同室のくりへし 2瞼の裏に月明かりが刺さり意識が浮上する。いつもなら明け方まで続く酒呑たちの集りも今晩はないのか静寂が響く。目を閉じたまま一人分空けていた隣に手を伸ばした。
…冷たい。もしかしたらと僅かな期待と期待を打ち消し諦めるために瞼を細く開けた。
ギュッと目を瞑り眠る事に集中する。布団を被り月明かりを拒絶しギュッとギュッと目を瞑った。
布団の隙間から侵入する朝日。疲労した重たい瞼を開ける。そして使われた形跡のない隣を再確認して半身を起こす。
カサカサの薄い唇を指の腹で触れ、込み上げてくる何かが溢れないように立てた膝に顔を埋めた。
トタトタと軽快な足音が厨のほうからこちらへ向かってくる。長谷部はゆっくりと天井を見上げ大きく息を吸う。苦しくなるくらいまで肺に冷えた朝の空気を充填する。息を止めて朝の空気で圧縮させた心を胸にしまい込む。そして息を短く吐き出し、各部屋に朝ごはんの時間を告げて回る声に返事をかえした。
キスを拒んでいた。伝わる体温が恥ずかしくて、求められて嬉しいのに拒んでしまう。好きだとストレートに告げられても仕事に託けてその場から逃げ出してしまっていた。
今までは許されていたから、それでも好きと示してくれたから、俺は無自覚に愛情を試していたのだろう。
「…そうか」
その一言を境に失なってしまった。
今日も夜が来た。のぼせる寸前まで湯船に浸かった風呂上がり、温まった体で広くて寒い部屋に向かう。部屋に向かう足取りは重い。今夜は帰ってくるのだろうか、二人部屋に今夜もひとり。ボンヤリと庭先を眺める。昼間降っていた雨は止んでいるが今も厚い曇が月も星も隠す。
ゆらり、目の端に淡い光の線が飛ぶ。縁側の共有の下駄を履き庭先へ降りる。光の線を誘われるように追いかけていく。
縁側を降りた頃はまだ薄く見えた木々が徐々に暗闇に溶け込み始めた。月明かりも星もなく風もない。淡い光の線を辿るように歩く。線の先にぼんやりと白い影が見えた。誰だ、声を掛けようと近づいて、
「なあ、鶴丸国永サン」
「なんだい?へし切サン」
「長谷部と…いや、なぜ俺たちはこんなことになってるのだろうか」
「驚きだなぁ」
二人の頭にパラパラと砂つぶが降り泥水が頬を濡らす。
楕円に切り取られた暗闇がふたりを見下ろす。
突然足下が無くなり直立で落ちていく俺と咄嗟に俺の腕を掴んだものの、踏ん張った地面が崩れてふたりして落とし穴に滑り落ちた。狭い穴の中で俺は鶴丸の腕の中にすっぽり収まっている状態だ。
蛍狩を計画している対粟田口用に驚きを仕込んでいたと話す鶴丸に明日明るくなったら全て埋めろと細かく指示を出す。続く小言をハイハイと受け流し煤色に積もる砂を払う白い手。爺ぃめ、広くて寒い部屋にいなくていい理由ができてホッとしたのがお見通しなのだろう。溜息ひとつ、小言を中断して白い懐にもたれる。
わかってる欲しいのはこの体温ではない。
「薄いし温くない」
「そうかい」
悪態をつきながらもたれたままの俺の頭の上でこの爺いはいつも通り軽快に笑う。
「まずは、穴から出なければ」
「んー、どうするかなあ」
砂粒を払った手で今度は梳くように髪を撫で楽しげに答える鶴丸。
「一晩中此処にいる訳にはいかないだろう」
「そうだなんだよなあ」
楽しげにもう片方の腕を俺の腰に回す。
「鶴丸国永?」
「ははは、怖い怖い。そうだな、月がキレイデスネ?」
「曇夜デスガ?」
訳がわからず鶴丸と同じ方向を見上げた。
「ふぁっ!」
ギラギラと光る2つの金色。
驚き、思わず鶴丸と密着する。
「さっさと出ろ」
楕円の空から更に不穏な輝きが増した金色の不機嫌な声と縄が降ってきた。
まだ、受け止める準備ができていない。
俺は決定的な言葉を聞きたくなくて大倶利伽羅から目を逸らしていた。
「ありがとよ伽羅坊!やれやれ泥だらけになっちまった。長谷部、一緒に風呂に行こうぜ」
泥だらけの鶴丸が泥だらけの俺の肩に手をかける。俺が頷き返す前にその手はパシンと払われ代わりに褐色の腕が右腕を掴んだ。
「風呂はお前一人で行け」
掴んだ腕をそのままに大股でスタスタと歩き出した。大倶利伽羅に半ば引き摺られるように歩く俺に白い影はヒラヒラと手を振って本丸の方へ消えて行った。
大股で前を歩く大倶利伽羅。怒っているのだろうか、呆れているのだろうか、それすらもわからない自分が情けない。強く掴まれた腕。繋がった部位から伝わる体温。そっと目を閉じる。先程まで焦がれていた体温を体に記憶に染み込ませる。
こんな形でも最後に触れて貰えて良かった。
もう、いいか。
「大倶利伽羅」
声が、思いの外掠れてしまった。
鼻から息を吸い込み、口から吐き出す息に声を乗せる。
「大倶利伽羅、すまなかった」
前を向いたままの背中に向かって謝罪する。
「お前の事を好ましく思っている。触れて貰うのは嬉しかった。ただ、その、恥ずかしかったんだ。はは、呆れたか。」
長谷部は指が食い込む程に強く握られた腕に視線を落とし立ち止まった。大倶利伽羅も歩くのをやめた。
「少しの間だったけれどお前と恋仲になれてよかった。ありがとう」
正面を向いたまま立ち止まる二人の間を淡い光の線がゆらりと流れた。木立の間を縫うようにゆらりゆらりと光の線は数を増す。若葉がサラサラと音を立てたのを合図に、川沿いに風が吹き一気に巻き上がる淡い光の群。
二人は幻想的な星空の中で暫く佇む。
強く掴まれた腕から力が抜けた。解けてしまえばもう二度とこの手に触れられることはないだろう。
「はせ、」
「いやだ!」
「…」
「あ、いや、違う」
「長谷部」
大倶利伽羅は簡単に振り解けるほどにゆるく腕を掴んだまま俯く長谷部を見つめた。逃げるように目線をそらす長谷部の顎を持ち上げて覗き込む。
「あんたを手放す気はない」
唇に吐息が触れる。長谷部は目を瞑りギュッと身を固くして構えた。固く固く結んでなければ口から心臓が飛び出してしまうのではないかと思わせるくらいに。唇を振るわせ大倶利伽羅を待つ。
頬に当たる風と柔らかな髪の感触。鼻先と、唇には吐息がかかる。が一向に長谷部が待っていたものは与えらず不安がよぎる。
(間違え…た?)
薄く目を開くと端正な顔が歪んで見えるほど近くに金の瞳があった。
「ふぇっ」
「あんたから、」
「え」
「あんたからがいい」
不貞腐れたように甘えるように互いの鼻先を擦りあわせて瞑った金の瞳。目を閉じて待つ大倶利伽羅へ震える唇を押し付けた。
はずだった。
長谷部はいつもの柔らかな感触と違う感触に驚きギュッとギュッと瞑った目を見開く。唇が触れているのは大倶利伽羅の唇ではなく頬でもなくその間の辺り。
もう一度とまたギュッと目を瞑って押し付けた唇は次の瞬間、隙間なく塞がれるのだった。