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    krtrmurow

    二次創作でおはなしをかいています。

    @krtrmurow

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    krtrmurow

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    2022年6月12日東京流通センター(TRC)【ラブアップ★チュウ16】
    にて頒布予定のイノブレIB本の一話サンプルです。こういうノリで書いてます。

    文庫300-350p予定/全年齢/1000円

    またpixivでサンプルあげますのでよろしくおねがいします~!

    【新刊アンケート用サンプル】イノブレIB本 風の見えざる手が金色の穂を撫でているのを眺めながら、歌を口ずさむ。それは今度の礼拝で歌う賛美歌だった。今朝がた、街の神父がこの敬虔な少年へ今回は君に聖歌隊のリーダーを任せましょうと告げたので、少年は幸せな気持ちで親友に
    「ねえ、オレの歌を聴いてほしいな。今度の礼拝に来てよ! めいいっぱい練習するから!」
     そう願ったのだった。物心のついた頃からの親友はまるで自分のことのように嬉しそうに笑い、星空のように青い目をきらきらとさせ、赤く染まった柔らかな頬を緩ませて頷くのだ。
     当たり前だろ、早起きは苦手だけどその日は絶対に礼拝に行くから。約束してくれたことを覚えている。その時の喜びと、胸の高ぶり、それから少しの気恥ずかしさも、忘れられない。
     小さな町と、毎年決まった頃に金色に輝くあの麦畑だけが少年達の世界だった。
     おとな達は時折難しい顔をしあって、自分達には分からない話をしていた。
     しかしそれがどこの話で、何故そんなにも難しい顔をしなければならないかなど無垢な彼らにはわかりっこなかったのだ。
    「約束だよ、××」
     
     ――駄目だ。赤い翼が。
     
     少年の目の前、親友が微笑んでいる。その背後から燃えるように赤い翼が現れて彼を包んだ。それは人の手にも似ていて、少年から彼を奪うか、守るように熱風と炎を迸らせている。その勢いに思わず目を瞑れば耳元でごうごうと風が鳴くのに恐ろしくなって、必死に親友の名前を呼ぶ。
     ×××、×××、行かないで。
     喉が嗄れるのも気にせずに叫ぶがそれも炎に飲み込まれた。
     やがて炎も風も去れば、しん、と静寂が落ちてくる。ゆっくりと目を開けばそこは焼け野原と化して、あれほど黄金色に輝いていた麦畑も、振り向けばある筈の村も、家族も、神父も、礼拝堂も。
    「×××?」

     
     業火を纏った翼に包まれた親友も、もうどこにもいなかった。
     いつもの夢だった。毎日ではないけれど、時折見る夢。
     故郷の夢。幼馴染みの夢。
     もう帰ることも出来ない、その場所。

     ひゅ、と空気が喉を通る。曖昧な輪郭を得た目にうつるのは見慣れた天井で、濡れて歪んだ視界を閉じてまた開く。深く息を整え窓の外を見やれば、まだ夜の帷も深く静寂を保っている。ここは戦火の気配も、飢えの喘ぎも存在しないが夢ははっきりと幼い日の記憶を思い起こさせる。別れもなく去って行った親友、直後の戦火、無垢な日々からの追放。
     やるせなさに寝返りを打つ。衣擦れの音に目を瞑り身体を縮こまらせた。暖かな布団に包まれる感覚にうつらうつらと微睡み始めた。明日は大事な日だ。
     この孤児院に身を寄せて数年が経つ。礼拝堂で祈り、勉学と手伝いに勤しむ日々が終わりを迎えたのは丁度半年前のことだった。あるきっかけで使徒適性が判明し、『教会』本部から神学校の推薦状が届いたのだ。
    「君には人々を救える力がある。この孤児院にも名誉なことになるだろう」
     推薦状を届けに来た『教会』の人間の言葉は少年の天秤に、数年間身を寄せた孤児院をかけた。孤児がひとり立ちすることは幸いなことであり、そしてそれがこと『教会』の使徒を輩出したとなれば施設にとっての格にも箔がつく。そうなれば、『教会』からの支援も取り付けやすい。そう暗に告げていた。頷かない選択肢が無い。
    『教会』本部と神学校が存在する聖都は国の中央から少し離れた地にあるという。この孤児院がある村からは馬車で二日ほどだ。いよいよ、明日が出発だった。
    (……使徒は無辜の人々を悪魔やその信奉者から守る。危険な任務だとあの人は言っていた。でも、オレの力が誰かを守れるならば、あの日のようなことを防げるのなら、オレは行かないといけない)
     沈み行く意識の中で考える。
     行き先に何があろうとも、もうあの日ほど恐ろしいことはきっと無いのだ。

    「シスター、お元気で」
    「ええ、ええ、××……貴方も身体を大事にね、皆であなたの幸せを祈っているわ」
     ここに来た時よりも少し小さく、皺の増えたシスターの手を握る。面倒を見てきた幼い孤児たち一人一人を抱きしめて、別れを告げた。
     少ない荷物を持ち、待っている馬車へと歩いて行く。ふと思い立ち、振り向けば孤児院の人々は少年に向けて手を振っていた。きっとこれが別れなのだ。少年は悟り、目を細める。
    「さようなら」
     小さく呟く。トランクを一つ預けて、馬車に乗り込んだ。そこには先客がいて、リラ色の長い髪を落ち着かない様子で弄っている。
    「あ……」
     はたと琥珀色の目と視線があったがすぐに逸らされると同時、すぐに我に返り長椅子に腰掛ける。馬が歩き出し馬車が揺れる。ちらりと窓を見たが、孤児院は既に遙か後ろだろう。ごとごとと動き出す馬車には御者と先客の彼しかいないらしい。
    「えっと、はじめまして……?」
    「っ……」
     俯いている少年に声をかけてみれば、びくりと大げさに肩を震わせこちらを見てきた。だがやはり目を伏せる彼に何か失礼な態度をとってしまっただろうかと不安になりつつ首を傾げる。
    「あの、オレは……何かしたかな」
    「えっ、あ、ち、ちが……ちがう、です……!」
     たまらずに問えば大きく首を横に振る。ではどうしてだろうか、と困惑し眉を下げればうう、と髪を撫でつけていた手を膝の上で握りしめた。
    「お、オレと目を合わせちゃ……だめ……」
    「……どうして? 理由を教えてくれな」
    「駄目なんです!」
     泣きそうな声で遮られ、口を閉ざす。それきり沈黙が馬車の中を支配して、いたたまれず窓の外に視線を向けた。褪せた夏の風がプラチナブランドを揺らすのを感じながら思案する。
     向かいに座る少年の事も気になるがこれから自分が向かう聖都と神学校については一番気になる所だ。『教会』自体は一通り知っているし、故郷では少年聖歌隊の一員だった。身を寄せた孤児院も『教会』が運営しているものだし、今から向かう聖都には教皇と呼ばれる指導者がいることも知っている。
    (使徒――……)
     使徒。悪魔と戦う者。人間を惑わし堕落させ、時に命を奪い、その屍すらも操る存在から人々を守る者。孤児院の本棚には蜥蜴のような姿の悪魔に槍を突き立て殺した最古の使徒を描いた英雄譚があった。
     使徒は尋常ならざる身体能力に加えて、それぞれに特別な力を神から授かり生まれるという。自分に推薦状を届けに来た男も使徒の一人であった。大きな岩を風の力で真っ二つにする様を見せられた時はひどく驚いたものだ。
     彼曰く、自分には強い加護の力があるという。使徒の力が顕現した時、少年は年少の孤児と遊んでいた。積んであった木箱が風に煽られて崩れてきたのでとっさに庇ったのだ。本来ならば二人とも木箱の下敷きになっていただろう、しかしそれは二人の傍に落ちて砕けたのだった。
     その時自分達の周りに何かきらきらとした透明な膜か、壁のようなものがうっすらと見えたのを覚えている。大きな音に血相を変えてやってきた大人に事情を話せば、更に顔を青ざめさせたシスターは、村の鳩小屋に駆け込んでいったのだった。
     そして、今に至る。
     向かいの彼も、使徒候補なのだろうか。気付かれぬようちらりと彼を見る。彼も反対側の窓から外をぼんやりと眺めていた。すぐに視線を戻し、小さく息を吐く。話を聞いてみたいが先ほどの様子ではまともに言葉を交わすことも難しいだろう。肩からかけていた鞄から本を出して、開く。好きな本を餞別代わりにひとつとシスターに許しをもらい持ってきたものだ。とある王と円卓の騎士の活躍が綴られた物語で、小さな頃から慣れ親しんでいたものだった。
     二人の若者を乗せて馬車は道を進む。
     馬車のひっそりとした空気と裏腹に、外はのどかだった。

     夜は善き者の時間ではない。獣や野盗、そして悪魔。よほどの急ぎでなければ日が落ちる頃に馬を止め、安全な場所で一夜を明かす。近くに街や宿、教会がなければ火をおこして野宿をするのが常であった。
     少年二人を乗せた馬車も例に漏れず日が暮れた頃に街に入った。教会に立ち寄れば巡礼者用の宿舎に通されたが自分達以外に宿泊者はいないらしく、一人一部屋をあてがわれた。
     黒パンをちぎり、塩で味付けした野菜スープに浸す。温かい食事に安堵を覚えながら同乗者との会話もなく、黙々と腹を満たしていく。そうして手短な食事を終えた後、リラ色の髪をした少年はぺこりと軽くお辞儀をしてそそくさと隣部屋に戻ってしまった。夜なので外を出歩くことも出来ずに自分も部屋に戻るしかない。本を読むにも蝋燭をむやみに使うのは憚られて、大人しく寝具に入った。
     ぼんやりと天井を眺める。あの見慣れた古い天井と似て非なるものだった。孤児院から数年ぶりに出た故か、どこかそわそわと落ち着かない気分になる。
     彼も、同じ気持ちだったのだろうか。ふとそんな考えがよぎる。今はどこにいるだろう、あの後戦渦に巻き込まれたりはしないだろうか、病に伏していないだろうか。
     そもそもどうして自分に別れも告げず、忽然と村を出てしまったのだろうか。
    (――……使徒になれば、いつかどこかで会えるかな)
     この広大な国を使徒として、人々を守りながら駆け巡れば、もしかすると。
     そうであればと目を瞑る。そうなったならば。何を話せばいいのだろうか。そんな事を考えているうちに、意識は落ちていった。

     朝の冷え込みに秋の気配を感じながら礼拝堂の扉を開く。静謐な空気に包まれた室内に足を踏み入れ、見渡す。
     石造りの小さな礼拝堂の中には古い長椅子がずらりと並んでおり、奥には十字架がかかっている。窓が朝の光を取り込んで、眠たげな輪郭を浮かばせていた。
    「天にましますわれらの父よ」
     ロザリオを手に十字をきり、囁くように祈りを口にする。幼い頃からずっと唱えてきたその言葉に淀みはない。
     まことに、かくあれかしと結び、瞑目した。
     そして微かに開いた唇から聖歌が、礼拝堂に響く。楽隊も、共に歌う子ども達も、それを聴く人々もいない。しかしそれも些事であると思わせるような、力強くも透き通った歌声だった。
     故郷で聖歌隊に入った時から、孤児院に身を置いていた時も、そして今も聖歌は彼の拠り所であった。リフレインを数度繰り返していくうちに、自分の中で燻っていた不安も軽くなっていくのを感じる。
    「きみは われのまぼろし いかなることありとも――」
     背後に気配を感じ、歌を止めて振り向く。あっ、と小さく驚いた声が聞こえ、人影が扉の影で揺れた。
    「……きみ、どうしたの」
    「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!」
     あのリラ色の髪の、少年の声だった。やはり怯えた様子で謝罪を繰り返している。何故そこまで怯えているのか不思議で、首を傾げた。
    「怒ってなんていないよ。君がどうしてそんなにも謝るのかは不思議だけど」
    「っ、う、歌を……止めてしまいました、オレ……ここから綺麗な歌が聞こえてきたから……天使様がいるのかもって、気になって……」
    「天使様?」
     オレが? と大きく瞬きをした後、思わず笑ってしまった。くつくつと笑う少年の様子に、リラ色の髪の少年はそっと、扉の影から顔を出した。
    「天使様じゃなくて、オレは人間だよ。君と同じだと思うのだけど」
    「……っ、すみません……」
     ひどく落ち込んだ様子で謝り、踵を返そうとする彼に待ってよ、と呼びかける。おいで、話をしようと手招きをすれば、でも、と少年は躊躇いを見せた。
    「目を合わせなければ……話してくれるかい?」
     少年の問いに、は、と息を飲む音がした。それからややあってこくり、と頷いて一歩、長い髪を揺らしながら礼拝堂に足を踏み入れる。その姿に、ほっと息を吐く。
    「昨日はすまなかった、気に障ったよね」
    「いえ……こちらこそ、失礼でした……」
     礼拝堂の長椅子に隣り合って腰掛ける。リラ色の髪の少年は、相変わらず俯きがちでおどおどとした様子だった。
    「……聖都まである意味一人旅だと思っていたから、正直ほっとしたんだ」 
    「お、オレも……少しだけ……でもオレは人と目を合わせてはいけないから……うまく話せない、です」
     膝の上の指がきゅ、と丸められる。彼の横顔をちらりと見て、暫く思案した後切り出す。
    「理由を聞いてもいいかい」
    「…………使徒さまが、オレの目には……天使が宿っているって……だから人を惑わしてしまう……オレも、オレの目の力は知っていて、だから……」
     徐々にその声色が涙を含んだものに変わっていくのを感じ取って、大丈夫だよ、と声を掛ける。びくりと肩が跳ねて、案の定黙ってしまった少年の肩にそっと手を置いた。
    「ああ、それなら君のほうが天使さまじゃないか。あの時ちょっとだけ目があったけど、とても綺麗な色をしていたね」
    「……」
    「でもオレには何も起こらなかったよ?」
     確かにあの時、この少年のつり目がちな琥珀色の双眸としっかり目があった筈だ。たしかに綺麗で一瞬見とれてしまったが、彼が言うような惑うといったことは無かったように思える。
    「あ……たしかに、です」
    「それなら、オレはきっと大丈夫だよ。根拠は無いけれどそう思うんだ」
     ね、と微笑めば少年がおずおずと顔を上げる。ちらりとこちらを見て、すぐに視線を切ったがその頬は僅かに赤らんでいた。
    「そう、でしょうか……」
    「うん、君の瞳に天使様が宿っているならばきっとオレを害さないよ。オレには強い加護の力があるって使徒さまが仰っていたから。天使さまが仲間に害をなす筈がないじゃないか」
     加護の力、と少年が呟く。それがどういった力なのかは分からないが、このプラチナブロンドの髪を持つ少年の言葉は、そうであるのだという確信を持てる響きを孕んでいた。魔眼と呼ばれ畏れられる己の瞳を怖がらないと言ってのける隣の少年から感じるのは、畏れでも嘲りでもない、純粋な友愛の情であった。
    「……はい」
     少年が肯定すれば長く艶やかなリラ色の髪がゆるりと揺れた。僅かに安堵した少年の顔を見て、うん、と頷く。
     それからふと気がついて首を傾げた。
    「そういえば……君は秘匿名を貰った? オレはまだ貰っていないから、名乗れないのだけど」
     そう問いかければ少年は無言で首を振る。使徒となる者は生を受けた時に親から与えられた名前を捨てなければならない。何故ならば身体のみならずその魂をも主たるものに捧げるのが使徒であるからだと、少年は伝え聞いていた。
     父も母も、故郷も失った孤児達にとって今まで名乗ってきた名前だけが、自分が何者であるのかを示す最後の拠り所であった。無論、名を忘れてしまったものや名付けられないまま孤児となったものもいる。そういった子どもも、孤児院ではシスターや神父に名を与えられるのだ。アダン、ドナ、ララ、オリアンヌ。そういったどこにでもあるような名前だがどちらにせよ、それは肉親や家財の一切を失った子ども達にとっては謂わば最後の持ち物である。
     それを捨てれば、秘匿名と呼ばれるものが使徒には与えられる。任務だけではなく神学校や私生活においてもそれを名乗り、それで呼びかける。少年も使徒になる決意をし、孤児院を出た瞬間から自らの名前を手放した。
     否、まだ真に手放したとは言えないかもしれない。
     ただ名乗らなくなったし、そう呼んでくれていた人々と別れただけなのだ。 
    「オレに推薦状を届けにきてくれた人から聞きました。神学校で教皇さまからいただくのだって」
    「教皇さまか……どんなお方なのだろう」
    「まさしく神のようなお方だそうです……そんな人に会うなんて、想像できません」
    「それを聞くとなんだか緊張してしまいそうだ」
     ふふ、と少年が肩を揺らす。本当に緊張しているのだろうかと眉を下げて、彼を見つめた。飴色の瞳が穏やかに細められ、奥の十字架を眺めている。
    「早く君の名前を呼びたいな」
    「……オレも、です」
     肯定してはにかむ少年に頷けば、朝食の時間を告げる鐘の音が耳に届く。行こうか、と少年が席を立ち、もう一人の少年に手を差し伸べた。
     
     その日もずっと馬車に揺られた昨日と違ったことは馬車の先客である彼と話すようになったことだ。隣り合って、今までやこれからのことを語り合う。彼もやはり戦火によって、親と家を亡くしたらしい。
    「なるほど、君は北部地域の生まれなんだね」 
    「はい……といっても住んでいたのは五年ほど前で……」
    「そう……」
     どこにいっても戦禍と疫病の残滓がちらつく。世界中のどこを探しても、安寧の地なんてものは存在しないような気すら起きてくる。
    「オレは東部地域の生まれだ。君と同じで村は戦争で焼かれてしまったけど」
    「『教会』のおかげで国も安定しはじめていると聞きました」
    「このまま、平和になればいいんだけどね」
     それが遠い話であることを自覚しながら、少年がため息を吐く。ふと窓の外を見ればそろそろ日が傾きかけていた。しかし街に着きそうな気配もなく、今夜はどうするのだろうかと御者の方を窺うものの、馬は道を進むばかりだ。しかし、暫くすると目の前に森が広がっていることに気がついた。
    「森に入るのか……」
    「あ、本当ですね」
     木々の間の道を馬車が突き進む。まだ太陽が沈みきっていないというのに、そこはひっそりと薄暗い。薄気味悪さを感じて、二人はごくりと喉を鳴らした。
    「……なにか出そうですね……」
     弱々しい少年の声に、ゆるりと首を振る。何かの拍子に鴉がギャアギャアと鳴き喚いて飛び立つのが窓から見えた。馬車の中で不安がる二人をよそに、馬車はペースを落とさずに進んでいく。
     森に入ってから随分長い間馬車に揺られていた気がする。薄暗さと旅の疲れに少年達がうつらうつらとしていたのを起こすように、馬が嘶いた。その声に跳ね起き、御者の方を見る。
    「あ……」
     丁度森を抜けた所だった。すっかり夜になっていたが道の向こうに街明かりが見える。少年の故郷や孤児院のあった村よりずっと大きな、都市だ。白い城壁が闇夜に浮かび上がっている。
    「君、起きて。着いたみたいだよ」
    「んん……」
     隣ですうすうと眠りこけていた少年の肩を揺らせば寝ぼけた声が返ってきた。目を擦りながら外を見れば、わあ、と声を上げる。
    「……大きな街……」
    「あそこから入るのかな」
     白く大きな門が眼前に迫り、馬の歩みが止まる。御者が衛兵と言葉を交わしているが、何を話しているのかこちらからは聞き取れなかった。暫くして門が開き、馬車が再び動き出す。
    「すごい……」
     門の中の街は見たこともないほど栄えていた。孤児院のあった街でさえ夜になればひっそりとして、僅かなかがり火しかないというのに、この都市は夜でも往来に明かりが灯り、まばらながらも人が出歩いている。そこかしこに巡礼者用の宿や店が建ち並んで、どれも賑わっているようだった。建物の造りは古いが、戦で焼けた跡は見て取れない。出歩く人々は皆、穏やかな顔ですれ違う隣人と挨拶を交わしている。
    「ここが聖都……」
    「はい……平和そのものみたいです」
     馬車の窓から町並みを食い入るように眺める。通りがかる馬車に十字を切る人もいて、何もかもが新鮮な光景だ。馬車は聖都の中央地区に向かっているらしく、しばらく揺られていると前方に大きな建物が見えた。大聖堂と呼んでも差し支えないだろう白く巨大な建造物が、この都市の中枢を担う場所であるということは容易に想像出来る。昼には人々を迎え入れる為に開け放たれているであろう門の前で馬車は止まった。 
    「ご苦労」
     衛兵と共に門の前に立っていたのは一人の神父だ。緋色の混じった、ブラウンの瞳がこちらをまじまじと眺めている。
    「降りてきなさい。ここが君たちの、これからの家となる地だ」
     神父の抑揚のない声に促され、馬車から降りる。御者にトランクを手渡されて一歩踏み出せば同乗者のおずおずと降りてきて、トランクを受け取った。
    「よろしくお願いします、神父さま」
    「よ、よろしくお願いします……」
    「キザキだ。使徒候補である君たちを出迎える任を教皇より仰せつかっている。こちらに来なさい、今日はもう遅い。教皇から秘匿名を賜る儀は明日に執り行う」
     踵を返し歩き出したキザキ神父の後に続く。大聖堂の敷地内は通ってきた街よりずっと静謐だった。門をくぐって真っ直ぐの大聖堂ではなく、逸れた道を進んでいく。修道服を着た人々が夜の礼拝に向かうらしく、ぞろぞろと歩いて行くのを横目に奥へと進めば、煉瓦造りの建物が見えた。どうやらここが自分達の寝床となる寄宿舎らしい。その中のひとつをキザキ神父が指差す。窓からほのかに明かりが漏れている。あれが君たちの寄宿舎だと、神父が告げた。 
    「寄宿舎には一人に一部屋、私室があてがわれる。君たちを含めて新人五人が住むことになっている。私室の鍵は談話室だ。無くさぬように」
    「あの、では他の三人は……」
    「既に到着している。君たちが最後だ。では、私はこれで」
    「……おやすみなさい」
     立ち去る神父の背を見送り、そしてこれまでの道のりを共にした少年と顔を見合わせる。行こうか、と促せば小さく頷いて、示された寄宿舎へと向かった。
     木の扉をノックし、そっと開ける。
    「ごめんください?」
    「はーい、どちらさま?」
     暢気な声と共に出てきたのは、おそらく同年代であろう少年だった。アプリコットの髪の前の部分だけが濃い。ベイビーブルーの瞳がぱちくりと瞬きをし、こちらを興味深そうに見つめている。
    「今日からここに入ることになった使徒候補です。よろしく」
    「……あの、よろしく、です」
     二人の挨拶にああ! と少年が声をあげた。
     そして少し驚いたような顔で二人をまじまじと眺め、そしてリラ色の髪の少年に視線を向ける。
    「あんた達が最後の二人ってこと? よろしく! つーか、女の子がいるって聞いてなかったぜ!」
    「え」
     少年の言葉に戸惑いの声を漏らすが、彼は構わず恭しくその手を取る。少々気取った調子でようこそ、と一礼をする少年に琥珀色の瞳を泳がせて、しかし視線を合わせられないまま口をぱくぱくとさせた。
    「あ、あの、えっと、ちが」
    「どこから来たの? この寮、君以外は男だけど心配しないでくれよな、俺がしっかりエスコートするから!」
    「……いや、あの」
    「あのさ、馬鹿みたいに厳しい教会が野郎四人の寮に女の子を一人放り込むと本気で思うか?」
     はしゃぐ少年の背後から呆れた声がした。のそりと顔を出してきたのは背の高い青年だ。冷たい月のような長い銀髪に、深い青の瞳がじろりとルームメイトを見ている。 
    「え、どう見ても女の子じゃん」
    「お、オレは男です」
    「……うそ」
    「……おとこ、です」
    「気持ちは分かるよ」
    「あーあ、新入りにさっそく失礼したな、お前」
     くつくつと笑う青年がうなだれるルームメイトの肩をぽんと叩く。それから新しく訪ねてきた二人を交互に見た。
    「ようこそ、えーっと、名前は明日だよな。ま、一晩ぐらいはいいだろ……さ、入ってくれ」
     落ち着きのある低い声に促されて、中に入る。入ってすぐの談話室には暖炉があり火が熾されていた。どうやら二人はそこで寛いでいたらしい。もう一人居るはずだが、ここには居ないようだった。
    「はい、鍵。私室は全部二階にあって、右側奥と左側の真ん中が空いてる。外出の時は担当の神父かシスターに預けるように、だそうだ」
    「わかった。どうする?」 
    「あ、オレはどちらでも……」
    「じゃあ一番奥にしようかな」
    「それならオレは真ん中ですね……」
     差し出された鍵をそれぞれ受け取れば、先ほどまでうなだれていた少年が気を取り直したのか、口を開いた。
    「なあ、紅茶飲む? 疲れてるだろ?」
    「いいのかい?」
     聞けば勿論、と人懐っこく笑って棚を漁りだした。
    「あいつが茶を淹れている間に荷物を置いてきなよ。飲みながら家のことを教えるから……と言っても、俺たちも今日の昼からここに入ったばかりなんだけどな。一通りは把握してるつもりだ」
     ほら、行っておいでと促されてトランクを手に二階にあがる。
     薄暗い廊下に左三つ、右二つと扉が並んでいた。右側の奥の部屋に進み、扉を開ける。部屋の中にはベッドとクローゼット、窓の傍にはデスクがあった。備え付けられた小さな本棚はまだ空だ。
     部屋の隅には小さな洗面台があり、必要最低限なものは揃っている。
     落ち着いた頃に街で必要なものを買いそろえようと決意しながらトランクと鞄を置いて、一階に戻ろうと部屋を出る。
     ぱたん、と向かいの扉が閉まる音におや、と驚いて一瞬動きを止めたが、廊下は静まりかえったままだ。もしかするともう一人の新人なのだろかと思案しながら階段を降りていく。談話室のテーブルに、ティーカップとポットが置かれていた。
     紅茶を飲みながら寄宿舎の間取りを聞く。『教会』のものだからか孤児院の寮の間取りと似たようなところもあったが、住んでいた寮よりもずっと設備が整っている。あそこもこれくらいに色々あればと考えながら、そうそう、と切り出した。
    「もう一人いるって、聞いたけれど」
    「ああ……」
     銀髪の青年が少し眉を寄せ、思案する素振りに首を傾げる。それからゆっくりと頷いて、肯定した。
    「いるよ、君の向かいの部屋。でもちょっと……ワケありらしくてさ。多分明日には会えると思うけど」
    「ぶっちゃけ、ここにいるって事は全員ワケありだけどな」
     悪戯っぽく笑う少年に確かに、と青年が頷く。
     まあ気を悪くしないでやってくれと付け足して、さて、と銀髪の少年が立ち上がる。
    「じゃあ俺は寝ようかな。明日も早いし。ああ、そうだ。明日は支度してから部屋で待っているように、だってさ。迎えが来るらしいよ」
     それじゃあ、と二階にあがっていく青年におやすみと告げる。暫く三人で明日のことについて話し合った。
    「明日が待ち遠しいよなあ、やっと秘匿名ってやつを貰えるんだろ?」
    「今のままだと少し不便ですからね……」
    「そうそう、どんな名前を貰えるんだろうな! 俺かっこいいのがいい!」
    「例えば?」
    「うーん、アーサーとか、ガウェインとか」
    「あはは、円卓の騎士だね」
     聞き覚えのある名前の由来を言い当てれば照れくさそうに笑う。すると黙っていた少年がそういえば、と切り出した。
    「さっきのお兄さんとあなたは知り合いなんですか?」
    「うーん、知り合いっていうか……ちゃんと話したのは今日が初めて。でも俺が聖都の孤児院に入ってた頃にちょっとね。あいつともう一人の奴とはちょっとした顔見知りっつーか、あ、ちなみにここの五人は全員同い年だってキザキ神父が言ってたぜ」
    「え、彼も?」
    「見えないだろ?」
     にやりと笑うのに、頷く。ボン、ボン、と時計が時を告げたのに、ふわ、と欠伸をすればティーポットを持って立ち上がった。
    「そろそろ寝るかあ。俺も寝坊したくないしな」
    「そうだね、とてもおいしかったよ。ありがとう」
    「おいしかったです」
     おやすみを言い合って部屋に戻る。肌着に着替えてからベッドに潜った。布団は厚く、ふかふかとしている。目を瞑れば二日ほどの旅で溜まった疲れがどっとのしかかってきた。ゆっくりと意識が落ちていく感覚に身を委ねる。
     
     雄鶏のけたたましい鳴き声で意識が浮かび上がり、その後鳴り響いた鐘の音ではっきりと目覚めた。一瞬、ここはどこだろうと考えてしまったがすぐに、そうだ、自分は使徒になる為に聖都に入ったのだと思い出す。
     支度をし、服に着替える。窓を開ければ朝のひんやりとした空気が、部屋に流れ込んできた。 
    「大聖堂に行ってみたいけど……」
     銀髪の青年が夜に行っていた言葉を思い返して、諦める。椅子に座り、ロザリオを取り出して小さく祈りの言葉を口にする。
     朝の祈りを軽く済ませた後、キッチンから持ってきた小さなライ麦パンを食べていれば扉の外で小さなノック音が聞こえてきた。自室の扉ではない、四人のうちの誰かが呼び出されたのだろう。

     呼び出されたのは最初の音を聞いてから随分あとのことだった。あれから三回、別の扉が叩かれたのを聞いたので、おそらく自分が最後なのだろう。
     こつこつこつ、そんな音を聞いて扉を開けばそこには昨日、自分達を迎え入れた神父が立っていた。相変わらず無表情で、こちらを見ている。
    「君が最後だ。準備は出来ているか」
    「はい」
    「ではついてきなさい。口を閉ざし、教皇に問われた時にだけ、言葉を発するように」
     こくりと頷けば、よし、とキザキ神父が頷く。寄宿舎を出て、道を行く。朝の早い時間だからか自分達以外に出歩いている者はいない。暫く歩けば建物が見えた。
    「ここが君たちが今日から通う学び舎だ。任務以外は授業を受け、鍛錬をする」
     キザキ神父が語りながら、学び舎の傍に建つ聖堂へと向かう。ここに来た時に見た大聖堂よりは小さなものだったが、白く汚れのない壁は朝日に輝いて、どこか神々しい。
    「教皇ミカエルはヴェールの向こうにいらっしゃる。教皇の言葉は主の言葉に最も近しい。心して耳を傾け、誠実に応えるように。さあ、入りなさい」
     扉が開かれ、促される。息を飲んで一歩、足を踏み入れれば肌がぴり、とひりついた。
     聖堂の中も白く、柔らかな光を孕んでいた。天井に描かれたフレスコ画、柱と共に佇む彫刻は美しい。小さいながらも厳かで、それでいて訪れた者に寄り添うような聖域、そんな場所だ。奥には薄く白いヴェールが幾重にもかかっていた。その向こう側に誰かが座している気配がして、少年はそっと眼を細める。
    「――来たね。こちらにおいで」
     ヴェールの奥から呼びかけられる。不思議な響きを持つ声だ。若く、穏やかで、優しく、しかしどこか恐ろしいような、端的に言うならば熱を感じられないような声。
    「……」
     しかし少年にとってそんな印象は些事でしかなかった。ヴェール越しとはいえ、その向こう側の存在は主と仰ぎ見たるものに等しいと呼ばれる、教皇だ。
    「ああ、おそれているのかい」
    「っ……いえ、あの……すみません……」
     少年の心を見抜いたか、くすくすと笑う声がしたのに少年の頬が赤らむ。すぐに、と歩み寄り、ヴェールの前で跪き、頭を垂れる。
    「顔を見せてくれるかな」
     命じられ、おずおずと顔をあげれば何かと目が合う感覚がした。その瞬間、背筋が凍るような心地がして少年は目を見開く。
     頭に強い痛みが走り、息苦しさが襲ってくる。身体から力が抜けるのを感じたがヴェールの向こうの存在から目を逸らすことが出来ない。
     徐々に意識が遠のいていくのを感じながら、息苦しさに喘ぐ。
    (なんだ、これは……!?)
    「……なんということだろう」
     遠くで教皇の声が聞こえる。それは驚いたような言葉だったが、しかしやはり熱は感じられない。
    「オレは選んだ。そして長い時ののち、君がここに来た。これはどういうことなのだろうね」
     問いかけられるも、答える事が出来ない。ヴェールと自分の間に沈黙が降りる。自らの荒い息づかいだけがうるさい。
    「オレは、また選ばなければならないのかもしれない」
    「どう……いう……」
    「サンダルフォン」
     君の名前だ。名を与えられた瞬間、今までよりずっと強い、割れるような痛みが襲ってくる。たまらず蹲り、声を漏らせば視界がぼやけていく。薄れる意識の中でもう一度、ヴェールの向こう側を見ようと顔をあげた。
    「……あなたは、っ……」
     身体の中で嵐のような痛みが走っているのに、ヴェールの周囲は凪いだように穏やかだ。まるで目の前の少年の苦痛など存在しないかのようだった。
     霞む視界の中、あの薄い布が揺れて誰かが現れるのを認める。
     しかし、そのまま。
    「おや、どうしたんだい」
    「……この者を医務室へと」
     ヴェールの中から現れたのは白い儀仗服を纏った少年だった。
     ぐったりと倒れて気を失っている少年を青い目で見下ろしているが、その表情は彼を心配するものではなく、ただ無感情だ。
    「ふふ、優しいんだね。もしかして……彼と知り合いなのかな」
    「いいえ」
    「ならいいんだけど。それならば君にお願いしよう、でもすぐに戻ってきてね」
     メタトロン、命じる声に一礼し、少年を抱き上げる。
     白いマントを翻し聖堂から立ち去るのをヴェールの向こう側、金色の瞳で興味深げに眺めながら教皇ミカエルは口元に、す、と笑みを形作った。
    「運命なのかな? ……いや、それとも、君のしわざ?」
     ぽつりと零す言葉に応える者は誰もいない。

     誰かに起こされたような気がして、意識が浮上する。
     押さえつけられているような重さを感じたが、すぐに軽くなった。目を開けば、見知らぬ天井が見える。
    「おや、起きましたね」
    「……ここは」
     医務室ですよ、と傍で腰掛けた老シスターが微笑む。上体を起こすと確かに自分はベッドに寝かされていて、周囲には空のベッドが並んでいた。
    「メタトロンさまがあなたを運んでくださったのよ。教皇様との謁見中に倒れたそうね」
    「……メタトロンさま?」
    「ええ、ええ、あなた達、使徒の最高序列にして教皇の側近であらせられるお方よ」
     尊くもお優しい方、とありがたそうに微笑みシスターを、サンダルフォンはぼんやりと見つめる。
    「あなたは今日から入学する使徒さんね、キザキ神父がいらっしゃって、身体が大丈夫であればこれに着替えるようにと言っていたわ。それに着替えたら別棟の二階、アイリスの紋章の扉を持つ部屋に来るようにと言付け、しっかり伝えましたからね。ああ、肝心の身体はどうかしら」
    「…………」
     意識を失う前、ひどい頭痛がしたことを覚えている。しかし記憶が曖昧で、教皇に『サンダルフォン』という名前を賜ったことははっきりと覚えているのだが、教皇が何を語ったのか思い出せない。しかし頭痛も今は消え失せて、寧ろすっきりとしていた。 
    「大丈夫です。ありがとう、シスター」
    「それなら善かったわ。これからきっと大変だろうけど、しっかりね、坊や」
     そう微笑み立ち去ったシスターに礼を言って、サイドテーブルに置かれた衣服を見やる。制服であろう一式と、ブラウンのネクタイ。そして壁にかかっているのは同じく白を基調として、青いラインがあしらわれた隊服だった。胸にはアイリスの紋章が縫い付けられている。
     一つ息を吐き、ベッドから降りる。どこか腑に落ちない心地のまま、それを手に取り着替え始めた。

     学び舎の廊下を二つの影が歩いている。
     一つは神父のもので、もうひとつは修道女のものだった。その影は迷いなくある一室を目指している。
    「やっとこの日が来たわね! ここ数日なんて楽しみすぎて、深夜の鐘が鳴る頃ぐらいにしか眠れなかったのよぉ。だからお肌の調子が心配なんだけど、どうかしら?」
    「……ゆっくりお休みになられてなりよりです。俺が見る限りではあなたの肌はいつも通りですよ」
     表情を変えずに慇懃無礼な返答をするキザキ神父にも気にせず、軽やかな足取りで修道女は歩いて行く。
     こつこつと鳴るヒールの音には迷いがない。
    「私の担当する新人クン、五人も居るんでしょ? どの子もとっても個性的って聞いたわよぉ」
    「……強い力を持っているようですが、一筋縄ではいかないでしょう。聖都のいくつかの孤児院で保護されていた者が三人、北部地域の孤児院から一人、東部地域からは一人です。『悪魔と契約した子ども』『神の毒を満たすひび割れた器』『全てを見通す少年』は多少ご存じだとは思いますが、北部地域の『魔眼持ち』ともう一人は……」
    「そう、東部地域の子だけはあまり知らされていなくて。強い加護を持つということだけれど、ただ、その子、ミカエルちゃんとの謁見でぶっ倒れたっていうじゃない。それでも彼を隊長にさせると教皇自ら仰っているのは何かあるって考えるのが自然じゃない?」
    「……ミカエル、様、の御心は我々常人には到底計りかねますまい」
    「やだぁ、睨まないでよキザキ。ともかくまずは会ってみないとね、それにちょっとぐらいクセがあるほうがこのシスター・ゴーちゃんの腕もバッキバキに鳴るってわけ」 
     喋りまくる修道女にキザキ神父は閉口したが、しかしふと思い至ったように彼女を見る。眉根を寄せ、重々しく口を開いた。
    「アラヤシキ神父の件をお忘れなきよう」
     釘を刺すようなキザキ神父の言葉に、シスター・ゴーがちらりとそちらを見やり、軽く目を伏せる。先ほどまで姦しささえあった雰囲気に影がおりた。
    「……そうねえ、でも私にはどうしても……いえ、いいわ。あれは一概に彼のせいとは言えないけれど、それでも責任は責任よ」
    「分かっておられるなら結構です」
     キザキ神父の冷たい声が廊下に響く。そこにはずらりと扉が並び、それぞれに紋章が刻まれていた。各々の部屋は全て使徒達の詰め所である。その中のひとつ、アイリスの紋章が刻まれた扉の前で歩みを止めて、修道女はふう、と息を吐いた。持っていた資料を抱え直して、ゆっくりと目を瞑る。
    「……緊張しちゃう」
    「あなたもですか? 意外ですね」
    「ええ、そうよ」
     肩を揺らして修道女が自嘲する。しかしふと真顔になり、目を細めたのを神父は見た。 
    「子ども達に何もかもを捨てさせて『今から悪魔と戦ってこい』だなんて命じるの。死んでしまうかもしれないのは百も承知で、それでも主より力を賜った彼らには行ってもらわないといけない。そうしないと、悪魔から人を守れない。……きっと人々は使徒が悪魔と戦うことを当たり前だと思うでしょうね。それこそ、農夫が畑を耕し、狩人が鹿を狩り、神父や修道女が主に祈るのと同じだと。でも、違うのよ。使徒付きの修道女や神父がそのことに慣れきったら、おしまいだと思っているわ」
     一段、低くなった声の調子は彼女――彼の本来の性を思わせる。吐露された彼の考えを甘いと断ずることもキザキ神父には出来たが、そんな気にもなれず小さくため息を吐いた。
    「さぁて、行くわよぉ」
     何ごともなかったかのようにがらりと声を明るくして、修道女が扉に手をかける。勢いよくそれを押せば、大きな音が部屋に鳴り響いた。扉を修繕する手配をしなければならないとキザキ神父が眉間の皺を一層深くさせて、中にいた五人の少年達を見やる。先ほどまで話し合っていたらしい彼らは、いきなりの闖入者の登場に目を見開いて言葉を無くしていた。その視線を感じ、キザキ神父は慌てて表情を取り繕う。
    「ごきげんよう、坊やたち」 
     修道女が一歩踏み出す。ヒールの音が高らかに部屋に響き、修道女、シスター・ゴーは堂々と彼らの目の前に立ったのだった。
     
     ――五分ほど前。
     着替えを済ませ、医務室を出て指定された部屋に入れば既に制服に着替えた四人が待っていた。あ、とリラ色の髪の少年が目を見開きサンダルフォンに歩み寄ってくる。
    「あ、あのっ、大丈夫でしたか?」
    「あ、ああ……」
    「一時間ぐらい前にキザキ神父がお前が倒れたって言いに来てね、心配していたところだよ」
    「マジでびっくりしたぜ、昨日眠れなかったとか?」
     昨晩出会った二人も出迎えてくる。心配をかけてすまない、と謝れば三人はほっとしたようだった。ふとサンダルフォンが彼らの奥にいる人影を見やる。ベレンスの短い髪に柘榴色の瞳をした男で、銀髪の少年よりはやや背が低いがそれでも自分からすれば大柄だ。
    「……君は」
    「お前らと同じだ」
     ぶっきらぼうに答える彼に、そう、と頷く。一歩踏み出し歩み寄ろうとすれば、ぴくりと肩が跳ねた。
    「なあ、なんで白い隊服なんだ?」
     ベイビーブルーの目がじっと衣服を見つめるのに、意識がそちらに向く。
     そういえば四人とも自分のような白い隊服ではなく、チャコールグレイのそれだった。
    「それは……オレも分からなくて、えっと……」
    「あ、そっかそっか! 秘匿名! オレの名前はラジエルなんだってさ、よろしくな!」
    「あの、オレはハニエルと名乗りなさいって言われました……!」
     リラ色の髪の少年が続けて名乗る。それを眺めていた銀髪の少年が、うん、と頷いた。
    「俺はザドギエル。で、あいつが……おい、サマエル、いつまでそこにいるんだ?」
    「俺はここでいい。名前もお前が言ったんだからいいだろう」
    「……ま、ああいう奴だよ。改めて彼はサマエルだ」
     それで、お前は?
     ザドギエルがサンダルフォンをじっと見据える。
    「オレはサンダルフォンという名を貰ったよ。……ラジエル、ハニエル、ザドギエル、サマエル。これからよろしく頼む」
     サンダルフォンの言葉が終わらないうちに、背後から大きな音がした。それは木の扉が吹っ飛ばされたような、というよりも振り返ってみればまさしく蝶番が外れ、扉が傾いている。
    「ごきげんよう、坊やたち」
     扉のあった場所には人影が二つ。一つは自分達を迎えに来たキザキ神父のもの。そしてもうひとつは、修道女、と思わしき人間のものだった。そう断言出来ないのには理由がある。確かにこの人間は修道女の衣服を身に纏っているのだが、体つきは女性にしては逞しく、何より声が男のそれだったからだ。いきなりの闖入者に五人の少年達は言葉を失って、二人をじっと凝視している。キザキ神父はというと一瞬苦い顔を浮かべたがすぐに表情を戻していた。
     修道女姿の男はこつ、とヒールの音を部屋に響かせ一歩進み出る。ひゃ、とハニエルの小さな声があがってすぐに、おわ、とザドギエルの軽く驚いた声が続いた。
    「私はシスター・ゴー。此度、『教会』の退魔専門部に新設された部隊『無垢な神の息吹』、通称IB付きの修道女の任を命じられた者……つまりあなた達の担当修道女よ」
    「冗談だろ」
    「まっ、いきなりね。どういう意味よ」
     ザドギエルの言葉に失礼しちゃうわ、とシスター・ゴーが腰に手を当てる。はっと我に返ったラジエルも、うんうん、とザドギエルの言葉に同意したようだった。
    「まず男がシスターって名乗るのアリなの?」
    「まっ、どこからどう見ても敬虔な修道女じゃない! あんた達見る目が無いわね」
    「どう見ても違うだろ」
    「シスター・ゴーは」
     ザドギエルとラジエル、そしてシスター・ゴーのやりとりを遮るようにキザキ神父が切り出す。有無を言わさないような声の大きさに、まず若者二人が黙った。
    「彼、いや失礼、彼女は君たちの指導や支援を担う者だ。敬意を持って接するように」
    「ま、私としても元気なのはいいことだわ。これから悪魔と戦うためにみっちりとお勉強と鍛錬をしてもらうんだから。さて、まずはあなた達に渡すものがあるの。まずは……ハニエル、こちらにいらっしゃい」
     どさりと資料を机に置いたシスターに呼びかけられ、ザドギエルの背中に隠れていたらしいハニエルがおずおずと顔を出し、彼女に歩み寄る。
     シスターの両手に持たれた薄いヴェールが、ふわりとハニエルのリラ色の髪を覆う。
    「……?」
    「加護のマリアヴェールよ。これはどの使徒にもまず支給されるものなの。使徒の証にして悪魔の力から身と心を守るものよ。とっても似合ってるわ、ハニエル」
     上半身を薄く包むマリアヴェールに琥珀色の目を丸くさせた後、ハニエルがはにかむ。そしてどこか安堵したようにそれを深く被りなおした。次にラジエルが同じようにヴェールを被せられ、その次に呼ばれたサマエルも、一瞬躊躇する素振りを見せたがもう一度名を喚ばれ、渋々と歩み寄った。
     軽くかがめばシスターに優しくヴェールを被せられる。
    「次は……ザドギエルね、いらっしゃい」
     シスターの呼ぶ声にザドギエルが一度瞬きをする。しかしすぐには応えず、しばらく思案する素振りを見せてから、彼女に歩み寄った。五人の中で一番背の高い彼はシスターを見下ろして、小さく首を傾げる。
    「持つよ。髪の毛を結んでいるからずり落ちると思うんだ」
     そう言って、ザドギエルが手を差し出す。シスターはあら、と少し驚いた顔をさせてまじまじとザドギエルを見上げた。
     その深い青の双眸は有無を言わせないと言いたげな冷たさを孕んでいる。
     しかしそんな彼の目を臆することなく見つめ、シスターはやがて小さく頷きヴェールを差し出した。
    「わかったわ。あなたに神のご加護がありますように」
    「ああ、ありがとう。〝まことに、かくあれかし〟だね」
     ザドギエルが薄く笑い、ヴェールを受け取る。それを手に踵を返す様子を不思議そうな顔で見ているのはラジエルとハニエルだ。
    「最後、サンダルフォン、いらっしゃいな」
    「はい」
     シスター・ゴーの言葉に応える。彼女と相対し、見つめ合った。ここに入ってきた時こそ彼女の姿に驚いたものだが、この修道女からは深い親しみのようなものが感じられる。絵画に描かれた聖母を象徴する青を思わせる双眸が優しくこちらを見つめていた。
    「強い加護の力を持つあなたにも、主の守りが及びますように。そしてあなたが……IBを統べる隊長よ」
    「え……」
    「教皇直々の指名なの」 
     シスターの言葉にサンダルフォンが戸惑い、視線を彷徨わせる。
    「どうしてオレが」
    「ごめんなさい、それは分からないの。ただ、あなたはこの任を拒むことは出来ない」
     シスターがマリアヴェールをサンダルフォンに被せる。ふわりと柔らかな花の匂いに包まれるのに、目を細めた。その姿で四人の方を振り向く。彼らはそれでいいのだろうか、と。
    「サンダルフォンさんが、隊長……」
    「だから隊服が白いってワケ?」
     なるほどな、とラジエルが頷く。
    「……教皇がそう言うのならばオレ達に拒否権はないだろうが、はいそうですか、と素直に了承はしない。俺達も命を掛けるんだ。こいつは教皇の面前で倒れたんだろう、身体が弱いんじゃないか」
    「確かにね、俺もサマエルに少しだけ賛成。と言っても、隊長は必要だろうし、それが俺達五人の誰が一番適してるだなんて今のところ分からないけど」
     ずっと黙っていたサマエルがまったをかけ、それにザドギエルが同調する。そういった言葉も織り込み済みだとシスターが頷いた。 
    「勿論、私もミカエルちゃ……教皇猊下がそう命じたからといって鵜呑みにする必要はないと思うわ。他の二人はどうかしら」
    「お、オレは……!」
     ハニエルが声をあげる。四人の使徒と二人の神父、修道女がいっせいに自分を見てきたのに、ひゅ、と息を飲んですぐに俯いてしまった。
     しかし意を決して、おずおずと顔を上げる。
    「オレは、サンダルフォンさんに隊長になってもらいたい、です」
    「あらどうして」
    「わ、わかりません。でも、オレは……サンダルフォンさんがいい、って思います」
    「え、ハニエルっては根拠ナシ?」
    「…………」
     ラジエルの言葉にハニエルが再び俯いて、黙りこくってしまう。このままでは埒があかない。サンダルフォンが小さく頷き、口を開いた。
    「わかりました。シスター・ゴー、それに皆。オレに任せてくれないか」
     はっきりと答え、周囲を見渡す。
     飴色の双眸が一人ずつ仲間を見やって、言葉を続けた。
    「確かにオレは使徒としてどれほどの力を有しているのか自分でも分からない。でも使徒になった以上はその力を使いたいと思っている。悪魔のせいで人が悲しむのならば、オレはその悲しみから守りたい。それは隊長であっても、そうでなくても同じだ」
     だから皆、力を貸して欲しい。
     サンダルフォンの表情は真剣で、そこにはもう一切の迷いは見られなかった。しばらく沈黙が部屋を満たしたが、ラジエルがにっと笑った。
    「しょーがねえなあ、それなら今日から俺の隊長はサンダルフォンってことで! な、二人もさ、ここでああだこうだいっても何にも決まらないぜ?」
    「…………わかった」
     ラジエルの言葉にサマエルがため息を吐き、頷く。その姿にザドギエルも頷いた。
    「決まりだな、よろしく、隊長」
    「…………よかった……」
     ハニエルがほっと安堵する。サンダルフォンがそちらをそっと見やれば、頬を赤らめながら目を逸らしてしまった。
    「決まりね、さあて、次はこの神学校についての説明と……あとなんだったかしら?」
    「所属する委員を決めねばなりません、シスター」
     キザキ神父の言葉にそうそう、とシスターが手を叩く。五人にソファに座るよう促せば。少年達は各々の席についた。
    「それじゃあ、始めましょうか」
     少年達を見据えて、シスター・ゴーが不敵に笑う。
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    krtrmurow

    MAIKINGレオラギで本を書こうと思ったけどなんとなく進まずに放置しているもの。
    ポイピクお試し投稿。
    どういったきっかけで幼いレオナ・キングスカラーがユニーク魔法を発現させたのかは、彼自身与り知らぬ所だった。既に物心ついたときには小間使いの者達からは畏怖を込めた目を向けられていて、それが何故かと理解したのも、その頃だった。
     
     触れた花が、枯れた。
     
     覚えている。今もはっきりと、記憶に焼き付いて離れない。
     指先に触れたストレリチアが花弁のふちから萎れ始め、砂となって崩れていく。窓からの光を受けて、慎ましやかに光る花瓶に活けられていたオレンジの花がみるみるうちに形を失ってついにはその足下に小さな山を作ったのを緑の目でじっと、見つめていた。たまたた通りがかった小間使いの女が小さく悲鳴を上げるのをどこか遠い事だと感じながら、幼いレオナは無表情で花だったものを見下ろす。
     すぐに片付けます。女が震える声で箒やらを持ってこようとぱたぱたと走り去るのにも応えずに、ただただじっと、何が起きたのか自分でも理解出来ないというような顔で立ち竦んでいた。
     それが最初の自覚だった。女が戻ってくるのを待たずにふらふらと自室に戻って今起きた事を考えて、ああだからなのかと納得して、それからレオナは今にも泣 3945

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