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    krtrmurow

    二次創作でおはなしをかいています。

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    krtrmurow

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    【La crique embrasse la chanson】
    ラビ×リュカ
    全年齢/文庫/164p(61516文字)
    800円(BOOTH通販の場合+送料)
    人魚のラビさんと作曲家のリュカくんのパロディ本です。


    BTOOTのページはこちら https://kanokosou.booth.pm/items/3587040

    【ラビ×リュカ小説本サンプル】La crique embrasse la chansonLa crique embrasse la chansonアンダーソンLa crique embrasse la chanson要素/注意旅に出て一年が経つ。伝聞や噂を頼りに渡り歩いてきたが、結局どこも徒労に終わった。
     やりくりしてきた金ももう心許ない。
     やはり噂は噂でしかなかったということなのだろうか。
     次の町で最後にしてしまおうという気持ちが徐々に強くなってきている。
     もし次も駄目で諦めて中央に帰ることになるとすればオレのこの一年は全く無駄で、
     実りのない日々を送ってきたというわけだ。
     そんなオレを中央では嘲笑っているやつらもいるだろう。
     曲を作れないまま一年間を棒に振ったオレに、帰るところなんてあるのだろうか。
     あれにさえ会うことが出来れば、何か変わるという思いでここまで来た。
     メッキが剥がれ、気狂いになってしまったという奴もいるかもしれない。それでもいい。
     オレはただ、また昔のように曲を作りたいだけだ。
      La crique embrasse la chanson 
    「町近くの入り江だぁ?」
     喧噪の中で発せられたしゃがれ声に若人は表情を崩さないままそうだ、と頷く。節くれ立った分厚い手でラム酒の入ったグラスを握りながら男は酔いで濁った瞳を彼に向けていた。やけに大げさなため息を吐いて、首を振る。
    「やめとけやめとけ、あそこには人魚が住み着いているんだともっぱらの噂だ。俺ら漁師ですら近寄らねえ。兄ちゃん、死にたいのか?」
    「死にたくはないが、その人魚に用があるんだ」
     至って大真面目に答えカーマインの瞳を酒臭い男に向ける。愛想の無い声色に男はせせら笑い、握っていたグラスを乱暴にテーブルに置いた。いいか、兄ちゃん、と睨みながら彼を指さし意地の悪い嘲笑を浮かべる。
    「あんた自分がおかしいことを言ってるのが分かってないんだなぁ。あいつらをどっかのほら吹きが書いた与太話どおりのかわいい奴らだと思ってるんだろ、ええ? 都会じゃあそんな話がまかり通るのかもしれんが、ここいらじゃ常識だ。あいつらはな、俺たちを海に引きずり込んで殺すのが大好きなのさ。あのクソ魚どもの歌を聴けば誰だって狂っちまう。耳を塞いだって無駄だ、とりこになっちまう。ニタニタ笑いながら奴らが手招きしている海に向かって飛び込んじまうんだよ。奴らはそんな人間を深いところで嬲り殺す……とんだ化け物だぜ」
     何に期待しているのか知らねえがと男が酒を呷る。くそったれな魚どもだよと零す男の様子は、むしろこの近くの海には人魚が住んでいるのだという確信を持たせるもののように思えた。そうか、と旅人はため息を吐いて、カッ、とグラスをテーブルに置いた。
    「あんたが知らないのなら仕方がないな。場所さえ教えてくれれば礼をと思っていたのだが……これはそういった人にやることにしよう。妙なことを聞いて悪かったな」
     そう言いながら懐を探る仕草をすれば、男の目の色がさっと変わる。席を立ちかけた旅人をいや待て、待て、と焦った様子で制止すれば、赤い目がちらりと男を見やり座り直す。男は先ほどの粗野さを誤魔化すような笑みを浮かべて身を乗り出してくる。
     男から酒と、磯だか油だかの匂いが漂う。
     あまり気分のよくない匂いに旅人の眉間に皺が寄った。 
    「で?」
    「まあ、その、なんだ……俺は善意であんたを止めようとしたんだよ、そこは分かって欲しいねえ…………うむ、しかしだ、あんたにも事情があるってぇのはしがない漁師の俺だって理解してる。つまり、だ。あんたがそこまで本気ってことなら……こっそり教えてやってもいい」
    「御託はいい」
    「あー、まあまあ、せっかちは損だぜ、都会育ちのお坊ちゃん。もちろん教えてやってもいいんだが、ああまずい、喉が渇いたな。グラスは空になったし今日のぶんの金もなくなっちまった。喉がカラカラでうまく喋れそうにないのは困ったことだぜ」
    「…………すまない、彼にさっきと同じものを」
     女給がすぐにラム酒をテーブルに置く。へへ、悪いねえと上品とは言いがたい笑みを浮かべ、手もみした男が一口、新しい杯で喉を潤す。
     酒の気の強まった息をふう、と吐きながら紙とペンをひっつかみ、道筋を書き出した。呂律の回っていない説明に耳を傾けながら、旅人は紙を覗き込む。いよいよ酒場の喧噪は大きくなっていく。
     男達の怒鳴り声や笑い声、フィドルの旋律に合わせた手拍子や足踏み、グラスがかち合う音が二人を包んだが、旅人の耳にそれは遠かった。

    (中略)
    この心地よい歌声をもっと聴きたいという思いに囚われる。海から聞こえる美しいそれの持ち主はきっと探し求めていた存在に違いない。
    「そこにいるのか、人魚」
     呼びかけ、ざぶざぶと音をさせながら旅人は深みへと進んでいく。
     足首、膝、太腿が濡れて服が重くなっても気にならない。緊張で渇いた喉をごくりと鳴らして、掠れた声で呼びかける。
     一歩、また一歩と進むごとに身体は濡れ、深みへ沈んでいく。
    「たのむ、もっと聴かせてくれ……オレはお前を……お前の歌を探していた」
     波の動きによろめきながらも歩いていき、いよいよ胸まで浸かってしまったが旅人は歩みを止めようとしない。そして、もう一歩――。
    「……これ以上は駄目、溺れちゃうよ」 
     穏やかな、しかしはっきりとした芯のある声で制されてはっと我に返る。
     数歩先に、それはいたのだ。
    「あ……」
    「人間って泳ぐのが下手だろ? ちょっと待っていてくれ、そっちに行くから」
     ざぶん、という音と共に小さな波が起こる。それに襲われてよろりとバランスを崩したがその瞬間何かに支えられて、立っていることが出来た。それでも塩辛い海の水は避けられず盛大に顔にふりかかる。うわ、と声をあげて腕で顔を拭い瞬きをすれば、僅かに周囲は暗くなっていた。はっと隣を見上げる。男だ。自分よりも大きな体躯の、上半身裸の男。長い銀髪は水を滴らせ、彼の耳のあたりからは飛び魚の羽根のような器官が生えている。がっしりとした姿とは裏腹に肌は白く、首元と腕を装飾品で飾っていた。腰にはターコイズブルーのパレオを巻いて、それを真珠であしらっている。海面の下、足がある筈の場所には青みがかった銀色の鱗を持つ魚の尾鰭があった。
     人魚。まごうことなく、人魚だった。
     ただ旅人が想像していたよりもずっと大きな体躯ではあったが。
    「……もしもし?」 
     ぽかんとした表情で自分を見上げている人間に困惑した顔で人魚が呼びかける。
     興味と困惑、少しの恐れが入り交じった視線が深いコバルトブルーの双眸から注がれていた。旅人が我に返り、ぱっと身を起こす。
    「っ、す、すまない……!」
    「ううん、こちらこそいきなりごめんね。君を溺れさせたくなかったんだ」
     あともう二歩ぐらいは下がったほうがいいね、と人魚が後ろを指さす。旅人がその通りにすれば、海面の位置はみぞおちのあたりまで下がった。うんうん、と満足そうに人魚が頷く。そして小さく首を傾げれば銀の一房が流れる。
    「ねえ君、名前は?」
    「……リュカだ」
     人間を殺すとされる種族に名前を教えていいものかと一瞬ためらいつつも、助けてもらった手前なので答えれば人魚がそっと手を差し出してきた。自分のそれよりもひとまわりほど大きい。まるで自分が子どもになったような錯覚に陥りつつ、彼の手をじっと見た。
     手は差し出されたままで、自分を殴ったり掴んだりする意図はないらしい。むしろ、これは握手を求めている手だと気がついてリュカも手を差し出した。
     ひんやりと濡れた手が自分の手を包み、思わずぴくりと肩が震える。
     アクシュってこうするんだろ、と嬉しそうに笑う人魚に頷けば、満足したのかそろりと手を離した。
    「……お前は……人魚、なのか?」
    「リュカはオレが何に見えるんだ?」
     からかうようにぱしゃりと魚の尾鰭が水面から出てくる。濡れた鱗は月明かりに照らされてアイスグレーとコバルトブルーのグラデーションを輝かせていて、きっとこんなにも美しい鱗を持つ魚はいないだろうと考えながら、リュカがそれを見つめ口を開く。
    「鯨の尾の形に似ているが、魚の鱗がある。よく伝え聞く人魚の尾だ」
    「へえ、詳しいね。リュカはガクシャっていう人間?」
    「……いや、学者ではない。お前たちを探しているうちに知った」
     静かに答えるリュカに、人魚はぱちりと瞬きをして自分を指さす。
    「人魚を?」
    「ああ、歌を聴きたくて」
     歌、と人魚がリュカの言葉を繰り返す。そして眉を下げて、首を振った。
    「駄目だよ、オレ達の歌はリュカには……人間には毒だ」
    「何故だ」
    「何故って……」
     だってリュカ、オレが鼻歌を歌っただけでもああだったじゃないか。人魚が苦笑いを浮かべてリュカの頭をそっと撫でる。どこか子どもをあやすような態度に、むっと憮然とした顔でリュカが人魚を睨みあげた。
    「つ、次は大丈夫だ。気をつける」
    「だーめ、オレはもうリュカの前で歌わないよ」
     ごめんね、と人魚がくすくすと笑う。更に食いかかるつもりでリュカは口を開いたが、微笑みながらこちらを見下ろす人魚の深く青い瞳は一見穏やかに見えて、しかしどこか不気味な輝きを孕んでいた。それに圧されリュカは声を出せない。しかしぐっと拳を握りしめ、見つめ返す。
     その様子をやれやれと眺めながら人魚は言葉を続ける。
    「君がここでずうっと海を眺めていたわけが分かったよ。昼も夜も砂の上でぼんやりこちら側を見ていたから気になって様子を見てたんだ。オレ達に会って、歌を聴くために待っていてくれていたんだね。でもだめ、オレは歌わないし、ここにはもう人魚はオレしか来ない……帰るんだ、リュカ。そして君の仲間にここは恐ろしい人魚がいて、殺されそうになって逃げてきたって話してくれないか?」
     ね、と柔らかく微笑む人魚に、リュカがはっと我に返る。さっと赤い瞳に僅かな怒りが宿り、一歩踏み出せばざぶんと海水が跳ねた。

    (中略)
    「リュカは音楽家なんだよね」
     森の水源で水浴びをした帰りに拾った大きな枝をリュカは握りしめていた。先端には糸がくくりつけられていて、さらにそれは海へと伸びている。糸が作る揺らぎを眺めながら、いつもの岩場に腰掛けているラビがそう問いかけた。
     悪気のなさそうな疑問に、リュカは一瞬言葉を失ったが、すぐにああ、と頷いた。
    「作曲家だ。もう随分と曲を書いていないが」
    「どうして?」
     この前聞きそびれてしまったけれどどうしても気になって。ラビの言葉に目を細める。どうしてだろう、いつから作曲が出来なくなってしまったのか。
     ひどく遠い昔のことだから、おぼろげでしか思い出せない。
    「……きっかけは分からない。色々あったんだ。どれが原因かなんて」
     一息に言い口を閉ざす。しかし嘆息して、また語り出した。
    「前にも言ったが、パトロンがいた」
    「ああそう、それだ。それって何なんだ?」 
    「音楽家の活動を支援してくれる貴族だ。オレ達の世界では有能な作曲家や芸術家にはだいたいそういった支援者がつく。……余った金でオレ達のような人間を援助し、その技を享受することはあいつらの世界では力を持っているという証になるんだ。どれだけ金を持っていて、人脈を持っているか。あからさまな争いをしなくなった代わりに、そういった見栄で他人と競うんだ。そしてオレ達にとってもパトロンを持つことはこの上ないステイタスになった。利害の一致というやつだ」
    「うーん、よく分からないけど、リュカにはリュカの曲が好きで応援してくれる偉いヒトがいたってことであってる?」
    「…………才能があるやつほど、貴族達はこぞって手を差し伸べる。彼らだって審美眼はあるのは百も承知だ、だから才能のないやつは……どうにかしてそこに滑り込もうとする。どんな手を使ってでも」
    「……リュカはどっちだったんだ?」
    「さあな、あの人がオレの曲を本当に気に入ったのかもしれないし、もしかすると気まぐれから成立した、誰かとの賭けなのかもしれない。とにかく、あの人の援助でオレは最低限の暮らしが出来たし、何より作曲に集中できていた」 
     一旦言葉を止め、枝を引いてみる。つられて糸も引かれ、ちゃぷんと海面から現れた糸の先には曲がった針がきらめいていた。しかしそこには何もかかっておらず、その水面でゆらゆらと揺れた後、再び海の中へと沈んだ。
    「……流行り廃りもある。三年前までこんなものは芸術ではないと吐き捨てられていた絵が、有力者が好きだと言えば今やサロンを風靡しているなんてこともザラだ。音楽だって例外じゃない。貴族の娘達が小夜曲ばかり聴いているだなんて噂が流れた途端にみんなこぞってそれを書く。そうやって都の流行りが作られていくんだ」
    「……それは楽しい?」
    「楽しいかどうかじゃない。そうしないと、認められない」
    「そっか……、難しいな……」
     オレにはリュカの苦しみはあまり想像出来ないとラビが目を伏せる。ざざん、とやけに波の音がはっきり聞こえた。
    「……オレもその中で必死に書いた。興味のない貴族のゴシップから何が流行っているのか、求められているのかを逃さずに……曲を作った。おかげで少しだけ認められていた、と思う」 
    「リュカの曲が気に入られたんだね」
    「……ある日、何も浮かばなくなった。真っ白な五線譜に向かっても、一小節すら。理論をこねくり回してなんとか短いものを作ってみたが、ひどい出来だった」
    「どんな曲?」
    「忘れた。すぐに破り捨てたし、一日経つと思い出せすらしなかったさ。そういう出来だ」
     そう自嘲し、どんなものだったかと一度思い出そうとしたがやはり欠片も思い出せない。あれももう少し粘っておけば、マシなものになっていたのかもしれないと今更思った。
    「それからはあまり覚えていない。毎日ピアノと五線譜に向かっても一小節も書けない。流行りのものも、自分が本当に書きたくて頭の隅にとどめておいたものでさえ、だ。パトロンはまだ若いのだから焦らなくていいと言うが、現実は甘くない。彼が他の作曲家を評価すればきっとそちらに力を入れだすだろう。分かっていたからオレは本当に……焦っていた」
    「曲が書けないことに、か」
    「ああ。そんな時だ……人魚の歌の話を聞いたのは」
     その噂ってどんな? ラビの問いに答えていいものなのか一瞬迷ったが、意を決して言葉を続ける。
    「人魚の歌を聴けば精神を侵され狂ってしまう。しかし一握りの人間は狂わない。狂うことなく、人生が成功するほどの何かを……得ることが出来る」
     そういった人間は人魚の口づけを受けたと言われるらしい。
     少し上擦った声でリュカが答えると人魚はゆっくりと瞬きをして、それから不意にくすくすと笑い出した。与太話を笑い飛ばす、そんなふうに肩を揺らした。
    「っふ、はははっ、なんだそれ!」
     大笑いをするラビを気まずそうに見つめて、リュカが口を閉ざす。ひいひいと息を切らして、耐えられずにざぶりと海へと飛び込めば飛沫が彼を襲った。潜っていったあたりを見ればくるくると気持ちよさそうに泳ぐ大きな影が見える。
     しかしそれはすぐに浮かんできて、海面から顔を出したラビはまだくつくつと笑っていた。そんな人魚の様子にリュカは頬を真っ赤に染めながら眉を寄せる。
    「そんなに笑うことじゃないだろう。それに噂はオレが言い出したんじゃない」
    「だって、うん、そうだね。ごめん、ふふっ……オレ達の歌を聴いたら人生が成功するだなんて、初めて聞いたよ!」
    「……」
     ようやく落ち着いたのか先ほどまで座っていた岩場に肘をついて、ラビがリュカを見上げる。ひとしきり泳いで濡れた銀髪が月夜に照らされて艶やかに光っている。
     口元は笑っていたが、ラビの青い目は何かを探るようにリュカに向けられていた。
    「でもそんなことをオレ達に期待されても、困るよ。人魚の歌を聴いたヒトがおかしくなるっていうのは当たってるとは思うけどさ」
    「っ……オレは別に人生の成功者になりたいわけじゃないんだ」
    「じゃあ、どうしてリュカは人魚の歌を聴きたいんだい」
     ラビの問いにリュカが目を瞑り、両手を握りしめる。ただ、と小さく呟いて逡巡した。ラビは何も言わずリュカの言葉を待っている。暫くしてカーマインの瞳がゆっくりと開いて、ラビを見据えた。
    「……ただ、前みたいに曲を作りたいだけなんだ。人を狂わせるほどに人魚の歌が魅力的というなら、それを聴けば何か……きっかけのようなものを掴めると思った」 
     それだけだ。そう言って口を閉ざしたリュカを、ラビが見つめる。自らが語った理由に思うところがあるのか目を伏せて思案に耽る若い人間の目元は、どこか熱を持っていてそこからは今にも涙がこぼれそうだった。
     どうして泣きそうなのか、ラビにはあまり理解が出来ない。ただなんとなく親に置いて行かれて哀しげに啼く子イルカのような、そんな雰囲気を彼から感じていた。
     きっと彼にとって音楽を見失ったというのはそれほどまでに心細いものなのだろう。
    「リュカは音楽に心を奪われているんだね」
     ラビから出た返事は、彼にとってごく自然な言葉だった。リュカも小さく頷いて、肯定する。そう、あれに心を奪われてずっと生きてきた。
     今は遠いからこそ、苦しい。半身をもがれて、別のものにすげ替わったような焦燥感と寂しさが長い間居座っている。
     二人の間にしばらく沈黙が落ちた。波の音は止まることを知らない。
     ざん、ざん、と一定のリズムで寄せては引いている。結局、波間に垂らした糸は一度もぴんと張ることはなく、ただ無為に揺れ続けている。
    「…………風が冷たくなってきたね」
     ラビが穏やかに笑い、そろそろ帰らなきゃと告げリュカの頬に触れる。音楽の話が彼を興奮させたのか、そこはひどく熱い。
    「ねえ、リュカ」
    「……なんだ」
    「リュカの音楽をちゃんと聴いてみたいな。楽器は持っているんだろ?」
     オレはあの時耳にしたよとラビが首を傾げる。テントの中にあるとリュカが答えれば、満足そうに頷いた。
    「じゃあ明日にでも。リュカの作った曲でもいい、覚えている誰かの曲でもいいから。代わりにまた魚を持ってきてあげる」
     返事をしないリュカにね、と笑いかける。
     そして答えも聞かずにゆっくりと尾鰭を動かした。
    「おやすみ、リュカ。また明日」
    「……ああ、おやすみ」
     ラビの尾鰭がきらめく。
     そのまま影は海中へと消えていき、波の音と月光のなかに取り残されたリュカはラビが泳いでいった方向をぼんやりと見つめた。
     しばらくそうしていたが、小さく息を吐きリュカはのろのろと立ち上がる。さてどうするか、と考えながらテントに潜っていった。

    (中略)
    「どういうつもりだ!?」
    「沖に行ってみようよ」
     良い天気だし、海風が気持ちいいよとラビが朗らかに笑う。この小舟の主が辿った悲しい末路は彼にとっては些事であるのを察して、リュカは盛大なため息を吐いた。
    「オレはこんな舟、乗ったことがない。オールの扱いなんて……」
    「うん、オレが連れて行ってあげる。リュカ、口を閉じていてくれ」
     にこっとラビが微笑みリュカが止める間もなく海に潜っていく。ラビ、おい、ラビ、とあたりを見渡したがややあって後ろのほうで、ごつ、と音がした。 
     その瞬間、舟が動き出す。
    「う、わ……っ」
     小舟の扱いに慣れた人間でも出せないような速度でそれは海面を滑っていく。ぬるい海風が身体を襲い、必死でふちにしがみつきながら身体をかがめた。
     強い風に目を細めて舳先を見やる。
     入り江からは僅かしか見えなかった大海原と夜空がどこまでも続いているのを目の当たりにして、リュカは思わず言葉を失った。その広さと暗さに圧倒されているうちに、小舟は速度を緩めやがてぷかぷかと波に揺られるだけになる。小舟のそばからぱしゃりとラビが上がってきた。
    「……」
    「ここぐらいでいいかな」
     なんてことはないという顔でラビがリュカを見つめる。
     声も出ないままかがめていた上半身を起こして、リュカは周囲を見渡す。海、空、そして自分の背後。その遙か後方にはあの入り江が、そして遠いところにここに来る前に訪れた港町の灯りが、ぽつぽつと浮かんでいる。 
    「ここ、は……」
    「ちょっとだけ沖合。もう少し遠くもいけるけど、行ってみる?」
    「い、いい……ここで十分だ」
     ラビの言葉に慌てて首を振って、ベンチに腰掛け直す。ゆらゆらと小舟は揺蕩って揺れていたが、ラビが支えているらしく酔うようなひどさではない。しかし月のない夜の海は暗く、自分から徐々に不安が沸き起こるのを感じてリュカはゆっくりと深呼吸をした。
     もし彼が機嫌を損ねて、自分を置き去りにしてしまったら? 海の流れに身を任せるままになるだろう。おおよそ陸に戻れることはない。
    「ら、び……」
    「リュカ?」
     リュカの上擦った声にラビがそちらを見る。指の関節が白くなるほど船べりを握りしめているリュカを見やり、ラビがそっと小舟に寄り添った。
    「ここにいるよ。置き去りになんてしない」
     ラビの変わらない穏やかな声に、少しばかり安堵して指の力が緩む。
    「……すまない……」 
     ほら見て、とラビが夜空を指さす。つられて見上げてみれば雲一つない夜の帷に、数え切れないほどの星々がめいめいの場所で輝いている。
     その中のひとつ、ひときわ輝く星を指してラビが笑う。
    「リュカたちはあれを使って、旅をしているんだろ?」
    「……ああ、ポラリスだ」
     旅人たちのみちしるべを見上げ、頷く。
     リュカもこの旅路であれを目印に進んできた。真っ暗な海の上でもその星ははっきりと見ることが出来て、すごいな、と思わずこぼす。
     きっとあの星は世界のどこにいても、それこそ海の底でないかぎりは見上げることが出来て人々を裏切らないのだ。逆に善人であれ悪人であれ陸にいるものは毎晩あの星に見つめられながら夜を過ごすのだから言ってしまえば、あの星から隠れることもまた、何人たりとも出来ないのだろう。
     しばらく黙ったまま、リュカは天上に輝くポラリスを見上げていた。ラビも何も言わずに、顔をあげているリュカの様子をまじまじと眺めていたがやがてラビ、とリュカが口を開けばなんだい、とラビが静かに返した。

    (中略)

    水しぶきがひとつ、上がる。
    大きく傾いだ小舟の上に影はなく、大きな波紋が消え失せたのちそれは月光を浴びながらゆらゆらと、揺れていた。
    アンダーソン「リュカ!?」
     ゴールデンタイムもそろそろ終盤という頃合いの中、二階から聞こえてきた悲鳴じみた声にリビングのカウンターで作業をしていたラビがぱっと顔をあげたのは、普段弟のように接している朝陽が声の主であるということと、そしてその声が形作った言葉が自分の恋人の名前であったからに他ならない。同じ空間にいたノアも雑誌をめくる指を止め、顔をあげてこちらを見やっては片眉を上げた。
    「朝陽? どうした?」
     躊躇うことなくラビが椅子から立ち上がり、キッチン横の階段から声をかける。ラビさぁんと助けを求める声が返ってきたのでやれやれと二階にあがっていく。それぞれの自室の扉が並ぶ廊下には朝陽と、彼にかろうじて支えられているリュカがいた。どきり、と自分の心臓が軽く跳ねた感覚と共にさっと血の気が引く。
    「も、もうだめ、です」
     あまり力が強い部類ではない朝陽がふるふると身体を震わせ、必死に仲間を支えているのに気づいて慌てて駆け寄る。リュカは大丈夫だ、とぼそぼそ呟いているがどこかぼんやりと虚ろで朝陽が支えていないと今にも倒れそうだった。 
     ラビがリュカの腕をとり、肩を貸せばほ朝陽がほっと息を吐く。
    「朝陽、扉を開けて」
    「は、はいっ」
     ラビの声に朝陽が慌てて扉を開ける。扉の先は恋人の自分ですら数日間立ち入ることの出来なかったリュカの部屋で、一歩足を踏み入れれば彼にしては散らかった室内の様子が目に飛び込んできた。床には五線譜が何枚か横たわっていたし、机上の僅かなスペースに数冊本が積み上げられているのが見える。
    「とりあえずベッドにいこうな、リュカ」
    「……Oui」
     リュカの反応は鈍い。触れている肌はいつもよりなんとなく、熱い気がする。覚束ない足取りのリュカを支えベッドまで歩かせる。ゆっくりとそこに座らせさてどうするかと思案すれば、扉のあたりで心配そうな顔を浮かべている朝陽と目があった。どうやら部屋に入っていいのか躊躇っているらしくいつも下がりがちな眉を更に下げて、あの、とようやく声を出した途端。
    「どうしたんだい」 
     やはり困惑した声が廊下から聞こえてきた。
     リビングからやってきたノアが部屋に入ってきてはっと我に返った朝陽もそれに続く。二人とリュカを交互に見比べて、ラビが口を開こうとするが先に答えたのはリュカだった。
    「……いや、大丈夫だ、問題ない……」
     そうは言うもののいつもは鋭い眼差しを向けることの多いカーマインの双眸はぼんやりとしていて、その目元もほんの僅かに赤らんでいる。微妙に眠たげな声の説得力のなさに、ノアが深いため息をついて、首を振った。
    「問題だよ」


     幸いなことに、リュカは明日はオフだったらしい。そこでI❥Bの聡明なリーダーは半ば強制的にリュカに休養を言い渡した。
     即刻パソコンの電源をオフにし明日は絶対にデスクについてはならないとリュカに命じたのだ。
    「っ……待て、保存をしろ」
    「大丈夫、分かってるよ」 
     ベッドに寝かされながら焦るリュカをなだめつつ、ラビがデスク上のマウスを動かす。モニターに映された作りかけのそれをちらりと見たが、進捗はあまり芳しくはないらしい。保存ボタンを押してシャットダウンする。すぐに目の前の画面は暗くなり、沈黙した。
    「……」
     朝陽が用意した寝間着に着替え、そのまま寝かしつけられたリュカが仏頂面で天井を眺めている。先ほど熱を測ればやはり微熱気味らしく目元も赤らんでいた。倦怠感のせいか、それとも無理矢理休養をとらされたことに拗ねているのかはたまたそのどちらもか。
     無言のままのリュカを窺うようにコバルトブルーの瞳を向けて、ラビがそれじゃあと切り出す。
    「ゆっくり休むんだよ。何か用があればスマホを鳴らしてくれ」
     言い聞かせるような凪いだ声にこくりと頷くのを認めてラビが部屋を出て行く。
     ぱたん、と扉が静かに閉まる音とともに静寂が訪れて、リュカは熱い息を吐き、のろりと目を閉じた。

    (中略)
    La crique embrasse la chansonラビ×リュカ
    小説
    文庫164頁
    800円(BOOTH通販の場合+送料)

    はぐれ人魚のラビさんと絶賛スランプ中の作曲家リュカくん。
    定位置:岩場
    いちゃつき度は少なめ。ほのぼのハートフル異種ふれあい話。
    短編は通常世界線、体調不良のリュカくんと読み聞かせをするラビさんの話
    要素/注意ラビさんが人間より大きな人魚になっています。
    ハッピーエンドではない。二人が死ぬわけではない。
    中世~近世っぽいパロですが時代考証その他諸々がふわっふわ。
    書き手の趣味で構成されている。

    よろしくおねがいします:)
    Tap to full screen .Repost is prohibited
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    Replies from the creator

    krtrmurow

    MAIKINGレオラギで本を書こうと思ったけどなんとなく進まずに放置しているもの。
    ポイピクお試し投稿。
    どういったきっかけで幼いレオナ・キングスカラーがユニーク魔法を発現させたのかは、彼自身与り知らぬ所だった。既に物心ついたときには小間使いの者達からは畏怖を込めた目を向けられていて、それが何故かと理解したのも、その頃だった。
     
     触れた花が、枯れた。
     
     覚えている。今もはっきりと、記憶に焼き付いて離れない。
     指先に触れたストレリチアが花弁のふちから萎れ始め、砂となって崩れていく。窓からの光を受けて、慎ましやかに光る花瓶に活けられていたオレンジの花がみるみるうちに形を失ってついにはその足下に小さな山を作ったのを緑の目でじっと、見つめていた。たまたた通りがかった小間使いの女が小さく悲鳴を上げるのをどこか遠い事だと感じながら、幼いレオナは無表情で花だったものを見下ろす。
     すぐに片付けます。女が震える声で箒やらを持ってこようとぱたぱたと走り去るのにも応えずに、ただただじっと、何が起きたのか自分でも理解出来ないというような顔で立ち竦んでいた。
     それが最初の自覚だった。女が戻ってくるのを待たずにふらふらと自室に戻って今起きた事を考えて、ああだからなのかと納得して、それからレオナは今にも泣 3945

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