始まり広い空間の割に家具や装飾な少ないリビング、少しだけ野菜が少なく盛り付けられた自分の夕食。いつも通り類たちの日常の風景だ。目の前の恋人を除けば。
「でな、監督に直接だぞ!直接言われたのだ!!」
そう言いながらふんすと鼻を鳴らし、明らかに興奮している様子を見せるのは類の恋人、天馬司だ。次の出演する舞台での主演のスカウトをされたらしく、大変機嫌が良い。頬を赤くしながらニコニコと笑うその姿はとても可愛らしい。この可愛さはいつもと変わらないな、なんて頭の中で惚気ながら頷いてると、突然司がむっと頬を膨らませた。
「類!本当に聞いているのか?せっかくお前の最高のパートナーであるオレの主演が決まったというのに……。」
「フフッ、すまなかったね。司くんがあまりにも可愛くて。つい見入ってしまったよ。」
「むっ、そうかそうか!それなら存分に未来のスターの姿を味わってくれ!」
そう言って彼はお得意のカッコいいポーズを披露した。怒ったり悲しんだり、かと思えば得意げに喜んだり…。司といると本当に毎日が華やかになる。この穏やか、というには少し騒がしい二人の日常を守るため、類にはやらなければいけないことがあった。恋人としても、演出家としても司を支えるために。類は少し頭の中を整理し、司と向き合う。
「司くん、今回もあのルーティンを毎日守るようにね。特に今回は主演で気合いも入ってるだろうから、余計に“入り込みやすい”、だろうからね。」
その言葉の意味が伝わったのだろう。司も真剣な表情になり、類と向き合う。
「ああ、毎度迷惑をかけてすまない。今回も自分のできる限界まで気をつけるぞ。類には負担をかけてしまうことになるが…。」
「それは迷惑でも負担でもないって何度も言ってるでしょ。大丈夫。司くんならしっかり戻って来れる。いつもそうでしょ?それに、僕がついてる。」
その言葉に珍しく縮こまってた背をピンっと立たせ、いつもの輝かしい琥珀色の目を見せてくれた。
「ああ、ありがとう!類!」
「フフッ、どういたしまして。」
新進気鋭の舞台役者、天馬司。彼はいわゆる憑依型役者と似たような性質を持っている。彼の演技方法は役の生い立ち、心情などを何から何まで研究し尽くし、その演技を繰り返し身体に叩き込むことでその役そのもののようになって演技をする、というものだ。役が乗り移ったように演技をする憑依型と似て非なるものだ。しかし、演技が終わった後「役が抜けきらない」という厄介な共通点を持っている。司は当初、役に入り込みすぎて他の人と演技を合わせることができなかったと話していた。しかし、多くの場数を踏むことで、それは解決したのだが、「天馬司」として完全に戻って来ることは自力では全くできなかったらしい。類が司と出会ったのは、二人が大学三年生の時。彼がそのことで大いに悩んでいた頃だった。
「なぁ、あれ聞いたか?演劇科の天馬司、また問題起こしたらしいぜ。」
「またか…。こちらの演出科には関わらないで欲しいものだ。」
大学の食堂。そこまで広くない空間では、隣でコソコソと話している同級生の話し声も自然と耳に入ってしまう。“天馬司”。よくこの学校では話題になっている人物だ。良い話題から悪い話題までさまざまなものがあるのだが。自分には関わることのない人物なのに、その浮いた存在は自分と似たようなものを感じていた。まぁ、その人が何してようが自分には関係のないことだ。類はどこか冷めた考えで聞き流していた。
そんな彼との出会いは意外にも早かった。
「今日からこの部屋で一緒に暮らす天馬司だ!よろしく頼む!神代類!!」
下に行くにつれてピンクになっていく変わった色の金髪、低い声に反して可愛らしい顔つきの彼は、僕の前に突然現れた。大学三年生の夏頃のことだった。類は二人部屋制度の寮に住む生徒が奇数だったため、偶然一人部屋となったのだが、類にとっては好都合でしかなかった。一人で夜中まで作業ができるという点はもちろん、類自身他人と共同生活できるような性格ではないと自分でも自覚していたからだ。しかし運が悪いことに司が寮に住むことになってしまい、生徒の数が偶数になってしまった。そして必然的に類の部屋のちょうど空いていたそのひと枠を司にあてがわれたのだ。事情が事情とはいえ、突然入ってきた異分子に、最初は良い気がしなかった。しかし、そんな陰うつとした考えも、その元凶である人物に破られることになるのだが。
「なにっ!お前もショーが好きなのか?」
彼も類と同じくショーが好きらしかった。この大学で学んでいるのだろうから当然とはいえ、演技だけではなくショーというもの自体好きだという人は意外に少なかったため、彼の存在に少し興味が出た。そこからは早かった。
「これはどんな機械なんだ?こんな素晴らしいものを作れるなんて類は天才だな!」
「その演出、素晴らしすぎるぞ!類!!オレがもし舞台に立てたら是非お前に演出をつけてもらいたいものだ!」
まさに圧巻と言えるものだった。他人に壁を作りがちな類の中にあっという間に踏み込んできて、その持ち前の明るさでどこか暗い雰囲気だった部屋を一瞬で明るくした。でも類もそれが悪い気はしなくて。運命ってこういうことなのかも、なんて性に合わないことまで考えていた。お互い、取る授業が違うから顔を合わせるのはほとんど夜のみであったが、その夜が待ち遠しくなるほど、司との時間は楽しいものであった。独り寂しく演出を考えていた頃の類が見たら驚くだろう。でも、だからこそ疑問だった。
(司くんはもちろん良い噂もあるけど、どうして悪い噂もあるんだろうか…。)
本人にこんなデリカシーのない質問をするわけにはいかないと、人付き合いが得意とは言えない類でもわかっていることだ。だから、明日食堂で演技科の人に聞いてみよう、とそんなことを考えていた夜のことだった。
ドンッと勢いよくドアが開けられる。それと同時にハァハァと耳を済まさずとも聞こえて来る荒い息に、類は何事かと作業中のものを置いてドアの方を覗いた。そこに現れたのは類の知らない生徒でもなく、黒ずくめの犯罪者でもなく、同室の司だった。確か朝、今日は演技指導があるから遅くなると言っていた気がするのだが、作業に没頭しすぎて思ったよりも時間が経っていたのかもしれない。とりあえず、どこか様子のおかしい司に声をかけてみる。
「お疲れ様。司くん。一体どうし…、」
「ひっ……ぇ、ぁう、……ご、ごめんなさ、い…ごめんなさい!」
「司くん……?」
どうしたの?と声をかけようとした声が止まる。なぜなら目の前の司は見たことがないほど目を見開き、ガタガタと震えながら怯えていたのだ。彼の苦手な虫が出てきた時でさえここまで怯えた様子は見せなかった。下手に動いて彼を余計怯えさせるわけにもいかず、類はその場から動くことができなかった。
「失礼するよ!」
突然低い声が響いた。その声の主は綺麗な青髪にしっかりとした眉毛が特徴的で、女子生徒の中でもトップの人気を誇る演劇科のKAITO講師だった。
「ひっ……ぁ、だ、だんちょ、うさん…ぁ、ぅ……。」
「類くん、突然ごめんね。事情は後で説明するから、とりあえず少し司くんを落ち着かせるためにここを借りてもいいかな…?」
「は、はい。もちろん。」
類は何がなんだかわからず、とりあえず承諾した。なぜ名前を知っているのか、司くんに何があったのか聞きたいことは山ほどあった。何か深い事情でもあるのかと類の高すぎる好奇心が疼いている。しかしここはあまり首を突っ込まない方がいいだろうと、事がおさまるまで作業をして待っていることにした。
「……くん、類くん。」
「っ!……あ、KAITO先生。」
「作業中にごめんね。少し事情を説明したくて。今いいかな?」
「いえ、大丈夫です。ではあちらに行きましょう。」
突然かけられた声に大袈裟に反応してしまった。思っていたよりも作業に没頭してしまっていたみたいだ。
「司くんは相当疲れていたから、司くんのであろうベッドに寝かせておいたよ。勝手にいろいろ触っちゃってごめんね。」
「大丈夫です。そこら辺はお構いなく。あ、飲み物は何がいいですか?」
「ああ、もう出ていくからお気遣いなく。ありがとう。」
その言葉に素直に頷くことにした。元々司との共同スペースは綺麗好きな司が管理していたから全く問題がなかった。しかし今は部屋のことよりも先ほどの司くんの異常な様子が気になって仕方がない。そんな類の様子を見て察したのか、KAITOは一息ついて話し始めた。
「さて、何から話そうかな。最初に僕と彼の関係を話した方がわかりやすいかもしれないね。まず僕が彼と知り合ったのは…」
そこから司に関しての話を聞いた。KAITOとはKAITOが現役のころ、つまり司が小学校中学年の頃に出会ったらしく、演技のために彼の母にピアノを習っていたそうだ。そこで司が舞台役者を目指していることを知り、簡単な演劇を教えるようになってからの縁らしい。司の呑み込みは早く、KAITO自身も教えることに対して手応えを感じていた。司が順調に成長していく中、問題が起きたのは中学生の時だった。
それは、いつも通り演技についての軽い稽古をしに司の家へお邪魔した時であった。
「おじゃまします。………あれ、司くん?」
毎回律儀に出迎えてくれるはずの司くんが来ない。疑問に思いながら、倒れていたり体調が悪くなったりしていたら危険だと思いKAITOは慌てて家にあがった。そして、ほんの少しだけ聞こえる不安定な呼吸音を頼りに司を探した。
「っ……司くん!」
そして見つけた司は真っ青な顔でうずくまっていた。
「ひっ、いや!うるさい……うるさい!!」
「司くん、僕だよ?聞こえる?」
何度呼びかけてもこちらに反応することなく叫ぶ姿は、まるで誰かと会話でもしているかのようだった。このままではダメだと思い、KAITOは少し強めに肩を揺らした。
「司くん!僕を見て!」
「っ!、か、かいと?……ぁ、なんか、ボク、変で…、みんなが、………ぁう……」
「大丈夫だよ、ゆっくり深呼吸をしようか。」
それからパニック状態にあった司を落ち着かせ、ソファに座らせた。徐々に顔色は良くなっていったが、手はまだ震えていた。
「何があったのか、ゆっくりで良いから話してみてくれないかな?」
「………あ、ああ。途中からあんまり覚えていないのだが………。最初はKAITOが来ることが楽しみで、いつも通り演技の予習をしていたんだ。そしたら突然、役の声が聞こえてきたんだ。最初は少し囁く程度の声量だったのにだんだんと大きくなっていって、何が何だかわからなくなってしまったんだ。」
それを聞いて、KAITOは危惧していたことが起こったのだと悟った。以前から司くんが演技をした後ぼんやりとしたり、一人称があやふやな時があったりしていたため、もしかしたらと思っていたのだ。早めに対策をしなかったことを後悔すると共に、KAITOはある提案を司に持ちかける。
「司くん。落ち着いて聞いてね。おそらく司くんは役にハマりすぎてしまう性質を持っているんだ。それが原因で頭の中にある役がなかなか司くんから離れなくなってしまう。でもそれは司くんが頑張った証でもあって、プロでもそこまで役に溶け込める人はそうそういない。僕だってできないしね。」
「性質……。それは直せないものなのか?オレはもう、演技しない方がいいのか?」
「それは違うよ。司くんのそれはうまく扱えばとっておきの武器になる。ただし、使いこなせなければ自分を傷つけてしまうだけのものになってしまう。そこで提案なんだけど。………僕、前に大学の特別講師として勧誘を受けたんだ。現役を降りたらそこへ行こうかと思っていてね。司くんも是非そこへ進学してみないかい?司くんのその性質を知っている人がいた方が、司くん自身も安心して稽古に挑める。もちろん、強制ではないし、たとえ入らなくてもサポートはいつでもするつもりだよ。」
「自分の、武器に……。」
司くんは悩むそぶりを見せたが、すぐ前を向きこちらをまっすぐな目で見た。
「ありがとう、KAITO。是非お願いしたい!その武器で、たくさんの人を笑顔にできるのなら!」
その目の輝きに、良い年して感動してしまったことをよく覚えている。自分が役に呑まれてしまう、そんな恐怖を先ほど味わったばかりだというのに、子供は本当に恐ろしいな、なんて柄にもなく考えていた。
(いや、司くんの強い想いがそうさせているのかもしれない。ならばこちらは全力でサポートするのみだ。)
そうしてKAITO自身も一人心の中で決意を固めたのだった。
それから、どうしたら司が役から戻ってこられるかを二人で考えた。今でも続けているのは常に司のプロフィールが書かれた手帳を持ち歩くというものだ。ふとした瞬間にそれを頼りにすればその場しのぎにはなるようだった。司の自我が曖昧になることは練習を重ねれば重ねるほど増えてしまったが、司の進みたいという強い想いにKAITOは止めることなどできなかった。今はそばで支えながらカウンセリングの力も受けつつ演技の勉強をしている。
「………という感じかな。長くなっちゃってごめんね。多分類くんに心配かけたくなかっただろうから、大学で演技の実践があった時は自我がちゃんと戻ってきたら帰るようにしてたんだ。」
「……なるほど。だからたまに司くんの帰りが遅い時があるのか。とても苦労なさったみたいですね。」
「あはは、まぁ本人は『スターになるための道が簡単なようでは面白くないからな!』と言っていたけどね。」
「フフッ、それは彼が言いそうですね。」
「ただ、今日は司くんの良くない噂を聞いた生徒が絡んできてね。その時ちょうど気弱な役に入り込んでいたからパニックになってしまったんだ。」
「なるほど…生徒が。それって……」
「……かいと?るい?」
二人の会話の中に、別の方向から声がかかる。声の元を辿れば少し先にまだぼんやりとした司くんが立っていた。
「司くん!もう体調は平気なのかい?」
「……ああ、平気だ!というよりも体調を崩したのはオレではないのだがな…。その様子だともうKAITOから聞いたのだろう。迷惑をかけてすまない。」
「KAITOさんが対処をしてくれたし、迷惑なんてかけられた覚えはないな。それに、これからは僕も頼って欲しい。部屋も同じだし、演技で不安定になった君を迎えに行くことだってできる。」
「そこまで迷惑はかけられないというか、それに……。」
歯切れの悪い司に疑問を持ちつつも、類は信じて欲しくてぎゅっと司の手を握った。握った司の手は少し震えていた。
「司くん、会って間もない僕が言うのも変な話だけど、信じても良いんじゃないかな?とても優しい人だって司くんが一番よくわかっているだろう?」
「カイト……。」
余程な事情があるのか、司はかなり悩む様子をみせた。しかし、何か彼の中で固まったのか、僕の方をまっすぐ見た。目をそらしたくなるほどの輝きに、カイトさんの気持ちがなんとなくわかったような気がした。
「類、今まで隠していてすまない。これからよろしく頼む。オレは一度入ってしまうと本当に周りがわからなくなってしまう。だから危険な役をやればそれだけ危険が伴う。危険だと思ったら容赦なく蹴るなり殴るなりして自分の身を守って欲しい。それだけは約束してくれ。」
「うん、わかったよ。いつも司くんは僕の演出を手伝ってくれるからね。ちょうどそのお礼がしたいと思っていたんだ。これからもよろしく頼むよ。」
それから司くんとの距離がさらに近くなった。少しずつだけど、お互い後ろめたいと思っていた部分を話し、二人で支え合った。そして惹かれ合い、大学卒業後類から告白し、晴れて恋人となった。今は二人に対して理解を示してくれた事務所の元、役者と演出家として活躍していた。
そして現在、神代類はキッチンにて料理をしている。最初は苦手としていた家事も、司の舞台期間はやらなくてはいけなかったため、やっとのことで染みついてきた。特に今回の司の役は『愛に執着する狂人』であるため、危険なものを触れさせるわけにはいかない。以前、そういう役をやる時は類にも危険が及ぶため、別々に暮らした方が良いのではないかと司に言われたのだが、愛する恋人が頑張っている間のサポートぐらいはさせて欲しいと類が押し切ったのだ。もちろん、本当に危険な時の対策は考えてある。その考えを伝えた上で渋々承諾してくれたのだが、今回は役が役であるため少し不安が残っている様子だった。キッチンに入るためには鍵が必要なようにしてあるし、刃物もしっかり類が管理している。殺傷事件になる要素は徹底的に排除してある。だからあと類がやるここと言えば、不安がっている司を直接安心させることだ。料理を運びがてら、ソファで台本を読んでいる司に声をかける。
「司くん、夕食ができたよ。一緒に食べよう。あと明日から別々の部屋で寝るわけだし、今日はいつもより早めにベッドでイチャイチャしたいな。」
「ああ、ありがとう!そ、そうだな、オレもそれがいいと、おもぅ…。」
「おやおや、顔が赤くなってしまっているよ?どうしたのかな?」
「〜〜っ、お、お前がイチャイチャなどと恥ずかしいことを口にするからだろうが!」
「フフッ、司くんは相変わらず可愛いねぇ。」
「お前……、わざと言ったな!?」
顔を真っ赤にしてぶーぶーと怒る様は全く怖くなく、むしろ可愛いさが限界突破していて自然と頬が緩んでしまう。夜の営みはもう何回もしているというのに、いつまでも初心な恋人が愛おしい。
そんなやりとりをしながら、夜が更けていった────
「──だからね、今回のストーリーは個人的にもいつか舞台で見たいと思っていたんだ。そして今回舞台化される、しかも司くんが主演で。こんなに嬉しいことはないよ。」
「そう言ってもらえて嬉しいぞ。オレのやる気もさらに上がるものだ。……類、いつも言っていることだが、今回は特に気をつけて欲しい。危険だとわかったらすぐに逃げるか殴るかしてくれよ。」
「フフッ、わかっているよ。司くんが演技に関してマイナスになってしまうような事態、僕が起こさせないよ。絶対に。」
2人で潜る布団の中、やはり不安に思っていたのだろう。わずかながら震えている手に己の手を重ね、より身体を密着させてお互いの体温を分け合う。それに少し安心したのか、司は自然と入ってしまっていた肩の力を抜き、類の胸元に頭を擦り付ける。
「ありがとう。愛しているぞ、類。」
「僕もだよ。司くん。」
明日からは別々の部屋。そんな夜だからこそ、少し眠るのが億劫になってしまう。だが、それで明日の活動に響いてしまうのは類も本意ではない。半分夢の世界へ行きかけている恋人の額に唇を触れさせ、温かな恋人の香りに包まれながら目を閉じた。
「おやすみなさい。」
それから1週間後、類は相変わらず家の家事をこなしていた。ソファには台本を片手に、役に入り切る前のぼんやりとした司が座っている。掃除機の音はかなりうるさいはずなのに、一切反応を示さない司。もう見慣れた光景ではあるが、この何とも言えない不安は一生消えることはないのだろう。己の恋人が別人へと作り変えられている最中なのだから。
「司くん、もうそろそろ自室に戻って休んだ方が良いんじゃないかな?お疲れだろうし。」
「……っ、あ、ああ。ぼんやりしていたようだ。ありがとう、類。“私”はもう自室で休むことにするよ。」
「………、うん、おやすみ。」
バタン、と閉じられた瞬間、身体の力が抜ける感覚がする。うまく笑えてただろうか。何度経験しても、彼の一人称が変わる瞬間はゾクっとしてしまう。
(困ったなぁ。ちゃんと支えるって決めたはずなのに。)
彼が役者として成長していくため、今後この才能を死なせるわけにはいかない。それはわかっているはずなのにどうにもこの期間は落ち着かない。そんなことを考えていた時、突然自分のスマホが震えた。それを手に取って画面を見る。
(……?カイトさん?こんな時間に珍しいな。)