぐ終わってたけど。」
「お前さんを立てたんだよ。わかれよ。」
「……なんでそんなことする。」
「嘘が下手くそな詐欺師先生の使い走りだからな俺様は。」
霊幻の為に使い走りをするこの悪霊は、霊幻の為に人様の前で霊幻を立てたという。その事実が、霊幻をどうしようもなく喜ばせた。
「……そうかよ。」
「お前さんが頼めば俺様はついていってたぞ。なんで言わなかった。」
なんで、なんでって。
「……俺でも、」
「あ?」
「俺一人でも、出来るって……。」
歩みが遅くなる。そうだ、一人で出来るのだと、一人でだって生きていけるのだと、何よりも自分自身に示したかったのだ。
「そんなことさせるか」
しかし、そんな思いをエクボは組んでくれないらしい。
「は?」
「お前さんが独りで生きていけないようにしてェんだよ、俺様は。」
相談所の鍵を開けつつ、エクボは言った。
「きっとそうしてきたんだろう、今まで。一人で何もかもやってこれたんだろうな。お前さんは。」
「……は。」
「シゲオが来てそれが変わっちまって、悩んだンじゃねェのか。」
「……。」
「あの悪霊は、そういうマイナスな思考に取り憑く奴だ。お前さんが気にしてることをえぐるような。」
「そう、なのか。」
くしゃ、と先程のようにまた乱雑に霊幻の頭を撫でた。
「……気にすんなよ。」
「してない。」
「してんだろうが。」
「……俺は、とっくにお前が居なきゃ生きていけないのに。」
「タイミングが噛み合えば失踪しようとしてる人間の言葉とは思えねェなァ。」
「失踪する理由がない。」
「あるだろ、ここに。」
エクボは霊幻の頭をとんとん、とつつく。
「お前さんはなんでも考え込み過ぎだ。死者と生者がどうした、男同士がどうした。未来がどうした。今を見ろ。」
「……はは、それもそうだな。気楽に考えるか。」
「気にならなくなったか?」
「……うん。」
「うん、て。本当に嘘が下手だなお前さんは。」
またしてもエクボは言った。もう、いいのかもしれない。嘘つきでも、そうじゃなくても、コイツに全部バレてるのであれば、それでいいのかもしれないと霊幻は思った。
「泣いてるのか。」
「泣いてない。」
「嘘つき。そんなにあの霊に引っ張られたか?妬けるねぇ。」
「ちがう。お前のせいだ。」
「俺様?」
霊幻は目をぱちくりと弾いたエクボを見遣ると、その高い背の唇に自分のそれを合わせた。
「……。」
「……仕掛けておいてその顔はねェだろうがよ。お誘いか?」
「俺の嘘を、お前が全部暴いてくれるなら、それでいい。」
「熱烈だねェ。望むところだぜ。」
そして今度は悪霊から噛み付くようなキスをされた。